コーチェラ2026でのイギー・ポップのステージは、ここ日本からも大勢の人々が配信を見たと思う。ニック・ジナー(ヤー・ヤー・ヤーズ、Head Wound City)、ブラッド・トゥルアックス(インターポール)、ユリアン・ハックニー(The Armedの一員、2019年のコンヴァージ来日時にベン・コラーの代打を務めたドラマー)といった強力な面々が居並ぶバック・メンバーの中で、短髪のサキソフォン奏者の存在に気を惹かれた方も少なからずいるのではないだろうか。
この人こそ本稿の主人公、ゾー・アンバ(Zoh Amba)だ。

これまでフリージャズのシーンでサックス・プレイヤーとして注目を集めてきたアンバは、6月にUSインディー・レーベルの名門〈Matador〉から、ニュー・アルバム『Eyes Full』を発表した。この最新作でアンバはサックスを脇に置き、自身にとって初めての楽器だったというアコースティック・ギターをかき鳴らしながら、全編で歌いまくっている。ジャケットやビデオで確認できる、バッサリ刈り込んだ短髪姿も合わせ、アーティストとして大きな転機を迎えたことを示す本作には、すでにニューヨーク・タイムズやガーディアンあたりのメディアからも熱い賛辞が寄せられており、今後さらに多くの人々にアピールしていくだろう。

サックス奏者としての軌跡

ではまず簡単に、アンバのキャリアを辿ってみよう。2000年にテネシー州キングスポートで生まれたアンバ(※本人の代名詞は「They / Them」)は、12歳の頃に授業で知ったチャーリー・パーカーから衝撃を受け、いつしか近所の森の中でサックスの練習に没頭するようになったという。特にアルバート・アイラーを重要な影響源としながら、サンフランシスコ音楽院に進むも中退。その後はニューヨークのジャズ・シーンで頭角を現していく。

アンバにとって初のメイン・アルバムとなった『O, Sun』(2022年)は、ジョン・ゾーンのレーベル〈Tzadik〉からリリース。ゾーンは言うまでもなくニューヨークの先鋭的なジャズ・シーンにおける重要人物の1人で、日本のリスナーにはネイキッド・シティやペインキラーといったプロジェクトでも名を知られる。『O, Sun』では、ゾーンも1曲アルト・サックスで参加し、リズム隊はトーマス・モーガンとジョーイ・バロンが務めた。また、同年に出た『Bhakti』(〈Mahakala Music〉というアーカンソーのレーベルからリリース)では、ピアノでミカー・トーマス、さらにTitan to Tachyons(ミスター・バングル/ファントマスのトレヴァー・ダンも参加するバンド)のマット・ホレンバーグがギターを弾いている。
決してジャズに詳しいとは言えない筆者でも、例えばマイク・パットンや巻上公一といった敬愛するアーティストを通じて、ニューヨークのジャンル横断的なジャズのエネルギーについては感知してきているので、ゾー・アンバもそんな環境下で感性を磨き上げていったのだということは実感できる(※ちなみに「Bhakti」「Mahakala」といった言葉はヒンズー教にまつわるサンスクリット語らしく、アンバ自身も「不二一元論」というインド哲学を実践しているとのことだが、これについてはいずれインタビューの機会が得られた時にでも掘り下げてみたい)。

「フリーサックス奏者」ゾー・アンバのパフォーマンス映像(2022年)

2023年にはウィリアム・パーカーとフランチェスコ・メラをフィーチャーした形で『O Life, O Light Vol.1』および『同 Vol.2』を〈577 Records〉からリリース。その翌年、Beingsというスーパーグループで発表した『There Is a Garden』も見落とせない。これは、スティーヴ・ガン、シャザード・イスマイリー(ミスター・バングルのトレイ・スプルアンス率いるSecret Chiefs 3にも参加するマルチ奏者)、そしてジム・ホワイト(ダーティ・スリーや、スティーヴン・マルクマスがマット・スウィーニーらと組んだThe Hard Quartetのドラマー)と組んだプロジェクトだ。ここでアンバはサックスを吹くだけでなく、歌ったりギターを弾いたりしてみせている。Beingsでの経験が最新アルバムの布石になったのは間違いないだろう。ジムはそのままアンバにとって「家族のような存在」と形容されるほどに信頼関係を深め、今回の『Eyes Full』でも多くの曲でドラムを叩いた。

