中国海軍の空母「遼寧」が5月下旬、宮古島の南方で3日間に約170回の発着艦を繰り返した。防衛大学校共同研究員の伊藤隆太さんは「中国の動きは違法ではないが、だからこそ危険だ。
彼らは当たり前に空母上で訓練を行うことで日本の感覚を麻痺させ、台湾有事の準備を着実に進めている。本当に危ういのは、日本社会が『またか』と受け流すことだ」という――。
■宮古島沖で中国軍が行った“実戦訓練”
中国海軍の空母「遼寧」が、沖ノ鳥島南西から宮古島南方・南西にかけた太平洋上で確認された。5月26~28日の3日間で艦載戦闘機と艦載ヘリの発着艦は約170回にのぼる。空母部隊が戦力として機能するために欠かせない発艦、着艦、整備、再発艦の循環を、日本の南の海で繰り返したのである。
6月2日に配信されたFNNプライムオンラインの記事は、防衛省の発表として、海上自衛隊の護衛艦が警戒・監視にあたったと報じている。
ここで問うべきは一つだ。日本の領海の外側で行われた中国空母の活動が、なぜ安全保障上の重大事態になるのか。中国の動きは、ただちに戦争を起こしかねないほどリスクがあるわけではない。この問題の本質は、台湾有事の前段階となる作戦環境が、平時のニュースとして定着しかねないところにある。
6月1日に発表された防衛省統合幕僚監部の資料によれば、「遼寧」は5月26日に沖ノ鳥島の南西約1090キロ、27日に宮古島の南約790キロ、28日に宮古島の南西約590キロで確認された。発着艦は26日に約80回、27日に約50回、28日に約40回で、計約170回に達した。

同資料は、レンハイ級ミサイル駆逐艦、ルーヤンIII級ミサイル駆逐艦、ジャンカイIII級フリゲート、フユ級高速戦闘支援艦などの随伴も示している。防空、水上戦闘、補給を担う艦艇を伴う空母部隊として、西太平洋で艦載機を繰り返し飛ばした点に今回の重みがある。
発着艦の回数は、空母部隊の練度を測る重要な指標である。空母は、航空機を飛ばし、戻し、整備し、再び出す循環を作れなければ戦力にならない。沖ノ鳥島南西から宮古島南方・南西にかけた太平洋上で約170回という実績を積んだことは、中国海軍が日本の南の太平洋で「戦う前に必要な手順」を確認している現実を物語る。
■「違法ギリギリ」だから手を出せない
今回の行動は、日本の領海侵犯ではなく、日本の領海外で行われたものだ。ここを誤ると、危機感はむしろ空回りする。
外務省の解説によれば、国連海洋法条約(UNCLOS)は領海、接続水域、排他的経済水域(EEZ)、公海を区別している。領海は原則として基線から12海里までで、沿岸国の主権が及ぶ。
接続水域では通関、財政、出入国管理、衛生など一定の分野で沿岸国の規制が及ぶ。排他的経済水域(EEZ)では、沿岸国が天然資源の探査、開発、保存、管理などについて主権的権利を持つ。一方、公海では航行の自由や上空飛行の自由が認められる。

国連条約集の国連海洋法条約ページは、同条約の発効日や締約国状況を確認できる基礎資料である。
この法的構造は、日本の対応の幅を狭める。防衛省資料は、第5水上戦隊所属の護衛艦「あさひ」が警戒監視・情報収集を行ったと明記している。焦点は、その後に残る限界だ。相手は、違法と断定しにくい海域で、軍事的意味の大きい訓練を積み上げている。
中国軍にとって、この手法は二重に有利である。軍事的には練度を上げられる。政治的には、日本が強く反応すれば「日本が緊張を高めた」と宣伝し、反応が鈍ければ「日本は止められない」と周辺国に見せられる。中国は、法の余白と情報戦の余白を同時に使っている。
■「また中国空母か」と思ってはいけない
中国側の第一の意図は、南西諸島を越えた空母運用の常態化だ。
宮古海峡を含む南西諸島周辺は、中国海軍が東シナ海から太平洋へ出る際の重要な通路に近い。そこを越え、台湾東方やフィリピン東方へ進むことは、中国軍にとって「西太平洋でも普通に作戦できる」と示す能力証明になる。

