Photographs by JASON NOCITO
大舞台を前にして
ガバナーズ・ボールの会場には、たいていのものが揃っている。6月最初の週末、何万人もの若いニューヨーカーが集まったクイーンズの公園には、ラッパーやポップスターが行き交い、写真撮影スポットやブランドのプロモーションブースが並ぶ。大麻入りソーダの売店もあれば、こだわりのホットドッグを出すフードトラックもあり、耳に入ってくる曲はどれも、この夏を彩る一曲になりそうに聞こえる。だが、満足のいくコーヒーだけは見つからない──少なくとも、ギースのドラマー、マックス・バシンにとっては。だから、地元ニューヨーク最大の音楽フェスでメインステージに立つ1時間ほど前だというのに、マックスはバックステージのトレーラーで、700ドルのエスプレッソマシンと格闘している。
「マックス、もう2、3時間ずっとコーヒー淹れてるよ」と、楽屋に集まった10人ほどの友人やクルーの一人が言う。
「もう8時間シフトじゃん」と、別の男が茶化す。
「こっちは本気でやってんだよ!」とマックスが言い返す。
もっとも、本人も笑っている。
一方、ギースのリードシンガー、キャメロンは、部屋の隅にある座り心地のよさそうな椅子に長い体を伸ばし、画面に大きなひびが一本入ったスマートフォンをじっと見つめている。青いボタンダウンシャツに黒いジーンズという飾り気のない格好で、ほかの面々がゲストリストの枠や、あとで顔を出すかもしれない友人たちの話をしている間も、ほとんど口を開かない。身長6フィート3インチ(約190センチ)の長身であることに加え、黙っているときほど際立つ独特のカリスマ性がなければ、そこにいることさえ見落としてしまいそうだ。
誰かがスマートフォンに何があったのか尋ねると、キャメロンが顔を上げる。「バスに轢かれた」とひと言。
「え?」と、周囲の一人が心配そうに聞き返す。
「僕のスマホがバスに轢かれたんだ」と、キャメロンは響きのあるバリトンでゆっくり繰り返す。
壊れたスマートフォンをめぐる、本当なのか冗談なのかわからない話をキャメロンが続けると、周囲から笑いが起こる。部屋の反対側では、話題が再びこのあとのステージへと戻っていた。本番が近づくなか、会場を見に行っていたクルーの一人が戻ってくる。
「いやあ、かなりデカいステージだよ」
それを聞いたマックスがにやりと笑う。「まあ、俺たちもかなりデカいバンドだからな」
「ファンは偽物?」疑惑へのアンサー
実際、ギースは今やまさに”大物バンド”だ。3作目のアルバム『Getting Killed』が彼らをインディーロックをめぐるカルチャー戦争のど真ん中へと押し出して以来、この一年、世間はほぼ同じくらいの熱量で彼らに熱狂し、そして困惑してきた。ロックの基本を完全に身につけ、気が向けばライブでピンク・フロイドの「Interstellar Overdrive」の一節を差し込むことさえできる。その一方で、頑固なまでの実験精神を持ち合わせ、こちらの予想を何度でも裏切ってくる。大音量で鳴らしていようが、静かに奏でていようが、ギースの音楽には、ほかの多くのインディーバンドにはない異様なほどの切迫感がある。そしてキャメロンが、あの独特の吠えるような声で歌い出すと、彼の苦悩に満ちた心の内側を直接のぞき込んでいるような感覚に襲われる。
人気の上昇があまりにも急だったため、突然現れたバンドのように見えた人もいるかもしれない。
だが今、何か別のことが起きている。それも、もっと不可解な何かが。会場はどんどん大きくなり、チケットは瞬く間に完売。全米各地の会場が、ギースの音楽に「狂乱の恍惚」とでも呼ぶほかない反応を見せる観客で埋め尽くされている。昨秋、ニューヨークで行われたソールドアウト公演では、「ギース! ギース! ギース!」と連呼する満員の観客に向かって、キャメロンが少し照れたように「もう、静かにしてよ」と言った(もちろん、観客は静かにならなかった)。1月に『サタデー・ナイト・ライブ』へ出演した際には、何百万人もの視聴者を前に、『Getting Killed』でもっとも胸を締めつけるバラード「Au Pays du Cocaine」を披露し、続けて「Trinidad」──キャメロンが〈僕の車に爆弾がある!(Theres a bomb in my car!)〉と繰り返し絶叫する曲──を演奏。ここ数年でもっとも話題を呼んだ音楽ゲストのひとつとなった。なかには、あのパフォーマンスをコメディの寸劇か何かだと思った、事情をまるでわかっていない者もいた。だが、このバンドにはそういう反応がつきものだ。
そして何より不思議なのは、ここで起きていることのすべてが、かつてのロック・ファンダムの熱狂を思い起こさせることだ。この4人の若いミュージシャンは、ギター、ベース、ドラム、ボーカルという、ビートルズやストーンズの時代からほとんど変わらない編成で、人々を熱狂させている。しかも、それが2020年代の今まさに起きている。本来なら、もうこんなことは起こらないはずだった。それなのに、周りを見渡せば現実に起きている。いったい何が起きているのか。もしかすると、ギースはただ単純に、それほどまでに素晴らしいバンドなのだろうか?
