NHKスペシャル『インサイド・トヨタ』で、商品名を出さないはずの公共放送が「次世代カローラ」を連呼する異例の事態が起きました。なぜNHKはトヨタの“大宣伝”に加担したのか?豊田章男会長との因縁から透ける、オールドメディアの焦りと報道の裏側に迫ります。

ノンフィクションライター 窪田順生



「カローラ」を連呼したNHK
商品名を出せないルールのはずが…



1.営業広告または売名的宣伝を目的とする放送は、いっさい行わない。
2.放送中に、特定の団体名または個人名あるいは職業、商号および商品名が含まれる場合は、それが、その放送の本質的要素であるかどうか、または演出上やむをえないものかどうかを公正に判断して、その取り扱いを決定する。



 これは公共放送・NHKが制定している「国内番組基準」である。NHKの番組内で商品や企業の名前が伏せられたり、ロゴにモザイクがかけられたりするのは、これが理由だ。



 そんなNHKルールがあるため、企業PRやプロモーションを仕掛けている人々の間では、NHKの番組で紹介されるより、テレビ東京系の経済番組「ガイアの夜明け」や「カンブリア宮殿」で取り上げられるほうが費用対効果が高いと考える人たちもいる。



 それがよくわかるのが、ちょっと前、タイミーのブランディング、PR、オウンドメディアの責任者であるブランドエクスペリエンス部長の女性のSNS炎上だ。こんな投稿をした後、批判が殺到して削除、社長が謝罪に追い込まれる事態となった。



《IPO前から仕込んできました「ガイアの夜明け」が今晩放送です!》(ダイヤモンド・オンライン 2024年11月28日)



 ただ、オンエア告知をすればいいだけのところを“わざわざ”自分の手柄だとアピールしたのは、公共電波を用いたPRにおいてはテレビ東京系経済番組が「最も価値が高い」とされているからなのだ。実際、これらの番組にねじ込めると豪語にしている「PRのプロ」もたくさんいる。



 ただ、そんな業界の常識が変わるような番組がさる7月19日にオンエアされた。『NHKスペシャル インサイド・トヨタ 世界一の自動車会社 最重要会議に密着』だ。



 ご覧になった方も多いだろうが、この番組ではこれまで「機密」として外部に公開されることのなかったトヨタの製品企画や開発決定会議にまでカメラが入った。社員たちが中国メーカーに対する危機感を赤裸々に語っているとして大きな話題になった。

SNSでは、「Nスペの取材力を見せつけられた圧巻の出来」「これを受けたトヨタの懐の深さもすごい」と賞賛されている。



 しかし、企業PRやプロモーションを仕事としている人たちが衝撃を受けたのはそこではない。実はこの番組では自動車に欠かすことができないプラットフォームの開発現場で奮闘する社員たちの姿を映しながら、トヨタが中国メーカーと戦っていくうえでカギとなる「次世代カローラ」がこれでもかというほど取り上げられ、カローラ開発チームが頻繁に登場して「カローラ」という車名も連呼されているのだ。



 冒頭で触れた「営業広告または売名的宣伝を目的とする放送は、いっさい行わない」というルールのあるNHKで、その総力を集結して制作される報道・ドキュメンタリー「NHKスペシャル」でこれはかなり異例のことだ。



もはや民放…
公共放送がトヨタに肩入れ



 実際、2008年の世界販売で世界一の自動車メーカーとなったトヨタの内部にカメラが入った「NHKスペシャル 自動車革命」では、競争に勝ち抜くための「新たな戦略車の開発現場」が取り上げられているが、車名は放送されずに「プラグインハイブリッド車」と呼ばれ、開発担当者も「プラグインハイブリッド車開発担当」というテロップが付いている。



 という話を聞くと「プロジェクトX」では過去に日産フェアレディZが取り上げられているし、つい最近もマツダのロードスターが紹介されているぞ、と思うだろう。しかし、これは開発秘話物語なので致し方がない部分もあるし、「世界一売れたスポーツカー」とか「市民に愛されたスポーツカー」などなるべく車名を宣伝しないような配慮がなされている。



 企業の新商品や新サービスを取り上げることの多い「有吉のお金発見 突撃!カネオくん」でさえ、企業名や商品名を映像として流すが、それを連呼することはない。



 例えば、「インサイド・トヨタ」と同日に放送された「進化が止まらない!回転寿司のヒミツ」の放送回で取り上げられているのは「くら寿司」だが、番組内では「年間300種類の新メニューが登場するチェーン店」という表現にとどめている。



 これから発売されて、しかもトヨタの業績にも大きく左右するであろう「次世代カローラ」を、あのNHKスペシャルがここまでデカデカと取り上げて、しかも車名まで連呼してくれるというのは、これまでの企業PRの常識からは考えられないことなのだ。



 しかも、ご覧になった方はわかると思うが、番組ではカローラ開発チームの「トヨタがこけたら、日本もこける」という言葉も紹介するなどして、次世代カローラが成功をおさめなければ、開発のリードタイムが脅威的に短い中国メーカー・BYDとの競争に日本の自動車産業が敗れてしまうというような印象を視聴者に与えている。