令和7年版防衛白書の中国に関する記述は、中国が第一列島線を越えて第二列島線を含む海域へ戦力投射できる能力など、より遠方の海空域で作戦を行う能力を構築していると説明している。今回の「遼寧」は、その長期的な流れの中で見るべきだ。
戦略国際問題研究所(CSIS)の分析も、2025年に「遼寧」と「山東」が第一列島線外で確認された日数は計58日で、2024年の32日を大きく上回ったと指摘している。空母の太平洋進出は、例外的な遠征から反復される訓練へ変わりつつある。
ここで中国の意図と日本の限界がかみ合う。中国は、空母が南西諸島の外側に出ることを日常にしたい。日本は、領海に入らない限り、強制排除よりも監視中心の対応になりやすい。一回ごとは「通常訓練」と説明できる。だが回数が増えれば、「中国空母がまた来た」という慣れが社会に生まれる。
既成事実化は、劇的な一線越えよりも、段階的な積み上げとして進むことが多い。最初は遠くで訓練し、次にやや近くで発着艦を増やし、さらに補給艦を伴って滞在時間を延ばす。違法と断定しにくい行動を重ねるうち、作戦可能な空間が広がる。
中国軍は、その段階的な変化に日本がどこまで反応するかを測っている。
■「台湾有事の急所」を狙っている
中国側の第二の意図は、台湾有事を見据え、台湾東方からバシー海峡、フィリピン東方、南西諸島周辺に広がる海空域を、平時から中国軍の作戦空間として慣らすことにある。
この一帯は、有事に米軍や自衛隊が台湾支援、部隊展開、補給、退避で使い得る重要な回廊である。そこへ中国空母が繰り返し進出すれば、台湾を西側から圧迫するだけでなく、東側に残された戦略的な余地にも圧力をかけることになる。
台湾海峡の西側だけを見ていると、この危険を見落とす。台湾東方は、台湾にとって退避や補給の余地であり、米軍や同盟国が展開し得る空間でもある。そこに中国空母が平時から近づけるようになれば、台湾は西から圧迫されるだけでなく、東からも選択肢を削られる。宮古島南方・南西に至る発着艦は、この地理と直結している。
6月1日に配信されたロイターの記事は、「遼寧」がフィリピン東方の太平洋で訓練を行い、宮古島から約590キロの距離まで接近したと報じた。ロイターは、中国が日本とフィリピンという米国の同盟国の安全保障協力深化に反応して西太平洋での海洋活動を強めているとも伝えている。
空母運用の意味は、艦載機の離着艦を越えて広がる。空母は、ミサイル駆逐艦、フリゲート、補給艦、潜水艦、陸上航空戦力、ミサイル戦力、サイバー・電磁波の妨害と結びついて初めて作戦能力を持つ。
台湾を東側から孤立させ、米軍や自衛隊の接近を遅らせる作戦構想にもつながる。今回の訓練には、その作戦環境を平時に試す意味がある。
この意図に対して、日本の限界は持久力に表れる。南西諸島防衛では、弾薬、燃料、滑走路、港湾、基地防護、住民避難、補給線の厚みが問われる。装備を置くだけでは足りない。危機が長引いたとき、部隊を動かし続け、住民を守り、港や空港を使い続けられるか。中国はそこを見ている。
■「なにを許さないか」を明確に示すべき
中国側の第三の意図は、日本、米国、フィリピンへの威圧である。
フィリピン東方で空母を動かすことは、南シナ海だけでなく、台湾とフィリピンの間、さらに日本の南西諸島に連なる海域でも中国海軍が作戦できると示す政治的メッセージになる。
この動きは、接近阻止・領域拒否(A2/AD)の文脈でも読める。周辺国が危機時に部隊を近づけようとしても、中国のミサイル、潜水艦、航空戦力、サイバー攻撃、電磁波妨害によって自由に動けない状況を作る。空母はその一部であり、同時に「中国軍はここまで来る」ということを誇示する力でもある。

