1999年11月28日、東名高速道路で1台の乗用車が激しい炎に包まれた。原因は、大型トラックの追突による。
後部座席に座っていた幼児2名が亡くなる凄惨な現場。「あちゅい」という言葉を残して、幼い生命が断ち切られてしまった。大型トラックを運転していた男性は、飲酒運転をしていたことが捜査で分かった。一般に、東名高速飲酒運転事故と称される事件だ。社会が飲酒運転に対して厳罰を求めるきっかけになった事件として、記憶する人も多いだろう。
 被害者であり、2名の幼児を失った遺族でもある井上保孝さん・郁美さん夫妻は現在、犯罪被害者団体ネットワーク(通称:ハートバンド)の共同代表を務める。ここまでの道程に迫った。

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箱根からの帰路で悲劇が起こる

 事件当時、郁美さんは妊娠していた。長女・奏子ちゃん(当時3歳)、次女・周子ちゃん(当時1歳)に続く第3子だ。保孝さんと郁美さんの出会いは入社先の建築設計事務所。東京の大学の建築学科を卒業した郁美さんにとっては、入社して数年後の部署異動で上司になったのが保孝さんだった。

 たまたま事件現場に居合わせたテレビクルーが撮影したとされる映像でも、お腹の大きな郁美さんを確認できる。

「2週間後からは産休に入る予定でした。
夫婦それぞれが仕事で疲れもたまっていて、一泊どこでも良いから家族でゆったりしようという話になったんです」(保孝さん)

「どこでも」は箱根に決まった。他にも候補があったが、たまたま宿泊予約が取れたのだ。11月27日に家族で宿泊し、翌28日は芦ノ湖の遊覧船に乗り、美術館にも立ち寄った。夕方からマンションの自治会の会合が入っていたため、昼飯を食べてから早めに高速道路に乗った。事件は、その後に起きた。

 後部座席にいた長女と次女の生命が失われたことは前述のとおりだが、運転席にいた郁美さん、助手席の保孝さんも無傷ではいられなかった。特に保孝さんは全身の25%に及ぶ重度の火傷を負った。三鷹市の杏林大学医学部付属病院へ運ばれ、高度救命救急センターで3度にわたる手術を受けた。「背中全面が受傷しているため、背中をぺたりとつけずに寝られる特殊なベッドに寝かされていました」と当時を振り返る。

加害者は飲酒運転の常習者だった

飲酒運転のトラックに追突され「2人の子供を失った遺族」が愕然とした“懲役4年”の判決。厳罰化された今も「法は万全ではない」
保孝さん
 一方、治療中の保孝さんと離れ、事件の悲しみと憤りのなかで、郁美さんは第3子を無事に出産した。

 事件当初、郁美さんは“飲酒運転をした加害者”としてしか見ていなかったが、事件のことを詳しく知っていくうちに別の構図が見えてきたのだという。

 事件後、刑事裁判を通じて加害者についての情報が明らかになっていった。加害者男性には、アルコール依存症であったと思われる痕跡があった。


「男性は、事件の10年以上前から寝酒をきっかけに飲酒運転を繰り返していたらしいのです。事件の数か月前には体を壊し、医師から酒を辞めるように忠告を受けていました。また、同僚に飲んでいるところを見つからないように、あまり会社の人が利用しないサービスエリアを好んで使っていたこともわかりました」(保孝さん)

「事件の前夜、フェリーにお酒を持ち込んで飲んでいたことがわかっています。会社は対面点呼をしておらず、電話での点呼のみでした。また、会社の社長も『運転手はいったん道路に出たら管理のしようがない』という旨の発言を民事裁判中にしていました。加害者本人にはもちろん呆れますが、その周辺の環境にも憤りを感じました」(郁美さん)

11件も通報があったのに、防げなかった

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かけがえのない命が失われた
 悲惨な事件が起き、かけがえのない命が失われるまで、社会は事件を止めることができなかった。その思いは、井上夫妻のなかで日に日に強くなっていった。

