音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」としてリスタート。自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫っている。
2026年5月前半の特集は、山崎ハコ

田家:こんばんは。J-POP LEGEND CAFEマスター田家秀樹です。今流れているのは、山崎ハコさんの「飛びます」。1975年10月にエレックレコードから出て、1976年10月にキャニオン・レコードから発売されたデビューアルバム『飛・び・ま・す』のタイトル曲。今週の前テーマはこの曲です。

先月もお話ししましたけれど、今からちょうど50年前、1976年、J-POPの大きな節目になった年でした。この年にデビューしたアーティスト、この年に発売された歴史的な名盤というのがたくさんあるので、今年は折に触れてそういう話をしていくことになりそうだと。今週と来週も、まさにそんな2週間です。「飛びます」の入った山崎ハコさんのデビューアルバム『飛・び・ま・す』。そして、76年5月に出た2枚目のアルバム『綱渡り』それぞれの50周年デラックス・エディションが発売されているんですね。70年代のフォーク、ニューミュージックに確かな足跡を残した2枚の50周年盤を改めてご紹介しようという2週間です。
ゲストに、なんとハコさんご本人をお迎えしております。50年を振り返りつつ、アルバムを聴き直してみようという2週間です。こんばんは。

ハコ:こんばんは、山崎ハコです。

田家:それぞれ50周年盤が出ましたね。

ハコ:もう感動ですね。

田家:このデラックス・エディション、オリジナルテープからの初リマスターというだけではなくて、1976年10月の新宿ロフトの未発表ライブ音源が入っている。

ハコ:そうです。こけら落としライブが。

田家:伝説の10日間。よく残ってましたね。これ聴いたことは?

ハコ:もらってなかったので聴いてないけど、やった記憶はどこかにあるわけです。


田家:『1976年の新宿ロフト』って本が出ていて、そこに10日間のことが書いてあるけど、音源のことは、どこにも書いてなかった。それも聴けます。ということで、今週は、まず『飛・び・ま・す』の方なんですが、75年10月にエレックから出て、1年後にキャニオンから出ている。いろいろありましたもんね事情が。

ハコ:それもびっくりでしたね。

田家:そのびっくり話もまた後ほど伺いましょうかね。

山崎ハコが振り返る、歴史的な名盤、デビューアルバム『飛・び・ま・す』

山崎ハコ

望郷 / 山崎ハコ

田家:1975年10月発売のデビューアルバム『飛・び・ま・す』の1曲目「望郷」。レコーディングはアルバムの曲順に録っていったんですか?

ハコ:そうです。これは覚えていますね。

田家:じゃあ、作った時のことも思い出されました?

ハコ:あ、それは、だいぶ前ですね。1年くらい前だと思います。

田家:この歌の中に、<淋しくて 悲しくて 出て来た横浜>とか<ちょうちょう>とか<神社の石段>とか出てくるでしょう。
これはやっぱり故郷とのことでもあるわけで。

ハコ:そうです。多分16、17歳ぐらいで作ってると思いますね。後で聞きましたが、ファンの人たちは、この「望郷」の<青い空>を探しに九州に行ったら納得したって言うんですよね。この空だって。<白い雲>もそうですけど、多分これだって。

さすらい / 山崎ハコ

田家:1曲目が「望郷」で、2曲目が「さすらい」。繋がってますね。

ハコ:しかし、まあ高校生で、「さすらい」(笑)。

田家:この曲は海外配信の人気が高くて、今、アメリカとかフランスとか、イギリスで聴かれている。

ハコ:『サラリーマン』というドキュメンタリー映画でも使われたんですよ。日本人のサラリーマンを追ったドキュメントで、この「さすらい」が酔っ払いの背景に流れているらしいんです(笑)。
日本を撮りたいということで。

田家:あ、向こうの監督さん?

