宇宙が始まる前には、何があったのか?
子どものころ、一度はそんなことを考えた人もいるかもしれない。
星空を見上げれば、宇宙はどこまでも広がっているように見える。
だが、その広がりに「果て」はあるのか。
始まりがあるなら、その前には何があったのか。
誰しもふけるであろうそんな空想、実はホットな学術テーマの一つでもある。
それは現代宇宙論が本気で突きとめようとしている、時間そのものをめぐる深い謎なのである。
ビッグバン=爆発の誤謬(ごびゅう)
宇宙の始まりと聞いて、多くの人がまず思い浮かべるであろう「ビッグバン」。
約138億年前、宇宙は極めて高温・高密度の状態にあり、そこから膨張して現在の姿になった、というのが現代宇宙論の基本的な描像である。
ただし注意が必要なのは、それが何もない暗闇の中で火の玉が爆発し、物質が四方八方へ飛び散ったという出来事ではないこと。
膨張しているのは空間(時間も)そのものだ。
たとえば風船の表面に点を描き、風船を膨らませると、どの点と点の間もその距離は遠ざかっていく。
風船の表面に住む小さな生き物から見れば、どの点も特別な中心ではない。
宇宙の膨張もこれに少し似ている。
どこか一か所を中心に爆発が起きたのではなく、宇宙全体のスケールそのものが変化してきたのである。
では、時間を過去へ過去へと巻き戻していけば、宇宙の「最初の瞬間」にたどり着けるのだろうか。
実はここから話は急に厄介になる。
宇宙には「光で見えない時代」がある
私たちは宇宙を主に光で観測している。
遠くの銀河を観測することは、遠い過去を見ることでもある。
光の速さが有限なため、遠くから届く光ほど昔の宇宙の姿を伝えているからだ。
では、望遠鏡をどんどん高性能にすれば、宇宙誕生の瞬間そのものを見られるのだろうか。
残念ながら、少なくとも通常の光、つまり電磁波による観測では、そこには大きな壁がある。
宇宙が誕生してから約38万年後、宇宙は十分に冷え、電子と原子核が結びついて中性原子ができるようになった。
それ以前の宇宙は高温のプラズマで満たされており、そのため光は電子に散乱されまっすぐ進むことができなかった。
まるで、宇宙全体が濃い霧に包まれていたような状態である。
その霧が晴れたころに放たれた光が、現在では宇宙マイクロ波背景放射として観測されている。
これはいわば宇宙の最古の古写真だ。
だが、それは誕生直後の写真ではない。
私たちが光で直接見ることのできる最古の宇宙は、すでに誕生から約38万年が過ぎた姿なのである。
もちろん宇宙論はそこで止まらず、さらに探究の場を広げてきた。
素粒子物理学、重力波、インフレーション理論、量子重力理論などを手がかりに、さらに初期の宇宙を探ろうとしてきたのである。
しかし、時間ゼロそのものに近づくほど、現在の物理法則をそのまま使ってよいのかが分からなくなる。
宇宙の始まりを考えることは、物理学そのものの限界を問うことでもあるのだ。
「始まりの前」とは?
ここで、もっと根本的な疑問が出てくる。
もし宇宙とともに時間そのものが始まったのだとしたら、「宇宙が始まる前」という言い方には意味があるのだろうか。
私たちは日常的に、すべての出来事には原因があると考える。
コップが割れたなら、落とした人がいる。
火がついたなら、火種がある。
だから宇宙誕生にも原因があり、その原因は宇宙の前にあるはずだ、と考えたくなる。
しかし、この発想は時間を前提にしている。
「AがBの原因である」と言うとき、普通はAが先に起こり、Bが後に起こる。
原因と結果の関係は、時間の流れを背景にしている。
ところが、その時間そのものの始まりを問題にしている場合、「始まりの原因は何か」と問うことは、少し奇妙なことになる。
たとえるなら、「北極より北はどこか」と尋ねるようなものだ。
地球上を北へ北へ進めば北極に着く。
だが北極に立ったとき、「さらに北へ行く」とは何を意味するのか。
そこでは、問いの形式そのものが成り立たなくなる。
同じように、宇宙の始まりが時間の始まりでもあるなら、「その前には何があったのか」という問いは、答えが分からない問いというより、そもそも問い方が間違っている可能性がある。
これは言葉遊びではない。
現代宇宙論が突き当たる、本質的な問題である。
時間が消える宇宙論
さらに奇妙なことに、宇宙全体を量子的に記述しようとすると、私たちが当たり前だと思っている「時間」が、基本方程式の中から姿を消してしまうことがある。
その代表例として知られるのが、量子宇宙論に登場するWheeler–DeWitt方程式[https://journals.aps.org/pr/abstract/10.1103/PhysRev.160.111]である。
通常の物理学では、物体や場が時間とともにどう変化するかを調べる。
しかし宇宙全体を対象にすると、外側に時計を置くことができない。
宇宙の外に観測者がいて、外部の時間で宇宙の変化を測る、という設定ができないからだ。
宇宙とは、すべてを含む対象である。そのため、宇宙全体の理論では「時間とは何か」が、単なる背景ではなく、説明されるべき対象になる。
ホーキングらが提案した無境界仮説[https://journals.aps.org/prd/abstract/10.1103/PhysRevD.28.2960]も、この問題に関わっている。
この考え方では、宇宙の始まりは境界ではなく、地球の北極のようなものとして捉えられる。
北極は地球上の特別な点ではあるけれども、そこで地面が途切れているわけではない。
同じように、宇宙にも「始まり」はあるが、それは時間の端ではないかもしれない、という発想である。
もちろん、これらはまだ確立された最終回答ではない。
循環宇宙、量子重力、マルチバースなど、宇宙の始まりをめぐってはさまざまな仮説がある。
だが、それらが共通して示しているのは、「世界の始まり」とは、単に昔へさかのぼれば見つかる一点ではないかもしれない、ということだ。
私たちはどうしても、物語に始まりを求める。
原因を求め、第一歩を求め、「最初に何があったのか」と問いたくなる。
それは人間の思考に深く組み込まれた習慣なのかもしれない。
しかし宇宙は、人間の直感に合わせてできてなどいない。
世界の始まりを説明しようとするとき、私たちは宇宙の謎だけでなく、自分たちの問い方そのものにも向き合うことになる。
宇宙論が突き当たっている最大の謎は、「最初に何があったのか」ではなく、「時間が始まるとは何を意味するのか」なのかもしれない。
References: Journals.aps.org[https://journals.aps.org/pr/abstract/10.1103/PhysRev.160.111] / Journals.aps.org[https://journals.aps.org/prd/abstract/10.1103/PhysRevD.28.2960]











