20代で介護離職を経験し、これまで1500人以上のキャリア相談を担当した佐野創太さん。〝セルフ搾取〟的な働き方から抜け出し、自分らしく長く働く方法を指南した著書『70%で働く』(日経BP)が話題だ。

まさに著者自身が120%の力で働き続けた結果、七転八倒し退職を余儀なくされた経験を持つ。一方、「AIを使えば仕事が楽になり自分の自由な時間が持てる」なんて誰が言った!? と言いたくなるほど、AIリテラシーが高い人ほど仕事のクオリティが上がって上がって逆に忙殺を極めるご時世。佐野さんの働き方の提言に今こそ耳を傾ける価値が出てきているんじゃないか。幸せな働き方の本質を知りたい読者へ。佐野さんインタビュー第1回公開。



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■120%の力を出して頑張るしかなかった



 佐野創太さんの著書『70%で働く』は、働き過ぎ、忙し過ぎの人への処方箋だ。佐野さん自身が、「会社を辞めたい」ループに陥った経験と、1500以上のキャリア相談から「退職後も声をかけられる最高の会社の辞め方」を体系化。自ら「退職学®」の研究家を名乗る。



 まさに働き盛りの30代、40代は全力投球で仕事に邁進しなければ存在意義がなくなる、とさらにハードワークに突き進む人たちもいる。そんな人たちにとっては『70%で働く』というタイトルは魅力的だが、頑張るのが当たり前の仕事人間にとっては夢のまた夢ではないのだろうか。



「私自身、10年前まではガンバリズムで働いていたんです。だから、今のように朝6時に息子に起こされて、絵本を読み聞かせながら一緒に朝食を食べ、その後保育園に送るという朝を過ごすようになるなんて1ミリも想像できませんでした。

それぐらい仕事中心の生活だったんです」





 佐野さんは新卒で大手総合人材系企業に入社したが1年で辞め、シンクタンクに転職するも1か月で早期退職。前職に契約社員として出戻るという経験を持つ。何故、2つの会社で長続きしなかったのだろうか。



「最初の会社では研修で“ビル倒し”といって大きなビルに入っている会社の全てに営業をするんですよ。要は最上階から1階ごと回って名刺をもらってくるんですが、この営業として普通の仕事が私にはキツ過ぎた。周りが優秀すぎて差が開くのが目に見えていたので、研修が終わっても私は数字を上げるために自分ビル倒しをしばらく続けていました。



 この会社の社員は人間的にいい人ばかりだったんですけど、大学まで野球部でしたとか、アメフトでしたみたいな種族として強い人ばかりで、器も声もデカくて、体力もすごいんです。例えば、夜の9時まで働いて、10時から飲み会で飲んで踊って帰宅は12時を回っていても翌朝7時には出社しています。そういう人たちに勝とうと思ったら、私は120%の力を出して頑張るしかなかった。



 だから、朝は30分早い6時半に出勤したんですが、その人たちはもっと早く来ていた。そうなると、最後は始発で来るしかないわけで、始発で出社していたら掃除のおじちゃんに『兄ちゃん、早すぎるよ』と言われて一緒に掃除するみたいな訳の分からない働き方をしていたんです。今でも仲のいい先輩がいるんですけど、そういう人たちっていつも人が周りに集まって来る華のある人が多かったんです。

私のメンターの女性も言っていることは全部正しいし、みんなに信頼されていて、彼女が異動するときはお客さんから行かないでほしいと懇願されるほど、キラキラしていて最強なんです。その時に思ったのは、今の私が5年後に彼女のようになれるかと言ったらなれないわ、と思って2年目の春に辞めました」





過重労働・パワハラ・介護離職…七転八倒の仕事人生で偶然出会ったフランクルの言葉とは?【『70%で働く』佐野創太氏インタビュー#1】
佐野創太(撮影:高山浩数)



■営業から逃げたかった



 次のシンクタンクは社長に憧れて入社を決めた。小さな会社だったから営業職であってもトイレ掃除もするし、名刺も作るという環境だった。



「今でいうとパワハラなんですけど、大好きな社長で、この人みたいになりたいと思って入ったので、どんなに罵声を浴びせられても彼の言っていることは全部正しいだろうと思って日々仕事をしていたんです。でもある日、『家庭教育からやり直したほうがいい』という彼の言葉がグサッと刺さって、これはもうダメだと思って辞めました。僕は小中高とサッカー部でセンターバック (ゴール前で中央の守備を担当し、相手の攻撃をくい止める) というポジションだったこともあって、パワー系の人たちの中では矢面に立たされやすかったんです。例えば、監督に『今日は何で負けたんだ』と言われたら『僕のせいです』と言ってその場が収まるみたいな立ち位置なんですけど、会社でそれをやられるとキツかった」



 ついに無職になり、自分と向き合って辞めた原因を冷静に考えると、営業から逃げたかったんだと理解できた。そこで、前職で大変お世話になった上司に連絡を取り、食事をともにしながら正直に今の状況を打ち明けたそうだ。



