「美輪さんがいるというだけで、この世界はずいぶん面白い場所になっていたと思います。あんな方は、もうなかなか現れないでしょうね」

そう静かに語るのは、小説家の平野啓一郎さん(51)だ。

圧倒的な歌唱力と演技力、独自の美意識を持ち、そして長崎での被爆体験を原点に生涯を通して反戦を訴え続けた美輪明宏さん。今年6月20日、老衰のため91歳で人生の幕を閉じた。

親交のあった平野さんは、訃報が報じられた6月28日、自身のXにこう書き込んだ。

《美輪明宏さんの訃報に大きなショックを受けています。コロナ禍で歌やお芝居の公演が中止になって以降、お目にかかるチャンスがなく、渡米前に一度、ご挨拶に伺おうとお電話したのですが、体調的にちょっと人に会える状態ではないので、とのことで、心配していました。

それでも、ニューヨークでの生活のことについて、色々と気遣ってくださり、優しいお言葉をたくさん頂戴しました。結果的にそれが最後の会話となってしまったのですが。 存在自体が奇跡のような方でしたので、本当に寂しい限りです。 ご冥福をお祈りします》

平野さんが、美輪さんと最後に言葉を交わしたのは、平野さんがニューヨークに渡る直前――昨年の6月半ば頃だったという。

「美輪さんは2019年に体調を崩され、それまで毎年春と秋に続けられていた歌とお芝居の公演が中止になりました。その後はいったんお元気になられたものの、今度はコロナ禍で公演そのものがなくなってしまいました。

僕の場合、公演に招いていただいて楽屋でご挨拶することが多かったので、結果的に4?5年ほど直接お目にかかる機会がなくなっていたんです」

その間も、テレビで美輪さんの様子は見ていたという平野さん。

「少し元気がないのかな」という印象を受けて心配していたという。

■面会はすべて断って…美学を貫いた晩年

「それで昨年の夏、渡米する前に久しぶりにご挨拶したいと思い、ご自宅に伺えないかと事務所を介して美輪さんにご連絡を差し上げたんです。すると、美輪さんのほうからお電話をくださって、少しお話しすることができました」

だが、直接会うことはかなわなかった。

「できればお目にかかりたかったのですが、お話をうかがうと、テレビには出演されていても、局に着いて車を降りたあとは、ずっと車椅子で移動されていて、ご自宅でもなかなか思うように体が動かせない、というようなことで、

『そういう姿を人には見せたくない』と。実際にご体調が悪いのと、一種の美学と、恐らくはその両方で、面会は基本的にお断りされているということでした」

まもなくニューヨークへ渡る予定だった平野さんは、そのことも美輪さんに伝えた。

「ええ。美輪さんご自身のニューヨークでの思い出を色々と話して下さいました。とにかく『用心して行ってらっしゃい』と、本当に僕のことを気遣ってくださいました」

しかし、その声には以前のような力強さは感じられなかったという。その電話が、結果的に美輪さんとの最後の会話となった。

歌手や俳優、芸術家としてだけでなく、生き方そのものが多くの人を魅了した美輪さん。平野さんも、魅了された一人だったという。もっとも、最初から熱烈なファンだったわけではないという。

「子どもの頃、テレビで見て『この人はいったい何なんだろう』と思ったのが最初でした」

平野さんの世代にとって、美輪さんは、1960~70年代の“前衛芸術家”というより、テレビで強烈な存在感を放つ「不思議な人」だったという。

その印象が変わったのは、平野さんが三島由紀夫に傾倒するようになってからだ。三島作品を読み、美輪さん――当時の丸山明宏さん――が三島と深く交流していたことを知る。

「子どもの頃にテレビで見ていた美輪さんと、三島由紀夫と交流を持っていた丸山明宏という存在が、自分の中でつながっていったんです」

さらに、美輪さんが劇作家の寺山修司や、作家の故・瀬戸内寂聴さんら、多くの文化人に愛されていたことも知り、「どういう人なんだろう」と興味を抱くようになったという。

■「30分も遅刻した」初対面

そんな平野さんが初めて美輪さんに会ったのは、2002年頃。対談の企画で、世田谷にある美輪さんの自宅を訪れたのだ。

当時、平野さんはまだ京都在住。東京に土地勘がなく、乗ったタクシーは住宅街で迷い続けた。

「近くまで来ているのに、30分くらいぐるぐる迷ってしまったんです。本当に永遠のように感じた30分でした」

「30分も待たせてしまっている」と思うと、平野さんは生きた心地がしなかったという。美輪さんのマネージャーに電話を入れ、道を聞きながら右往左往。ようやく到着したときには、「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げるところから対談が始まった。

ところが、美輪さんは怒るどころか、穏やかに迎え入れてくれた。

「とても親切でしたね」

緊張していた気持ちは、すぐにほぐれた。何より驚いたのは、美輪さんとの会話だった。

「頭の回転がものすごく速いんです。話が縦横無尽に広がっていって、しかもウィットに富んでいる。この人が三島由紀夫や寺山修司といった文学者たちに愛されたのはよくわかるなと思いました」

美輪さんは、平野さんが当時、上梓したばかりの小説『葬送』を高く評価し、「まるで19世紀を見てきたかのようによく書けてるわね」と絶賛してくれたという。

それ以来、美輪さんは、舞台があるごとに平野さんを招待してくれるように。

美輪さんは著書『乙女の教室』のなかで、故人となった三島由紀夫や泉鏡花と並び、《今、生きている作家なら、ボーイフレンド未満の平野啓一郎さんが好き》と名を挙げている。

【後編】「お前を殺してやる!」美輪明宏さんの迫力に震え上がって…小説家・平野啓一郎が明かす交流秘話へ続く

編集部おすすめ