笠井は1960年代半ばからプロ活動に入り、キングレコードやスリー・ブラインド・マイス(TBM)へのレコーディングを経て72年にCBSソニーと契約。以降、約15年のあいだに発表した作品はまさに百花繚乱と呼べるもので、その歌声はジャズ~ソウル~フュージョン~アーバン・コンテンポラリーを自在に横断し、伴奏フォーマットもピアノ・トリオからビッグバンドまで多彩、コラボレイターにはギル・エヴァンス、オリヴァー・ネルソン、ハービー・ハンコック、スタン・ゲッツ、マイケル・ブレッカーら綺羅星のようなメンバーが並ぶ。また、作詞/安井かずみ、作曲/筒美京平、山下達郎、矢野顕子らを作家陣に迎えた日本語アルバム『トーキョー・スペシャル』も発表、こちらはシティポップ関心層からの注目も極めて高い。
70~80年代の日本のジャズやシティポップへの評価が国際的に高まっている今、笠井紀美子はどうしているのだろう──結論から言えば健在そのものである。音楽活動から退いて久しいのは事実だが、往年と変わらぬリズム感でCBSソニー時代のエピソードを率直に話し、その場の空気をどんどん明るくさせてゆくさまは、まるでライヴさながらであった。「We Want Jazz」第5期の発売を記念して行われた特別インタビューを、ぜひお楽しみいただきたい。
近年のシティポップリバイバルで再評価が高まる「バイブレイション」(『トーキョー・スペシャル』収録)
ギル・エヴァンス、オリヴァー・ネルソンとの記憶
―1972年にCBSソニーと契約なさったきっかけについて教えていただけますか?
笠井:あまりにも以前のことでよく覚えていないのですが……その頃のCBSソニーさんは、洋楽の色が濃い会社だったように思います。なので、ジャズを歌っていた私に興味を持たれたのではないでしょうか。
―専属第一弾アルバムが1972年の『サテン・ドール』。ギル・エヴァンスの編曲指揮によるバンドとの共演という、大変な快挙をなしとげました。
笠井:「ギル・エヴァンスと会ってレコードを作りましょう」ということになって、とてもとても私は嬉しく思いました。それが『サテン・ドール』というアルバムです。
―『イン・パーソン』(73年)のアレンジャーだったオリヴァー・ネルソンについてはいかがですか?
笠井:やっぱりユニークなサウンドの持ち主ですよね。すごく音楽を知っている方という印象です。(『イン・パーソン』の収録は)昔の郵便貯金ホールだったのかな? オリヴァーが指揮をとってくださって、私もテンションがあがって。あのアルバムの「アイム・ウォーキン」を聴いていただけたら、この時の私がいかに気持ちよかったかが出ていると思います。彼が横から”Hey, singin, singinbaby!”と声をかけてくれて、とてもありがたかったです。
―「アイム・ウォーキン」はファッツ・ドミノが歌った、どちらかというとR&B系のナンバーですが、こうしたレパートリーがふと入ってくるのも笠井さんのソニー時代の面白さです。
笠井:あの頃は、もう一日中音楽に浸かっていたような感じでした。聴いていた音楽の幅も広いし、感性に響くものがあれば歌いたいという感じだったと思います。
―オリヴァー・ネルソンは『サンクス、ディア』(74年)のプロデュースもしていますね。共演はジョー・サンプル、レイ・ブラウン、シェリー・マンというオールスター・メンバーによるピアノ・トリオです。
笠井:レコーディング中はずっと”歌を歌ってきてよかった”という思いでした。このレコーディングのためにLAに滞在していた時、オリヴァーのお家で歌や発声の練習をさせてもらいました。彼はとてもスウィートであたたかい人でした。
―それに先立つ『ホワッツ・ニュー』(73年)は日本人ミュージシャンのピアノ・トリオをバックにした作品でした。
笠井:プーさん(菊地雅章)の弟さんの菊地雅洋さんがピアニストでした。とても巧い方だったのを覚えています。
