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とてもいい本ができたので、とにかくたくさんの人に読んでほしい」という担当編集からの要望を受け、9月29日に発売するアナウンサー・吉田尚記さんの新刊『ご機嫌の技術 人生を上達させるウェルビーイングと推し活』から、「はじめに」と「第一章 不機嫌のパンデミック」をすべて先行で公開します!

ニッポン放送のアナウンサーとして27年、言葉の最前線で戦い続けてきた吉田尚記さんが、50歳で「社会的安定」という看板を脱ぎ捨て挑んだのは人生最大の人体実験だった――。そして辿り着いた「誰といても、一人でいても、ご機嫌でいられる」ための方法論とは?

第二回となる今回は、「第一章 不機嫌のパンデミック」の冒頭を公開。

書籍は、全国の書店・オンラインストアでご予約いただけます。ぜひお買い求めください。

「自称アナウンサー」という肩書

 どうも、「自称アナウンサー」の吉田尚成です。

 私を初めて知ってくださる方も含めて、私の自己紹介と、本書のテーマである「不機嫌のパンデミック」をすり抜ける「ご機嫌の技術」についてお話ししていきましょう。

 まずは、「自称アナウンサー」ってどういうことなのか。

 私は、2026年3月31日付で、27年間勤めたニッポン放送を退職しました。ラジオのパーソナリティのほか、アニメやアイドルのイベントのMCを務めるなど、「日本一忙しいアナウンサー」と、勝手に記事にしてくださった記者の方もいらっしゃいました。

 会社に勤務していたころは当然、「ニッポン放送アナウンサー、吉田尚記です」という自己紹介をしていました。

 では、退職したのならば、「アナウンサーの吉田尚記です」でいいんじゃないの? とおっしゃる方がいるかもしれません。そこは、アナウンサーという職業の性質と関わりがあるのです。実は、アナウンサーって、資格職じゃないんですよ。

 放送局は、公共の電波を利用するために総務省から免許を取得しています。そして、放送局はアナウンサーの能力を有しているとみなした人を採用し、その人をアナウンス室などの部署に配置します。

 それでニュース番組で原稿を読み上げたり、街角でインタビューなどを実施したりして、アナウンサーとして世間に認知していただくわけです。

 だから、アナウンサーは放送局に所属し、アナウンサーの業務をしているから、その人は「アナウンサー」を名乗ることができるんですね。

 なので、放送局を離れた今、私が自分をアナウンサーだと思っていても、それは社会が認めてくれなければ成立しない。だから「自称」なんです。

 一般に放送局を退職したアナウンサーは「フリーアナウンサー」として扱われます。まさに今の私も立場は同じではありますが、「フリー」という言葉は、言ってしまえば、「自称」ですからね。「フリー弁護士」とか「フリー医者」という方がいないのに、アナウンサーだけフリーをつければ成立する、ってのも変な気がして。

 自らの怪しさをちゃんとお伝えするべく、「自称アナウンサー」と名乗っております。

 細かいことですが、そういうことがいちいち気になる性分でして、ご説明申し上げました。

ポンコツからスタートしたアナウンサー業

 さて、退職を発表したとき、知人やリスナー、関係者の方々からさまざまなお言葉をいただきました。

 主な感想は以下の3つ。

「とっくにフリーランスだとばかり思っていた」
「やっと辞めたのか」
「ここまできたら、むしろ定年まで勤務すると思っていた」

 うんうん、そうですよね。

 実は、ニッポン放送ではあまりにも規格外の働き方をしているがゆえに、退職前10年ほどは、「吉田ルーム」という部下が一人もいない部署を作っていただいており、もちろんレギュラー番組で話させていただいている一方で、ニッポン放送とは全く関係のないイベントや、時には他の放送局にほぼ毎週出演していて、社内で見かけることがほとんどないという、およそ局アナらしくない働き方をしていました。

