妻の幽霊は、なぜ掃除機に宿るのか? タイ映画『ユースフル・ゴ...の画像はこちら >>



Text by 今川彩香



最愛の妻の魂が、掃除機に宿って帰ってきた——。全国で上映中のタイ映画『ユースフル・ゴースト』の物語は、ユーモアたっぷりに幕を開ける。

『カンヌ国際映画祭』批評家週間でグランプリを受賞した話題作だ。



妻のナットを呼吸器疾患で亡くしたマーチのもとに、ある日、彼女の魂が戻ってくる。取り憑いたのは、なんと掃除機。さらに、マーチの家族が経営する工場では、亡くなった従業員の霊が機械に取り憑き、操業を脅かしていた……。



本作は、ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク監督の実体験に基づく社会の問題を、比喩を使って皮肉たっぷりに描いた物語でもある。監督は、自身が華僑三世であり、無自覚の差別の連鎖を目の当たりにしてきたと語る。そして、タイでいま、過去を象徴する建造物が取り壊されるなどして、「歴史の消去」が行われている現状があり、危機感を抱いているという。



「映画は『憑依される』ことに適した媒体だ」と監督。映画監督をはじめとする芸術家は、権力者が歯牙にもかけなかった「幽霊」の声をかたちにできるのだ、と。なぜ、家電に幽霊が取り憑くのか? そもそも「幽霊」が象徴するものとは? 監督に聞いた。



妻の幽霊は、なぜ掃除機に宿るのか? タイ映画『ユースフル・ゴースト』監督が描く「無自覚な差別」の連鎖

© 2025 185 FILMS, HAUT LES MAINS, MOMO FILM CO.



—「幽霊」と「埃」というモチーフが、映画のなかでさまざまなものを象徴するメタファーとして機能しているように思います。それぞれが何を象徴しているのか、あらためて教えてください。



ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク(以下、ブンバンチャーチョーク):私にとって幽霊と埃は、どこか似た存在だと感じています。どちらも人間が家のなかに置いておきたくないもので、見つけたら追い払おうとしたり、掃除して取り除こうとしたりする。けれど、それでもまた戻ってきてしまう。何度でも回帰してくる存在なんですね。だからこそ、私たちはそれらとどう向き合うか、対処する方法を見つけなければならないのだと思います。



また、支配する側からみたときに、埃というのは、権力を持たない人々、いわば「普通の庶民」のような存在の比喩でもあります。耳を傾ける必要のない人たち、気にかけなくてもいい存在。もし何か反抗するようなことがあれば、そのまま「はたいてしまえばいい」——そんな扱いを受ける存在として描いています。



幽霊については、人間のようでありながら人間ではない存在ですね。声だけが聞こえて振り向くと誰もいなかったり、姿は見えても触れられなかったり。この映画では、そうした幽霊たちが社会に適応しようとする姿を、マイノリティの人々になぞらえています。作中には性的マイノリティをはじめ、さまざまなマイノリティが登場しますが、彼らが社会に適応しようとするとき——受け入れられようとするとき、ある種、権力の道具にならざるを得ないという構造があると思うんです。



また、幽霊は「解決されていない過去」でもあります。過去が過去として片付けられずにいるからこそ、現在に戻ってきてしまう。その存在は、まるで人の喉をつかんで「これに向き合ってくれ」と迫っているようなものだと感じています。



—ほかのインタビューで、「幽霊が取り憑いた掃除機という存在自体がアイロニックなものだ」とおっしゃっていました。あらためて、それがどういう意味でのアイロニーなのか教えていただけますか。



ブンバンチャーチョーク:主人公のナットは、タイで問題になっている大気汚染、埃による呼吸器疾患で亡くなっています(※)。埃が原因で命を落とした彼女が、戻ってきたときに憑りつく先が「埃を吸う掃除機」だった、というのは非常に皮肉なことだと感じたんです。



妻の幽霊は、なぜ掃除機に宿るのか? タイ映画『ユースフル・ゴースト』監督が描く「無自覚な差別」の連鎖

ラッチャプーム・ブンバンチャーチョーク



1987年、タイ・バンコク出身。現在はスタジオでフルタイムの脚本家として働き、商業映画やテレビシリーズの脚本を手掛けている。脚本執筆のほかに、大学で映画理論や脚本術を教え、映画批評家としても活動している。近年はタイの植民地史とポストコロニアルの状況をテーマに、さまざまな長さの映画シリーズを作るプロジェクトに取り組んでいる。



