■認知症を遠ざける画期的な方法
人間の寿命は、この100年で大きく延びました。次の課題は、延びた時間をどれだけ健やかに過ごせるか、です。健康寿命を延ばす研究が世界中で進むなか、いま思いがけないところに注目が集まっています。認知症を防ぐために手を打てる要素のうち、いちばん大きいのが難聴だとわかってきたのです。
きっかけは、2017年、世界で最も権威ある医学雑誌のひとつ「ランセット」に載った国際委員会の報告でした。それまでの研究をまとめ直したところ、認知症のうちかなりの部分は、生活のなかで手を打てる要因で説明がつくとわかったのです(※1)。2024年に最新のデータが更新され、数ある要因のなかで最も大きかったのが難聴でした(※2)。しかも、中年期からの聞こえが問題になるとされました(※3)。
2026年には、日本のデータだけで計算し直した研究も出ました。結果は、1位が難聴で認知症全体の6.7%、2位が運動不足で6.0%、3位がコレステロールの問題で4.5%でした(※4)。
この6.7%という数字には少し説明が必要です。「認知症の6.7%が難聴のせい」という意味ではありません。
※1 Livingston G, Sommerlad A, Orgeta V, Costafreda SG, Huntley J, Ames D, et al. Dementia prevention, intervention, and care. Lancet. 2017;390(10113): 2673-2734.
※2 Livingston G, Huntley J, Liu KY, Costafreda SG, Selbæk G, Alladi S, et al. Dementia prevention, intervention, and care: 2024 report of the Lancet standing Commission. Lancet. 2024;404(10452): 572-628.
※3 内田育恵. 疫学的視点から見た加齢性難聴と認知症. 日本音響学会誌. 2025;81(5): 338-344.
※4 Wasano K, Jørgensen K. The potential for dementia prevention in Japan: a population attributable fraction calculation for 14 modifiable risk factors and estimates of the impact of risk factor reductions. Lancet Reg Health West Pac. 2026;66: 101792.
■加齢によって耳で何が起こるのか
私たちの耳の「高音を聞き取る力」は、中年期より前から少しずつ下がり始めます。日常会話に困るほどの難聴が増えるのは、65歳を過ぎてから。日本人を調べた研究では、70代前半の男性の約5割、70代後半の約7割が難聴でした(※5)。ただし、かなり個人差が大きく、80歳でも正常な人もいれば、60代で難聴の人もいます。
では、なぜ年をとると難聴になるのでしょう。耳の最深部にある「蝸牛(かぎゅう)」という器官には、音をキャッチして電気信号に変えるマイクのような「有毛細胞」が並んでいます。この有毛細胞が傷むことが、加齢性難聴の主因。加えて、有毛細胞と脳をつなぐ配線――つまり神経も少しずつ傷みます。神経が傷むと、音は聴こえているのに言葉として聞き取れないという困った状態になるのです。「何か言われたのはわかるのに、内容が聞き取れない」。
そこに体質や長年浴びてきた騒音の影響も重なって聴力が低下するのです。特に強い騒音で蝸牛を傷つけると、若くても難聴(騒音性難聴)になり、聴力は元に戻りません。WHOはイヤホンの音量を最大の6割までにとどめ、大音量を長く聞き続けず、ときどき休憩を取ることをすすめています。ノイズキャンセリング機能を使えば、周囲がうるさくても音量を上げずに済みます。
※5 Uchida Y, Sugiura S, Nakashima T, Ando F, Shimokata H. 全国高齢難聴者数推計と10年後の年齢別難聴発症率――老化に関する長期縦断疫学研究(NILS-LSA)より. Nihon Ronen Igakkai Zasshi. 2012;49(2): 222-227.