 だから、とっくにフリーランスだった、という感想はそう思っても当然だよね、と思います。

 そして、50歳になるタイミングでニッポン放送を退職することに驚いたという言葉にも同感です。自分でも退職するとは思っていませんでした。

 そもそもの話をすると、大学4年で就職活動を始めるまで、自分がアナウンサーになるなんて思いもよらないことでした。

 子どものころから最新デジタルギアに心をときめかせていたので、将来はパソコン雑誌の編集者になりたいと夢見ていました。

 それがどうして――ごめんなさい、大した理由はありません。ニッポン放送の就職試験を受けたのは、大学の就職課に募集要項が貼られていたから、ただこれだけです。落語研究会に入っていて、しゃべることは好きだったので、「しゃべる仕事は面白そうだなー」という、実に軽薄な理由です。

 「まぁ、どうせ受かるわけはない」と完全に社会見学気分でした。

 面接で大学在学中のことを聞かれて、落語研究会以外のことはほとんどやってなかったですから、面接なのに扇子と手ぬぐいを持って行って、小咄を披露したりしました。

 それが果たして人事の方にウケたのかはわかりませんが、… …まさかの採用。

 当時は就職超氷河期時代ですから、花形のマスコミ業界でアナウンサーは望外の喜びのはず。

 でも、私にとっては内定を獲得した喜びなんて微塵もなく、予期せぬ進路が決定してからようやくことの重大さに気づきました。

「本当にアナウンサーになるのか!?」
「ちゃんとアナウンサーをやれるのか!?」

 頭の中で自分に問いかけた途端に恐ろしくなりました。

 一般にアナウンサー志望の人は入社試験対策として、情報収集に優位な「放送研究会」的なサークルに加入したり、発声や原稿を読むといった基本スキルを身につけられるスクールに通ったりします。

 後に私と同期となった女性アナウンサーもスクール経験者で、すでに基本的な技能は会得していました。

 一方、私はというと――、大好きなアニメを観て、アイドルのライブ現場に身を投じるというオタ活動に一生懸命の4年間(正確には中高生から全く変わりません)。

「入社までにどうにかしてアナウンサーの素養を身につけなければ」
「残された大学生の時間を有効に活用しなければ」

 こんなふうに気持ちばかりが焦り、いろいろ足掻いて私が取った行動の一つが、本書の冒頭「はじめに」のTSUTAYA通いでした。

 何も借りずに自宅とTSUTAYAを往復する日々。

 気休めに好きなアニメ作品でも借りようか……なんて考えは全く思いつきませんでした。

 そして本選び。元々読書が趣味だったので自己啓発的な本など、とにかく気の向くままに手を伸ばしてページを繰りました。「何でもいいから答えが欲しい!」と思っているからどんどん読めちゃうんですね。でも、気分が晴れることはない。

一生で一番不安な時期でした。

 不安に追い立てられているうちに、大好きなアイドルを追いかける意欲などどこかに飛んでいました。この間は灰色の記憶しかなく、具体的な技能はお察しのように何一つ身につけられないまま。

 そして仕事でインタビューをしてみて、自分はスムーズに会話をして人間関係を築くことが苦手という、「コミュ障」であることを痛感しました。まさに、当時世間に流布しだしたこの「コミュ障」と言う言葉で「自分のことかも… …」と思った、最初の世代だと思います。

 このように同期入社組のなかでスタート以前に大きな差があり、アナウンサーの水準に満たない私は社内では「ポンコツ」でした。

 上司に叱られない日はない悪戦苦闘のツライ日々。仕事での失敗は星の数ほどあって、細かく挙げていったら紙幅が尽きてしまうくらい。「日本一絡みづらいアナウンサー」なんて呼ばれる始末でした(そのあたりは拙著『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』をご覧ください)。

安定したアプリのインスト―ル

 そんな私に転機が訪れました。

 入社から3年目の2002年、映画『WXⅢ 機動警察パトレイバー』公開を記念して『機動警察パトレイバーのオールナイトニッポン』の特別番組をたまたま担当することになったのです。