ハコ:そうです。写真家でもあるコスタリカ人の女性監督が、ニューヨークから日本に来て撮ったっていう。

田家:誰かからハコさんのことを聞かされて、曲聴いて、これにしようかって決めたんですかね。

ハコ:意外と『飛・び・ま・す』からは、そういうのがあって。例えば「望郷」だとフランスのヒップホップアーティストがサンプリングして使ってます。あと、「かざぐるま」とかもありますね。

田家:それもびっくりです。

ハコ:ギターも好きみたいなんですよ。だから、イントロとか間奏、エンディングに安田(裕美)さんのギターが何度も出てくる。そういうのも面白い。「さすらい」も、アルバムの2曲目にいいんだろうかと当時も思ったんですけど、海外の人とか関係ないんですよね。


田家:ハコさんっていうと、やっぱりフォークの人っていう印象があって。生ギターで歌われる。これ、違いますもんね。

ハコ:このアレンジは、びっくりですよね。

田家:こういう曲が海外で流行って、なるほどなと思ったんですが、編曲とキーボードが佐藤準さんで、ギターが長田和承さん、ベースが高水健司さんで、ドラムが村上ポンタ秀一さん。長田さんって、オリジナル・ザ・ディランでスティールギターの名手で、タコヤキさんと呼ばれてた人だった。さっきの「望郷」はアコギが安田裕美さんで、ベースが小原礼さんです。これもドラムがポンタさんっていう。ミュージシャンがすごいですね。

ハコ:ポンタさんはドラムが入っている7曲全てを叩いていて。「さすらい」で、誰か別のジャズミュージシャンを呼んでくるということをしなくても、ポンタさんならいけると。それでだと思うんですね。


田家:ハコさんイコール『飛・び・ま・す』と思っているファンの方でも、この「さすらい」はなかなかイコールにならないですよね。でも、海外の人、フランスの人は、これが山崎ハコだって思っているかもしれない。

ハコ:そうかもしれない。ジャズシンガーだと思われていれば嬉しいですけどね(笑)。

田家:浅川マキさんみたいですもん。

ハコ:最初に聴いたときに、どうしようと思いましたよ。これ、多分同録でレコーディングしました。

田家:50周年経ったから、こういう話が聞けるというそんな曲でもあります。

サヨナラの鐘 / 山崎ハコ

田家:山崎ハコさんのデビューアルバム『飛・び・ま・す』の5曲目「サヨナラの鐘」。

ハコ:これを今聴くと、このアルバムの中では熱いというか、まずコーラスが入っているのがすごいと思ったのと、弦が入ってくるのが実はすごく嬉しかったですね。ただ、その前、井上陽水さんの『断絶』を中学で聴いた時に、アレンジが弦とかいろんな音が入っているんですよね。こういうのを作りたいと思っていたので。

田家:今話に出たアレンジでいうと、キーボードの佐藤準さんですよ。おっと思われた方はたくさんいらっしゃるでしょうが、アコースティックギター吉川忠英さん、エレキギター竹中尚人さん、Charですよ。で、大村憲司さん。ベースが小原礼さんとドラムがポンタさん。すごいですよね。

ハコ:Charは実は別録りなんですね。よく覚えてますね。フレーズに乗ってシンプルに仕上げてくれました。

田家:エレックレコードのアルバムのエレキギターとかCharさんが多いんですよね。

ハコ:そうなんです。ですから、「泉谷さんとかケメ(佐藤公彦)とか、ド・フォークみたいなのもいろいろやらされたの」みたいに冗談みたいに言っていて(笑)。でも、「泉谷さんとハコはフォークって感じじゃなくて、ほぼロックに近いものがあって楽しかった」って。

田家:泉谷さんはロックで、ハコさんはブルースだったのかもしれない。

ハコ:この2人はフォークじゃないから、って。

田家:いい話だなあ。アルバムの7曲目です。

影が見えない / 山崎ハコ

田家:<全く普通の女の子には 全く普通の影が守ってる たかが15年と笑わないどくれ>。15歳ってことですよね。

ハコ:アルバムに入ってる中では、一番古いですね。

田家:高校生の時に「相鉄ジョイナス・ニューフォーク・コンペティション」で優勝されて、そういうコンテストに出るために書いたオリジナルだった。

ハコ:コンペティションなんで勝ち抜かなきゃいけないんです。課題があるんですね。カバー曲とか。次勝ち残るとオリジナルとか、だんだん出てくるわけですね。じゃあ作るかみたいな感じで作りましたね。

田家:15歳の自分のことを歌おうみたいな感じがあったんですか?