ジャック・ホワイトは、そう考えている。「僕にとってギースは、まぎれもなくアメリカのバンドであり、ニューヨークのバンドだ」と、今や彼らを熱心に支持する一人となったジャックは言う。「雰囲気も、姿勢も、演奏も、すべてがそう感じられる。今は、ほんの一瞬でも頭ひとつ抜け出した人がいれば、コンテンツクリエイターたちが寄ってたかってその勢いを吸い尽くしてしまうような時代だ。
ギースが自分たちを取り巻く状況の変化に気づいたのは、2025年9月26日にPartisan Recordsから『Getting Killed』をリリースした直後だった。翌日の土曜日、彼らはアルバムの発売を記念して、ブルックリンのグリーンポイントにあるBankers Anchorという広場で無料の野外ライブを行った。「僕はめちゃくちゃ嫌だったんだ」とキャメロンは私に話す。「誰も来ないと思ってたし、ほとんど路上ライブみたいになると思ってた」
だが、27日の午後を迎える頃には、そんな心配が杞憂だったことは明らかになっていた。「あの朝、会場に入ったときは、『来てもせいぜい500人くらいだろう』って話してたんだ」とドミニクは振り返る。「そしたら、少なくとも2500人が来た」
その渦中にいたバンドにとって、突然これほどまでに注目を集めるようになったことは、少なからず戸惑いを伴うものだった。「最初はすごく怖かった」とキャメロンは言う。「必ずしも、いいことが起きてるって感じではなかった。どうしてこうなったのか、本当にわからなかったんだ。たぶん今でもわかってない。このレコードが、こんなふうに大きな規模で受け入れられるなんて、時代もタイミングも妙だったというか。
そう、botだ。この春、少しでもネットを見ていた人なら、ギースの成功をめぐる、もっといかがわしく陰謀論めいた説を目にしたことがあるだろう。その疑惑が表面化したのは3月。Chaotic Goodという、あまりにも出来すぎた名前のデジタルマーケティング会社の男性2人が、Billboardの取材で自社のサービスについて語ったことがきっかけだった。彼らによれば、同社は大量のSNSアカウントを使ったネットワークを駆使し、クライアントをめぐる話題を人為的に盛り上げる「トレンド・シミュレーション」なる手法を行っているという。「今なら、何にでもインプレッションを稼がせることができる」と、そのうちの一人は豪語した。「バズらせる方法はわかってる。何千ものページを持ってるからね」
Chaotic Goodは、コールドプレイやトラヴィス・スコットといったスーパースターのキャンペーンも手がけたと主張していた。だが、マーケティング資料に出てきそうな業界用語と結びつけられたとき、ギースほど強い反発を招いた名前はなかった。インディーのファンは、お気に入りのアーティストに対して、より強く「本物らしさ」を求めるからなのかもしれない──それが何を意味するにせよ。あるいは、大きな緑色のコートを着た船乗りについてキャメロンが歌うのを聴いて心を揺さぶられた、その感情さえ実は誰かに仕向けられたものだったのではないかと示唆され、裏切られたように感じたのかもしれない。いずれにせよ、バンドをめぐる空気は3月31日を境に一変した。シンガーソングライター兼ポッドキャスターのEliza McLambが「Fake Fans(偽物のファン)」と題したSubstackの記事を投稿し、その2週間後には、WIREDが「ギースをめぐる熱狂は、実は心理作戦だった」と挑発的な見出しの記事を掲載。そこから話は一気に泥沼へと転がり落ちていった。
ある意味では、「ファンは偽物だ」という主張は馬鹿げているし、そもそも取り合うに値しない。この一年のどこかでギースのライブに足を運んだことがあるなら、あるいは誰かがスマートフォンで撮った手ブレだらけの映像を見たことさえあるなら、客席を埋めているのが、私やあなたと同じ現実世界に存在する、生身の音楽ファンだということはわかるはずだ。「ライブに来いよ」と、ドミニクは苛立ちを隠さず私に言う。「とにかくライブに来て、botが何体いるか自分の目で確かめてみろよ」
一方、自分たちのブレイクが何者かによる秘密のマインドコントロール計画の結果だった、という説についてどう思ったのか尋ねると、キャメロンはそれほどムキにならない。「僕もそう思ったよ。本当に」と言って笑う。「それなら筋が通る気がした」。この春、バンドをめぐって巻き起こった議論は、メンバー自身にもかなりの動揺をもたらしたという。「僕らも、『うわ、全部偽物だったのか』ってなってた。完全にパニックだったよ。それでメールでレーベルの関係者に詰め寄った。『僕らのファンって、いつから全員偽物だったんだよ、このクソ野郎ども!』って」
心理作戦疑惑が浮上して以来、今回がバンドにとって初のインタビューとなる。彼らはここで、Chaotic Goodがギースのために実際に何をし、何をしていなかったのか、いくつかの誤解を解いておきたいという。まずキャメロンは、「自分たちのレコードがどう宣伝されるのかを話すZoom会議には、ちゃんと出たほうがいいって学んだ」と言う。あとになってチームに説明を求めたところ、Chaotic Goodに依頼していたのは、ライブ映像をシェアしたり再投稿したりすることだけで、それ以上のことはしていないと聞かされたという。「コメントでも、偽のファンでも、botでも何でもなかった」とキャメロンは続ける。「アルゴリズムで露出を増やすための、手間のかかってないTikTok投稿だった。サンプルも見せてもらったけど、あまりにもクソみたいな出来だったから、逆に安心したよ」
