アメリカの大学入試では、学力だけでなく「この大学に本当に来る意思があるか」「どんな人物なのか」まで見極められます。まるで就職活動のような面接や、内申書・エッセイを重視する評価方法には、日本とは異なる教育観が反映されています。


『世界の一流は「子ども」に何を教えているのか』(冷泉彰彦/クロスメディア・パブリッシング)から抜粋してご紹介します。
○なぜ内申書を重視し、日本の就職試験のような面接をするのか

アメリカの大学入試の出願はすべてネットで行いますが、具体的に何が必要になるのでしょうか? 一般的に言われているのは次の内容です。

(1)内申書(トランスクリプト)……具体的には、高校入学後の学期別・科目別の成績データ

(2)統一テストの成績……これは各実施団体から電子データが送られる

(3)履歴書……スポーツや芸術の活動、高校の校内団体での活動、課外活動、ボランティア活動、職業経験などを書く

(4)推薦状……学校の先生や、ボランティア先の管理者などに依頼して書いてもらう

(5)エッセイ……コモンアップ※にあるテーマ、もしくは、これに加えて大学別に指定されたテーマに関してエッセイを書いて提出する
※ Common App(Common Application):米国を中心とした1000 校を超える大学をカバーし、一度の入力で複数の大学に出願できるオンラインの出願プラットフォームのこと

(6)作品ポートフォリオ……アート専攻の場合は、自分の主要作品のポートフォリオを提出する。音楽や演劇専攻志望の場合はオーディションの予約をして受ける

こうした要素のすべてを期日までに揃えて提出しなくてはなりません。これはなかなか膨大な作業です。特に長男・長女などで親が「最近の入試制度」がよくわからないような場合は、何代にもわたってのアメリカ人家庭でも、相当に戸惑うようです。では、この中で、入試の判定において最も重要な要素は何なのでしょうか?

それは「内申書」だということになっています。この点は、日本とは大きく事情が異なります。日本の場合は、推薦入試はともかく、一般入試の場合は、合否に占める内申書の割合は少ないのが普通です。せいぜいが「足切り」に使うか、卒業見込みであることの確認の意味ぐらいしかないのです。

アメリカの場合はそうではありません。主要な科目の成績を点数化したもの、つまりAなら4点、Bなら3点、という点数をつけて、その「全平均」を出したGPAという数値が、極めて重要視されるのです。


もうひとつの学力データである統一テストのスコアとの関係でも、明らかに内申書のGPAのほうが重要とされています。

統一テストが満点近い一方でGPAのダメな受験生と、GPAはよいものの統一テストがダメという受験生を比較した場合、前者はほぼ絶望的(超高校級の天才性が証明できるならともかく)ですが、後者の場合は、可能性は十分にあると言われているくらいです。

また、成績のトレンドも大事だと言われています。高校1年生(9年生)から最高学年の4年生(12年生)に向けて、成績が少しずつ上昇しているのが望ましいとされ、逆に下がっていくようなトレンドの内申書には厳しい評価がされると言われています。また、最高学年になって「高校卒業の単位資格をほぼ充足した」からと言って、「楽な時間割を組んでいる」ことが内申書からわかると、これも不利になると言われています。

いずれにしても、日本のように「受験に専念しているから高校3年生の成績は重要ではない」とか、日本の都市部のように、「そもそも学校では授業中も寝ていて、放課後に予備校や塾で高度な勉強をしている」といった光景は、アメリカではまったくありえません。

そんなに内申書が重要視される一方で、弊害の可能性はどうでしょうか?

日本のある時期の一部の都道府県では、中学校で「内申書を人質に取った管理教育」が問題になったことがありますし、推薦入試のために内申書の「いい成績」が必要な生徒に、ほかの生徒の「いい点数を回す」などということもありました。

また、たとえば学校の成績を気にするあまりに、高校生活が重苦しいものになるという問題はどうでしょうか?