妻の幽霊は、なぜ掃除機に宿るのか? タイ映画『ユースフル・ゴースト』監督が描く「無自覚な差別」の連鎖

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—映画では、幽霊さえも権力の道具として扱われ、社会に貢献しなければ存在を認めてもらえない、そんな様子が描かれました。

構造そのものへの批判やメタファーが込められているように感じましたが、この発想は、日々タイ社会でマイノリティへの抑圧を感じることから生まれたものなのでしょうか?



ブンバンチャーチョーク:このアイデアは、タイで生きる自分自身の経験がいくつも交差するなかから生まれてきたものです。



タイではクィアの人々はある程度受け入れられていると考えられていますが、一定の権力ある立場についたクィアの人たちは、必ずしも「進歩」を象徴する存在ではなく、むしろ保守化していくことがあります。かつて自分自身が批判される側にいたはずなのに、権力の座につくと今度は自分とは違う生き方をする人を差別するようになる——そうした事例をよく目にします。



もう一つ大きいのは、私自身が華僑三世だということです。祖父は1949年に中国からタイに移住してきました。父からよく聞かされていたのですが、祖父が来たばかりの頃は差別され、警察官によく因縁をつけられてお金を払わされていたそうです。それが1980年代頃になると、中国系の人々は徐々にタイ社会に同化し、中流階級になっていきました。すると今度は自分たちが保守化し、新しく来た若い世代の移民を差別するようになったんです。かつて差別されていた人が、ある程度の地位を得た途端に別の誰かを差別する側に回ってしまう——正直、情けない話だと感じています。



妻の幽霊は、なぜ掃除機に宿るのか? タイ映画『ユースフル・ゴースト』監督が描く「無自覚な差別」の連鎖

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—まさに、ご自身の経験が物語に反映されているんですね。



ブンバンチャーチョーク:例えば華僑の家庭ほど、非常に信仰心が厚くなったり、過度に体制に忠実になったりする傾向があります。現状維持を望み、変化に敏感になる。

若い世代がデモを起こしたりすると、「あの子たちは何もわかっていない」と言って、古いタイ社会を守ろうと必死になる。そこにも皮肉を感じます。



これは笑い話ですが、華僑ならではの「あるある」もあります。タイの名字は長いというイメージがありますが、特に華僑の名字はとりわけ長いんです。漢字の名前をタイ語化する際、「まだタイらしさが足りない」と言って言葉を足していく(笑)。私の名字も4音節ありますが、一般的なタイ人の名字は2音節程度です。長い名字を見ると、大抵は華僑だとわかる。「タイらしさが足りない」からより仏教的に、より敬虔にしようとする——この感覚は、華僑に根強く残っていると思います。



—クィアであること、華僑であることに加え、本作にはほかにも多くのマイノリティが交差するような構造が見えてきます。例えばナットの義母(スマーン)も地方出身であることで差別を受けている(※)。こうした重層的な差別の構造を描こうと考えたのは、やはり先ほどのような経験が動機になっているのでしょうか。



ブンバンチャーチョーク:そうですね。

以前は自分自身が差別され批判される側にいた人が、いまの被害者に共感できず、むしろ加害者になってしまう——それをとても悲しいことだと感じます。助けの手を差し伸べる代わりに、差別したり罰したりする側に回ってしまう。



例えば作中の義母(スマーン)は、いわば未来のナットとも言える存在です。ナットが生前そうだったように、彼女もかつてはこの家族のなかで「よそ者」として扱われてきました。溶け込もうと努力し、いまもなお自分がこの家族の一員だと証明し続けなければならない。だからこそ、ナットに辛く当たってしまうんです。



妻の幽霊は、なぜ掃除機に宿るのか? タイ映画『ユースフル・ゴースト』監督が描く「無自覚な差別」の連鎖

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—本作にはこうした無自覚な差別に対する反逆、そしてマイノリティが抑圧されてきた記憶や歴史をどう継承していくか、というテーマも描かれていますね。「霊たちは死に屈しない存在だ。この世に戻ってくること自体が抗議活動なんだ」というセリフもありました。記憶や歴史をつなぐというテーマを大切にされているのはなぜでしょうか。