つまり、信じられないかもしれないが、ギースをめぐる盛り上がりのほとんどは本物だったということだ。このバンドについて語らずにはいられない、どうやら尽きることのない熱量が、そのままブームを生み出し、同時にその反動まで引き起こした。「結局のところ、僕らのやってることについて、みんなが何かしら考えてくれてるのは嬉しいよ」とドミニクは言う。「少なくとも、退屈で凡庸なバンドではないってことだから」
ドミニク・ディジェス|地下室と4人の原点
ボットの話はいったん全部忘れよう。このバンドをここまで押し上げたものは、実のところ、昔ながらの人間の創造性にほかならない。長年の友人たちが、自分自身と互いを刺激し合い、本人たちさえ驚くような飛躍を遂げた。互いの感覚や求めているものを深く理解し合う4人のミュージシャンとしてのケミストリーこそ、これまでのすべてを動かしてきた原動力なのだ。
ドミニクにとって、自分の人生が今の方向へ動き出した瞬間は、はっきりしている。2016年9月、マンハッタンのダウンタウンにある進歩的な教育方針で知られるElisabeth Irwin High Schoolに、9年生として入学した初日のことだ。同校では新学年の始まりに、新入生オリエンテーションを兼ねて生徒たちをニューヨーク州北部へ連れていく。「みんな、バスからいきなり放り出されるような感じなんだ」と彼は振り返る。「中等部からそのまま上がってきた子たち以外は、誰もお互いを知らない。すでに友達同士のグループがいくつもある一方で、そこから外れた連中は、その場で初めてみんなと知り合っていくんだ」
その輪にいた新入生のなかには、ドミニクとエミリーもいた。エミリーはすぐに彼に声をかけたという。「俺はジャングルジムのあたりで、ある子と一緒に立ってた」とドミニクは続ける。「そいつがバク宙しようとしてて、俺はそれを見てた。そしたらエミリーがやってきて、『ねえ、私もやっていい?』みたいな感じで。キャンプ場を出る頃には、もうバスで隣同士に座ってた」
ドミニク・ディジェス
ドミニクは、母親とヨークシャー・テリアのシャイアン(「ワイオミング州の街と同じ名前」)と暮らすアッパー・ウエスト・サイドの自宅からほど近いセントラル・パークを私と歩きながら、気さくに話を続ける。ギースでマンハッタン出身なのは彼だけだ。ほかの3人は全員、イースト川の向こう側にあるブルックリンで育ち、小学校時代に知り合った。そんなドミニクは、いかにもニューヨークらしい人物でもある。「俺、かなりイタリア系なんだ。80%くらいイタリア系」と彼は言う。母方の家系は「シチリア島沖にあるリパリっていう小さな島」までさかのぼり、父方のルーツは「カラブリア州のCessanitiという小さな町」にあるという。
両親は90年代初頭、ニューヨーク・ニックスの試合で出会い、ドミニク自身も生まれたときからニックスのファンだ。私が彼と会ったとき、チームは53年ぶりのNBA優勝まであと2勝に迫っていた。ドミニクは、母親が何年も前にマディソン・スクエア・ガーデンで手に入れたヴィンテージの「Go New York, Go New York, Go」Tシャツを誇らしげに着ている。とはいえ、彼がさらに熱を上げているのは野球で、ニューヨーク・メッツへの思い入れはほとんど信仰に近い。昨年11月、ブルックリンで行われたギースのライブに、チームの大きな頭をしたマスコット、ミスター・メットが特別出演したときには、感情を抑えきれなかったという。「本当に泣いちゃったんだ」と彼は言う。
さらに公園の奥へ進むと、ドミニクは高校時代、友人たちとよくたむろしていたという湖畔の一角を指差す。「放課後、エミリーにもたまにこっちまで来てもらってた。楽しかったよ」と彼は言う。「公園に行って、大麻を吸って、それからアニメを観てた」
それ以上に多かったのは、地下鉄に乗ってブルックリンまで出向くことだった。エミリー、マックス、キャメロンはそこで、Park Slope Rock Schoolの課外レッスンに通っていた。マンハッタンにある別のSchool of Rockでベースの腕を磨いていたドミニクも、すぐにその輪に馴染んだ。「エミリーがマックスとキャムを紹介してくれて、気づいたらみんなで地下室に集まって、ジャムってた」と彼は言う。
その地下室──通称「the Nest」──は、ギースの物語において特別な意味を持つ場所だ。フォート・グリーンにあるマックスの実家のブラウンストーン、その地下にある簡素な空間で、14歳だった4人はバンドの原型を形作っていった。「いかにもニューヨークって感じの、かなり薄汚れた地下室で、コンクリートの床もボロボロだった」と、マックスはあとで私に話す。「母さんが石膏ボードを張ってくれて、俺たちはカーテンをつけたり、音がなるべく響かないように布を大量に張ったりした。あとはカーペットとかランプとか、いろんなものを置いて。雰囲気はかなりよかったよ」