確かに勉強へのモチベーションが弱く、受験にも迷いのある生徒にとっては、学校の成績自体もプレッシャーになるのは事実です。ですが、アメリカの高校の成績は、各教科によって「小テスト15%、宿題40%、中間と期末が35%、授業中の議論への貢献が10%」などという「成績の根拠」が計算式として示されており、うるさい保護者がクレームを言ってきても「客観性」を示せるようになっているのです。

その客観性が確保されているから、生徒が無用な心理的プレッシャーを感じたり、先生との関係が不自然になったりすることは防止されています。何よりも、そうした客観性が信用されているからこそ、大学が合格判定の上で重要視できるのだとも言えます。

アメリカの大学受験において重要な位置を占める統一テストについてお話ししておきます。
統一テストのひとつであるSATは、国語(英語)800点プラス数学800点で1600点満点となっています。ただし、問題別の素点を合計したものではなく、平均点と偏差値をベースに調整して、得点カーブに合わせたものです。ですから、全問正解でなくても1600点になることがあります。

大きな特徴は「何年生でも、何度でも受けられる」ということです。

要するに「受験の秋」に出願する際によいスコアを持っていればいいし、仮に自分のスコアに不満があれば、直前まで何度でも受けていいのです。

ちなみに、大学によっては「最高点を取ったものだけ申告すればよい」という学校もあれば、「受けたSATは全部出せ」という場合もあります。複数回受けたことによる印象の悪化という点では、「どんどん悪くなっている」とか、「1回だけ突出してよくて、あとは悪い」といったトレンドは印象がよくないようですが、逆に「少しずつよくなっている」という場合は、数回受けていてもマイナスではないとされます。

これとは別に「ACT(エーシーティー、またはアクトとも言う)」試験があります。これは、英数の普通の「SAT」の代替とでも言うべきもので、現在では、ほとんどの大学は出願にあたって「SAT」ではなく「ACT」でも構わないことになっています。

SATとは構成が異なり、科目別の点数も出るものの、総合計を中心に評価がされるようになっています。その総合計の満点は36点で、以下、1点刻みで成績が出ます。36点はSATの1600点満点と同等の価値があるとされています。


内容としては、理科的な内容の英文読解があったり、やや融合問題的な出題があったりするのと、SATでは学生を悩ませる「難解語彙」がACTでは少ないという特徴があります。

ACTも全米で普及しており、たとえば東海岸とカリフォルニアでは圧倒的にSATのシェアが高い一方で、内陸や南部ではこのACTが普及しているなど、地域特性もあるのです。
また、近年では東海岸やカリフォルニアでもACTを受ける生徒が増えているという報告もあります。

このSATやACTというのは、基礎学力を見るものですから、時期としては高校3年生(11年生、日本の高2相当)の時期に受けます。そのため、日本のように浪人が有利だとか、現役はギリギリまで点が伸びないなどということはありません。

また、何度でも受けられますから、体調不良や天候不順など不可抗力を恐れる必要がないのはよいことだと思います。

もうひとつ、受験生にとって頭が痛いのは「エッセイ」です。

まず、エッセイ・ライティングに関してですが、前述の「コモンアップ」にはエッセイの出題があり、さらに大学別に追加で書かされることもあります。特に近年では、SATやコモンアップのエッセイでは差がつかないということで、各大学別に複数の込み入ったエッセイを出題するという傾向が強まっています。

要するに、いわゆる「作文」なのですが、近年はなかなかどうして合否を左右する重要な要素になっているようです。

アメリカの入試はすべて日本で言う総合型選抜(旧・AO入試)であり、受験生は自宅ですべての情報を入力すれば出願が完了します。そのため、基本的にはエッセイも家で書いていいことになっています。


つまり、日本の総合型選抜のように、「小論文試験」を受けるために、試験会場で監視されながら制限時間内に書く、ということにはなっていないのです。

ついでに言えば、アドバイスを受けてもいいことにもなっています。というより、アドバイスを受けることはむしろ奨励されていると言っても過言ではありません。

基本的には高校生の言葉遣いではなく、もう少し知的に背伸びをした表現で書くのがよく、そのために親や教師、あるいは先輩の大学院生などに下書きを見てもらって、表現(ワーディング)を必死で詰めるということになります。

問題は、2022年11月末に「ChatGPT」がサービスを開始して以来、エッセイをAIに手伝ってもらう受験生が出てきたことです。以降は各大学としては、「AIには対応できないような難問」を出したり、「作文をチェックしてAIのクセの痕跡を見抜く」アプリを使ってチェックをかけたりと、対策に追われているようです。

