ヒットメーカー・秋元康氏に「少女の性的商品化」との批判がSNSで殺到しています。かつて米CNNから未成年の“性的搾取”を追及された際、秋元氏が用いた「免罪符」とは? 過激なジュニアアイドル問題から、江戸時代より続く日本特有の「少女搾取」の闇まで、アイドル文化の限界に迫ります。

ノンフィクションライター 窪田順生



文字にするとキツすぎる…
蒸し返された過去の仕事



 おニャン子クラブ、AKB48、坂道シリーズ、などの数々のアイドルブームを仕掛けてきたことで「日本を代表する稀代のヒットメーカー」と称される秋元康氏が炎上している。



 と言っても、ご本人が何かをやらかしたわけではない。一部のSNSユーザーの間で唐突に、秋元氏が過去に手がけてきた“仕事”に対して「性的搾取」」「気持ち悪い」など厳しい批判が盛り上がって拡散しているのだ。



 例えば、一部SNSユーザーから「キモさを忘れない」と蒸し返されているのが、女子小学生アイドルユニット「ねずみっ子クラブ」だ。



「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ)内で、ボディコンなどの衣装を着た女子小学生のセクシーさを競い合う「セクシー小学生コンテスト」というゴングショーの優勝者10人で結成されたもので、デビュー曲では女子小学生たちが、バニーガールのような衣装で熱唱して物議を醸した。40~50代では未だに記憶に残っている方も多いようだ。



 今年53歳の筆者もそんなひとりだが、ねずみっ子クラブの「キモさ」でいえば、秋元氏による歌詞も、なかなかヘビーではないかと思う。



《先生! 鈴木くんが エッチなんです! 勉強より 興味ある おしべ めしべ あっかんべえー》



 露出度高めの衣装に身を包んだ女性小学生に、これを歌わせることは果たして、「エンタメ」なのかというのは、賛否の分かれるところだろう。



 実際、今回の炎上でも、秋元氏の「出世作」ともいうべき、おニャン子クラブのヒット曲「セーラー服を脱がさないで」に関しても、「激キモソング」「何学生とエロい事しようとしてんだよ」などボロカスに叩くSNSユーザーがいる。



 30~40年前の仕事を、令和の感覚で糾弾されるのは気の毒だと同情する人もいるだろうが、実は秋元氏へのこのような批判は今になって唐突に持ち上がったものではない。およそ15年ほど前、「平成アイドルブーム」の時もかなり問題になった。



米CNNの追及に
秋元氏はどう答えた?



 わかりやすいのは、AKB48のミュージックビデオをめぐる「未成年メンバーの性的な演出」への批判だ。



 2010年、AKB48は累計88万枚のヒット曲となる「ヘビーローテーション」をリリースする。紅白歌合戦でも流れたことで老若男女に耳に馴染んだ曲だが、実はこれが「少女たちの性的な搾取ではないか」とまで批判されていたことはあまり知られていない。



 覚えている方もいらっしゃるだろうが、このミュージックビデオではメンバーが下着姿で出演。入浴シーンも流れている。監督をした蜷川実花氏は「異性を意識していない無防備なかわいさ」を意図したものだと後に説明しているが、これが「性の商品化」と批判を受けた。



 中でも問題はその中に「未成年者」が含まれていたことだ。当時13歳だったメンバーは下着姿にはなっていないが入浴シーンはある。これは欧米社会の感覚では完全に「アウト」だ。



 実際、「CNN Talk Asia」という番組ではCNN Internationalの記者が秋元康氏本人を招き、これは10代の女の子のイノセンスさを性的に活用している「性的対象化」「性的搾取」に加担しているのではないかと質問したが、秋元氏はこのように反論した。



「芸術かアートかわいせつか、ということと同じ」「それをどう感じるかは個々の判断だと思いますね」(2012年1月16日 J -CASTニュース)



 これには賛否両論あるだろう。ただ、秋元氏はまったく意図していないだろうが、このようなロジックで少女の性的対象化や性的搾取の問題を切り抜けたことによって、日本のアイドル文化の「闇」はいっそう深いものになってしまう。



 日本では、1970年代から80年代後半にかけてロリコンブーム、1990年代には小中学生のアイドル、いわゆるチャイドルブームが起きるなど、定期的に「少女」をコンテンツとして消費する風潮が盛り上がる。



 AKB48に代表される平成アイドルブームの時期、それにあたるのが「ジュニアアイドル」のブームだ。



 ご存じない方のために説明すると今、まだ小中学生の少女が「ジュニアアイドル」を名乗って、水着やセーラー服、網タイツ姿のボンテージファッションなど露出の高い姿を売りに、ファンの撮影会や写真販売を行っている。



「子どもを性的に消費しているのではないか」という批判が寄せられるが、プロデュースしている親や、所属する芸能事務所は「秋元ロジック」で対抗をする。つまり、あなたがそういういやらしい目で見ているから、そう感じるのであって、ピュアなファンの目から見ると、これは純粋なアートだというのである。



 また、「本人の意志」をアピールするケースも多い。少女たちがこういう露出の高い格好をしているのは、親や事務所が強要しているのではなく、アイドルになりたいという夢に向かって努力する本人が自ら進んでやっているので、それを邪魔するのかというのである。



 ただ、そういうロジックが消し飛ぶような「性の商品化」問題も頻繁に起きている。例えば、2025年6月には14歳のジュニアアイドルの使用済み衣装を、母親がフリマアプリで出品して炎上した。



