■メッシを凌駕した「日本のマナー」
6月15日の早朝(日本時間)に行われたオランダ戦のあと、日本代表のサポーターが観客席のゴミを拾っていた。その動画が、FIFA(国際サッカー連盟)の公式Xにアップされると、瞬く間に再生回数が3933万回を超えた。その2日後に、前回優勝国アルゼンチンの「神の子」リオネル・メッシの初戦でのハットトリックを伝える投稿は、14万ビューにとどまっている(※6月18日時点)。
表示される日数が2日違うとはいえ、実に300倍もの大差をつけて、注目されている。試合そのものではないばかりか、動画としても、ハプニングもなく、おもしろいとは言えない。BGMが付けられているものの、淡々とゴミを集める姿と、英語でのインタビューだけの、地味な内容である。
なぜ、ここまで称賛されるのだろうか。
開催国アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNも公式Xで「他のどの国にもない伝統」と称えているように、日本人の行動は、世界中のサッカーファンの模範とすら言えよう。
■はじまりは「30年前」
1980年代にイギリスで社会問題になった「フーリガン」と呼ばれる過激なファンを例に挙げるまでもなく、サッカーは世界中で人々を熱狂させてきた。
ましてや国と国のプライドをかけた4年に1度の世界大会となれば、どんな結果になろうとも、サポーターは試合が終われば、その余韻に浸ったり、興奮したり、と、ゴミが目に入る余地がない。
しかし日本代表のファンは、違う。それも、強豪国オランダと堂々と渡り合った末の2対2の引き分け、という誰もが語りたくなる試合の後にもかかわらず、黙々とスタンドを片付けていたのである。
まずもって、この冷静さというか、視野の広さには、誰もが驚くほかない。そして、こうした「称賛」は、今回が初めてでもない。もはや、ワールドカップの風物詩にさえなっているのではないか。
今回もまた、日本代表のサポーターは、青いゴミ袋を持っている。この習慣は、管見の限りでは、およそ30年前、1997年に始まったとみられる。チームカラーの青で彩ろうと、青いゴミ袋を風船の代わりにして声援を送っていた。同年11月8日、国立競技場(当時の名称)でのワールドカップアジア最終予選の対カザフスタン戦の様子を、翌日の読売新聞の朝刊が報じている(「サッカーW杯最終予選カザフに快勝 心はもうフランス、サポーター熱狂」)。
■世界からの称賛という「恒例行事」
あの頃の日本は、まだワールドカップに一度も出場できていなかったから、まるで国民全体の悲願であるかのように、連日連夜、代表の動向が報じられ、人々は、最終予選に一喜一憂していた。記事には書かれていないものの、おそらくは、この試合の後も、彼らの持っていた袋は、応援のためだけではなく、本来の役目=ゴミ拾いにも使われたのではないか。
この5年後の2002年、日本と韓国で共同開催された際にも、埼玉スタジアム周辺を、埼玉の草サッカーチームが、ごみ拾いをしたと報じられている(「朝日新聞」2002年5月20日朝刊)。
その後も、たとえば、2014年のブラジル大会では、コートジボワールに敗退を喫したあと、「応援に使っていた青いゴミ袋を使って、スタンドのゴミを集めて回った」姿を、地元紙フォーリャ・デ・サンパウロ(電子版)が「試合には負けたが、礼儀正しさで高得点を挙げた」と評価したという(「朝日新聞」2014年6月18日朝刊)。
ことほどさように、サポーターによるゴミ拾いは、常に、そして、すでに、ずっと褒められてきたのである。4年に一度、世界の人たちが「驚き」「称賛」する、そんな恒例行事とさえ言えるのではないか。加えて、まさにこの記事のごとく、「なぜ日本人のゴミ拾いは世界から称賛されるのか」を日本人みずからが分析する=自己分析もまた定例のものではないか。
■「偽善」との揶揄すら定番のセットに
4年前、社会学者の大澤真幸氏は、「サポーターが自発的に始めた活動も、称賛報道の逆輸入で国民の『日本すごい』渇望に見事にはまりました」と分析していた(「朝日新聞」2022年12月13日朝刊)。「日本人が他国民より優れているか」「一流国だと思うか」といったNHK放送文化研究所による質問に「はい」と答える割合が、1998年と2003年に底を打ってから、2010年代に向けて上昇する。その流れと、この「称賛報道」が軌を一にしている、と大澤氏は解釈していた。
他にも、礼儀正しさ、秩序、統制、清潔さ、マナーといった「日本すごい」に連なる要因を、誰もが、そして、いくつも列挙できる。
ただ「世界が称賛」では満ち足りず、その原因を自分たちであれこれ考察する。それだけにとどまらない。今度も「慈善活動」ならぬ「偽善活動」なのだと揶揄する声が上がっており、それをネットニュースが報じる。
ここまで全て含めてセットなのではないか。そして、考えるべきなのは、「なぜ日本人のゴミ拾いは世界から称賛されるのか」ではなく、このセットが、なぜ飽きもせずに繰り返されるのか、ではないか。
■「日本人はみんな同じ顔をしている」
