漫才コンビ「中田カウス・ボタン」の中田ボタンさんが14日に大阪府内で亡くなっていたことが19日明らかになった。享年78。


 中田ダイマル・ラケットに師事し、1967年に中田カウス(77)とコンビを結成。甘いマスクとTシャツに長髪で、一世を風靡。劇場に若い女性が駆けつけ、追っかけも登場するなど「元祖アイドル漫才師」として一躍人気を博した。漫才作家でカウス・ボタンの台本も書いた本多正識氏がこう語る。


「スーツが定番の漫才師の中“Tシャツにジーパン姿で舞台に立てば話題になる”と計算されるなど、実はマーケティングにも長けていました。おしゃれな私服とイケメンで予想通り人気になり、最初は見た目で飛びついたファンを実力で惹きつける、内実ともに素晴らしい漫才師でした」



最後は血を吐きながら舞台に立つことも

 その昔「よしもと抱かれたい男ランキング」では常に1位。男の中の男と同性からもリスペクトされていた。


「カッコいいエピソードは山ほどありますが、新人だったキングコングがNGKの舞台に立った際、舞台袖に戻ってきた2人に『お前らなんちゅう靴履いてんねん! お客さんに一番見えはるの靴や、ドアホ!』と一喝し、2人に1万円ずつ渡された。楽屋で見ていたスタッフも芸人も『カッコええ~!』とうなりました。


 NGKでは楽屋のソファーで芸人さんたちが集まって雑談しているのですが、最後にオイシイところをさらっていくのはボタン師匠。それだけプロの中にいても笑いのセンスは群を抜いていたし、どんな時も笑いにこだわっておられました」


 19年に肺がんが判明し、最後は血を吐きながら舞台に立ったという逸話も。


「本当に舞台を大事にされていて、お客さんに笑ってもらえるならカッコ悪くても、何でもやる、腹の座った方でした。

3年前に抗がん剤が奏功し、回復されたときも『もう1回漫才したいねん』と語っておられたそうです」


 細部に至るまで漫才こだわり続け、生涯芸人として幕を閉じたレジェンド。この功績はますます輝きを増すだろう。


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 お笑いタレントには豪傑エピソードが付きもの。関連記事【もっと読む】【さらに読む】などでも詳しく報じている。


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