―当時は笠井さん、菊地雅章さんなど、プロモーター/プロデューサーの鯉沼利成さんが関わっていらしたミュージシャンが、日本のジャズの一大潮流となっていた印象を受けます。
笠井:鯉沼さんにはずっとマネジメントをしていただいて、長年の友達として、音楽好きどうしとして、いいコンビネーションを築けたと思いますね。
ニューヨークでのジャズ体験
―ところで、笠井さんは60年代後半から何度もニューヨークに滞在なさっています。当時のジャズ雑誌の記事を見ると、本当にジャズ漬けの日々を送っていらっしゃる。
笠井:ニューヨークは本当に音楽に溢れたところで、ビル・エヴァンスのライヴを見に行って”ワーオ”という感じですよ。彼のあの指、手の大きさ。だからあの音が出るんだなと感じました。
―シダー・ウォルトンを迎えて『キミコ・イズ・ヒア』(75年)を作る数年前に、すでに彼のライヴをニューヨークで見ていたことも知りました。シダーとはその後、『ラウンド・アンド・ラウンド』(78年)、『マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ』(86年)で再会しています。
笠井:彼もやっぱりあたたかい人ですよ。一緒にツアーもしましたし、私は本当に恵まれています。「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」に関しては、もう長年歌いたかった曲でした。若い頃は難しすぎて歌えなかったんです、音域もけっこう広いので。「ラウンド・ミッドナイト」もやはり長年歌いたくて、(アルバムに)取り組んでみたかった曲を全部入れられたのはとても嬉しかったですね。
―70年代後半から80年代半ばにかけてはアーバン・コンテンポラリー的な路線が続いていたような印象を受けますが、ソニーからの最後の作品である『マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ』でジャズに戻ってきて、ひとつの円が描かれた感じです。
笠井:年齢やコントロールとかいろんなことがうまくいって、歌いたかった(ジャズの)楽曲がやっと歌える時が来たということでしょうか。
―時代を1970年代半ばに戻したいと思います。この時期、テオ・マセロのプロデュースでニューヨーク録音の『マイ・ラヴ』(75年)、シカゴ録音の『フォール・イン・ラヴ』(76年)が発表されました。マイルス・デイヴィスのプロデューサーであるテオが、ひとりの日本人ヴォーカリストと複数の作品を作るということは、まさに異例です。しかも前者にはスタン・ゲッツやリー・コニッツも参加していますね。
笠井:もちろんテオ・マセロの名も、彼がマイルスのプロデューサーであることも知っていました。ぜひ彼にプロデュースをお願いしたいという気持ちが高まりまして、ソニーさんにお願いした記憶があります。テオがニューヨークっぽいサウンドというか空気感を出すために、すごいミュージシャンを招いてくれたんでしょうね。
―笠井さんは幼い頃から英語に親しんだり、英語の歌を歌っていらしたのでしょうか?
笠井:いえいえ、まったくそうではないです。ただ、ジャズは英語と切り離せないでしょう? 歌詞を理解して歌わないとダメだから。
『トーキョー・スペシャル』と日本語詞への挑戦
―英語でのヴォーカルも深めていきながら、77年には日本語詞による『トーキョー・スペシャル』を発表しています。ジャンルを超えて支持されている作品で、このアルバムで笠井さんを知った新しいファンも多いと思います。
笠井:どちらにしろ、日本語でアルバムを作りたいなという気持ちはありましたし、私にとってはチャレンジでしたけれども、安井かずみさんの詞も、”出あいがしらに かんじた Vibration”とか、すごいですよ(楽曲「バイブレイション」)。私にとってもすごく思い出になっている作品ですね。
―作家陣には初期の山下達郎さんや矢野顕子さんもいらっしゃいますが、こちらも鯉沼さんや笠井さんのアイデアだったのでしょうか?
