頼まれると断れず、雑用まで引き受ける。波風を立てたくなくて、自分に非がなくても謝る。
そんな「いい人」でいることが、相手に軽く扱われる隙を与えているかもしれません。

脳科学者・中野信子さんによると、過酷な社会において、単なる「いい人」は搾取されるために用意された“生贄(いけにえ)”になりかねないといいます。人に優しくするだけでなく、ときには自分の尊厳を守るための「毒」も必要なのです。

ではなぜ、善意や謝罪が、相手につけ込む隙を与えてしまうのでしょうか。中野さんの著書『ロンドン紳士と脳科学に学ぶ 品格のあるマウントのとり方』(日経BP)から一部抜粋し、「いい人」が無礼な相手に搾取されず、自分を守るための振る舞い方を紹介します。

■「いい人」は搾取されるための“生贄”
世間はあなたに「いい人」であることを推奨してくると思いますが、残念ながらこの過酷な野生のホモ・サピエンスランドにおいて、単なる「いい人」は搾取されるために用意された生贄(いけにえ)に過ぎません。

成功するギバー(与える人)とは、その裡に温かな慈愛と、鋭利な「毒」を同時に忍ばせている者だけなのです。

■格下扱いされたとき、ロンドン紳士はどう返す?
たとえば、心無い誰かに格下と見なされてお茶を淹れることを要求されたとしましょう。そこで憤ったり、ましてや何の考えもなく従順に従ったりするのは三流の振る舞いです。

ロンドン紳士なら、微笑みを絶やさずこう答えるでしょう。

「おや、貴方が淹れてくださるほうがずっとおいしいでしょう? 私が貴方の得意分野を奪ってはいけませんから」

ここには「私に尽くす喜び」を相手から奪わないという優しさも込められていますが、同時に、「私に命令できるなどという、身の程知らずな勘違い」を優雅に粉砕する毒でもあります。

相手に尽くさせることで、逆に相手を「私に仕える存在」へと定義し直す。
この高度な転換こそが、ロンドン紳士が愛用する知恵なのです。

■「申し訳ございません」の大安売りは“敗北宣言”
無意味な「謝罪」という敗北宣言を今すぐやめましょう。

私たち日本人は、火種を取り除こうとしてつい「申し訳ございません」などという言葉を大安売りしてしまいます。しかし、これは国際社会においては「私は攻撃されても文句は言いません」という白旗を掲げたも同然の行為です。

パリジェンヌに、待ち合わせに遅刻した理由を問い詰めてご覧なさい。

「10分が『遅刻』? 冗談でしょう。地下鉄が時間通り来ないのはこの街の風物詩ですよ。そんなこともご存じないなんて、貴方はどんな田舎から来たんですか?」

自分の非すらも「相手の無知」へとすり替える。この圧倒的な強気は、失うものがないヤンキーの蛮勇ではなく、自分の尊厳を1ミリも明け渡さない、気高いレディの自衛術なのです。

■無礼な相手に「身の程を知れ」と告げる
かつて、私が居合わせた場面で放たれた強烈な一言を、すべての人は胸に刻むべきでしょう。

「その顔で、よく私にセクハラしようと思いましたね?」

もちろん容姿を侮蔑した言葉ですから、現代では使用に細心の注意を払わねばなりません。

けれども相手はそれ以前に、すでにこちらの尊厳を踏みにじる行動をしてしまっている。
これは、この私に無礼を働いている「鏡に映った醜い己の姿」を直視せよ、という「静かな警告」です。

私たちは、自分に対して無礼を働く者に対し、即座に「身の程を知れ」と告げる自由を行使してもよいのです。

■「この人に手を出すと惨めになる」と思わせる
ポイントは、マウンティングを仕掛けてくる輩に、「この人に手を出すと自分が惨めな気持ちになる」と思わせることです。

「申し訳ありません」を封印し、代わりに「驚きました(貴方の頭の悪さに)」「失笑してしまいました(貴方のその醜さに)」という表情を浮かべましょう。

「いい人」でいることをやめましょう。

「毒を自在に操れる、慈悲深いギバー」であることを心がけるのです。

無礼な輩には、その喉元を優雅に、しかし確実に嚙みちぎる覚悟を持って微笑みかけること。それこそが、聖域の静寂を守り抜く、紳士淑女の真の作法です。

■「性善説」という名のディストピア
私たちはしばしば「性善説」を美しいものとして語ります。しかし、現実社会において性善説を貫くことは、フリーライダー(タダ乗りする人々)に自分のリソースを捧げることに他なりません。

「貴方の善性を信じます」という言葉は、裏を返せば「どんなにひどいことをされても罰しません」と言っているのと同じです。

1割の真面目な人間が、9割のフリーライダーを支える世界。
それはユートピアなどではなく、絶対にそんなところには生まれたくないディストピアでしょう。

「税金の使途は、政治家の皆様の倫理観にお任せして何も言わずに託します」と言って喜んで納税する人がどこにいるでしょうか。用途を適切にしなかった際の罰則の設計などは、人間の「楽をして得をしたい」という本能を前提にした、リアリズムの産物なのです。

リアリストとしての冷徹さを失ってはなりません。
著者:中野信子(脳科学者、医学博士、認知科学者)
東京都生まれ。東日本国際大学特任教授、京都芸術大学客員教授、森美術館理事。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピン勤務を経て帰国。脳や心理学をテーマに、人間社会の事象を科学の視点から解説する。
編集部おすすめ