ハコ:横浜で高校生の中に混じって暮らしているんですけど、ほぼ私だけ田舎から出てきた高校生だったんですね。方言も使わないようにして。割と黙っていれば分からなかったんです。テレビで見たように喋れと、親に言われていたので、ドラマのように喋ればいいんだ、気恥ずかしいのは自分だけだからっていうようなことを15歳で思っているわけですね。で、バイリンガルのように、横浜弁でしゃべることをしていたんです。みんなには分からないだろうと思ったんです。<せっけん水のシャボン玉>は分かるだろうけど、<れんげ畑のくつかくし>とかは分からないだろうと思った。それは、私が九州でやっていた遊びなんですね。かくれんぼではなく、靴を隠して遊ぶんです。れんげ畑がいっぱいあって、れんげが割と背が高い。その中に靴を入れると、もうほとんどわからないですよ。もう毎日。れんげがあるときしか遊べないから。

田家:今、学校で靴を隠すといじめだとかって言われる。

ハコ:いや、でも見つけますから、必ずその時に。みんなで探す。探してみっけた人が、トップっていう。

田家:なるほどね。いい遊びですね。

ハコ:面白いですよね。<毛糸のあやとり>とか、横浜に出てきてしまったから、自分が二度ともうできないって分かってるわけで。もう一生、れんげ畑でかくれんぼはできない。そういうことを思っていた。自分の黒い影の中に、そういう遊んでいた自分がいて、その影がもうないんだというのを15で思ってしまいまして、これを歌にしようと思った。

田家:ある種の望郷だったわけですね。

ハコ:そうです。自分でその運命っていうか、そこが面白いというか、クラスの友達と明らかに私だけが違うわけですね。なかなかいないでしょう。九州から出てきましたっていうのは。この感覚みんなは持ってないんだと。故郷があるっていう感覚。そういうことを忘れないでいようと思ったんですよね。

気分を変えて / 山崎ハコ

ハコ:今日ここで聴きながらずっと思っているんですけど、レコードから最初にCD化されたときに、圧縮されたような立体感がないような感じがちょっとしたんですよね。レコード盤が、やっぱいい音がしてたなぁっていうのがあって。今回のデラックス・エディションを聴くと、ちゃんとレコード盤のような音になってるので嬉しい。ギターのニュアンスとかまで本当によく聞こえますね。すべての楽曲で。

田家:ハコさんはピンク・フロイドとかレッド・ツェッペリンを聴いていた。そういうことがどこかに書いてありましたけど。

ハコ:今も好き。「影が見えない」とかは、リズムが好きなんですけど、多分、ツェッペリンの影響かもしれない(笑)。ロックなんだけど、ブルースなんですよね。

田家:九州のご実家が兼業農家で、お父様が郵便局でお仕事されていて、お母様が10歳の時に小料理屋さんを始めた。有線放送があって、そこでいろんな音楽が流れていた。それを聴きに手伝いに行ったそうで。

ハコ:まあ、中学生ですから。小学4年生から始めて、おしぼりを巻くのを手伝うとか言いながら有線を聴きに行くわけですね。

田家:その時に一番聴きたいものはあったんですか?

ハコ:ないです。なんでも流れてるので、昭和44年くらいの歌謡曲はほとんどインプットされていて素で歌えますね。歌謡曲といっても、コーラス・グループ。東京ロマンチカと藤圭子さんと森 進一さんとか。ひばりさんはもちろん三橋美智也さんとか三波春夫さん。村田英雄さんとか。中学生になると、「戦争を知らない子供たち」とか、陽水さんとかが有線でかかるんですよ。それもおもしろかったですね。あの頃のほとんどの曲は分かって、演歌もみんな歌えるんですよ。

田家:自分でギター弾いて曲を作ろうと思ったのは、横浜に来てから?

ハコ:そうですね。あの頃は作ってなかったですね。最初は歌本のAマイナーとか勝手に兄貴のエレキギターで一生懸命練習してたので、フォークギターはなんて弾きにくいんだと思いました(笑)。

田家:そういう中でこの曲が生まれました。

飛びます / 山崎ハコ

田家:山崎ハコさんのデビューアルバム『飛・び・ま・す』のタイトル曲。これはもうデビューが決まって書かれたのかなと思ったりしましたけど。

ハコ:いや、もう作ってました。好きな歌は歌謡曲もフォークも外国のもいっぱいあるんですけど、ある時、自分のためには歌ってくれてないとふと思って。同じ顔をして、みんなと同じように高校に行って生きているけど、私の気持ちは誰もわからんやろうと思ってるわけですよ。くじけそうになったときに、自分のための歌が欲しかったんです。私しかわからないから、私しかいないんだと思って歌った。「飛びます」とかは、ある意味自分に子守歌を歌ってあげられるから、うれしかったですよね。あの気持ちのいいギターとかでやってくれることが本当に嬉しいと思いましたね。

田家:アルバムのタイトルは割とすんなり決まった?