日本には日米同盟があり、近年はフィリピン、オーストラリアなどとの協力も深まっている。だが、同盟の抑止力は、存在するだけでは働かない。日本自身が、平時から「どの行動を危険な既成事実化とみなすのか」を示さなければ、中国側には押せる余地が残る。
■NATOなら即座に対応する
日本が平時から示すべきなのは、「どの行動を危険な既成事実化とみなすのか」という明確な線引きである。その線引きを可視化することは、相手を挑発するためではない。中国側に「まだ押せる」という誤算を抱かせず、危機の拡大を防ぐための透明性である。
だからこそ、監視した事実を適時に公表し、同盟国・同志国と共同で追尾や訓練を行い、必要に応じて外交ルートで懸念を伝える。同時に、南西諸島の継戦能力を強化する。違法と断定しにくい一つひとつの行動に、政治的・軍事的なコストを積み上げるのである。
政府発表の粒度も、抑止の一部になる。いつ、どこで、どの艦が、どの方向へ進み、何回の発着艦をしたのか。これを淡々と継続して示すことは、国民への説明であると同時に、国際社会への証拠提示でもある。中国の行動を「見える化」する能力は、艦艇やミサイルと同じく、平時の抑止力を形づくる。
同様の事態が起きた場合、米国や北大西洋条約機構(NATO)であれば、こうした圧力を平時の重大事態として即座に対応する。重要なのは、戦争に至る前の段階を重大な安全保障事態として制度的に扱う能力である。
NATOの公式ページによれば、航空警戒任務は平時の恒常任務であり、戦闘機と乗員が24時間365日、領空侵犯の可能性に即応できる態勢を維持している。これは統合防空ミサイル防衛(IAMD)の一部に位置づけられる空域警戒の制度例であり、今回の海上事案とは対象を異にする。
■「抑止メッセージ」を発信するべき
比較すべき点は、制度の有無である。NATOは、常時監視、指揮統制、同盟国間の役割分担、必要時の迎撃、そして公表される説明を一つの体系にしている。米国やNATOであれば、戦闘機、艦艇、哨戒機、情報公表、同盟内調整を組み合わせ、「見ている」「次に踏み込めば代償がある」と示すだろう。
日本も警戒監視をしている。問われているのは、それを国内外に抑止メッセージとして見せきれているかである。慎重さは必要だ。それでも、沈黙や後追いに頼れば、中国側の計算は変わりにくい。平時から海空の部隊運用、外交発信、同盟調整、民間インフラ防護を組み合わせて示すことで、中国側の「この程度なら押せる」という計算を変えられる。
日本が塞ぐべきは、平時と有事の隙間である。中国は、違法と断定されにくい海域で空母運用を重ねる。日本は、国際法を守るがゆえに、すぐ強制排除に踏み切る余地は小さい。この非対称性を放置すれば、中国の行動は「特別な出来事」から「いつものニュース」に変わっていく。
必要なのは、軍事、外交、情報発信、国民保護を束ねた現実的な抑止である。南西諸島での対艦・防空能力、無人機による監視、情報収集・警戒監視能力、港湾・空港の強靱化、弾薬・燃料の備蓄、住民避難と国民保護、日米比・日米豪などの共同訓練を一体で進めることだ。外交面では、中国軍の行動を国際秩序の問題として発信し続ける必要がある。
■日本を守る「意思と仕組み」が重要
特に重要なのは、日米同盟を「最後の保険」にしないことだ。同盟国が助けてくれるかどうか以前に、日本がどの海域を重視し、どの行動を危険な既成事実化とみなし、どの能力を優先して整えるのかを示さなければならない。自分で守る意思と仕組みを見せることが、同盟の信頼性を高める。
抑止の本質は、これ以上踏み込めば利益より損失が大きくなる、と相手に理解させることにある。その意味で「遼寧」の約170回の発着艦は、日本への問いである。日本は見るだけの国で終わるのか。それとも、見て、知らせ、備え、仲間と動く国になるのか。
危険なのは、中国空母が訓練を繰り返していることではなく、それが当たり前の風景になり、日本社会が「またか」と受け流すことである。沖ノ鳥島南西から宮古島南方・南西にかけて起きたことは、日本の安全保障に直接関わるものだと考えるべきだ。
戦争の前段階を平時のうちに見抜き、塞ぐ力を日本が持てるかどうかを試す、きわめて現実的な試験紙なのである。

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伊藤 隆太(いとう・りゅうた)

防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント

防衛大学校共同研究員、NovaPillar Advisory LLC戦略コンサルタント、博士(法学)。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科後期博士課程修了。慶應義塾大学・広島大学助教、日本国際問題研究所研究員等を経て今に至る。Co-Chairs of the IPSA Research Committees (RC12)、APSA Committee of Best International Security Article等を歴任。単著論文はInternational Affairs誌に‘Hybrid Balancing as Classical Realist Statecraft’ (2022)、‘Hubris Balancing’ (2023)、International Relations誌に‘A Neoclassical Realist Model of Overconfidence and the Japan–Soviet Neutrality Pact in 1941’ (2023)、‘Outrage Balancing’ (2026)、単著研究書は『進化政治学と国際政治理論』(芙蓉書房出版、2020)、『進化政治学と戦争』(芙蓉書房出版、2021)、『進化政治学と平和』(芙蓉書房出版、2022)、編著研究書に『インド太平洋をめぐる国際関係』(芙蓉書房出版、2024)等がある。

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(防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント 伊藤 隆太)
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