「40歳のパーカーはおかしい」「おじさんのハーフパンツはキモい」――近年、SNSで度々話題になる中年男性のファッション問題。しかし、この主語を「おばさん」に置き換えたら一発アウトの暴言になるはずです。

ハラスメントに厳しい現代で、なぜこうした露骨な“おじさん差別”だけが見過ごされているのでしょうか?そこには、強者扱いされる氷河期世代の悲哀と、「被害者ぶるな」と口を塞がれる中年男性を取り巻く〈社会のバグ〉が潜んでいました。(ライター 徳重龍徳)



「おばさん」なら一発アウト
無自覚な「おじさん差別」



 筆者はもうすぐ46歳になる「おじさん」だ。30代の頃は「おじさん」と呼ばれることに少し抵抗があったが、今ではすっかり受け入れている。年甲斐もなくキャラクターの「ちいかわ」が好きで、「ちいかわおじさん」を自称しているほどだ。



 とはいえ、SNSでの「おじさん」の扱われ方は、当事者として気になっていることがある。

 これだけ人を傷つけるのがタブーとされる世の中なのに、“おじさん差別”だけは許されていないだろうか。



 LINEなどで使われる中年男性特有の言い回しを指す「おじさん構文」。「40歳近くでパーカーを着ているおじさんはおかしい」「おじさんのハーフパンツはキモい」といったファッションへの言及――。



「ハーフパンツはキモい」露骨な“おじさん差別”が見過ごされる〈社会のバグ〉
東京都庁で始まったクールビズの取り組みで、ハーフパンツを履いて仕事をする職員


 試しに「おじさん」を「おばさん」に置き換えてみてほしい。



「おばさん構文」。「40歳近くでパーカーを着ているおばさんはおかしい」。「おばさんのハーフパンツはキモい」。



 もしこうした言葉を公然と発する人がいれば、たちまち批判を浴び、年齢や性別に基づく差別的な表現として問題視されるのではないだろうか。



 芸人が芸人の容姿や言動をいじるのにも細心の注意が必要な時代だ。それなのに、なぜ「おじさん」は、バカにしてもよいことになっているのだろうか。



強者として叩かれる理不尽
氷河期世代の悲しき現在地



 かつて「おじさん」といえば、会社で権力を持ち、若者に説教する厄介な年上男性のことだった。当時も批判や笑いの対象とされることはあったが、そこには「強い者を下から茶化す」という意味があった。



 たとえば1986年、防虫剤「タンスにゴン」のCMで使われた「亭主元気で留守がいい」は流行語になった。夫は健康に働いて給料を持ち帰る、ただし家にはいない方が専業主婦の妻にとっては楽という本音を表した言葉である。裏を返せば、一家の大黒柱としてきちんと働き、収入を得ていたからこそ成り立つ笑いだった。



 会社では管理職、家庭では稼ぎ手、社会では年長者として発言力を持つ。若者や女性から見れば、古い価値観を押し付けてくる存在でもある。だから「おじさんはうるさい」「おじさんは説教好き」というイメージがつき、彼らを揶揄することには権力への反発という側面があった。これがおじさんはバカにしてもよいという免罪符となって現在まで続いている。



 一方で、現在のおじさんの立場は変化している。まだまだ男性中心社会であることは事実だが、ハラスメントに対する社会の目が厳しくなり、かつてなら見過ごされた横暴な振る舞いも許されにくくなった。



 何より、就職難やブラック労働に苦しめられた就職氷河期世代が現在のおじさんの中心世代だ。40代・50代には、厳しい就職環境、非正規雇用を経験してきた人が少なくない。いまや管理職は上司にも部下にも気を使う必要があり、罰ゲームとまで呼ばれるようになった。新入社員の初任給は上がる一方で、氷河期世代の賃金は停滞。中年男性だからといって、必ずしも地位や経済力を持っているわけではない。



 それでも中年男性全体は、いまだに「社会的強者」とみなされやすい。実際、集団として見れば、中年男性が今も相対的に多くの権力を持っていることは否定できない。だが、集団全体の優位性を理由に、一人ひとりの容姿や年齢を侮辱してよいことにはならない。



 近年は、LINEの文章やファッションといった、権力の有無とは関係のない特徴まで、「おじさんの気持ち悪さ」や「痛さ」の理由にされる場面が増えている。



反論すれば「器が小さい」
沈黙を強いる「男の呪い」



 さらにおじさんだけがバカにされやすい理由の一つは、当事者が反論しにくいことにある。仮に反論すると「器が小さい」「冗談も通じない」「被害者ぶるな」と切り返されるのだ。



 厄介なのはこうした反論の封鎖が外側からだけではなく内側からも来ることだ。

おじさん自身が「男は弱音を吐くな」「笑って流せ」「いじられてなんぼ」と信じ込んでしまっている面がある。このため、おじさんこそがおじさんの言動に厳しく、SNSではおじさんに対し、別のおじさんが冷笑を浴びせるシーンをよく見る。



 現在のおじさんに男は沈黙こそ正義と教え込んだのも、会社の先輩に当たるおじさんたちだった。現在のおじさんもまた、上の世代のおじさんが押しつけた「男らしさ」の被害者ともいえる。



 長年たたき込まれた男らしさの呪いを取り除くのは難しく、傷ついたと口にしようとした瞬間、外からは「被害者ぶるな」と言われるのを恐れ、心の内側からは「男のくせに」という声が聞こえてしまい、何も言えなくなってしまう。



 現に筆者もこの文章を「批判はこないだろうか」「こんなことを書いて、器が小さいやつだと思われないだろうか」と心配を募らせながら書いている。



 もちろんおじさんに関するネガティブな言及をすべて差別と呼びたいわけではない。かつてのバブル期のような振る舞いをいまだにしているのなら、それは批判されてしかるべきだろう。



 ただ、ほかの年齢や性別が相手ならためらうような言葉を、おじさんにだけ無配慮でぶつけていいとはならない。批判されるべきなのは、年齢でも服装でもなく、他人を傷つける具体的な言動のはずだ。



 その一言は「おじさん」を「おばさん」に置き換えても、同じように投稿できるだろうか。投稿ボタンを押す前に、一度だけ考えてみてほしい。

おじさんだって傷つくことを忘れないでほしいのだ。

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