■なぜいま再評価されているのか?
6月10日、有明のSGCホールで大滝詠一トリビュート公演『SPECIAL LIVE A Tribute to EIICHI OHTAKI』が開かれた。2013年に亡くなったミュージシャン、大滝詠一が音楽賞「ミュージック・アワード・ジャパン」でその功績を讃えられ、日本を象徴する音楽家として再評価されたからだ。
彼自身について、同賞では次のように紹介している。
フィル・スペクター、ブライアン・ウィルソン、エヴァリー・ブラザーズなど1960年代のアメリカン・ポップスへの憧憬を日本的な感性と交配させた再解釈で独自のサウンドを構築した大滝詠一は、日本の音楽史を語る上で最重要人物のひとりであり、都会的で洗練されたサウンドとノスタルジックなメロディを包含する彼の音楽は今なお、国内外のアーティストたちのインスピレーションの源泉となっています。
■45年前、「シティポップ」というジャンルを打ち立てた
フィル・スペクター(音楽プロデューサー)、ブライアン・ウィルソン(ザ・ビーチ・ボーイズ)、エヴァリー・ブラザーズ(アメリカ1960年代のデュオ)について知らない人はこの文章を読んでも、よくわからないのではないか。3人は大滝詠一が「都会的で洗練されたサウンド」を作るのに影響を与えた人だ。
わたしが思うに、大滝詠一が再評価された最大の要因は「世界でブレイクしているシティポップ」を創りだした功労者だからだ。「都会的で洗練されたサウンドとノスタルジックなメロディ」とはシティポップを指す言葉で、代表的なヒット作が彼のアルバム『A LONG VACATION』(1981年)と言っていい。大滝詠一が創始に関わったシティポップは今や日本発の音楽ソフトとして大きな存在感を示している。
■海外で4.5万人を動員する人気ぶり
彼が創りだしたシティポップは確かに世界でブレイクしている。
起爆材とされる曲、松原みきの「真夜中のドア~stay with me」(79年)は2020年頃、世界的にサブスクリプションのチャートを駆け上がった。Spotifyで約4億9000万回再生(6月17日時点)。かなりのヒットだ。他にも山下達郎、竹内まりや、シュガー・ベイブ、杏里、高中正義、吉田美奈子、荒井由実といった人たちの曲がシティポップとして世界で人気を集めている。

近頃、海外でコンサートを成功させたのが高中正義と杏里だ。ふたりは「ミュージック・アワード・ジャパン」の期間、一緒にライブを行った。その時の記事がある。
「高中さんは3月から4月にかけ、ロンドンやニューヨークなど計8都市を巡るワールドツアーを開催し、4万5千人を動員。ANRIさんもニューヨークでの単独公演などが盛況だった。この日、ANRIさんは『CAT'S EYE』『悲しみがとまらない』などを熱唱。赤いスーツに身を包んで登場した高中さんは『THUNDER STORM』『BLUE LAGOON』などを披露し、メロディアスで伸びやかなギターの音色を響かせた。高中さんは今夏にもロンドンで演奏する機会があることを明かし、『僕たちはまだ夢が終わってなくて、楽しいロンドンに行ってきます』などと話していた。」(高中正義さんとANRI(杏里)さん 合同で公演 シティポップ人気で再注目 2026年6月12日 朝日新聞デジタル
ロンドン、ニューヨークのツアーで4万5000人の集客といったら、現地でも注目されたことだろう。
■経済成長期の「日本の輝き」を感じさせる
シティポップの海外人気については2010年代後半からのサブスクやSNSの普及が背景にある。過去の作品が簡単に聴けるようになった時、インフルエンサーが「都会的で洗練されたサウンドとノスタルジックなメロディ」を持つ日本人アーティストに目をつけたことになる。シティポップをブームにしたとされる韓国人DJのナイトテンポはその魅力を「経済成長を続けていた当時の日本の輝きを感じさせる」点にあると語っている。(林哲司のシティポップ論 「日本の哀愁を世界が求めた」2023年8月1日 日本経済新聞電子版
同じ記事内でアメリカで受け入れられた点について、「真夜中のドア~stay with me」、杏里「悲しみがとまらない」の作曲家、林哲司はこう言っている。

「米国のヒットチャートを席巻してきたヒップホップのようなグルーブ感で聴かせる曲が少々飽きられ(往年のシティポップのような)メロディー志向に回帰しているとも感じます」(同上)