ドアーズやレッド・ツェッペリンといった両親のお気に入りを聴いて育ったドミニクは、新しくできたバンド仲間たちからレディオヘッドやアニマル・コレクティヴを教えてもらい、そこから自分の音楽世界が一気に広がっていったと振り返る。それは、この30年から50年のあいだ、アメリカ中の無数の地下室で繰り返されてきたような、ありふれた音楽との出会いでもあった。ただし、この10代の4人が始めたバンドには、いつか彼らが憧れたヒーローたちと肩を並べるだけの可能性がある。あの頃には到底現実味のない夢に思えたとしても、今やそれが現実になりつつあり、ドミニクも少しずつその状況を受け入れようとしている。
「信じられない気分だよ」と彼は言う。「ステージから客席を見て、こんなにたくさんの人がいるんだって思うと……俺たちはみんなライブをやるのが大好きだし、今は前よりもっとみんなが夢中になってくれてる。それが嬉しいよ。もちろん。俺たち自身も、今のほうがいいと思ってる」
水を抜かれたベセスダ噴水の水盤に陽光が差し込むなか、ドミニクは2027年を目前にしたギースの現在地をこう語る。「本当に、俺はバンドの仲間たちを心から信じてる」と彼は言う。「俺たち、アルバムはまだ3枚だろ? この先には、まだまだたくさんのことが待ってる。俺たちが音楽に何をもたらせるのか、すごく楽しみなんだ」
エミリー・グリーン|成功への違和感、自由でいるための創作
数時間後、私はロウアー・イースト・サイド、ウィリアムズバーグ橋のたもとでエミリーと落ち合った。イースト川の上には灰色の雨雲が垂れ込めている。私たちは、ジャズ界の巨匠ソニー・ロリンズが1959年、世間の注目から離れるために通ったことで知られる巨大な鉄橋へと上っていく。「人と話すときは、歩きながらのほうが好きなんです」と、長身で細身、全身を黒でまとめたエミリーは、ブルックリンへ向かって橋を渡り始めながら私に言う。「そのほうが頭の中のハムスターの回し車が回り続けるから」
会話は数分おきに途切れる。J、M、Z線の列車が轟音を立ててすぐそばを通り過ぎるからでもあるが、エミリー自身がひとつひとつの言葉を慎重に選ぶ人だからでもある。高校最終学年の頃、マックスの地下室で、広く流通した初のアルバムとなる2021年の『Projector』をギースがレコーディングしていたとき、彼女は音楽を仕事にする未来など想像したこともなかった。「何の期待もしてなかった」と彼女は言う。「そんなこと、本当にめったにないから。バンドは山ほどいるし、その多くは活動期間もすごく短い。聴いてくれる人やライブに来てくれる人だって、ほんのわずかしかいない」。それから6年が経った今も、自分が世界的に知られるロックバンドのリードギタリストになったという事実を、ときどき現実のものとして受け止めきれない。「つまり、今の私の人生のほうが、よっぽど突拍子もなくて、現実味がないんですよね」と彼女は言う。
つい先日、クイーンズのリッジウッドにあるレコード店を訪れた彼女は、ウィルコのLPの近く、「Dad Rock(オヤジロック)」と書かれた棚に自分たちの作品が並んでいるのを見つけた。「レコード屋にギースのコーナーがあるんですよ!」と、信じられないといった口調で彼女は言う。「私たちを本当に観たいと思ってくれてる人たちの前で大きなライブをやって、それがソールドアウトになる。バンドで演奏するのは、めちゃくちゃ楽しい」。とはいえ、いつもそう感じられるわけではない。「もちろん、そんなわけないです」と彼女は付け加える。「私の頭って、文句を言う理由を見つけるのがものすごく得意だから」
少し前にドミニクから聞いた言葉──ギースの全員が「最高に楽しい時間と、最悪な時間を同時に過ごしてる」──について尋ねると、彼女は30秒ほど黙り込んだ。ドミニクは冗談めかして言っていたが、エミリーにはその意味がよくわかっている。「たぶん、昔みたいに何も気にせず突っ走ることは、もうできないんだと思う」と、やがて彼女は言う。「変なんですよ。ある意味では、自分たちのやりたいことをできる自由は前より増えてる。でも、そのぶん一つひとつの決断が前よりずっと大きな意味を持つようになった。重く感じることがあります」
バンドとして活動を続けるうえで避けられないビジネスミーティングや電話会議が増えたことも、彼女にとっては苦痛の種らしい。「音楽業界とやり取りすることが、アートを作るのに向いてるとはあまり思えない」と彼女は言う。「そこに、自分を幸せにしたり、ワクワクさせたり、刺激してくれたり、何かを作りたいと思わせてくれるものを、まだ何ひとつ見つけられてない」
エミリー・グリーン
