関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(25)

(連載24:アントニオ猪木に「天国でも地獄でもいいから会いたい」 もし"再会"できたら聞きたいことを明かした>>)

 プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。

 そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の最終回、第25回は、ガンとの闘いと今後の人生について語った。

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【ガンが発覚したきっかけ】

 藤原は2007年、58歳の時に胃ガンを患った。ステージ3と診断され、胃の半分を切除する手術を受けた。予兆はまったくなかったという。

「ガンがわかったきっかけは、話せば長くなるんだけどな......プロボクサーの知り合いがいて、その人の仲間がガンになって余命が半年だと言うんだよ。その人がプロレスファンで、『お見舞いに来ていただけませんか?』って頼まれたから、『いいよ』となったんだ」

 初対面のガン患者を励ますため、藤原は自作の徳利(とっくり)とお猪口(ちょこ)をプレゼントした。半年後、その患者は回復して退院。快気祝いの宴会に招かれた。

「快気祝いの席で、退院した人のお母さんに『あなた、箸の使い方がへたくそね』って言われてな。俺は、ずっと右ひじがイカレてたから『神経が圧迫されて、箸をうまく持てないんです』って伝えたら、お母さんが『いい先生を紹介するから、手術しな』と。でも、紹介された先生は『俺は専門外だから』と、また別の先生を紹介されたんだよ」

 その病院は、栃木・宇都宮市の国立栃木病院だった。無事に右ひじの手術を終え、一週間後、抜糸のため再び診察を受けた。

「抜糸のためだけに宇都宮まで行くのもな、と思って、『どうせなら、今までやったことのない大腸検査をやってもらおう』と思って予約したんだよ。

それで内視鏡検査をやったら、小さなポリープがあってな。4個取ったんだ。

 ポリープを検査してもらって、結果を聞くためにまた病院に行ったんだけど、次は胃の検査もやってもらおうって思って。そうしたら、4センチのポリープが見つかったんだ」

 ポリープは悪性腫瘍だった。

【師匠カール・ゴッチとの縁】

「食道との境目にある噴門部ってとこにガンがあってな。ステージ3。あとで本か何かで読んだんだけど、当時で術後5年の生存率は41.7パーセントだったらしくてな。それで胃の半分を切り取ったんだ。

 正直、『俺は死ぬんだな』と思ったよ。どうせ死ぬならカッコよく死にたかったから、手術の翌日から毎日、病院の周囲を3周歩いてな。1周が15分くらいだったかな。術後2日目からは、点滴を担ぎながら階段の上り下りもした。

 看護師さんが驚いてたよ。

手術後にそんなに早く動いてる患者なんかいねぇからな。俺は驚く看護師さんを見て、『ざまぁみろ。俺はプロレスラーだからカッコよく死ぬんだ』って、心の中でつぶやいていた。人が『健康が一番』と思うのは、実際に病気になった時だけなんだとも思ったな。昨日まで普通に飯を食ってたのに、吐いちまうわけだからな」

 手術は成功。しかし、そのあとにリンパ節への転移が発覚した。

「それで抗がん剤治療をやったんだが、それはキツかったよ。眼はチカチカするし、歯ぐきからは血が出るし......2年間は薬を飲んだな」

 それから18年が経ち、4月27日に77歳の喜寿を迎えた。藤原は、ガンを発見するきっかけとなった、右ひじの検査を受けた日にちに不思議な縁を感じていた。 

「検査した日は8月3日。その日は、カール・ゴッチさんの誕生日だったんだよ。ゴッチさんが俺に、ガンを教えてくれたのかも知れねぇなって思うんだ」

 その数日前、2007年7月28日には、ゴッチ氏が82歳で亡くなった。

天国の恩師が愛弟子へ、ガンのことを教えてくれたのかもしれない。そして、大病を乗り越えてリングに復帰した。

「ここまで生きてこられたのは、ただのラッキーだ。これは、あくまでも俺の考えだけど、一回ガンをやると肉体の限界に達するんじゃないかと。細胞は毎日分裂しているらしいけど、その分裂の"設計図"が壊れてガン細胞ができるわけだから、そこを切ったとしても、新陳代謝の限界が来てるってことだろ? まぁ、間違ってるかもしれねぇけどな。とにかく、俺が今生きていることは、ラッキーだと思うんだよ」

【喜寿にして現役。今後の目標は?】

 病院の定期検診は、ここ3年ほど受けていないという。

「再発してるかどうかなんて、わからん。もう、あんなにキツイ抗がん剤治療はやりたくないんだよ。簡単な手術ならいいけど、面倒くさい手術もしたくないんだ」

 岩手の農家に生まれ、サラリーマンを経て調理師を目指すも、さまざまな縁で新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、ゴッチという人生の師と出会い、道場で関節技を磨き、佐山サトル、前田日明ら多くの後輩を育てた。藤原ほど"人を育てた"レスラーはいないだろう。

 リング上でも、札幌で長州力を襲撃して一気にメインイベンターへと駆け上がり、移籍したUWFで高い技術と強さを披露した。プロレスの歴史に残る"職人"としてファンから絶大な支持を受けてきた。

 今年の5月27日には、新日本プロレス時代の弟弟子でもある初代タイガーマスク・佐山サトルが主宰する「ストロングスタイルプロレス」に参戦した。藤原の喜寿を記念した6人タッグマッチで船木誠勝、石川雄規とタッグを結成し、村上和成・髙橋"人食い"義生・アレクサンダー大塚と対戦。強烈な頭突きで村上を流血に追い込む壮絶ファイトを展開するも、高橋のヒザ十字固めによりレフェリーストップで敗れた。

 現役レスラーとして闘い続ける藤原は、77歳を迎えた心境をこう明かした。

「人って死ぬんだよ。だから、好きなことをやったほうがいい。今の俺は、生きた証を遺しておきたいと思っている。死んだら忘れ去られるからな。写真、記事......俺が生きた証をひとつでも多く遺してこの世を去りたいんだよ」

 続けて、今後の夢も語った。

「プロレスラーは、プロレスしかできない。

リング上で死ねたら幸せだな。それが夢だよ。まぁ、そんなことになったら周りのヤツらが迷惑だろうけどな(笑)。

 猪木さんのようなスーパースターは、無様な姿を見せられないからプロレスをやめなきゃいけないかもしれないけど、俺みたいなのはいつまでやってもいいんだよ。ただ、猪木さんも最後までテレビに出てたよな。お客さんに全部見せるのがプロレスラー。俺はこれまでの人生で、恥ずかしいことはしてない。真っ正直に生きたつもりだ」

 最後に藤原は笑みをもらした。

「俺は才能の宝庫なんだよ。陶芸、絵、盆栽、役者......なんでもできたからな。だけど、すべてはプロレスがあったからこそ。苦労して、苦労して、関節技を完成に近づけてきた。

この道しかなかった。いい人生だよ」

(敬称略。了)

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

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