韓国人DJが感じた「日本の輝き」とは高品質を追求する日本のモノづくり産業による経済成長から生まれたものだ。シティポップのサウンドは自動車、精密機械と同じように精緻さ、高品質を求めたミュージシャンが創りだし、世界へ出て行った。シティポップは日本からの輸出品で、大滝詠一はシティポップというジャパン・メイドの輸出できるソフトコンテンツを作った。彼が再び脚光を浴びたのは日本経済に貢献し、かつ、世界に日本文化を輸出したからだ。
■「夏のペーパーバック」から「君は天然色」へ
話はトリビュート公演に戻る。出演者は杉真理、ハンバート ハンバート、トータス松本(ウルフルズ)、伊藤銀次、渡辺満里奈、野宮真貴、藤井フミヤ、稲垣潤一、鈴木茂、吉田美奈子といった人たちだ。彼らが大滝詠一から提供された曲、あるいは彼が歌った曲をカバーした。
公演に来ていた主なファンたちは60代以上だった。それはそうだろう。代表作『A LONG VACATION』が発売されたのは1981年。45年前なのである。あの頃、スマホはなかった。
インターネットもなかった。当時、音楽媒体として革命的と言われたCDが発売されたのだって1982年のことだ。
あの頃、音楽を聴こうとしたら、レコード、カセットテープ、ラジオ、テレビだけだったのである。会場に来ていたファンの大多数はおそらくLPレコードもしくはカセットテープの『A LONG VACATION』を買った人たちだったのではないか。60代、70代が中心となるのもやむを得ない。
公演のオープニングは「夏のペーパーバック」のインストゥルメンタルバージョンだった。2曲目は大滝詠一のアーカイブ歌唱による「君は天然色」。A LONG VACATION冒頭のヒット曲だ。会場は盛り上がった。しかし、総立ちにはならない。落ち着いた年齢の観客たちだから、立ち上がることはなかった。客席に座ったまま、それぞれの私的な思い出とともにおとなしく聴いていた。

■大滝詠一作品の特徴とは
曲は続く。ハンバート ハンバートが「幸せな結末」、はっぴいえんどの曲「はいからはくち」、そして、「ウララカ」をカバーした。ハンバート ハンバートはNHKの朝ドラ「ばけばけ」主題歌「笑ったり転んだり」で知られる。だが、わたしはそれより前にハンバート ハンバートというバンド名に関心があった。ナボコフの小説『ロリータ』に出てくる中年の大学教授の名前だからだ。ハンバート ハンバートというバンド名が小説から取られたものとは知らない人のほうが多いのではないか。だいたい、『ロリータ』を読んでいる人に会ったことがない。わたし自身はかつて、何ページかを読んだにすぎない。
ハンバート ハンバートのふたりがカバーした「幸せな結末」には大滝詠一作品の特徴が表れていた。切ない気持ちになるバラードナンバーだ。暗い曲調ではないが、哀しみを感じる。しかし、湿度はない。
乾いていて、メロディアスで、ドリーミーだ。それでいてどこかとぼけた感じがする。
「幸せな結末」だけではない。「君は天然色」「恋するカレン」(藤井フミヤ歌唱)、「スピーチ・バルーン(マンガの吹き出しの意=筆者注)」(伊藤銀次)、「うれしい予感」(渡辺満里奈)、「バチェラー・ガール」(稲垣潤一)、「夢で逢えたら」(吉田美奈子)……。どの曲も切ない気持ちになる。同時代にカセットテープで聴いていた人たちは客席で切なさをかみしめていた。
■ヒット作には必ず「チャップリンとディズニー」がある
わたしが曲を聞きながら思い出していたのは永島達司さん、ムッシュかまやつさんが教えてくれたこと。ふたりともに同じ内容のことを語っていた。
ある時、永島さんはこんなことを言った。永島さんはビートルズの伝説的な来日公演の立役者で、キョードー東京の創立者である。映画のプロデュースをしたこともある。
「アメリカの映画プロデューサーから教わったのだが、ヒットする映画はチャップリンとウォルト・ディズニーの要素が必ず入っている。
スピルバーグの映画なんて、まさにそうだよ」
そう言われてみれば確かにその通り。『ジョーズ』『E.T.』『ジュラシックパーク』『プライベート・ライアン』『シンドラーのリスト』などスピルバーグ作品にはディズニー映画が持つ夢、冒険の要素とチャップリンの映画が持つ人生への洞察と哀しみが入り交じっている。ふたりの持つ要素が入ったことで、スピルバーグの映画作品は世界へ輸出されるソフトコンテンツになった。チャップリンとウォルト・ディズニーの要素が混じったソフトコンテンツは世界商品になりうる。
■サプライズでマイトガイ・小林旭が登場
その後、しばらくして、わたしはムッシュかまやつさんと港区・飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」で会った。その時「永島さんがこんなことを言ってましたよ」とムッシュかまやつさんに伝えた。すると、かまやつさんは「映画だけじゃないよ。チャップリンとディズニーの音楽に影響されているアメリカのミュージシャンは多いんだ」と言った。