そのぶん、彼女はできるだけ音楽を作っていたい。自由時間のほとんどもそこに費やしている。2023年からは、サンフラワー・ビーンの共同創設者オリーヴ・フェイバーとのサイドプロジェクト、Stars Revengeで、いかにも”ロック”らしいロックを鳴らしている。フェイバーは、彼女にとって「お姉ちゃんみたいな存在」だという。「アンプにつないで、ステージで30分ひたすら弾きまくるだけ」とエミリーは言う。「楽しいですよ」。そして1月、キャメロンがChet Chomsky名義でニューヨークのクラブにて圧倒的なソロパフォーマンスを披露した際には、エミリーがオープニングを務め、ギースとはまったく異なる、ほろ苦くメロディアスな曲の数々を演奏した。そのほとんどは、その日のうちに一気に書き上げた新曲だった。「曲を書いても、それが”今の自分”を正確に映していられる期間って、すごく短いんです」と彼女は言う。「たぶん、私自身がこんなに変わらなくなったら、もっと長く自分を映し続けられる曲を書けるようになるのかもしれない」
私たちはすでにウィリアムズバーグまで渡っていた。通りの向こうにレコード店を見つけると、エミリーが足を止める。「いいですか?」と彼女は言う。「5分だけ」
店に入ると、案の定『Getting Killed』が何枚も並んでいる。そのなかには、75.99ドル(約1万1700円)の値札がついた限定版のヴァイオレット・カラー・ヴァイナルもあった。エミリーはフォークの棚へ向かい、故カレン・ダルトンが1969年に発表したデビュー作を手に取る。それをレジへ持っていくと、店内にいた若者たちがギースについてひそひそ話し始め、ちらちらと彼女のほうを見る。店を出たあと、エミリーは「あなたのこと、私のボディガードだと思ってたのかな」と冗談を飛ばす。
今年に入って、彼女はできるだけネットから距離を置くようにしている。SNSで自分について書かれているものを読むと、「最悪な気分」になるからだ。「大勢の人の頭の中に、”エミリー”っていう人物像がある。でも、それは実際の私とは違うんです。そのイメージを自分に重ねられているのを見るのは、すごく変な感じがする」
人前に出る存在になったことへの思いは複雑でも、ギースのこれからについて、エミリーは前向きに考えている。「私たちはまだ、もっといい音楽を作れると思ってる」と彼女は言う。「『Getting Killed』をレコーディングしてから、もうほぼ2年経ってるし、そのあいだに人間として前より成長したと思う。みんなそう。全員、大人になったんです」
では、何が一番変わったのか。彼女は少しずつ、自分自身を信じられるようになってきた。「あのレコードを作ってたときは、死ぬほど不安だった」とエミリーは続ける。「とにかく最高じゃなきゃいけないって、自分にものすごくプレッシャーをかけてた……今は、もっと肩の力を抜いていたほうがいいって思える」
とはいえ、ギースがこれからも譲らない基準はある。このバンドをあとどれくらい続けている姿を想像できるか──あと10年? 20年なら?──と尋ねると、彼女は笑った。「いい音楽を作れる限り」と言う。「ダメになった瞬間、全部終わらせなきゃいけない」
マックス・バシン|9歳から続く友情
ドミニクとエミリーへの取材を終えたあと、バンドはボナルー出演のため、テネシー州マンチェスターへ向かった。彼ら全員にとって、2024年に初めて出演した際の思い出が残る、愛着のあるフェスティバルだ。「当時の俺たちにとっては、過去最大級の観客だった」とマックスは話す。翌週の月曜午後、私たちはブッシュウィックにある彼のお気に入りのコーヒーショップ、デンマーク発のロースタリーで落ち合った。「夜の時間帯で、めちゃくちゃ最高だった。とんでもないライブをやって、そのあと午前2時くらいに、さらにぶっ飛んだライブもやったんだ」
今年はそこまで濃密な時間ではなかったようで、現地に行って演奏し、すぐに戻ってくる慌ただしい滞在だったという。それでもマックスは上機嫌で、店頭に並んだシングルオリジンの豆を眺めながら、ラベルに書かれた説明をいちいち声に出して茶化している。「爽やか、トロピカル、まろやか。違う。ジューシー。違う。すごくフローラル。違う」。最終的に25ドルのRutas Del Incaを一袋選び、アイスのオーツラテを注文して席につく。ダークレッドのフーディーに、虫の目のようなオーバーサイズのサングラス、太いシルバーリングをいくつも身につけ、いつものように隙のない格好だ。
週末のニックスの勝利で街全体が沸き立つなか、ギースの人懐っこいドラマーもその熱気に巻き込まれていた。メンバーのなかで圧倒的に熱心なニックスファンなのはドミニクだが──マックスはネッツ派で、キャメロンは子どもの頃どちらかといえばアメリカンフットボール少年だった──ギースもまた、ニューヨーク5区の多くの人々と同じように、ファイナルの熱狂に飲み込まれていた。ボナルーから戻った翌晩、4人は友人たちとマックスの家に集まり、裏庭に張った白いベッドシーツに第5戦を映して観戦した。真夜中近く、ジェイレン・ブランソンとチームメイトたちがサンアントニオで優勝を決めると、一同は通りへ飛び出して祝った。
「わりとすぐに、ギース全員がリッジウッドの街角にいるって誰かに気づかれた」とマックスは振り返る。「それで俺は、『オーケー、これは早めに中へ戻ったほうがよさそうだな』って思った」
