なぜ高市政権はこのままだと4年で〝物価高〟に殺されるのか?【...の画像はこちら >>



■商売の現場で本当に大事な数字とは?

 経済の話になると、世間はきまって成長率だ、株価だ、賃上げだと騒ぐ。だが、私が商売の現場で本当に大事だと思っている数字は、たった一つしかない。

「投資回収期間」である。



 要するに、「出したお金が、何年で戻ってくるか」という、それだけの話だ。いまの日本は、これがおよそ35年かかる。35年である。20歳で貸した金が返ってくるのが55歳のとき、と言われて、それを「投資」と呼ぶ人間はいない。普通はそれを「あきらめ」と呼ぶ。日本経済でいま起きているのは、要するにそれだ。誰も金を出さない。だから何も生まれない。「失われた30年」などと大げさな名前がついているが、中身は単純である。金が戻るのが遅すぎて、みんな投資をやめた。それだけのことなのだ。



 この連載では、この「35年」という病を、なるべく難しい言葉を使わずに解剖していく。種本は一冊、デヴィッド・ローマー『上級マクロ経済学』第4版(McGraw-Hill, 2012)。世界中の大学院生が青い顔で読む、あの鈍器のように分厚い教科書である。





■まず「投資回収35年」を、たこ焼き屋で理解する

 たとえば、駅前にたこ焼き屋を一軒出すとしよう。屋台と鉄板で元手が30万円。1年で手元に10万円残れば、3年で回収だ。悪くない。やろう、という話になる。世界の大半の国では、これで話が済む。



 ところが日本では、ここに邪魔が入る。まず保健所の許可が下りるのに待たされる。その頃にはたこ焼きのブームは過ぎ去り、世間の関心はマリトッツォに移っている。

次に、どの窓口が担当かをめぐって役所をたらい回しにされる。そのあいだも家賃と保険料だけは、律儀に出ていく。ようやく開店にこぎつけたと思えば、今度は毎月の書類仕事が鉄板の上のたこ焼きよりも忙しく焼き上がってくる。こうして手元に残るはずのお金がじわじわ削られ、回収は3年のはずが35年に化ける。



 小難しく言えば、こうだ。ローマーは、経済全体の生産量が「資本」「労働」「技術や制度の効率」の三つで決まると書いている(同、10ページ)。そして、資本を一単位ふやしたときに増える儲け、これを「資本の限界生産物」と呼ぶ(同、13・25ページ)。投資家が実際に手にするのは、この儲けから、設備が古びていく分を引いた「正味の儲け」である(同、90ページ)。



 ローマーの教科書には、ここまでしか書いていない。だが日本には、教科書に載っていない項目がもう一つある。「規制コスト」だ。許可待ちの時間、参入を拒む岩盤規制、縦割り行政。

たこ焼き屋を35年に追い込んだ、あの正体である。



 つまり、こう言える。投資回収の速さは、「資本の稼ぐ力から、設備の古びる分と、規制コストを引いた、正味の稼ぐ力」で決まる。そして回収期間は、この正味の稼ぐ力が細るほど、長くなる。日本の35年とは、規制コストが分厚すぎて、稼ぐ力がほとんどゼロまで絞め殺されている、という診断結果にすぎない。日本人が急に無能になったわけではない。稼ぐ力の蛇口が、規制で閉められているだけの話だ。



 理屈はここまで。理屈だけでは退屈である。規制を外すと現場で何が起きるのか。二つの例で見ていこう。





■<具体例①> 自動運転ライドシェアで、田舎のおばあちゃんの運賃が「10分の1」になる

 地方の過疎地に、一人暮らしのおばあちゃんがいる。

持病があり、月に何度も遠くの病院へ通わねばならない。だがバスは廃止された。タクシーを呼べば往復2000円。年金暮らしには、この2000円が重い。だからおばあちゃんは受診を減らす。病は静かに重くなる。やがて入院し、医療費は膨らみ、娘は介護のために仕事を辞める。役所はこれを「一人の高齢者の生活課題」として処理するが、経済の目で見れば立派なマクロの損失だ。働き手が一人消え、医療費が跳ね上がっているのだから。



