■「お友達」で幕僚を固めたストリンガー会長
ハワード・ストリンガーが会長になると、藤田州孝(くにたか)をはじめ、お友達で幕僚を固めていった。
女性弁護士のニコール・セリグマンは、そのひとりだった。モニカ・ルインスキーとのスキャンダルの際にクリントン家の防衛に回ったことで名を上げ、2001年に米国ソニーに入り、ストリンガー政権誕生と同時にソニー本社の執行役EVP兼ジェネラル・カウンセルとして法務や広報を統括した。
もう一人が平井一夫だった。1984年にCBSソニーに入社し、久保田利伸の付き人のような仕事に携わり、やがてソニー・ミュージックエンタテインメントの実力者である丸山茂雄に可愛がられるようになった。米国育ちで英語が流暢(りゅうちょう)なことが、平井のセールスポイントだった。1997年にソニー・コンピュータエンタテインメントの執行役員に就くと、今度はプレステの立役者である久夛良木(くたらぎ)の部下として頭角を現した。ストリンガーにとって、ネィティブ並みの英会話能力のある平井は頼もしく、重宝がられていった。
それに対して、社長としてエレキ部門を掌握する中鉢良治は英語が苦手だった。ストリンガーをはじめ、数人の外国人の社外取締役がいるソニーの取締役会で中鉢には同時通訳が付いた。
■社長は「プライドの高いエンジニア」
中鉢は宮城県出身で東北大を卒業後、ソニーに入社したものの、カセットテープや電池などを所管する仙台の工場に勤務する時代が長かった。「仙台の伊達政宗がいきなりホワイトハウスに来たような感じでした」。中鉢側近の社長室長はそう観察した。
仙台ではすべてのことを掌握しきれていたが、ソニー本社に乗り込むと、ゲームも金融もエンタメもわからない。エレクトロニクス部門を所管しているのに、デバイスの世界を中心に歩んできたから、テレビやビデオ、オーディオといった消費者相手の家電ビジネスに自信がなかった。「プライドの高い人だから、馬鹿にされたり不用意なことを言ったりするのが嫌なんです。そうなると黙ってしまって、コミュニケーションもとりにくくなっていきました」(社長室長)
中鉢は器量不足だった。「目の付けどころがいつも重箱の隅なんです」。
■半月しか日本にいない会長兼社長兼CEO
プライドの高いエンジニア出身の中鉢に、実権のない中二階の「副会長」というポスト就任を打診すれば、「オレをバカにするのか」と怒り出して辞職するかもしれないと思われた。当の藤田が「中鉢さんはこんなことに耐えられる人ではありません」と事前に大根田に説明していた。だが、中鉢はあっさりその申し出を受け入れた。ストリンガーはかくして2009年、会長兼社長兼CEOになり、ソニーの全権を完全に掌握した。
ストリンガーはその就任記者会見で「もう一つのレイヤーを置くのではなく、CEOが直接あらゆる分野を掌握する」「なぜ社長というもう一つの層を設ける必要があるのでしょう。もう一つ別の官僚機構を設ける必要はありません」という言い回しで、中鉢を副会長に据える理由を説明した。中鉢はそれを受け入れて「経営体質の強化の道筋がついた」うえ、「新しい成長戦略を作るに当たって、若い世代中心に作るのが最善だろうと考えた」と、あっさり降板を容認した。
これで「これからは月に2週間は東京にいるようにします」と、半月間しか日本の本社に滞在しないことを公言する外国人がソニーを完全に支配することになった。権力闘争のあっけない幕切れについて、元副社長の伊庭保は「中鉢みたいな、あんなお気楽で、幸せな社長はなかなかいないな」と嘆息した。
■巨額赤字なのに報酬は8億円
ストリンガーにとって目の上のたんこぶだった中鉢を脇に追いやり、代わって彼が「四銃士」と称して引き立てたのは、平井をはじめ、鈴木国正、吉岡浩、石田佳久だった。それにストリンガーの秘書のような仕事をしてきた神戸(かんべ)司郎や、エレクトロニクス部門のリストラ役に起用された中川裕が加わった。
彼らはストリンガーの取り巻きだった。ストリンガーはみんなで酒を飲んでワイワイやるのが好きで、もめ事やいざこざを嫌った。だから彼に耳の痛いことを言う人はいなくなった。リストラを進める半面、役得が大好きだった。ストリンガーは東京・恵比寿のウエスティンホテルのスイートを長期間借りっぱなしにしていたし、しょっちゅう開く盛大なパーティーは、もちろん会社持ちだった。平井は家族を米国に残し、東京への出社は出張扱いだった。
