米軍統治下の沖縄で起きた最大の墜落事故からきょうで67年になる。
1959年6月30日午前10時40分ごろ、嘉手納基地を離陸したジェット戦闘機が、石川市(現うるま市)の住宅地域に墜落炎上し、宮森小学校の校舎に激突した。
焼け落ちた教室の灰の中から見つかった女の子は、誰だか分からないほど黒焦げの状態で命を落とした。ブランコで遊んでいた男の子は爆風でブランコごと20メートル離れたブロック塀に叩きつけられ即死状態だった。
当時6年生だった伊波洋子さん(78)は事故で、毎日一緒に登下校していた2人の同級生を亡くした。機首とタイヤが教室内に飛び込み「流れる血で服が赤く染まる中、必死で逃げた」。67年目にして初めて取材に応じつらい記憶を語った。
気持ちが幾分軽くなったのは2011年。NPO法人「石川・宮森630会」が証言集を作るため、同級生らに呼びかけた座談会に参加してからだ。同会は当時の児童や教師が「生き残った者として事故を風化させず後世に語り継いでいこう」と活動している。忘れたいつらい記憶でも決して忘れさせないことをテーマに証言を集めてきた。
身を削るように、記憶をつなごうとつづられた言葉の重みを胸に刻みたい。
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事故前年の1958年は冷戦下、中国と台湾が武力衝突する第2次台湾海峡危機が勃発していた。
事故機は59年の5月から6月の間、台湾に配備されていた。そこで機体の安全に関する問題が見つかり嘉手納に移されて整備を受けていたのだ。テスト飛行中に事故は起きた。
米軍は、当初「エンジン故障による不可抗力」と発表。だが、実際には、整備不良やパイロットの技術的責任が原因だったことが、宮森630会が翻訳した米公文書館所蔵の米軍資料などで明らかになった。
あれから67年。広大な基地と住宅地が接する状況は変わっていない。米中の覇権争い、「台湾有事」を念頭にした日本の防衛力強化。事故への懸念は消えない。
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宮森小の事故では、パイロットは墜落直前に脱出。
そこから見えるのは、軍事優先、住民の安全軽視の姿である。きょうまで開催されている事故の写真展には、わが子の遺体を前に泣き崩れる母親や米軍が事故現場を封鎖する姿も写す。
「新たな戦争」の影に危機感が募る中、事故は決して遠い過去のものではない。

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