 ここで規制を外す。ライドシェア(一般のドライバーが自分の車で客を運ぶ)と自動運転を全面解禁する。おばあちゃんの運賃は、2000円から200円になる。

10分の1だ。



 この「10分の1」が、役人の想像を超える連鎖を起こす。



 一つ目。おばあちゃんの財布に、浮いたお金が残る。経済学ではこれを「消費者余剰」と呼ぶが、要するに「安くなって助かった分」だ。しかも安くなれば、人は前より気軽に出かける。試算では、外出回数は年48回から年269回へと跳ね上がった。孫の顔も見に行けるし、友人とお茶もできる。その浮いたお金と増えた外出が、地方の商店や喫茶店に落ちていく。この「助かった分」だけで、全国で年4.3兆円である。



 二つ目。日本中の車庫で、一日の大半をただ眠って過ごしている自家用車。

あれは経済的には壮大な宝の持ち腐れだ。ライドシェアが解禁されれば、その車が空き時間に客を乗せて稼ぎ始める。新しく何も建てない。すでにある車が、勝手に働きに出る。これで年0.28兆円。



 三つ目。移動を奪われて家に閉じこもっていた高齢者や、介護で職を離れていた人が、また外に出て働けるようになる。自らカーオーナーとして稼ぐ者も出る。これで年1.23兆円。



 全部足すと、年およそ5.8兆円。GDPをまるごと押し上げる規模だ。そして、ここが最も愉快なところなのだが、この5.8兆円を生むのに、政府が税金を1円もばらまく必要もない。新幹線を一本引く必要もない。やることはただ一つ、「ダメと言っている規制を、やめる」。それだけである。ついでに言えば、すでに一部で解禁されているライドシェアを全国に広げるだけでも、このうち0.9兆円は取れると試算されている。落ちている1万円札を、規制で拾うなと言っているようなものだ。



 規制緩和とは、こういうことだ。お金を配る政策ではない。止まっていたものを、動かす政策である。





■<具体例②> 全国の廃校を「合宿型インターナショナルスクール」に変える

 次の現場は、学校だ。



 少子化で、日本中の学校が廃校になっている。文部科学省の調べでは、建物が残る廃校は全国で7612校。そのうち1951校は、まったく使われず、朽ちるのを待つばかりだ。校庭に草が伸び、体育館に雨漏りがし、維持費だけが役所から静かに流れ出ていく。これほど雄弁な「もったいない」も珍しい。



 そこで、こう考える者が現れる。「この廃校を、留学生も集う合宿型インターナショナルスクールにしてはどうか」。名案である。ところが、普通にやると、まず失敗する。



 ゼロから新しく学校を建てる場合を計算してみよう。土地を買い、校舎を建て、学校法人の厳格な認可を取り、開校までに5年から10年。そこから投じたお金を回収するのに、さらに30年以上。試算では、20年たっても元手すら戻ってこなかった。利回りはマイナス。教育とは、本来それほどまでに気の長い、辛抱の商売なのである。慈善事業としては立派だが、投資としては論外だ。



 ところが、やり方を変えると、同じ学校が化ける。廃校を使うのだ。廃校には、学校で最も高くつく「校舎」が、すでに建っている。そこへ、特区制度で許可をすぐに出し――これがすなわち「時間を金で買う」ということだ――耐震補強とネット環境に、初期の補助金をわずかに入れる。すると回収期間は、30年超から、約2.4年になる。利回りはプラス42パーセント。同じ「学校をつくる」でありながら、天国と地獄である。



 からくりは二つ。一つは、いちばん高い校舎がタダ同然で手に入ること。もう一つは、許可を待つあいだの、あの「死んでいた何年間」が消えること。役所にとって時間はタダだが、事業者にとって時間は血の一滴だ。



 これを全国に広げる。1校が5つから10の校舎を持ち、留学生を含めて1000人ほどが通う学校を、全国に300校。すると、常に30万人の高校生が学ぶことになる。この学校システムだけで、教育サービスと地元での消費を通じて、年およそ1.2兆円をGDPに足す。教職員は3万7500人、留学生は9万人。過疎に沈んでいた地方に、人と金が戻ってくる。