ハコ:いや、決まらなかったです。私は「飛びます」にしようとは思ったんですけど、この曲がアルバムの代表という意識ではなくて、「望郷」も「気分を変えても」なんかも同じように大切に思っていたので、アルバムのタイトルだけは中黒をつけて『飛・び・ま・す』ってしたんです。楽曲のタイトルとは違うよって。ただ、ですます調のタイトルが変と言われて、飛ぶっていう意味では、飛行とかそういうことにしましょうかって言ったら、いや、それは……ってなって、じゃあ、『飛・び・ま・す』のほうがいいってことになって、決まったんです。

田家:今日はアルバムの中から最後の曲「子守唄」をもう一曲お聞きいただくんですが、この曲は今どんなふうに思われます?

ハコ:これは、うちが商売していたおかげということかもしれない。両親も九州なので飲みますから、飲む大人を見て育った。それで酔っ払いの気持ちをわかったつもりになってる。常に慰めるとかそういう意味でだけ飲んでるわけでもないし、ただただくつろぐために飲んでるのもあるんだろうけど、ちょっと九州っぽくできればと思うところもあったんでしょうね。

子守唄 / 山崎ハコ

田家:アルバム最後の曲「子守唄」。これは、松尾和子さんが歌われた。

ハコ:レコーディングにも行きまして、「この曲、大好きなの」って言ってくれて、もう夢かと思うくらい。でも出てないんですね、世に。関係者の方、私の50年前の音源が見つかったぐらいですから、どこかにないものでしょうか? 

ききょうの花 / 山崎ハコ

田家:流れてきたのは、Disc2の未発表音源。なんと、1976年10月8日。新宿ロフトでのライブの中の「ききょうの花」です。新宿ロフトオープンセレモニー。この曲については、これはアルバムに入れなかった。

ハコ:「ききょうの花」はスタジオでは、レコーディングをしてなくて、ライブ盤にしか入ってないんです。ライブレコーディングを一回したんですね。77年だったと思います。その時に歌ったのはレコードになったんですけど、これよく聞くと分かるんですけど、まだ完成してないんですね。できてはいたんですが。

田家:この新宿ロフトのオープニングセレモニーというのは伝説の10日間と言われているんですが、出演者バーって名前いってきますね。10月1日、金子マリ&バックスバニー、ソーバッド・レビュー。10月2日、加川良、大塚まさじ、西岡恭蔵、金森幸介、中川イサト。10月3日、鈴木慶一とムーンライダース、南佳孝&ハーバーライツ、桑名正博&ゴーストタウンピープル。10月4日、サディスティックス(高中正義/今井裕/後藤次利/高橋幸宏)。10月5日、吉田美奈子矢野顕子。10月6日、斉藤哲夫、遠藤賢司大貫妙子。10月7日、リリィ with バイバイセッションバンド。10月9日、センチメンタル・シティ・ロマンス、めんたんぴん。10月10日、長谷川きよしサンデーサンバセッション。その中で唯一1日を、それも金曜の公演を1人でやったのが、10月8日、山崎ハコさん。これ、聴かれてどうでしたか。改めてこういう音源として。

ハコ:まだデビューしてちょっとで、しかも2時間40分やってるんですね。1人で。この頃は今みたいなチューナーもないし、チューニングはぼろぼろになるわねと思います。弦も伸びてるし。そこだけが音楽的になんとかならんかなと思うけど、歌はとてもいいですよね。

帰ってこい / 山崎ハコ

田家:新宿ロフトの伝説の10日間の未発表ライブ音源は、来週ご紹介する2枚目のアルバム『綱渡り』の50周年デラックス・エディションにも入っているわけですけれども、2時間40分やられたということは、まだいっぱいあるってことですね。

ハコ:ありますね。これも1977年のライブ盤にしか入ってないんですね。これも曲が未完成というか、歌詞が変わったり。ただ75年、76年デビューの頃からのルーツ、ロックみたいなのがあって、こういう民謡とか演歌みたいな。九州なのか分からないけど、そういうのもあるんですね。「望郷」のような、わらべ歌から来たフォークと、わらべ歌から来た演歌みたいなのがあるんですよね。自分の中にそういうのがあるなって分かるんです。歌手になった時も、フォーク歌手だから、こぶしコロコロって言われても、そういうのは封印する気はさらさらないという意思で歌ってたんですね。お父さんがそういうのうまかったからか、店で演歌を聴いてたせいか、面白い自分の感覚が好きだったんですね。「えい!」とか言っちゃう。気持ちを表すと、こうなっちゃう。