 私は中学生のころから『パトレイバー』のファンクラブに加入しているくらいのガチ勢だったのです。もちろん、プロデューサーはそんなことはつゆ知らず、「アニメなら若いアナウンサーがやるもんだろう」程度の差配だったのですが、そのときの私からすると、大事件! 寝ても覚めても『パトレイバー』のことしか考えたことがなかった私に、その特別番組のパーソナリティの席が回ってくる… …! このときの衝撃は計り知れません。

 そして、迎えた生放送。

 それまでは、「アナウンサーらしく」という全く漠然とした、ふわふわした価値観に振り回されながら、リスナーさんに失礼な、気の入ってない放送しかできていなかったのですが、心底好きなテーマの放送。次から次へと興奮ぎみに勝手な知識と愛が口からあふれ出していて、「アナウンサーらしく」みたいなことは一切考えていませんでした。

 放送の向こう側には「この番組は本物のオタクがしゃべっているぞ!」ということが伝わり、翌朝の制作部には、何十センチもの厚さに積み上がったFAX(当時はリスナーからのメッセージをメールではなくFAXでいただいていました)があったのです。

 その放送がうまくいったのは、本当にたまたま。それまで、鳴かず飛ばずだったのが「アニメは吉田に任せるのがよかろう」みたいになって、その後はアニメに関するラジオ番組を担当させていただくようになりました。

 さらにラジオ番組の影響で、社外からアニメイベントの司会というアナウンサー以外の業務の依頼が舞い込みました。そっち分野の依頼は途切れるどころか、やがてニッポン放送の業務量を上回るようになり、売り上げはもちろん会社に計上していたために、特例的に私だけの部署「吉田ルーム」が設けられたのです。

 「アナウンサールームは売り上げを立てる部署じゃないから」とルーム設立の辞令をもらうときには説明されたくらいです。

 局アナというある意味安定した仕事と、趣味的なアニメ・アイドルのイベント業務を並行して行い、それを会社も認めてくれている、という幸せな環境。それらをすべてなげうってしまった。客観的に見れば、これは「正気の沙汰」ではないかもしれません。

 しかし、50歳になった私は、この環境をアンインストールし、「無職(自称)」という極めて不安定な状態に自分を置いてみることにしました。

 普通に考えれば、将来への不安で夜も眠れず、不機嫌のどん底に落ちていてもおかしくない状況かもしれません。そりゃ、みなさん、不思議に思いますよね。

人が「良い」と言うコトはとりあえずやってみる人生

 あまりにもたくさんの方が私の決断を不思議がられるので、自分の来し方をちょっと振り返ってみました。

 強いてまとめるならば「日本人の今の標準的な生き方を取りあえず全部体験してみた」というところでしょうか。「やったほうがいいよね」とされていることを、そのままやっちゃうタイプ。無思慮で、自分に確固たる価値観がないからでしょう。

 中学受験で志望校に入学。エスカレーターで進学した高校ではアイドルの追っかけなど好きなことをして遊んでいて、特に高校3年のころは家で一度も勉強しなかったからどこにも引っかからず、1年間予備校に通う浪人生活。翌年大学に入学して4年間で卒業して就職して29歳で結婚して30歳のころには娘が生まれた、という全くレールを外れていない人生です。退職せずにまだ会社に勤めていたら、銀行がめっちゃローンを組ませてくれそうじゃないですか(笑)。

 進路選択は、「みんながそうするって言うなら」と流れに乗っただけなんだけど、その裏には面白そうっていう気持ちがありました。

 中学受験……塾ってどんなとこだろう? 浪人生ってこんな生活かぁ。就職活動ってこういうことね……という具合に、レールどおりであることに反感は特になく、常に社会科見学気分ではありますが、自分で選択をしていました。

 人生の一大転機でもある「結婚」にしたって、一定期間付き合ってきた今の奥さんにこれからどうしようかなというときに、「結婚したことある?」と聞かれて「ない!」(これって未知で面白そう……)「じゃあ結婚しようか」と決断しました。

 会社員生活は20代と30代と40代それぞれでやることは違っていて、いろんなことを一通り体験しましたが、50歳になる際に、定年までの10年間でこれまで以上の新しい体験はもうあんまりないんじゃない? と、ふと思ったんです。

 で、裸の「天然物」に戻ってみた私を待っていたのは、驚くべき事態でした。

 なんと私は今、人生で「過去イチ」にご機嫌なんです!