 つまり、「公平・公正」と「不偏不党」を掲げる公共放送のわりに、思いっきりトヨタに肩入れをして、次世代カローラを応援しない者は日本人にあらず、というようなムードを煽っているようにも見えてしまうのだ。これでは民放の経済番組とほとんど変わらない。



 実際、「インサイド・トヨタ」に違和感を覚える人も少なからず存在している。SNSでは、「NHKの民放化が止まらない。1社の特集を公共放送として放送すべきなのか」「すごいなこの特集。密着の体を取りつつNHKなのにトヨタの大宣伝」という声もあると報じるメディアもある。



 一視聴者として「インサイド・トヨタ」を楽しんだ人は「ひねくれたものの見方をする人たちもいるもんだ」と呆れるだろうが、これまでのトヨタの「メディア戦略」を知っている人ならば、こういう受け止めになるのもしょうがない部分もある。



トヨタ・豊田章男会長と
オールドメディアの因縁



 トヨタは、というよりもトップの豊田章男会長は、「自分たちの理想とする情報発信」というものにこだわりを持って、実際にその情報インフラを整えてきた事実があるからだ。



 その象徴が2019年に立ち上げられた「トヨタイムズ」である。



 元テレビ朝日アナウンサーで、報道ステーションメインキャスターを務めた富川悠太さんを迎えて、トヨタのさまざまな情報を発信するオウンドメディアだが、これはオールドメディアからは「脅威」とされてきた。



 例えば、2023年1月、トヨタで14年ぶりに社長交代がなされた際の発表も、テレビや新聞の記者を集めた記者会見ではなく、「トヨタイムズ」で行われた。2021年に東京パラリンピックの選手村で、トヨタが開発した自動運転車が選手と接触する事故があった際に、豊田氏が陳謝したのは「トヨタイムズ」だ。



 なぜこんなオールドメディアのメンツを潰すようなことをするのか。



 メディアや企業PRの世界では、豊田会長がテレビや新聞に対する「強い不信感」があるとされてきた。例えば、2020年に調査報道で定評がある会員制情報誌「FACTA」でこんな記事が掲載された。



《トヨタ社長 「NHK」に大激怒 Zoomで記者に怒りを爆発。その後、渉外広報本部幹部が局に出向いて報道姿勢に難癖」(2020年9月号 FACTA



 つまり、「トヨタイムズ」で自社の情報発信に力を入れるのは、トヨタについて事実を捻じ曲げる「偏向報道」をするようなオールドメディアに、豊田会長が辟易としているからではないか、という見方があるのだ。



 そういうトヨタとオールドメディアの“ビミョーな距離感”を理解している人は、今回の「インサイド・トヨタ」における「次世代カローラ推し」の裏にある“オトナの事情”を勘繰ってしまうのではないか。



メディア報道は情報操作
裏の意図を読む力の重要性



 もし本当にトヨタにヘソを曲げられてしまったら、オールドメディアには大打撃だ。民放や新聞は広告出稿を止められてしまうということもあるが、トヨタイムズの「後追い」のようなことばかりしているのは報道機関の沽券(こけん)に関わる。公共放送NHKとしても、日本を代表する企業の最新情報、特ダネを入手して視聴者に届けるのは責務と言える。



 では、豊田会長からあまり信用されていないオールドメディアが、他社を出し抜いて、トヨタのスクープを入手するにはどうすればいいのか。トランプ大統領ではないが、そこで重要なのが「取引」(ディール)である。



 つまり、Nスペがこれまでマスコミが入ることができない最重要会議や開発現場まで踏み込めたのは、それを豊田会長に承認させるだけの「NHKならではの歩み寄り」があったのではないか?だからこその「カローラ連呼」だったのではないか?



 もちろん、これはあくまでも筆者の邪推に過ぎない。ただ、今回のNHKスペシャルから宣伝臭が漂い、企業PRの側面が強くなっているのは事実だ。



 番組内で豊田会長や社員が盛んに中国メーカーの脅威を口にしていたように、劣勢に立たされているトヨタのために、次世代カローラの販売増を後押しすることが、NHKとして「公共性あり」と判断をしたという可能性もある。



 真相はわからないが、今後もこのように「公平・公正」を掲げていたオールドメディアが政治や企業にすり寄っていくということだけは断言できる。

貧すれば鈍するではないが、経営的にも影響力的にも弱っているテレビや新聞側が譲歩して、取材対象者側のリクエストが通ることが増えていくはずだ。



 それは一般読者や視聴者にとってメディアリテラシーを向上させなければいけないということでもある。



 海外では、メディアの報道はスピンコントロール(情報操作)とほぼ同義で受け取られ、そこには必ず「意図」が隠されているとされている。



「インサイド・トヨタ」を見て、「NHKの取材力は圧巻!」「こんな企画を受けたトヨタ側もあっぱれ!」という呑気な感想を抱くだけではなく、その背後に隠された狙いを読み解いていく力が、これからは求められていくのかもしれない。

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