「だって、フィル・スペクターのサウンドってディズニーの映画音楽と似ているでしょう」
永島さん、ムッシュかまやつさんが言ったチャップリンとウォルト・ディズニーの影響は大滝詠一さんにも感じられる。チャップリンの映画からは笑い、ペーソス、切なさを取り入れたようであり、ディズニーの音楽からは夢、冒険、勇気、詩情を感じるメロディを受け継いでいるのではないか。
つまり、大滝詠一さんは日本音楽界におけるスピルバーグみたいな存在だ。彼が創造した音楽にはチャップリン、ディズニーの要素が入っている。
わたしはそんなことを頭に浮かべながら、稲垣潤一が歌う「バチェラー・ガール」「風立ちぬ」を聴いていた。
その時である。思考を打ち破る厚みのあるサウンドが流れてきた。そして舞台袖からは大柄な人が白いスーツ姿で出てきた。「オッス」とは言わなかったが、手を挙げて出てきた。それはまぎれもなく日活の映画スター、マイトガイ、小林旭だったのである。
■「熱き心に」で会場は最高潮
大滝詠一はつねづね「プレスリーと小林旭のファン」と公言していたという。今の人に小林旭といってもリアルに感じないかもしれないが、映画スター、歌手として石原裕次郎、高倉健と並ぶ人気者だった。また彼は美空ひばりと結婚していた。仲人は山口組三代目組長の田岡一雄。大スター同士の結婚であるにもかかわらず、華燭の宴を取り持つ人が当時、日本最強の反社会的団体のトップだった。今では考えられないことである。ふたりの住居は世田谷区の上野毛にあった。そしてマイトガイの出身校は世田谷区立玉川中学校。なぜ、わたしが知っているかと言えば、後輩だから。わたしにとってマイトガイは大先輩だ。ただし、会ったことはもちろんない。
会場がもっとも盛り上がったのはマイトガイが「熱き心に」を(阿久悠作詞、大滝詠一作曲)歌唱した、その時だった。87歳の小林旭は客席に手を振りながら艶のある声で、熱唱はせず、突き放したように歌った。歌唱の際、他の出演アーティストは大滝詠一との交友についてひとことふたこと語るのだが、大スターはそんなことはしない。大スターにとって大滝詠一は作曲してくれた先生ではあるが、いわゆるファンのひとりにすぎない。感傷を感じてはいても、観客の前で話すほどのことはないと思ったのだろう。御大、小林旭は堂々と歌い、ステージを後にした。
マイトガイの艶っぽい歌声は真似しようがない。艶っぽくて、しかも湿り気のない声は大滝詠一の制作意図にぴったりだ。それは大滝詠一自身の声が艶っぽくて、湿り気がないそれだからだ。ふたりの声質は似通っている。
■「シャウトしない」から大滝詠一は売れた
ムッシュかまやつが言ったことを思い出すと、チャップリンとウォルト・ディズニーの名曲は数多くのミュージシャンに影響を与えている。もちろん、大滝詠一はどちらの曲も聴いているに違いない。彼は岩手県江刺で生まれ、遠野、釜石で育った。都市ではなかった。しかし、青森県三沢市には米軍の基地がある。FEN(Far East Network=現AFN(American Forces Network))は鮮明に聞こえていた。アメリカン・ポップスだけでなく、チャップリン、ウォルト・ディズニーにも親しんでいたはずだ。
はっぴいえんどで大滝詠一とメンバーだった細野晴臣さんは「チャップリンの映画と音楽が好きだ」と公言している。2025年の6月、わたしは細野さんがチャップリンの「スマイル」を歌ったのを聴いた。YMOや松任谷由実のプロデューサーだった川添象郎さんのお別れ会で、細野さんは「この曲は川添さんがいちばん好きだった」と言った。アルファレコードの創立者、村井邦彦さんをはじめとする音楽業界の人たちが集まる席で、細野さんはギター一本だけで感情を交えず、素っ気なく歌った。大滝さんと同じ歌い方だ。「スマイル」はそういう歌い方をしたほうがかえって人の心を打つということをわかっていたのだろう。
歌はシャウトしたからといって人の心に届くわけではない。大滝詠一さんの曲の数々が人の心に届くのは抑制されているからだ。思えば、大滝さんにも一度、「スマイル」を歌ってもらいたかった。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。ビジネスインサイダーにて「一生に一度は見たい東京美術案内」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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