ウェルビーイングという考えとの出合い

 私の頭の中には常に「幸せに生きるって何だろう?」という疑問がありました。

 高校のときに、後輩がふと口にした、「完璧な社会というものがあるとして、完璧な社会なんてつまらない、っていう人がいるけれど、そういうことも含めて完璧な社会」という言葉を聞いてから、「おお、そういう想定ってあり得るんだ、じゃ、幸せすぎてつまらない、っていうこともあるかもしれないけど、そういうことも解消した上での幸せ、ってのもあるはずだよなぁ」と、考えつづけていたのでした。

 ただ、そのときに使う「幸せ」という言葉が、なんかふわふわしているなぁ、と思っていたのです。

 例えば、人はたいてい、幸せに生きたいと思っている。わざわざ不幸になるために日々を選んでいる人はいないはずなのに、気がつくと、そのつもりで選んだ行動が自分をいきいきしない方向へ連れていってしまうことがあります。その「誤作動」を、どうすれば整理して考えられるのか。「幸せ」という言葉は漠然としていて、イマイチ釈然としないな、という気持ちを、抱え続けていたのです。

 その考えに衝撃を与えてくれる出会いが、10年ほど前にありました。

 それが、当時予防医学研究者だった石川善樹さんに教えていただいた、「ウェルビーイング」
という考え方です。

 ウェルビーイングという言葉は1946年に採択されたWHO憲章の前文にあります。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
【訳】
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的に
も、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。
(公益社団法人日本WHO協会)

 ここではウェルビーイング(Well-being)は「すべてが満たされた状態」という意味で使われています。

 ウェルビーイングは、疾病がないことを意味するのではないのですね。

 私は自分なりにウェルビーイングについて解釈して、短い日本語で表すなら「いきいきしている」ことだと考えました。

 元気に動けることと「いきいきしている」ことは、重なりはしても同じものではありません。例えば、病気であったり、人生でとても大変なできごとのただ中にあったりしても、人がいきいきしていることはあり得ます。逆に、健康診断の数値に問題がなく、世間的には順調に見えても、本人が全くいきいきしていないこともあります。

 ウェルビーイングは、疾病がないことを意味するわけではない。そう、ある程度幸福につながる要素には共通点はあるものの、健康だったり物質的に豊かであればすぐ幸せ、となるほど簡単ではないし、逆に大病を患っていたり、経済的に窮乏していても、満たされていることは可能、であると思えるこの考え方こそ、本質的だと感じました。

 一応、なんとなくみんなが感じていることを言語化する仕事であるアナウンサーの私が解釈するに、ウェルビーイングとは、「いきいき」ということだと思いました。

 元気に動けることと「いきいきしている」ことは、重なりはしても同じものではありません。例えば、病気であったり、人生でとても大変なできごとのただ中にあったりしても、人がいきいきしていることはあり得ます。

 石川さんはウェルビーイングをこのように語っていました。

「朝ワクワクして目が覚めて、夜満ち足りて眠る」

 地位や名誉やお金より、これ以上に人が必要とすることって、ありませんよね。

 子どものころ、明日が来るのが待ち遠しくて、朝早く目が覚めたことってありましたよね? 子どもはいきいきしていることが多い。ところがいきいきしている大人は少なく見えます。

 普段、「幸せ」という漠然とした言葉でものごとを見てしてしまって、判断を誤っていることは少なくないのではないか、と思わずにはいられません。これをウェルビーイング、という基準で見たら、ものごとを変えられそうな気がしませんか?

<次回は9月18日(金)17時配信予定です>

書誌情報

人が「良い」と言うコトはとりあえずやってみる人生

『ご機嫌の技術 人生を上達させるウェルビーイングと推し活』
著=吉田尚記
価格:1800円+税
仕様:四六判/192ページ

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<この記事をOHTABOOKSTANDで読む>

Credit: 文=吉田尚記

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