「犯罪被害者の方々のなかにはまったく偶然に被害に遭ってしまった人が少なくありません。たとえば私たちも、あのとき箱根に行かなかったら、おそらく事件に遭遇していなかったでしょう。それを他の人から『あのとき◯◯に行かなければね』と言われるのは、愉快ではありません。なぜなら、仮にあの日に事件を起こしていなくても、加害者はいずれ誰かを巻き込んで大事故を起こしていたかもしれないからです」(郁美さん)

 井上夫妻がそう考えるのには、事件当日の状況も関係する。

「私たちに追突する以前から、加害車両はフラフラと蛇行運転を繰り返し、ほかのドライバーから11件も通報がありました。それでも、事件を未然に防ぐに至っていない。
加害男性が所属していた運送会社を筆頭に、すべてが絡み合った必然なのではないかと考えているんです」(保孝さん)

念願の「厳罰化」を成し遂げる

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全国で署名を集め、国を動かした
 事件の総合的な構図を俯瞰してみられるようになった頃、裁判を通じて「社会」を感じる場面も多くなってきたと井上夫妻は話す。

「たとえば、当時はまだ被害者参加制度(2008年12月から)がなかったため、裁判所の『配慮』によって私たちは裁判を傍聴するための席を確保することができました」(郁美さん)

 当時はたとえ加害者が飲酒運転をしていても業務上過失致死罪で裁かれた。法定刑の上限は懲役5年だった。

「飲酒運転によって人の命を奪っておいて、5年という刑期が上限であることにも驚きましたが、判決にはさらに驚きました。懲役4年が言い渡されたのです。1年も減刑された理由についても、『加害者にはその社会復帰を望む妻子がいる』という、娘2人を永遠に失った我々の神経を逆なでるものであったり、『会社が対人無制限の自動車損害保険に入っている』という加害者本人の痛みを全く伴わないものであったりして、理解に苦しむものでした」(郁美さん)

 その後、他の犯罪被害者たちとともに声を上げ、全国で署名を集め、国を動かし、法改正がなされた。2001年の刑法の一部改正によって、危険運転致死傷罪(刑法208条の2)が新設され成立。いわゆる「厳罰化」を成し遂げたことになる。

 だが井上夫妻は、「厳罰」がゴールではないと語る。

アルコール依存症に対する介入も必要

「新たな罪が設置され、お酒に寛容だった日本社会が飲酒運転に対する認識を改めたこと自体は喜ばしいことです。2001年当時から、現在にわたって、あおり運転やアルコール濃度の数値基準の設定など。さまざまな改正が盛り込まれてアップデートもされています。それでも、法は万全ではありません。
たとえば最近の法改正で危険運転致死傷罪のアルコール数値基準が呼気で0.5mg/L以上(血液1.0mg/mL以上)と制定されましたが、そのような高い数値を呈さなくてもアルコールの影響で正常な運転が困難だったと立証されたと思われる事件は起きています。この数値が本当に適正といえるのか、数値未満の事件の捜査がずさんにならないか、注視していく必要があります」(保孝さん)

 また、そもそも厳罰化が奏功しない人々もみてきた。

「私は、厳罰に一定の効果があることを感じています。しかし同時に、その効果が及ばない人たちがいることも事実です。私たちの加害者のように、アルコール依存症になっている人たちは、断酒に導いてもらうための医療や断酒会などによる介入が必要と考えています。『罪が重くなるからやめなさい』では簡単にやめられない人たちが、世の中には存在します。私も事件直後は加害者が事件を起こした理由についてあれこれ考えてしまっていました。ところが、依存症からの回復者から『依存症者は、何でも酒を飲む理由にするものですよ』と聞いて、妙に納得した記憶があります」(郁美さん)

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 前述のとおり、井上夫妻はさまざまな事件の犯罪被害者たちが集う犯罪被害者団体ネットワークの共同代表を務める。四半世紀以上の歳月によって、新しく理不尽な犯罪に遭う人も何十年も前に犯罪の被害に遭った人も年に一度は出会える場を設けている。現在、郁美さんの仕事の都合で2人はベトナムに住んでいる。当然、ベトナムと日本を頻繁に行き来しながらの活動だ。

「ハートバンドは、ゆるやかな連帯」。
井上夫妻は活動の真髄をそう言葉にする。集う人の数だけ、悲しみがあり、悲しみへの向き合い方がある。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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