 だが、本当のうまみは、そのあとに来る。



 30万人の中から、優秀な子が海外の大学へ進む。そして数年後、英語も度胸も国際感覚も身につけて帰国する。彼らは日本の会社の「海外への窓口」になる。日本でつくった良い製品を世界で売り、日本の技術を世界の最先端につなぐ。この帰国人材は毎年少しずつ積み上がっていく。試算では、2050年に彼らがGDPへ足す額は年3兆円、そこまでの累計で26兆円にのぼる。



 つまり、廃校が「入口」で、帰ってくる国際人材が「出口」だ。一本の線でつながっている。雨漏りする体育館が、20年後の日本の輸出力に化ける。これが規制緩和の底力である。役所の倉庫で眠っていた不良資産が、放っておけばただの廃墟、規制を外せば金の卵を産む鶏になる。同じ校舎が、である。





■さて、高市政権は何をしているかーー岩盤の「角」を撫でている

 ここでようやく政治の話になる。



 断っておくが、私は高市政権を頭から否定する気はない。AIやデータセンターの建設ルールを緩めようとしている。方向は正しい。菅政権が携帯料金を強引に下げて国民の財布を助けた、あの筋のいい一手を思わせる。



 しかし、である。先端インフラだけをちょいと緩めて終わりでは、日本全体の「正味の稼ぐ力」は1ミリも動かない。日本の規制コストが本当に分厚いのは、そこではない。先ほど見たモビリティであり、教育であり、そして医療や農業だ。そこに手を入れないかぎり、35年は35年のまま、静かに居座り続ける。いまの高市政権がやっているのは、巨大な岩盤の角を、紙やすりで丁寧に撫でて「改革は道半ば」と胸を張ることである。道半ばではない。まだ玄関にも入っていない。





■小泉・竹中型なら、35年は10年になる

 では、どうすればいいか。答えは決まっている。小泉・竹中型の規制緩和である。



 あの改革の本質は、民営化でも不良債権処理でもない。「何をするにも、まず許可」という国のかたちを、「原則は自由。ルールを破った者だけ、あとで罰する」に変えようとしたことだ。これが、あの憎き規制コストを、ドンと引きずり下ろす。



 しかも規制緩和は、二重に効く。規制コストを削るだけでなく、技術や制度の効率そのものを底上げするのだ。理屈はこうだ。ローマーは教科書の第3章で、知識というのは使っても減らない、しかも他人の知識の上に新しい知識が積み上がっていく、と説く(同、101~110ページ)。人と知識が自由に行き交うほど、経済は雪だるま式に賢くなる。この「知識が伝わる勢い」を、ローマーは一つの尺度で表している(同、104ページ)。規制で人と事業の流れを止めている国は、要するにこの雪だるまを、自分の手で押さえつけているのだ。ライドシェアで人が動き、インターナショナルスクールで知恵が世界とつながれば、止めていた雪だるまが、また転がり始める。



 規制コストを削り、知恵の雪だるまを回す。両方が効いて、試算では投資回収期間は35年から、10年~13年へ縮んだ。3分の1以下である。回収が3分の1になるとは、同じ金を3倍の速さで次の挑戦に回せるということだ。これが「複利」である。日本が失ったのは成長率ではない。この複利の時間だ。



 肝に銘じておきたい。金融緩和は、時間を「稼ぐ」だけの政策だ。規制緩和は、時間を「買い戻す」政策だ。字面は似ているが、中身は正反対である。





■安倍型の「規制なき改革」は、円安と物価高で問題を先送りするだけだ

 ここで、最もやってはいけない道を名指ししておく。安倍型である。



 安倍政権は、金融緩和では大成功した。世にお金をあふれさせ、デフレ脱却の空気を作った。そこは率直に認める。だが肝心の「規制を壊す」第三の矢は、既得権益の分厚い抵抗にあって、ついに放たれなかった。お金は刷った。規制は残した。これは、アクセルを目一杯踏みながら、同時にサイドブレーキを引く運転術である。エンジンは唸るが、車は進まない。焦げ臭いにおいだけが漂う。



