戦後81年の「慰霊の日」の23日、沖縄県内各地は鎮魂と平和の祈りに包まれた。沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が行われ、疎開先で爆撃の中を「生きたい」と強く願い生き延びた体験者のひ孫が、平和の詩を朗読した。


平和の詩を読み上げる亀谷琉奈さん=23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園(銘苅一哲撮影)
 
 今年、「生きたいと願った証」と題した詩を朗読したのは豊見城市立豊崎中学校2年の亀谷琉奈(るな)さん(14)。曽祖母から戦争の話を聞いたのは5歳の頃。右太ももに「戦争で生き抜いた証し」の傷痕が残っていた。
 曽祖母は戦時中、石垣島から北マリアナ諸島のロタ島を経由して台湾に疎開した。
 灰色の空の下、空襲から逃げ、倒れて動かない人たちが横たわる道を「生きたい、死にたくない」と懸命に走った。恐怖と不安でいっぱいになり、気が付けば右手に持った石で自身の右足を何度も引っかき血だらけになっていたという。
 極限の状態でも生きることを諦めずに生き延びた曽祖母。亀谷さんが戦争の話を聞いたのは、その一度きりだった。いつもの明るい笑顔は消え、曽祖母が流した涙が忘れられない。
 亀谷さんは「曽祖母が命をつないでくれて、今の私がいる」と語る。詩を通して「一人一人、戦争に対する思いや記憶が違う中で、平和について考えるきっかけになってほしい」と思いを込めた。平和の詩の応募は846件あった。
(社会部・屋比久賢太)
【平和の詩「生きたいと願った証」(全文)】
あの日の沖縄には
青い海も
優しい風もなかった
空は黒く
地面は揺れ
人々の叫び声が絶えなかった
爆撃の音が
心まで壊していく
まだ若かった曾祖母は
小さな体で必死に走った
血だらけの道を
倒れた人たちの横を
もう動かない人を見ながら
涙を流す暇もなく
ただ生きるために
そして
愛する夫の命を案じながら
「お願い 生きていて」
その想いだけを胸に
足がもつれても
呼吸が苦しくても
転びそうになっても
前へ前へと走った
しかし
その願いは
もう二度と届かなかった
その時のことを話す曾祖母の声は
今でもとても優しい
でも 私は知っている
その優しい声の奥に
今も消えない悲しみがあることを
細い足
しわしわの手
小さな背中
長い年月を生きてきたその姿を見るたび
私は戦争の重さを感じる
そして
曾祖母の右足には
今も傷が残っている
それは
戦時中 自分で引っ掻いた傷
灰色の空の下
爆撃の音が鳴り響く
恐怖と不安でいっぱいになり
右手に握った石で
自分の右足を何度も何度も引っ掻く
気づけば手も足も血だらけだった
私が真実を知った時
胸が締めつけられた
どれほど怖かっただろう
どれほど苦しかっただろう
生きたい
死にたくない
その想いだけで
曾祖母は必死に生き延びた
戦争は人を傷つける
体だけじゃない
心まで壊してしまう
家族と笑う時間
友達と過ごす日々
「また明日ね」と言える幸せ
そんな当たり前を
全て奪ってしまう
でもそれは
当たり前なんかじゃない
血と涙の中を生き抜いた人たちが
命を繋いでくれたから
今の私たちがいる
もし曾祖母が
あの日 走っていなかったら
もし
あの日 命を落としていたら
私はここにいなかった
曾祖母の右足の傷は
ただの傷じゃない
「生きたい」と強く願った証
「戦争は二度としてはいけない」
という叫び
私はその想いを
これから先も伝えていく
もう誰にも
血だらけの道を
走ってほしくないから
もう誰にも
愛する人の命が奪われることに
怯えてほしくないから
もう二度と
沖縄の空を戦争で
染めてはいけないから
平和は当たり前じゃない
たくさんの人の涙と苦しみと
「生きたい」という願いの上にある
だから私は忘れない
沖縄戦で苦しんだ人たちを
愛する人を守ろうとした想いを
泣きながら生き抜いた人たちを
そして
曾祖母の右足の傷を
「生きたい」と願った証の傷を
平和な未来へと繋いでいくために
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