まず「称賛報道」の側から見よう。日本人のゴミ拾いは、すでに30年近い歴史があり、ワールドカップごとに世界中で報道されている。それなのに、FIFAの公式Xは、まるで初見とでも言いたげに撮影し、ポストした。
ここにはまずもってオリエンタリズムがあるのではないか。それは、東洋=オリエントに対する偏見と蔑視と、物珍しげに愛でる視線が入り混じった感覚であり、西洋で長く続いている。世界3位の経済大国とはいえ、東の海に浮かぶ島国=日本とのイメージは根強い。
実際、先日、私がフランス人を相手にフランス語で講演したときも、このイメージを痛感した。その講演は、フランスの新聞ル・モンドの読者を対象にした日本ツアーであり、「Voyage au pays du soleil levant」=日出る国への旅行、と題され、いまだに聖徳太子のセリフが使われていた。「なぜ日本では、女性首相がいるのに、女性天皇がいないのか」との私への質問も、事前の準備を踏まえてはいたものの、それでも、日本=神秘の国、との印象を拭えなかった。
「称賛報道」は、こうした流れに棹(さお)さす。サムライ、ゲイシャ、とまではいかずとも、黒髪に、細い目、低い身長、などと日本人のステレオタイプは消えない。オランダ代表OBが「日本人はみんな同じ顔をしている」と発言したように、白人、とりわけ、西ヨーロッパの白人の目には、東洋の不可思議な人たち=日本人、との印象は根深い。
■欧米の評価を気にするアンビバレント
ゴミ拾いは、そんな解せない人たちの、謎を秘めた振る舞いの筆頭なのではないか。そうでなければ、少なくとも10年以上にわたって、毎回「称賛報道」を繰り返す説明がつかないのではないか。
褒められる側の日本は、どうか。久保建英選手をはじめとして、欧州リーグで活躍している選手が多い。いや、多いどころか、先日のオランダ戦の先発は全員が、Jリーグ以外の、つまり「海外組」と呼ばれる選手たちで占められていた。
まさにこの「海外組」との呼び方が、「称賛報道」に通じている。サッカーをするのに海外も国内もない。前者が上位で、後者が下位、そんな序列が確かにあるとはいえ、日本語以外の言語、たとえば、英語ではわざわざoverseas(海外)とnational(国内)などと色分けはしない。
これほど多くの選手が「海外」で躍動している時代にあってなお、その呼称を使い続けている。
■背景に、ただチームを愛する純粋な思い
「旅の恥は掻き捨て」と、旅行先での傍若無人な振る舞いをあらわすことわざがある一方で、「立つ鳥跡を濁さず」と潔さを模範とする言い回しもある。それほど、日本に生きる人たちにとって旅先は、愛憎半ばする空間だった。よそ者ゆえの受け入れられない寂しさと、よそ者ゆえに尊ばねばならない慎みと、その両面が入り混じるのが、旅だった。
日本代表サポーターがゴミを拾うのは、そんな情緒ではない。ただ、サッカーを愛し、そのプレーに一喜一憂し、12人目のメンバーかのように没入するために、青いゴミ袋を広げ、観客席をチームカラー=青に染める。そのゴミ袋が、たまたまあったから、周りのゴミを回収した、それだけに過ぎないのではないか。
「海外」の「称賛報道」にせよ、「称賛報道」をめぐる「国内」の反応にせよ、どちらもワールドカップの中身=サッカーの試合には、まったく関係がない。無関係だからこそ、各々が好き勝手な考察を積み重ね続けてきたし、これからもそうだろう。
■サッカー「報道」を好むワケ
漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(こち亀)にオリンピックのたびに姿を見せた名物キャラクター・日暮熟睡男(ひぐらしねるお)のように、「日本人のゴミ拾い」は、これからも4年ごとに「称賛報道」の的となり、そして、その理由をめぐる考察も繰り返されるに違いない。
サッカーそのものには関心がなくても、いや、ないからこそ、ワールドカップをめぐって盛り上がったかのような気分に浸れるからである。
そんなサッカー自体よりも「サッカー報道」を好む風土は、30年前にゴミ拾いが始まったときよりは、はるかに薄まっている。オランダ戦についても、ただ「引き分けがすごい」ばかりではなく、鎌田大地選手が目立たないながらも、いかにゲームを支配していたのか、といった報道が多かった。
このように、メディアやファンの関心が、サイドの話題(ゴミ拾い)や勝敗ばかりではなく、試合内容そのものに、もっと向かえばこの風土が完全に消えるだろう。そして、私たちが欧米からの視線などを気にせずに純粋に熱狂できたときにこそ、森保一監督の言う「新しい景色」=代表チームの上位進出、そして、過剰な自意識から解放された、成熟した日本社会の姿が見えてくるのではないか。
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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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