■難聴だと認知症になりやすい理由
ここで気になるのは、「なぜ難聴だと認知症になるのか」という疑問でしょう。もちろん、難聴だけですぐ認知症になる、という単純な話ではありません。いくつかの要素が重なって、じわじわと脳に影響していくと考えられています。
まずは、耳から脳への影響です。聞こえにくくなると、耳から脳に届く音の情報が減ります。すると不思議なことに、脳の負担はむしろ増えるのです。かすれた音や雑音まじりの声から言葉を拾い上げるために、脳は欠けた部分を推理で補い続けなければなりません。
もうひとつ、耳が聞こえにくいと話すのが億劫になり、人と会う機会が減ります。米国や北欧の調査では、難聴のある人は仕事に就いていない割合が高いことがわかっています。そこから気分の落ち込み、意欲の低下、孤立へと進み、認知機能の低下につながっていくというわけです。日本のデータでも、難聴のある高齢者は付き合いのある人の数が少なく、特に家族以外との関わりが目立って少なくなっていました(※8)。そして、日本人の認知症の原因ランキング4位は社会的孤立です。
※6 Uchida Y, Nishita Y, Kato T, Iwata K, Sugiura S, Suzuki H, et al. Smaller hippocampal volume and degraded peripheral hearing among Japanese community dwellers. Front Aging Neurosci. 2018;10: 319.
※7 Lin FR, Ferrucci L, An Y, Goh JO, Doshi J, Metter EJ, et al. Association of hearing impairment with brain volume changes in older adults. Neuroimage. 2014;90: 84-92.
※8 Ogawa T, Uchida Y, Nishita Y, Tange C, Sugiura S, Ueda H, et al. Hearing-impaired elderly people have smaller social networks: a population-based aging study. Arch Gerontol Geriatr. 2019;83: 75-80
■補聴器を使えばリスクは下がるか
では、補聴器をつければ認知症を防げるのでしょうか。もちろん、他の要素もありますし、確実に防げるとまではいえませんが、可能性はあります。
2019年、WHOは「認知症になりにくくなるための初めての指針」をまとめました(※9)。このとき補聴器については「まだ根拠が足りない」という判断でした。
また、70代から80代の難聴の人(977人)を3年間追いかけた米国の研究では、集団を〈補聴器を使うグループ〉と〈健康の話を聞くだけのグループ〉にランダムにくじ引きで分けて比べた結果、心臓や血管の病気のリスクが高い人においては、補聴器をつけたほうが3年後の認知機能の落ち込みが48%も小さかったのです(※10)。
日本のデータもあります。日本人の集団を調べた研究では、中等度の難聴があっても補聴器を毎日使っている人は、認知機能の低下がはっきりと抑えられていました(※11)。また、大学病院7施設の共同調査で補聴器を始めた人たち(平均77歳)を調査したところ、6カ月後には段取りをつけて物事を進める力が上がっていました(※12)。ただし、この結果には、認知症の傾向が軽い人ほど補聴器を根気よく使い続けられる、という逆向きの関係も混じっているかもしれません。
※9 World Health Organization. Risk reduction of cognitive decline and dementia: WHO guidelines. Geneva: World Health Organization; 2019.
※10 Lin FR, Pike JR, Albert MS, Arnold M, Burgard S, Chisolm T, et al. Hearing intervention versus health education control to reduce cognitive decline in older adults with hearing loss in the USA (ACHIEVE): a multicentre, randomised controlled trial. Lancet. 2023;402(10404): 786-797.
※11 Sugiura S, Uchida Y, Nishita Y, Teranishi M, Shimono M, Suzuki H, et al. Prevalence of usage of hearing aids and its association with cognitive impairment in Japanese community-dwelling elders with hearing loss. Auris Nasus Larynx. 2022;49(1): 18-25.
※12 Uchida Y, Mise K, Suzuki D, Fukunaga Y, Hakuba N, Oishi N, et al. A multi-institutional study of older hearing aids beginners-a prospective single-arm observation on executive function and social interaction. J Am Med Dir Assoc. 2021;22(6): 1168-1174.