最近のギースには、こうしたことが以前より頻繁に起きるようになっている。少し前にはドミニクも、大麻販売店のスタッフに気づかれた話を面白そうにしてくれた。とはいえ、有名人として扱われることは、マックスにとって今もどこか現実味がない。何しろ、彼が育ったのは有名人がごく普通に暮らしているような地域だった。「ジェイソン・サダイキス(※『サタデー・ナイト・ライブ』でも知られる俳優/コメディアン)がスウェットパンツ姿で道を歩いてても、『あ、近所のジェイソンだ』って感じだったから」
マックス・バシン
当時、音楽はブルックリン・フレンズ・スクールの同級生だったキャメロンやエミリーと、ただ遊びでやるものだった。「俺たち、本当に小さい頃から一緒に音楽をやってたんだ」とマックスは言い、3人がまだ9歳にもなっていなかった頃から続くセッションを振り返る。「その頃に録ったひどい音源が山ほど残ってる。でも、本当にそこまで遡るんだ。俺たちを”業界が仕込んだバンド”だと思ってる人たちへ──2011年からやってるんだぞ、マジで」
ギースは、自分たちが同世代のティーンエイジャーと少しズレていると感じることがよくあった。「バンドをやるなんて、めちゃくちゃダサかった」とマックスは言う。そんな彼らが自信を深めるきっかけになったのが、2018年夏、マックス、エミリー、キャメロンの3人で、オーストラリアのバンド、キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザードをBrooklyn Steelに観に行ったことだった(ドミニクはまだ16歳になっておらず、家に残った)。「客席全体がモッシュピットだった」とマックスは振り返る。「ライブが終わって、『うわ、バンドの音楽が戻ってきたぞ。俺たちも本気でやって、彼らみたいにならなきゃ』って話してた」。その数年後、ギースは彼らのオープニングアクトを務めることになる。
今のマックスは、興味の対象も多い。コーヒーに凝り始めているほか、アマチュア写真家でもあり、最近は『オースティン・パワーズ』で見たものを思い出させるヴィンテージのコンパクトカメラを試している。大麻も好きで、タトゥーにも目がない。両腕には何十もの小さな絵柄が彫られており、その多くは、交際して約6年になるパートナーでビジュアルアーティストのシャーロット・タンポルが手がけたものだ。「ほとんど、『俺の体で好きに練習していいよ』って言ったようなもんだね」と彼は話す。
傍から見れば、マックスはギースでもっとも気楽そうなメンバーに見えるかもしれない。だが本人によれば、そのリラックスした雰囲気の裏には「慢性的に考えすぎる自分」がいる。「何でも考えるよ。俺たちがどう見られてるか、この先何をするのか、ライブで何を着るか」と彼は言う。「俺がこんなに大麻を吸う理由のひとつでもある。頭の回転を少し遅くしてくれるから」
別れる前に、私はキャメロンの新しいソロアルバムを何か聴いたかと尋ねた。2024年12月に発表されたソロデビュー作『Heavy Metal』は、その後ますます伝説的な存在となり、ギースのファンは続編を心待ちにしている。バンド仲間たちも同じだ。レーベルがキャメロンのソロ活動にさほど乗り気ではなかったときも、彼らは一貫してその活動を支えてきた。最近のソロ公演では、スピリチュアルなモチーフと深い感情に満ちた新しいバラードを何曲も披露している。なかでもカーネギー・ホール公演は、今秋ライブアルバムとしてリリースされるほか、ポール・トーマス・アンダーソン監督によるコンサート・ドキュメンタリーにもなるという。だがマックスによれば、スタジオ録音版はまだ一曲も聴いていない。
「かなり秘密主義なんだ」と、小学3年生の頃から親しいキャメロンについてマックスは言う。「そういうやつだってわかってる。でも今、本当にものすごく頑張って作ってるよ」
キャメロン・ウィンター|熱狂の中心で感じる孤独
その日の午後6時頃、キャメロンはベッドフォード=スタイベサントにある持ち帰り専門の中華料理店へ、ぶらりと現れた。くすんだグレーのTシャツに暗い色のパンツという目立たない格好で、黒いバックパックとビニール袋を手にしている。カウンターの上に並んだ色褪せたローメンの写真を眺め、小さな容器に入った蒸し豚餃子を注文すると、現金で支払った。「豚肉はもう食べるのをやめたほうがいいんだろうな」と、餃子をソースにつけながら彼は言う。「だって、あんなふうに苦しめられて死ぬわけだから。今でも肉を食べてることって、僕の人生における大きな盲点だと思う」
キャメロンは少し疲れているように見える。聞けば、ついさっきまでソロのレコーディングをしていたという。週末のボナルーは楽しかったかと尋ねる。「まあね」と彼は言う。「最初に出たときのほうが楽しかった。みんな、めちゃくちゃハイになってたから。会う人会う人がマッシュルームをくれようとしてきて、僕らもいただいた。でも今回は、完全に仕事だった」
では、その翌晩のNBAファイナル観戦パーティはどうだったのか。「ニックスが勝ったのはもちろん嬉しいよ」と彼は言う。ただ、その口調はそこまで浮かれてはいない。とりわけ、そのあと路上でギースのファンの一団に声をかけられたときの話になると、なおさらだった。
「マックスがなんでリッジウッドなんかに住んでるのかわからない」と彼は言う。ギースの人口あたり再生回数なら、ニューヨークのほかの多くの地域を上回っていそうな街だ。「あそこはまさに魔窟のど真ん中だよ。アリ塚にマンゴーを放り込むようなもんだ」