そして、昨年〈Smalltown Supersound〉というノルウェーのレーベルから出した『Sun』は、サックスがメインのインストゥルメンタル作品だったが、アナログ盤のB面1曲目「Champa Flower」ではギターを弾いていたり、アンバ自らピアノを弾く完全ソロ曲が3トラック収録されるなど、大きな跳躍を予感させる作品だったと今さらのように実感する。そして最新アルバム『Eyes Full』は、アンバの活動を追ってきた熱心なリスナーをも十分以上に驚愕させる内容となった。

故郷への帰還、歌とギターへの大転換

新しい扉を開け放ち、大胆に新章へと踏み込んだイメージを叩きつける一方、この新作には、アンバがパーソナルな原点に立ち返るという背景があった。アルバム・ジャケットにも、おそらく州境で撮影したと思われる「テネシー州はあなたを歓迎します」という看板の下でひっくり返ってみせている写真が使われている。ある意味、生まれ故郷から逃れ去るように音楽の道へ邁進したアンバは、決して甘いノスタルジーではなく、むしろ苦く辛い経験に向き合い、乗り越えなければと考えたようだ。
提供された資料には、以下のような文章が寄せられている。

《アンバは長らく、純粋なインストゥルメンタル音楽が魂を救い、言葉なしでもより高い精神的な境地に至れると信じていたが、やがて言葉が入り込んできた。サックスを演奏しているとき、アンバはしばしば天へと運ばれていくように感じていた。身体は燃え上がり、涙がこみ上げ、音楽が神へと直結する回路を開いていく。しかしその恍惚とともに、幼少期の暗い記憶の断片もまたよみがえった。それらのヴィジョンから逃げるのではなく、真正面から見据えるための手段となったのがギターだった。アンバは歌いながらそれを乗り越え、そしてキングスポートへ戻っていった。アンバは幼い頃、故郷の小さな町が困難で不安定な時期を通り過ぎていくのを見て育った。しばらくはその現実から距離を取ろうとしていたが、やがて、自分と最も苦しんでいる人々とのあいだにある隔たりがいかに薄いものかに気づくようになった。そうした人々に対して、より深い慈しみと理解を持つようになっていった》

アンバ自身「この曲が自分の中に降りてきた時はヤバい!ってなった。泣きそうになったよ」と語る「Southern Soil」は、本作中で最も切実な1曲であり、向き合うのが難しい曲だったそうだが、歌詞の中では順番に、母、父、神に向けて己の気持ちを強く訴えかけている。

レコーディングは、アンバの故郷からほど近いアッシュビルにあるDrop of Sunスタジオ(MJ・レンダーマンやウェンズデイの地元でもある)にて、オーバーダブなしの一発録りで敢行された。
メインの参加ミュージシャンは、前述したジム・ホワイトと、アンバの親友だというケヴィン・ハイランド(エレキ・ギター担当)。3人は徹底的にリハをやり込んで録音に臨んだそうだ。そのようにして生み出され刻みつけられた今作の音が「アンバの故郷の音楽であるアパラチアン・フォークのエッセンスを持つアコースティック・ブルーズ」という説明だけでは伝え切れないものであることは、フィードバックが(ちょっとJ・マスキスに近い印象も受けた)うなりをあげるまでもなく、誰の耳にも明瞭に響き、染み渡ることだろう。

先ごろ、アルバム・リリースに合わせて、ニューヨークのローカル・ラジオ局WFMUの番組で放送されたスタジオ生ライブもチェックしてみた。そこで聴けるのはアンバ1人による、いわゆる弾き語りスタイルだが、ずいぶん色んな音楽を聴いてきた自分でも、そのシンプルな歌と演奏から驚くほどの鮮烈さを受け取った。あくまで個人的な感覚で言うと、ジェフ・バックリィに近いタイプの表現が核にある気がする。ジェフのスタジオ・アルバム『Grace』も、こんな形で仕上がっていれば……なんていう余計な空想はとりあえず放り出し、まずはゾー・アンバという特異なキャリアを背負った素晴らしい「シンガーソングライター」による音楽に刮目し、それが今後どのような未来を描いていくのかについて想いを馳せるとしよう。

Zoh Ambaとは何者か? イギー・ポップ曰く「若き至宝」 フリージャズの逸材が歌とギターに覚醒するまで

ゾー・アンバ
『Eyes Full』
発売中
国内盤:解説書・歌詞対訳付き・ボーナストラック追加収録
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15685
編集部おすすめ