 考えてみればいい。刷ったお金は、どこへ行くのか。規制コストが高いままなら、新しい産業への投資には向かわない。当然だ。投資しても35年戻ってこないのだから、正気の経営者は手を出さない。行き場を失ったお金は、会社の金庫で惰眠をむさぼるか、株と不動産の値札を吊り上げるだけで終わる。実体は指一本動かないのに、値段だけが立派に育っていく。



 そして、お金を刷り続ければ、円は安くなる。円が安くなれば、輸入するものが軒並み高くなる。ガソリン、電気、パン、牛乳。暮らしのすべてが、じわじわとせり上がる。規制緩和なき金融緩和とは、要するに「新しい富は一円も生まれないのに、値札だけが律儀に肥え太る装置」なのだ。問題は解決されず、ただ先送りされる。その先送りのツケは、円安と物価高というかたちで、毎日、国民の財布から抜き取られていく。





■物価高は、毎日効く

 政治の恐ろしいところを教えておこう。「投資回収が35年だ」などという話は、国民には届かない。難しいし、遠い。だが物価高は違う。物価高は毎日効く。スーパーのレジで効き、ガソリンスタンドで効き、電気代の明細で効く。しかも物価高には「慣れ」がない。上がり続けるかぎり、人は毎日それを痛みとして感じる。



 金融緩和で問題を先送りにした政権は、この物価高を、自分の手で抱え込むことになる。規制を壊して成長を取り戻すのではなく、金を刷って時間を稼いだ政権は、その稼いだ時間のあいだ、ずっと円安と物価高に殴られ続ける。そして4年が経つ。



 4年後、有権者は「正味の稼ぐ力」も「限界生産物」も、ただの一言も覚えていない。覚えているのは、牛乳の値段だ。「この政権になってから、暮らしは楽になったか、苦しくなったか」。選挙とは、煎じ詰めればこの一問である。安倍型を選んだ高市政権が、4年後に支持を絶望的に失うとすれば、理由はこれ以外にない。成長を先送りにし、物価高を放置したからだ。国民は限界生産物では投票しない。財布で投票する。





■結論ーー怒りでも、金融緩和でもない。規制を削れ

 まとめよう。日本の病は、投資回収に35年かかることだ。原因は規制である。処方箋は、驚くほど単純だ。



 田舎のおばあちゃんの運賃を10分の1にするライドシェア。錆びた廃校を、世界とつながる学校に生まれ変わらせるインターナショナルスクール。どちらも、巨額の税金ではなく、規制を外すだけで動き出す。そして回収期間は、35年から10年へ縮む。



 高市政権に必要なのは、これ以上お金を刷ることではない。岩盤を壊す覚悟である。稼ぐ力の蛇口を、全開にする覚悟である。答えは最初から、ローマーの分厚い鈍器のような教科書の中に、きちんと書いてある。稼ぐ力を上げ、規制コストを削れ。日本の止まった時計を、もう一度動かせ。



 それができれば、35年は10年になる。日本はもう一度、複利で成長する国に戻る。それができなければ――高市政権の4年は、唸るエンジンとサイドブレーキの焦げたにおいのなか、円安と物価高に殴られながら、静かに終わる。





※本稿の数量的な議論はすべて、デヴィッド・ローマー『上級マクロ経済学』第4版〔McGraw-Hill, 2012〕に基づく。参照ページは、生産量を資本・労働・効率で表す定式化が10ページ、資本の限界生産物の導出が13・25ページ、減価償却を引いた正味収益率が90ページ、内生的成長と知識の伝播が第3章101~110ページ、その伝播の強さを表す尺度が104ページ。投資回収期間を「正味の稼ぐ力の逆数」と言い表す言い方と、そこへ規制コストを加える拡張は本稿独自のもの。ライドシェアの年五・八兆円、廃校スクールの回収二・四年・全国三百校で常時三十万人・帰国人材の累計二十六兆円などの試算値は、独自のPython分析による。



文:林直人



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