田家:それがデビューアルバムの50周年盤として入ってるのは、本当にびっくりですね。

ハコ:自分でも、うわーと思いました。

田家:次は7月に『1975 デビューライブ ~飛・び・ま・す』という新らしいアルバムの発売予定があって、75年9月26日のデビューリサイタル、横浜市教育文化センターのライブが全曲CDになる。

ハコ:私10月1日がデビューなんですね。ライブが9月26日で、全国的にレコードが出たのが10月1日。多分コンサートが先に決まったんだと思うんです。9月26日は決まったけれども、「あら、レコードが出てない」ってなったんだと思うんです。横浜だったので、神奈川県だけ先に9月25日に出たっていうね(笑)。

街 / 山崎ハコ

田家:これも参加ミュージシャンが、すごいですね。キーボード佐藤準、エレキギターアコースティックギター竹中尚人、アコースティックギター笛吹利明、ベース千代谷晃、ドラム四人囃子の岡井大二。

ハコ:みんな若い。みんな慣れていなくて。でも、高校生の私の作ったぐちゃぐちゃなのをまとめてくれて、にっこりしてしまうアルバムですよね。

田家:これ、なんで今まで出なかったんですか?

ハコ:いや、私も録音されていた事は知らず、音は今回初めて聴きました。もう奇跡としか言いようがない。何を着たとか全部覚えているんですけど、写真もなかった。

田家:写真が届いたっていうのがありましたよ。

ハコ:そう、それが奇跡のように全部覚えていたんです。誰が撮ってくれて、どこにいる人とか。連絡どうしようかなって思っていたら向こうから突然連絡が来て。ライブ急に見たくなっちゃって、東京に行くって。

田家:東京の人じゃないんだ。

ハコ:北海道。エレックがなくなって北海道に帰ったというのは知ってたんです。

田家:その人が送ってくれたんだ。

ハコ:それもホームページに連絡してきたという(笑)。

田家:本当に今週もたくさんのびっくりがありましたが、来週ももっとびっくりがありそうな2枚目。来週もよろしくお願いします。

ハコ:よろしくお願いします。

静かな伝説 / 竹内まりや

流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

1975年10月にエレックレコードから出たデビューアルバム『飛・び・ま・す』は、76年10月にキャニオンから再発売されている。エレックレコードは、76年7月に倒産してしまうわけです。76年4月に発売になっているのが、シュガー・ベイブの『SONGS』で、達郎さんはエレックレコードから印税をもらった記憶がない、何枚出たのかも知らなかったという話がありました。

75年、76年というのは、本当に70年代の分水嶺、明らかにここから時代が変わったっていう時で、75年にフォーライフレコードが設立されたり、拓郎さんとかぐや姫のつま恋があったり、みゆきさんの「時代」が出たり、ユーミンの「あの日にかえりたい」が1位になったり。フォークやロックがメジャーになって、女性シンガーソングライターの時代が始まったという明らかに時代の転機だった年。

75年に九州から登場したのがハコさんだったんですね。ハコさんは当時、笑わない女の子だとか、インタビューでもあまりしゃべらないとか、そういうイメージがあって。今回、ハコさんをゲストに迎えて改めて知ったのに近いですけど、本当はそういうことじゃなくて、事務所からそんな風に言われていたということがありました。

改めて聴き直していて驚いたのが、『飛・び・ま・す』のミュージシャンですね。今やもう伝説になってる人たちがたくさん若手として参加している。エレックレコードがそういう会社だったこともあるんですけど、山崎ハコだからやったっていう、そういうミュージシャンも多かったっていうのが分かりましたね。山崎ハコはフォークだけど違うんだよっていうことで、彼らが参加していた。この『飛・び・ま・す』と『綱渡り』は、ミュージシャンっていう側からも改めて評価されるべきアルバムなのではないかなと思ったりもしております。どんな存在だったかというのは、新宿ロフト伝説の10日間が証明していますが、そんな話も交えながら来週も再発見・山崎ハコをお楽しみください。

山崎ハコが振り返る、歴史的な名盤、デビューアルバム『飛・び・ま・す』

左から、田家秀樹、山崎ハコ

<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
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