ギースのほかのメンバーは全員、『Getting Killed』以降、生活が大きく変わったと私に話していた(エミリーは「そりゃそうですよ」と言った)。だがキャメロンに同じことを尋ねると、少し答えに迷う。「まあね」と、また彼は言う。「よくわからない。広い意味では、ほとんど何も変わってないとも言える。毎日のルーティンも変わってないし。むしろ、周りのみんなのほうが変わったように感じる」
そのルーティンは、彼の生活に深く根づいている。毎日音楽に向き合い、少しずつ何か超越的なものへ近づこうとすること。一方で、そこには拭いきれない反発心もある。ギースを育んだ恵まれた環境──キャメロンの場合、作曲家の父と作家の母という、ともにユダヤ系の両親が幼い頃から彼の興味を後押ししてきた──でさえ、彼のなかにはどこか苦い感覚を残しているようだ。
「僕らはある意味、自分たちの意思に反して支えられてたんだよね」と彼は言う。「親に6歳の頃からピアノを習わされた。大嫌いだった。ロックスクールだって、僕には退屈だった。友達とつるんで、楽器をガンガン鳴らすのは好きだったけど、実際のところ、親は週末に僕を家から追い出したかっただけだと思う。ああいう支えがあったのは幸運だった。でも、自分で気持ちよく音楽をやれるようになったのは、そういう支えがなくなってからなんだ。ピアノをやめるって言い張ったり、ロックスクールを卒業するくらいの年齢になったりして、自分たちだけでやるようになってから」
キャメロン・ウィンター
それほど独立心の強い彼だが、自分たちの音楽を難解だと感じる人がいることには心を痛めている。たとえば、『サタデー・ナイト・ライブ』出演時の反応だ。ギースをよく知らない視聴者からは、困惑や敵意の入り混じったコメントが相次いだ。
「みんながあそこまで強く反応したことに、本当に参った」と彼は私に話す。「もちろん、音楽オタクみたいな人たちのなかには、すごく気に入ってくれた人もたくさんいた。でも、そういう人たちが喜んでたのって、仕事のあとにSNLをつけるような普通の人たちに、僕らが一泡吹かせたから、みたいなところもあった気がする。それが本当に嫌だった。僕は、変拍子で、めちゃくちゃ大音量で、反復的な曲をやって、それで『ハハ、僕らにはわかるけど、お前らにはわからないだろ』ってやりたかったわけじゃない」。彼は親指を鼻に当て、いたずらっぽく指をひらひらさせる。「そんなのくだらない。でも、僕らのやってることの多くは、そういうふうに受け取られる。どうしたらそれを変えられるのか、わからない」
キャメロンは今取り組んでいる新しい音楽でも、そのバランスに悩んでいる。自分にしかない視点を表現したい。でも同時に、リスナーにすっと届くものにもしたい。「難しいよ」と彼は言う。「昔は、面白くて、ちょっと難しいくらいのコードを使って曲を書いてた。でも今は、もう延々とI-IV-Vって感じ」。今では、少し変わったコードを選ぶだけでも気取っているように思えてしまうという。「むしろ、どんどんひどくなってる。どんどん深い溝にはまっていく感じなんだ。iiのコードを使っただけで、『うわ。何だお前、キース・ジャレットのつもりかよ、このクソ野郎』って自分に思う」
笑える言い方ではある。だが、彼の話を聞いていると、随所に顔を出す容赦のない自己批判が気になってくる。だんだん無免許のセラピストにでもなったような気分になりながら、私はキャメロンに、それはいったいどこから来るのかと尋ねる。「知らない。僕のセム系の気質かな?」と彼は冗談を言う。
この一年、ギースを取り巻いてきた狂騒を指しながら、彼は続ける。「特に僕にはしんどいこともある。たとえばマックスは、こういうこと全部に対処するのが僕より上手い。僕はいちいち傷ついちゃうんだ。とにかくしんどいよ。さっきも言ったけど、周りのみんなが完全に正気を失ったみたいに感じる。僕に起きたいいことも悪いことも、最初から最後まで全部、ほかの人たちによって起こされてるような気がして。ただ巨大な渦に巻き込まれてるみたいで、正直、僕はその一部でいたくないんだ」
もっと若かった頃、キャメロンは、自分がいつかこんな立場になったらどんな気分なのだろうと考えることがあった。今はもう、想像する必要はない。「人気があるのに、なんでバンドって解散するんだろうって? ああ、今ならよくわかるよ」と彼は言う。「むしろ、もっと早く解散しないことのほうが奇跡だよ」。そう言って沈んだ笑いを浮かべ、声を落とす。「僕はただ、一人の人間でいたいんだ。本当の意味で、人間として扱われたい。人間以上の何かみたいに見られるのって、気分のいいものじゃない」
ここまでキャメロンは、私の質問に驚くほど率直に答えてきた。だが、この一年でもっとも話題になったギース関連のトピックのひとつを持ち出すと、さすがに表情が曇る。4月、ロサンゼルスで一緒に食事をしたあと、笑顔で並んで歩く彼とオリヴィア・ロドリゴをパパラッチが撮影した写真のことだ(それ以降、2人が一緒にいるところは撮影されていない)。同世代でもっとも個性的な歌声を持つ2人は、その食事の席でいったい何を話していたのだろう?