大学入試の面接ですが、これは、いわゆるアイビーリーグ校とそれに準ずる名門大学では必ず行われているようです。

「アーリー(1次募集)」の場合は11月下旬から12月の初旬、「レギュラー(2次募集)」の場合は2月に、大学から連絡がきて、日程を調整して面接を受けることになります。ちなみに、名門校の場合は、この時期に面接の連絡がこないということは、「合格ラインに達していない」ことになり、少々悲観したほうがいい事態だとも言えます。

その面接ですが、大学まで出向く必要はありません。同窓会組織の中から選ばれた卒業生がボランティアとして面接官になり、基本的には受験生の住んでいる地域ごとに面接を行うのです。

そもそも受験生は高校生であり、学期中であるから遠くに行けないわけで、むしろ「大学のほうから面接官がやってくる」という形になります。
アポイントメントはメールで確認が取られ、面接の場所としては、スターバックスのようなカフェや、図書館・ホテルのロビーといった場所になります。

面接の形式は、それこそ面接官の性格によりますが、基本的には形式的なものではなく、肩の力を抜いたフリートークになることが多いようです。別に就職の面接ではないし、アメリカですから、お辞儀の角度がどうとか、敬語がどうとかといった気遣いは無用です。
ただ、「親の影」が見えると幼稚だと思われて減点されるので、「自分でクルマを運転して一人で行くのがよい」というような注意点はあるようです。

では、面接官は何をチェックしているのでしょうか?

基本的には3つだとされています。

1つ目は、この受験者はこの大学に「真剣に来る気があるのか?」という点です。まるで日本の就職試験の面接ですが、大学にとっては「来る気のない人」は合格通知前に見抜いておきたいという強い動機があります。

そうした受験者は不合格にして、ボーダーライン上だが「何か光るものを持っている」かつ「来る気のある人」に合格枠を回したいからです。

ですから、面接を通じて「遠いから入学後の帰省が大変では?」などといった質問が出た場合は、「絶対に大丈夫」だということをアピールする必要があるのです。

2つ目は、フリートークを通じて、この若者は「年齢相応あるいはそれ以上の知識人候補としての資質」を備えているかという観点からのチェックがされます。

3番目としては、これはケースバイケースになりますが、出願時に提出した履歴書の「ファクト(事実)」チェックということもあるようです。

たとえば、私の教え子で物理専攻志望の生徒が、あるアイビー校を受験したとき、推薦状を書いたことがあります。
その生徒は、大学に比較的近かったこともあって、キャンパスに呼び出されたのだそうですが、面接時に「理数系がここまでできて、その上で日英のバイリンガルということは、経験上、困難だと東洋学科の先生が言っている」と言われ、実際にその「東洋学科の先生」まで登場して、「自分は日本語も喋れるという証明」をさせられたのだといいます。

結果は合格でしたが、その面接の時点では、当時、高校生だった本人は「大学から疑われているかもしれないと緊張した」そうです。そんなこともあるのです。

この面接というのは、就活における面接に、ある意味では似ているとも言えます。特に欧米の採用試験におけるインタビューは、だいたいこんな感じです。最終的には、大学の入試事務室は、願書として提出された資料を点数化し、およその合否を決めた上で、面接を通じて確認を行って、最終合否を判定します。

そして、その合否決定のベースにあるのは、アメリカの名門大学において期待される「18歳の人物像」なのです。

○『世界の一流は「子ども」に何を教えているのか』(冷泉彰彦/クロスメディア・パブリッシング)

AIが初級の知的労働を次々と置き換えていき、グローバル化がさらに進んでいく時代。一握りの天才だけでなく、「第2グループ」と呼ぶべき、自己管理力と実行力を備えた若者こそが今後ますます求められることになります。では、そうした人を育てるために、親や学校、周りの大人たちは、子どもに何を伝えればよいのでしょうか? 本書の著者は、米国東部のニュージャージー州プリンストンに30年以上暮らし、作家・ジャーナリストとして活動しつつ、現地で3人の子育てを経験。その傍ら、プリンストン日本語学校高等部で、数多くの日本人・日系人の高校生を指導し、アメリカの名門大学に送り出してきた教育者でもあります。そうした経験なども基に、アメリカの大学が思い描く「期待される18歳の人物像」を出発点として、幼児期から思春期に至るまで、年齢に応じてどんなメッセージを子どもに伝えるべきかを具体的にお話しします。
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