ブンバンチャーチョーク:そうですね。私が非常に大きな衝撃を受けた事件が、タイでは、この十数年ほどのあいだに起こっているんです。

それは、過去に建てられた建物や彫像が取り壊されたり、名前を変えられたりする動きが続いていること。これは一種の歴史の消去だと感じています。



少し背景を説明すると、1932年、若い官僚や軍人たちのグループが、タイを絶対王政から立憲君主制へと変えようと立ち上がりました。「人民党」と呼ばれるこのグループは、6月24日にバンコクに集まり声明を発表しました。そのなかの重要な一節に「人々よ、この国は王に属しているという言葉に騙されてはならない。王こそが人民に属しているのだ」という言葉があります。その後、人民党は十数年間政権を握りましたが、統治はうまくいかず、ただそのあいだに多くの建造物を建てました。しかし過去十年ほどの間に、その時代に建てられた建物が取り壊されたり、名前を変えられたりしてきました。



最も象徴的だったのは、その声明文が刻まれていた道路上のプレートです。ある日——ここ数年の、比較的最近のことですが(※編集部注:2020年)——そのプレートが完全に撤去されていました。誰の仕業か、いまもわかっていません。その夜に限って、周辺の監視カメラがすべて壊されていたそうです。このプレートは、タイの民主化運動の出発点を示すものとして非常に重要な意味を持っていました。



—それは例えば、本作で誰かの記憶に残らない幽霊が消えてしまうように、まるで歴史もなかったかのようになってしまいますね。



ブンバンチャーチョーク:そうですね。私たち映画監督は、彼らの声をかたちにする、あるいは彼らの声を聞く手助けをする——そうしたことを試みているのだと思います。



妻の幽霊は、なぜ掃除機に宿るのか? タイ映画『ユースフル・ゴースト』監督が描く「無自覚な差別」の連鎖

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—監督は別のインタビューで、芸術家や映画監督全般について「幽霊の支持者であり、その声を伝えることができる存在」だと語っていらっしゃいました。今回の作品も、そうした声をかたちにするという側面が強いのでしょうか。



ブンバンチャーチョーク:映画は完璧な媒体ではないかもしれませんが、「憑依される」ことにはとても適したメディアだと感じています。物語があり、映像があり、音がある。だからこそ、憑依や取り憑かれるという状態そのものを再現することができるのだと思います。



妻の幽霊は、なぜ掃除機に宿るのか? タイ映画『ユースフル・ゴースト』監督が描く「無自覚な差別」の連鎖

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—そう考えると、『ユースフル・ゴースト』自体も、過去の記憶や社会の問題に『憑依された映画』と言えるのでしょうか?



ブンバンチャーチョーク:そうだと思います。作中に、ドクター・ポールの妻が「最近の若者は老人よりも過去にしがみついている」というようなことを言うセリフがあります。これはまさに、2020年、タイで実際に起きていたことでもあります。



コロナ禍のさなか、当時は軍事政権下にあったタイで、若い抗議者たちが街頭に出ました。その際、彼らが用いた戦略の一つが、過去に軍事政権に反抗し虐殺された学生たち——1976年10月6日、バンコクの大学で起きた虐殺事件の犠牲者——の記憶を呼び起こすというものでした(※)。



1976年当時、学生たちが行った演劇のなかで、絞首刑にされた人物を演じた役者の顔が、当時の王子に似ているという理由から、「王族を侮辱している」というフェイクニュースが新聞に流され、それが引き金となって一般市民の怒りを煽り、学生たちが殺害されるに至った、という出来事です。



2020年の若者たちは、その国家による過去の犯罪の記憶を呼び覚まし、国家に正義を求めるためにデモを行いました。ですから、この映画自体もまたある意味で、そうした過去に「取り憑かれている」と言えるかもしれません。単体で完結しているのではなく、いくつもの社会的・歴史的な集合的過去と織り合わされた状態で、読み解いてほしいと思っています。

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