■平均聴力40デシベル以上は受診を
では、補聴器を使うタイミングはどう考えたらいいでしょうか。まず、定期的に聴力を確認してください。そして健診で難聴を指摘されたら、耳鼻咽喉科を受診しましょう。55歳を過ぎて平均聴力が40デシベル(静かな部屋の会話がやっと、というレベル)を超えると、本人が感じている以上に、会話や考える作業に影響が出てきます。この40という数字が、受診の目安です。
その後は、軽度難聴でも、年に一度は聴力を確認する必要があります。聞き返しが増えた、テレビの音量が上がった、騒がしい場所で言葉がわからない。そう感じたら、次の健診を待たずに耳鼻咽喉科を受診することも大切です。
補聴器の導入を考えるとき、安心して進められる順番があります。まず耳鼻咽喉科で、治せる病気が隠れていないかを診てもらいましょう。年齢相応に見える難聴のなかに、別の病気が隠れていることがあるからです。
よくあるのは耳垢が詰まる「耳垢栓塞」で、単に除去するだけで聞こえが戻ります。鼓膜の内側に滲出液がたまる「滲出性中耳炎」が原因ということもあり、これも治療可能です。片側だけの難聴や耳鳴りをきっかけに、脳腫瘍が見つかったケースもあります。年のせいと思い込まず、聞こえづらい場合は耳鼻咽喉科を受診しましょう。
■補聴器を買うときは店選びが重要
聴力そのものが低下している場合は、日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会が公開している「補聴器相談医」に相談するのがおすすめです。全国に約5000人いて、学会のサイトで探せます。
お店選びの際には、①認定補聴器技能者がいるかだけでなく、②防音の部屋で聴力と補聴器の効き具合を測れるか、③試聴期間と購入後の調整が十分か、④耳鼻咽喉科と連携しているかを確認しましょう。
よく「補聴器をつけると音がキンキン鳴って耐えられない」という人がいます。それまで長く聞こえていなかった、食器の音、紙の音、自分の声などの高音が、最初はうるさく感じられるからです。ただ、この違和感は故障でも相性の悪さでもなく、脳が聴こえを取り戻している途中だというサイン。数日から数週間で軽くなるので、慣れるまで3カ月ほど様子をみてください。毎日なるべく長く使うこと、無理のない音量設定から始めて少しずつ上げていくのが、早く馴染むための近道です。
反対に音量を下げ続けると、「うるさいのに言葉はわからない補聴器」になってしまうので要注意。補聴器は買って終わりではなく、慣れるまで時間をかけ、専門家と一緒に調整を重ねて、自分の聴こえに合わせて育てていく道具なのです。
■それでも聞きこえなければ人工内耳を
なお、ここまでにご説明した「補聴器」と、量販店や通販で売られている「集音器」は別物です。補聴器は、一人ひとりの聴力に合わせて、音の高さごとに細かく調整する医療機器。集音器は単に音を大きくする機械です。混同しないようにしましょう。
また、補聴器を調整しても、静かな場所での会話が聞き取れないというところまで難聴が進んだときには、人工内耳という選択肢があります。耳の中に、音を電気信号に変えて、聴神経を直接刺激する装置を入れます。手術のあとには調整とリハビリ、そしてご家族の支えが要ります。それでも、年齢だけで諦める治療ではありません。全身麻酔に耐えられ、リハビリに取り組めるなら、高齢でも候補になります。
聴こえを守ることは、認知症を完全に防ぐ魔法ではありません。それでも、リスクを下げる大きな手立てにはなります。さらに会話を続け、社会とのつながりを保ち、生活の質を守ることには、確かな意味があります。早いほどよいのは確かです。でも、何歳になっても遅すぎるということはありません。
この記事が、ご自身やご家族の「聴こえ」を見直すきっかけになれば、それに勝る喜びはありません。
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音良 林太郎(おとら・りんたろう)
医師、医療ライター
2006年、慶應義塾大学医学部卒。臨床研修修了後、2008年より同大学耳鼻咽喉科学教室へ所属。日本耳鼻咽喉科学会専門医・指導医、耳科学会認定医。耳科、聴覚を専門とし、臨床勤務医として従事する。2018~2020年、米国ノースウェスタン大学耳鼻咽喉科頭頸部外科でポストドクトラルフェローとして先天性難聴の蛋白機能解析に関する基礎研究に従事。2021年より国立病院機構栃木医療センター耳鼻咽喉科に医長として勤務。本名、小島敬史。現在はX(旧Twitter)で医学・健康情報の啓蒙活動をしながら、医療ライターとして医療記事執筆を行っている。2026年4月より「立川駅前おといろ耳鼻咽喉科」院長。
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(医師、医療ライター 音良 林太郎)

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