「私が『本当は営業が辛くてやめた』ことを話すと、『そんなことはわかってる。出戻りのセッティングをしてやるから戻ってこい』と言われて戻してもらいました。出戻りでの初日はカッコ悪いし、ほんとイヤでしたけど、紹介の時に社長が『長めの夏休みを取っていた佐野さんです』と言ってくれたんですよね。それでみんながワァーッと笑ってくれるという迎え方をしてくれたのでスムーズに働けました」



 1年ほど契約社員として働いたのち正社員となり、新規事業部の責任者として求人プラットフォームを立ち上げるなど仕事は至って順調だった。

しかし、28歳の時に母親の介護のために退職を余儀なくされる。



「もともと体調を崩しがちだった母でしたけど、2016年の秋ぐらいから急にガクッと悪くなりました。しかも、体よりも精神的なダメージが強く表れるようになったんです。とても教養もあってパワフルだった母が認知症みたいな状態になったり、音や光に敏感になって少し扉が強く閉まるとパニックになったり、被害妄想っぽくもなってきたんです。



 家族は両親と4歳上に兄がいますが、父は中小企業の経営者で仕事に120%力を注ぐような人でしたから母の介護にほとんど時間はさけない。兄はひとり暮らしでしたが体調を崩していたので介護からフェードアウトしていきました。私は仕事がノッていましたから会社を辞めるなんて考えてもいなかったんですが、あと10分で重要な会議だって時に病院やヘルパーさんたちから私に呼び出しが来るんですよ。そういうのが重なってくると、新規事業の責任者をやることはかなわないな、と。もう会社を辞めるしかなかったんですね」



 ひとり暮らしの生活から実家に戻り、母親の介護と家事に明け暮れた。さすがに父親と兄は手伝ってくれたのではないか。



「母は父が家で偉そうにしていると、『家で社長をやるんじゃない』と一喝してその場が丸く収まるみたいな感じの人だったんですね。父は感性とか感情的な関わり方が苦手で、超合理的人間なので父に付き合えるぐらいの圧倒的な知性のあるタイプの母とはいいコンビだったのに、その時期は2人の会話が全くかみ合わなくなったんです。

そうすると、父は『こんなはずじゃない』と母の様子に混乱して、その父に反応して母もウワァーとなるから、私が間に入って『まあまあ』ということがままあるわけです。兄は徐々に体調が悪いと言って来なくなりましたが、攻撃的になっている当時の私からすると『逃げたな』と思いましたね(笑)」





過重労働・パワハラ・介護離職…七転八倒の仕事人生で偶然出会ったフランクルの言葉とは?【『70%で働く』佐野創太氏インタビュー#1】
佐野創太(撮影:高山浩数)



■人生に意味を求めるな



 それにしても、28歳。仕事もこれからだという時だったため、友人が起業したり、転職でうまくいっているのを知るたびに自らの境遇を嘆くこともあった。



「このままでいいとは思わなかったんですけど、基本、頭と時間は介護にもっていかれるので、それこそ本を読んだり、音楽を聴いたりして気分を紛らわせていました。そうすることでしか逃げ場がなかったんです。そんな時にヴィクトール・フランクルの『夜と霧』の“人生に意味を求めるな。人生があなたにその意味を提出することを求めている。あなたは意味にこたえる責任がある”みたいな書き方をしていて、それがすごく刺さったんです。



 それに内容的には、第二次世界大戦で強制収容所に入れられた精神医学者の人が極限状態の中で人を生かせるのは何かをテーマに、自分の実体験をもとに証明していくような暗い本ですけど、あの暗い感じが当時の私にはちょうどいいほの暗さだったんです。実際、その頃の自分の状況をすごく憎んでいたんですよね。



 両親も兄も憎んでいましたし、こういう状況を助けてくれない会社や社会のことも憎んでた。だけど、強制収容所と比べると自分のほうがいいわけです。

それこそいろんな先輩の話も聞いたし、カウンセリングも受けたし、様々な本を読んだけど一切響かなくて、みんなきれいごとに見えたんです。だけど、フランクルの言葉だけはスッと入ってきて、今のグチャグチャのキャリアの中でも何か意味を見つけろと言われている感じだったんです。今までの自分の思考とか行動とか価値観、そしてガンバリズムでも何ともならなかったので、思考をフランクルみたいに変えるしかない。フランクルがそういうならしようがないと、ちょっと前向きになりました」





★インタビュー第2回につづく・・・



取材・構成:大西展子





過重労働・パワハラ・介護離職…七転八倒の仕事人生で偶然出会ったフランクルの言葉とは?【『70%で働く』佐野創太氏インタビュー#1】
撮影:高山浩数



佐野創太



1988年静岡県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学部卒業後、大手総合人材系企業に就職。その後、シンクタンクに転職するも、1か月で退職。前職に契約社員として出戻るが、母親の介護のため退職を余儀なくされる。それを機に2017年、退職学®の研究家として独立。現在は、キャリア相談を初め、AIコンサルタントなど幅広く活動している。著書に『会社辞めたいループから抜け出そう!転職後も武器になる思考法』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職 99%がやらない「内定の近道」』(PHP研究所)、『転職・退職を考えたら知りたいことが全部のってる本 (知りたいことシリーズ)』(主婦の友社)、『70%で働く 「もっと頑張る」から脱出する働き方の思考法』(日経BP)など。

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