※本稿は、片田珠美『生きづらさの正体』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。
■「いい学校→いい会社→幸福な人生」?
「“いい学校”に入らなければならない」と思い込んで、というか親や教師から教え込まれ、頑張ってきた人は実に多い。日本は学歴社会であり、高偏差値の“いい学校”に入り、無事卒業したら“いい会社”に入ることこそ、高収入を得て安定した生活を送り、幸福になるための近道だと多くの親が思い込んでいるように見受けられる。
そういう親は「教育による社会的上昇」を信じて、わが子にハッパをかける。それを真面目な“いい子”ほど真に受けて頑張るわけである。
なかには、「テストでいい点を取ったら、ほしいものを買ってあげる」と条件付きの愛情を示したり、「脱落したら負け組になるぞ」と脅したりしながら、子どもに勉強を強(し)いる親もいるようだ。そのせいか、われわれ精神科医のもとを訪れる子どもが少なくない。その弊害が大人になってから出てくる場合もある。
■「僕はだまされた」中学生の抵抗
たとえば、目覚ましい進学実績を誇る私立の中高一貫校に無事入学したものの、優秀な生徒ばかり集まっている学校で勉強についていけず、成績も下位を低迷したあげく、不登校になってしまった少年は、その後もひきこもり生活を続け、やがて母親に暴力を振るうようになった。
理由は、「小学生のときにもっと遊びたかったし、サッカーもやりたかったのに、『今勉強して中学受験がうまくいったら、いくらでも遊べる』とお母さんから言われたから頑張った。でも、やっと中学校に入ったら、また勉強、勉強とうるさく言われ、成績が悪いと怒られた。僕はだまされた」からだという。
あるいは、実家が開業医で、継がなければならないため、医学部を受験したが、なかなか合格できなかった男性は、何年も浪人してやっと私立医大に入学した。その際、父親は入学金に加えて相当な額の寄付金を払ったらしい。しかし、今度は留年を繰り返し、うつになって休学することになった。
■ニンジンをぶら下げられて走る馬と同じ
そういう事例を数多く診てきたので、高収入あるいは難関資格を手にするには「“いい学校”に入らなければならない」と親や教師が教え込んで叱咤激励することは、かなり深刻な副作用を伴うような印象を抱いている。
最大の問題は、未来のために現在を犠牲にしなければならないことである。先ほど紹介した不登校からひきこもりになった少年が典型だが、中高一貫の進学校に入るために小学生の頃から塾に通わされ、遊びたいとかサッカーをしたいとかいう欲望を犠牲にするよう強いられた。中学校に入ったら、今度は大学受験のために6年かけて準備をするよう言われ、勉強漬けの毎日を送ることを余儀なくされた。
「だまされた」という言葉が象徴しているように、教育に詐欺まがいの側面があることは否定し難い。詐欺呼ばわりはきつすぎるかもしれないが、塾や予備校などの教育産業に幻想ビジネス的な要素があることは誰もが認めるだろう。
うがった見方をすると、「今我慢して努力すれば、輝かしい将来が待っている」と教え込まれて頑張る子どもは、目の前にニンジンをぶら下げられて走るように仕向けられている馬と同じともいえる。
■就活「勝ち組」でも安泰とは限らない
この少年は、中学校の段階でドロップアウトしてしまったが、無事に大学に入学できたとしても、今度は就職のため、あるいは大学院進学のための準備をしろと言われる。
昭和の頃は遊んでばかりいる大学生が大勢いたものだ。
未来のために現在を犠牲にして頑張り、“いい学校” “いい会社”に入って成功した人、少なくとも傍目(はため)にはうまくいっているように見える人はたくさんいるだろう。だからこそ、親も教師もそういう道を歩むよう子どもに勧めるのだ。しかし、最近は、“いい会社”に入っても必ずしも安泰とはいえない。
■「黒字リストラ」の標的になった人は…
それを端的に示すのが、業績が好調でも、人員削減のため、早期・希望退職を募る「黒字リストラ」を上場企業が相次いで実施していることである。2025年には、パナソニックホールディングス、三菱電機、明治ホールディングス、オリンパスなどが発表した。
いずれも名門企業であり、典型的な“いい会社”といえる。就職が決まったときには、本人も家族も大喜びしたはずだ。ところが、何十年も勤めたあげく、まだ定年を迎える年齢でもないのに、「あなたはもううちの会社には必要ない」という事実を遠回しにせよ突きつけられ、「早く辞めてくれ」みたいなことをやんわりと告げられる。
勤務先の会社から早期退職を勧められて落ち込み、不安になったと訴えて私の外来を受診した50代の男性が何人かいる。最大の不安は、「退職後に同程度の収入を得られる仕事に就けるのだろうか」「もし次の仕事が見つからなかったら生活していけるのだろうか」ということだとか。
■学歴社会を支えていた日本型雇用システム
実際、50代で大企業を退職した後、次の仕事を見つけるのに苦労した話はしばしば耳にする。
「黒字リストラ」の背景には、新卒一括採用、年功序列、終身雇用などの日本型雇用慣行が限界を迎えており、維持するのが困難になりつつあるという事情があるようだ。それだけ企業に余裕がなくなっているわけで、業績悪化によってリストラを余儀なくされた企業も入れると、人員削減に踏み切った企業は相当な数にのぼる。この流れは今後も続くと考えられる。
とすれば、“いい学校”“いい会社”に入れば、経済的に安定した生活を送れて幸福になれると思い込んで頑張っても、本当に報われるのかと疑わずにはいられない。
■“いい仕事”を辞めるキャリア官僚たち
「“いい学校”に入らなければならない」と親や教師が教え込む際、その理由の一つとして挙げるのが、“いい仕事”に就けることである。一昔前まで、“いい仕事”の代表といえば中央省庁のキャリア官僚だった。東大を出てキャリア官僚になることは、典型的なエリートコースとみなされていたのだ。
ところが、最近若手キャリア官僚の離職数が増え続けており、採用10年未満の退職者数は過去最多を記録したと報じられている。その原因として、給与水準や長時間労働への不満があるらしい。
未来のために現在を犠牲にして頑張った人ほど、自分は多くのものを犠牲にしてきたのに、その割には見返りが少ないと思うものだ。だから、高学歴エリートの典型ともいえるキャリア官僚が「頑張ったのに報われない」と感じ、若くして退職するのは当然かもしれない。
キャリア官僚という一昔前であれば典型的な“いい仕事”に就くことができても、若くして辞める人が増えているという実情を目の当たりにすると、“いい学校”を出て“いい仕事”に就けば幸せになれるのかという疑問を抱かずにはいられない。
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片田 珠美(かただ・たまみ)
精神科医
広島県生まれ。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。DEA(専門研究課程修了証書)取得。臨床経験にもとづき犯罪心理や心の病の構造を分析。27万部突破のベストセラー『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)、『職場を腐らせる人たち』(講談社現代新書)など著書多数。
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(精神科医 片田 珠美)

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