キャメロンは見るからにつらそうな表情で、しばらく言葉をためらう。話したくないなら答えなくていい、と私が伝えると、彼はその申し出を手で制した。「ああ、建国の父たちについて話しただけだよ」と静かに言う。「話し始めると、いくらでも掘り下げられるテーマだからね」
『Getting Killed』の先に待つもの
「ほら、あいつが頭いいなら、ビショップであの斜線を二重に利かせてくるはずなんだ」と、その2カ月後の8月上旬、キャメロンは言う。「でも、あいつは知らない。こっちにはクイーンをe7に出す手がある。それで完全に動きを止められるんだ」
ギースのプライベートなリハーサル兼レコーディングスペースで、キャメロンとドミニクはスマートフォンを取り出し、さっそくチェスを始める。使い込まれた赤橙色のソファの両端に2人が座り、その間にマックスとエミリーがいる。この場所の正確な所在地は、先ほどの”マンゴーとアリ塚”の問題もあって、固く伏せられている。ただ、中に入ってみれば特別な場所というわけではない。ニューヨーク市内のどこかにある小さな部屋で、楽器や雑多なものが所狭しと並んでいる。元ネッツのセンター、ニック・クラクストンの名前が入ったバスケットボールジャージ、ギースのタロットカード一式、反テクノロジーを掲げるZINE『Summer of Ludd』などだ。とはいえ、地下室時代以来、彼らが自分たちだけの”クラブハウス”を持つのはこれが初めてだ。なかでもキャメロンは今年、この場所を存分に使っている。パソコンのモニターのそばに小さなハーモニカと数本のギターが置かれた、キュービクルのような一角で、新しいソロアルバムを少しずつ作り進めている。
リハーサルスタジオでの取材風景
制作途中の曲は、いまだにバンド仲間にも聴かせていない。カーネギー・ホールで披露した新曲が最終的にアルバムへ収録されるかどうかも、本人にはまだわからないという。「みんな僕のことを買いかぶりすぎなんだよ。僕がしくじっても、『いいね、いいね、いいね!』って感じだから」とキャメロンは言い、わざとらしく拍手してみせる。だから彼は、自分の作品に対する世間の反応を、好意的なものも否定的なものも含めて、なるべく意識しないようにしている。もっとも、そう簡単にはいかない。「どうしても入り込んでくるんだ」と彼は言う。「新しいプロジェクトの4曲目を聴けばわかるよ。45秒くらいのところまで飛ばして、よく耳を澄ませてみて。そうすれば、いろんな余計なものが邪魔してるのが聞こえるから」
一方、ギースが昨年、『Getting Killed』のプロデューサー、ケネス・ブルーム(旧名ケニー・ビーツ)とともにテープへ直接録音した新曲群は、今も宙に浮いたままだ。「いつか全部出る可能性はあるけど、俺はそうなるとは思ってない」とマックスは言い、それらを「要するに、アイデアをかなり高いクオリティで形にしたデモみたいなもの」と表現する。「とにかくいろんなものを壁に投げつけて、何が残るか試してた感じだった」
もし今年中に4人でさらにレコーディングするとしても、おそらく冬以降になるだろう(「俺たちは冬のほうが、本腰を入れて作業することが多いんだ」と、少し前にドミニクは私に話していた)。その前に控えているのが、今秋の「Getting Killed Again Tour」だ。10月には、地元ニューヨークで過去最大規模となる、クイーンズのForest Hills Stadiumでの2夜公演も予定されている。会場の収容人数は1万3000人だ。
「この『Getting Killed』ってやつを、搾れるだけ搾ってるところだよ」とマックスは言う。
隣に座るエミリーも同意する。「まだまだ搾れそう」
そこから4人は、”搾る”という言葉に引っかけた乳製品ネタのダジャレを次々と繰り出し始め、内容はどんどん馬鹿馬鹿しくなっていく。
「俺はこいつを搾りまくってるんだ」と、みんなが笑うなか、マックスは繰り返す。「四つん這いになって、ひたすら搾ってる」
するとキャメロンが、いたずらっぽく笑いながら言う。「まだまだ乳は出るよ」
From Rolling Stone US.
Production Credits
On-set styling by ALEX BADIA. Hair and makeup by MELISSA DEZARATe for A-FRAME AGENCY using SK II. Set Design by ROSIE TURNBULL. Production by PATRICIA BILOTTI for PBNY PRODUCTIONS. Photographic assistance by ROWAN LIEBRUM, CALVIN REBOYA. Digital Technician: SARA LEWIS. Hair and Makeup assistance by RUTH BLACK. Set design assistance by TYLER GILBERT and LAILA IBRAHIM. Production assistance by JEFF CECERE. Motion Portrait DoP DIEGO DONIVAL GARCIA. Photographed at VANDERVOORT STUDIO.Video Interview DoP WILL CHILTON. Video Interview Camera Operators HALEY SNYDER and STEVE FRANCHEK. Audio Engineer GRACE GALLETTI.


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