ソニーは2008年度に純損益が赤字転落すると、ストリンガーが会長兼社長兼CEOを辞める2011年度まで4年連続で巨額赤字を計上し続けている。それにもかかわらず、ストリンガーはストックオプションも加えると2009年、2010年度には各8億円余りの報酬を享受し、4500億円もの赤字だった2011年度も4億5000万円もの報酬だった。
■OBからの猛反発
エンタメ出身のストリンガーはテクノロジーの進歩に明るくなく、国内市場ではシャープやパナソニックに押され、海外市場では韓国サムスンやLG、さらに台湾や中国のメーカーにソニー製品は駆逐されていった。ストリンガーから製造の外部委託を進めることを指示された中川は手はじめに、欧州の拠点としてスロバキアに造ったばかりの液晶テレビの新鋭工場を鴻海にたたき売った。ドイツから東欧に生産拠点を移すとともに最新鋭の生産設備を導入したのに、完成してわずか3年で「テレビは儲からないから」と売却である。中川は社内やOBから「工場を閉めることしか能がない」と言われるようになった。
ソニーで「ウォークマン」やCDの開発などにあたってきた元副社長の大曽根幸三は、ストリンガーが中鉢を追いやって「会長兼社長兼CEO」に就任したことに我慢がならなかった。「ソニーよ“普通の会社”にまで堕ちてどうする」と題した長文の告発レポートを作成し、同憂のOBに配布した。それによると、「ソニーの主体は製造業で、売り上げの7割がエレクトロニクス関連機器のハードメーカー」だが、ストリンガーに「『ハード戦略をこう進める』という肝心の旗印が見えない」と難じている。
「ソニーをけなそうと思って書いたんじゃないんだ」。大曽根は意図をそう語った。
■「お前はニューヨークに帰れ」
大賀のもとには歴代の幹部が「このままでいいんですか」と愚痴をこぼしに来ていた。大賀の腹案は久夛良木(健)の起用だった。「大賀さんはハワードを切った後のことを明言はしなかったけれど、明らかに久夛良木を呼び戻そうとしていた」。そう大根田は推測していた。
大賀は意を決し、ストリンガーに「お前はニューヨークに帰れ」「エレクトロニクスがわからんだろう」などと何度も退任するよう伝えたが、ストリンガーはそのたびに「あなたは何の権限があって私に辞めろというんですか」と切り返した。ただの相談役の大賀には確かに経営トップを引きずり下ろす権限はなかった。
代わって社外取締役で取締役会議長を務める元富士ゼロックス会長の小林陽太郎にストリンガー降ろしへの協力を働きかけたが、小林はストリンガーを好ましく思っていて、動く気がない。財界活動で一緒だった大賀は何度も小林に直談判した。しかし小林は「ソニー議長」という肩書が気に入り、争いごとを起こそうとしない。
■旧本社の解体に涙を流した
大賀の執務室は、ソニーの栄光の時代にできた御殿山の旧本社ビル(NSビル)にあった。ストリンガーが御殿山のソニーのビル群を売却し、JR品川駅前に移転を決めた後も、大賀はNSビルに残った。「ハワードが『出て行け』と言っても大賀さんは出て行かなかった。
思い出の品がいっぱいあふれていて、大賀さんは自分の部屋から出て行くのを嫌がった」。側に仕えた大木充は回想する。NSビルを囲むように立ち並んだソニーのビル群の解体工事が始まると、窓のブラインドを開けて、その作業を眺めて泣き出した。
あの大賀が泣いていた。
ソニーの準創業者とも言える大賀は2011年4月に死去した。
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大鹿 靖明(おおしか・やすあき)
ジャーナリスト・ノンフィクション作家
1965年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。88年、朝日新聞社入社。2026年退社。主な著作に『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』、『堕ちた翼 ドキュメントJAL倒産』、『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』(第34回講談社ノンフィクション賞受賞)、『東芝の悲劇』、『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』など。編著書としてジャーナリスト、ノンフィクション作家10人との対談集『ジャーナリズムの現場から』がある。
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(ジャーナリスト・ノンフィクション作家 大鹿 靖明)

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