 また、同年5月には小学生のジュニアアイドルが、太目のきゅうりを口いっぱいにほうばっている写真をSNSで拡散している芸能事務所に批判が殺到した。



 このように「アート」や「本人の夢」というパワーワードを持ち出せば、未成年者の性的商品化まで正当化する“免罪符”として使われてしまう。そんなモラルハザードを生み出したのは、AKB48をはじめとする平成アイドルブーム、つまり仕掛け人である秋元康氏こそが「元凶」ではないかというのは一部の人々はかねてからSNSで指摘していた。



 それが、何かの拍子でドカンと盛り上がったというのが、現在の「秋元氏の炎上」なのである。



現代の闇につながる
「江戸のアイドル」の正体



 ただ、秋元氏を擁護するわけではないが、こういう未成年者の性的搾取などの問題のすべてをAKB48や平成アイドルブームのせいだというのはちょっと気の毒だ。



 年端もいかない少女や若い女性を大人たちが性的搾取や商品化するのに「芸術」や「娯楽」という建前を使い、「本人の意志」や「親の同意」などもっともらしいロジックで正当化するというのは、アイドルビジネスのはるか昔から行われれていた日本の「伝統」でもあるからだ。



 よく日本のアイドル文化の源流として語られるのは、江戸時代の歌舞伎役者だが、もうひとつ「看板娘」や「芸妓」もある。



 看板娘は、茶屋で働く娘が美人だと評判となり、美人画として販売・拡散。その評判を聞きつけてその茶屋が人気となる。令和で言うところの、メイドカフェのカリスマ店員のようなものだ。



 また、芸妓は座敷で、舞踊、三味線、お座敷の話術などで客をもてなす「芸の売手」だが、やはりこちらも多数の美人画が販売されていたことからも分かるように、江戸の男性たちが性的魅力を感じていたことは明らかだ。



 それも無理はない。当時の江戸は、町人の男は女性の1.8倍の人数に達する時期もあったほどすさまじい「男あまり社会」だった。女性と交際できぬ者はもちろん、死ぬまで独身という男性もたくさんいたのだ。



 では、そんな「江戸のアイドル」たちが、みな望んでそのようなポジションについたかというと、当たり前だがそんなことはない。貧しい農村の娘たちが「親の同意」のもと、7~12歳で「年季奉公」という名目で「人買い」に売られた。下女として雑用をする者だけではなく、芸者や遊女にさせられる者もいたが、借金返済のためということで表向きは「本人の意志」でそういう労働に身を投じた。



 というのも、江戸幕府は1616年に人身売買禁止令を公布して以降、人身売買を原則として禁じていた。

本人が嫌がっているのに親や女衒が奉公に出した場合、重い罪に問われた。



 そこで生み出されたのが、少女たちが親の借金を肩代わりして、それを返済するために芸者屋と「契約」をするというスキームだ。これによって少女たちは表面的には、自分の意志で働きにやってきた、という既成事実が生まれる。「改訂版 芸者論」(岩下尚文著 雄山舎)を引用しよう。



「最初に交わす証文には、芸者が借りた金額とともに年季という拘束期間が記されていますが、この年季はあくまで目安に過ぎません。借金を全額返済しなければ契約は解消しないということは芸者屋にとっては有利に働きました。このため、芸者がどれほど稼いでも借金が減らぬように、普段から衣装を作らせるのをはじめ、派手に金を遣うように教育します」(P95)



 ちなみに、同書によれば、このスキームは明治に入っても引き継がれ、昭和の敗戦後まで継続されたという。



 話を江戸時代に戻そう。このような同情すべき事情があるからといって、江戸の男たちは「親の借金背負わされてかわいそうな境遇の女性たちだから、そういう場所に行くのはやめよう」とはならない。それはそれ、これはこれと「娯楽」として芸妓や遊女にカネを注ぎ込んだ。



 当時は現在のような普遍的人権を保障する法制度は存在しなかったということもあるだろう。しかし、先ほども述べたように、江戸は圧倒的な「男あまり社会」なので、普通に暮らしていても女性と深い関係を築くことができない者がたくさんいたことが大きい。

「寂しい男たち」の孤独を癒やして、明日への活力を与えていたのが、花魁や芸妓、そして茶屋の看板娘など「江戸のアイドル」だったのだ。



 こういう構造の延長上にあるのが、現代のアイドル文化ではないかと思っている。華やかな世界に自ら飛び込んでいるという立て付けだが、そこで勝ち抜いていくには、自分を殺して「権力者」であるプロデューサーや、テレビ局などメディア企業の幹部などが決めた恋愛禁止やキャラを遵守、そして歌やダンスという「芸」だけではなく、男性ファンを喜ばすための女性的魅力も発信しなければいけない。



 人権は守られているようで、不自由さは「江戸のアイドル」に負けていない。



 2024年5月、旧ジャニーズ事務所の性加害の問題を調査した、国連人権理事会の「ビジネスと人権」に関する作業部会は日本の企業活動にかかわる幅広い分野での人権侵害について懸念を示している。国連・子どもの権利委員会にも、NGOからこんな問題提起がなされている。



《子ども、特に女の子を商品化したビジネスが蔓延し、それを容認している文化が日本にある。学校の制服のような衣装を着た「アイドル」と言われる女の子が、料金をとって不特定多数の男性と握手やハグなどのサービスを提供したり、一般の女の子が水着を着用した「撮影会」が時には男性と1対1で行なわれたりしている》



 エプスタイン文書が世界を揺るがしているように、過去の性的搾取や、それをめぐる組織の対応が後年になって再検証されることはある。「これはアートです」「こういう水着を着てグラビアにでるのが本人の夢なんです」という日本のアイドル業界のロジックもそろそろ限界が近づいている。



 稀代のヒットメーカー、秋元康氏へのふってわいたバッシングは、アイドル文化を根本から揺るがすような「ショック」の前兆かもしれない。

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