笠井:ソニーに酒井(政利)さんというプロデューサーがいらしたんです。私も顔見知りで「(日本語で)やろうよ」「やろうか」ということになって、彼が「この人でいいんじゃないか」と作家を選んで、それで私は「うんうん、いいね、いいね」って。とても楽しかったですね。今聴いても、「あー、私こんなことやってたんだ」と思いますし、本当にすごい一枚だと思いますよ。
―ジャケット写真は『フォール・イン・ラヴ』に続いて、篠山紀信さんの撮影です。
笠井:私は篠山さんのことを”お篠”と呼んでいましたが、お友達だったんです。ですから、なるべく普段の感じで写真を撮ろうという感じでしたね。
―英語歌唱のアルバムと日本語歌唱のアルバムの両方を出しているジャズ・ヴォーカリストは、今なお珍しいと思います。
笠井:特に考えたわけではなくて、好きなことを、やりたいことを、やらせてもらって、やってきただけです。私は大体、好きなことしかやらないという、いけない性格がありますから(笑)。すごくありがたいシチュエーションですよ。ただ、ジャズを歌っていた時間のほうがすごく長いですし、ジャズは素晴らしい音楽ですからね。
音楽はフォーエバーなもの
―先に復刻されたハービー・ハンコックとの共演盤『バタフライ』(79年)のあと、『キミコ』(82年)、『ラヴ・トーク』(84年)、『ニュー・パステル』(84年)、『ウォッチング・ユー』(85年)と、いわばアーバン・コンテンポラリー的な路線が続きますね。
笠井:ラリー・ウィリアムスとは(彼が在籍したフュージョン・グループ)シーウィンドの時からの友達ですし、一緒にコンサートもしましたね。今も時々会うことがありますよ。彼はもちろんピアノが巧いですし、シンガーに対する理解力、ここはどういう風にバックをすればいいとか、そういうことが本当に素晴らしいです。主人になるリチャード・ルドルフも素晴らしい歌のプロデューサーで、だから一緒に作品を作りたいと思ったんです。彼はスティーヴィー・ワンダーとも昔からの仲良しで、「スティーヴィーの曲を歌ってみる?」と彼が言うので、「ああ、歌いたい、歌いたい」と言って、それで、録音しました(『キミコ』収録の「アイム・ソー・マッチ・イン・ラヴ」)。
―ロサンゼルスに拠点を移したのは1979年のことだそうですね。何度もニューヨークにいらしていた笠井さんが、LA、そしてサンタモニカに住むようになったのは?
笠井:ニューヨークは生き馬の目を抜く感じでしょう。LAはもっと自分自身を大切にできる、それから周りのこともよく見ることができるゆとりがある場所なんですね。いろんなヴォーカルの先生もいて、そういう意味ではLAの方がいいなと思って移ったんです。英語で歌っても英語圏で育った方とは声の流れも違いますし、まだまだ先生に学びたいことはありますし、今もデヴェロップしたいという気持ちはあるんです。もう人前では歌いませんが……。
―1998年に歌手活動から退かれたとはいえ、カムバックを望む声は本当に多いと思うんです。
笠井:歌を歌う人には、生まれながらに自然に素晴らしい声を持っている方もいらっしゃれば、そうじゃないタイプもいて、私は後者なんです。発声して腹筋して何をしてということをずっと重ねてきて、やっと自分が納得いくところに近づいてくるという段階で歌手活動をしていました。
―1972年から約15年間続いたソニー時代で特に印象に残っていることは何でしょうか?
笠井:オリヴァー・ネルソンとの共演、ギル・エヴァンスと時間を過ごして「こんなフリーな精神があるんだ」と学んだこととか……多すぎて急には思い出せませんね。音楽はフォーエバーなものですので、どうか好きな作品にstick withして楽しんでいただけたらと思います。
We Want Jazz 第5期
笠井紀美子 14タイトル発売
発売中/各種配信
CD盤:音質を極限まで追求する一方、お求めやすい価格でリリース
極HiFi仕様・音匠レーベル仕様
¥1,760(1枚組)
笠井紀美子14タイトル プレイリスト
https://wewantjazz.lnk.to/KimikoKasai
『サテン・ドール』
『イン・パーソン』
『ホワッツ・ニュー』
『サンクス、ディア』
『キミコ・イズ・ヒア』
『マイ・ラヴ』
『フォール・イン・ラヴ』
『トーキョー・スペシャル』
『ラウンド・アンド・ラウンド』
『キミコ』
『ラヴ・トーク』
『ニュー・パステル』
『ウォッチング・ユー』
『マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ』
We Want Jazzリニューアル公式サイト
https://wwj.lnk.to/officialsite


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