※本稿は、呉座勇一『軍師の日本史』(角川新書)の一部を再編集したものです。
■「軍師らしい軍師」黒田官兵衛
豊臣秀吉の出世と天下取りを支えた「両兵衛」の一人、黒田官兵衛(孝高(よしたか))の存在は、戦国ファンの間で広く知られていよう。
歴史学者の小和田哲男氏は官兵衛を「戦国時代のもっとも軍師らしい軍師」と評し、「極端な話、秀吉の帷幄(いあく)(編集部註:作戦本部)に官兵衛がいなければ、秀吉が果たして天下を取ることができたか疑問である」とまで絶賛する。けれども、黒田官兵衛孝高の政治的・軍事的実績が多大であることは確実であるにせよ、後世の脚色によって「軍師官兵衛」のイメージが肥大化している点には注意を要する。
我々が知る黒田官兵衛のイメージの源泉は『黒田家譜』である。同書は、筑前福岡藩の三代藩主である黒田光之が、藩お抱えの儒学者である貝原益軒に命じて黒田家の歴史を編纂させたもので、宝北元年(1704)に15巻本が完成した。
『黒田家譜』は、官兵衛没後100年ほど後に完成した編纂物であるため、史料的価値はさほど高くなく、その記述を全面的に受け入れることはできない。藩主の命により編纂された史料であるため、黒田家の祖である官兵衛の事績を誇張し、英雄として顕彰する側面が強い。本稿では、『黒田家譜』や以後の軍記類・逸話集、近代の小説などで創出された虚像をはぎ取り、黒田孝高の実像に迫りたい。
■「信長の天下になる」と予言したか
まずは『黒田家譜』を中心に、黒田官兵衛の通俗的イメージを確認しておこう。官兵衛の智略が輝いた最初の出来事は、官兵衛が織田信長の器量を見抜いた逸話だろう。
天正3年(1575)、播磨の国衆である御着(ごちゃく)城主の小手政職(こでらまさもと)が家臣たちに「今の世に天下を争ふ武将多し、終には誰が天下の主となるべきぞ」と問うたところ、官兵衛は諸国の情勢を詳細に分析し、諸大名の論評を行い、「信長の天下に定り候はん」と結論づけた。
地理的に言えば、小寺氏は西の毛利氏、東の織田氏に挟まれており、どちらに属するかをいずれは決めなければならなかった。毛利氏が中国地方の覇者である状況で、輝元と信長の人物を比較し、新興の織田氏の勝利を予言した官兵衛の慧眼を讃(たた)える逸話である。
■秀吉と出会ったのはいつか?
小寺政職は官兵衛の提案に対して大いに喜び、官兵衛に小寺の姓を与え、織田氏への死者として派遣した(『黒田家譜』巻1)。けれども実際には、官兵衛の父職隆(もとたか)の代から黒田氏は主家の苗字である「小寺」を名乗っている。
織田信長の居城に着いた官兵衛は、まず木下藤吉郎を訪ね、信長への口利きを依頼した。司馬遼太郎らの歴史小説では、この時に官兵衛と藤吉郎が意気投合した様が描かれている。ただ、この話も少々疑わしい。小和田氏が指摘するように、この時点では秀吉は播磨と全く関係を有さず、官兵衛が信長への取次役に秀吉を選んだのは不審である。隣国摂津を治める、信長の重臣である荒木村重を窓口にするのが自然だからだ。後に、秀吉が「中国方面軍司令」として播磨に乗り込んでくることから逆算して創作された話だろう。
秀吉を通じて信長に謁見した官兵衛は、中国攻略の策を披露する。播磨の情勢を語り、緒田家の重臣の一人を播磨に派遣してくれれば、小寺家が先導役になること、播磨を押さえれば、毛利氏を討伐する足がかりになることを説いた。信長は感心し、秀吉を播磨に派遣することを決め、官兵衛にその支援をするよう命じた(『黒田家譜』巻1)。
しかし、この策略の中で官兵衛は「毛利方の別所氏を討伐せよ」と述べているが、この時、別所氏は信長方である(『信長公記』)。そもそも、小和田氏が疑問を呈するように織田家の重要な戦略が決定されたはずのこの日の官兵衛の岐阜城訪問が、『信長公記』には全く見えない。官兵衛の献策じたいが、官兵衛を天才軍師として喧伝したい『黒田家譜』の創作と考えるべきだろう。
■播磨攻略戦で荒木村重の捕虜に
実際に官兵衛が秀吉と親密になったのは、天正5年10月に秀吉が中国方面軍司令官として播磨に下向してからであろう。『黒田家譜』には、「秀吉既に播州に下り給ひて後、常に孝高を近づけ、諸事を相談して、事を決断し、其智謀を取り用給ふ」とある。
さらに『黒田家譜』によれば、秀吉は以前から官兵衛の評判を耳にしており、今また官兵衛を目の当たりにして、その才智・武略が優れていることを知り、ただ者ではないと見抜き、官兵衛に対して「これからは貴殿と何事も相談して助言を受けたい。兄弟のように付き合おう」と語ったという。同書は、明らかに官兵衛を「軍師」的な存在として位置づけている。
以後、官兵衛は羽柴秀吉の与力として播磨攻略戦において目覚ましい活躍を示していくが、そんな官兵衛に危機が訪れる。
■有岡城に幽閉された本当の経緯
『黒田家譜』によれば、官兵衛が有岡城に赴いたのは主君小寺政職の命令によるもので、しかもそれは政職の謀略であったという。政職は織田方から毛利方への寝返りを画策し、密かに村重と連絡をとっていたというのだ。
けれども、官兵衛の重臣である栗山利安が後年に記した覚書である『栗山卜庵覚書』には、「美濃守様(職隆)と荒木と無二の御知音ゆへ、信長様へ忠節を致、可然由被仰候て、如水様(官兵衛)を異見に被遣候へば、如水様を荒木取籠置候て、返し不申候」とある。すなわち、官兵衛は父職隆の意を受けて、村重の説得に赴いたが、叛意を固めていた村重は孝高を有岡城に幽閉したというのだ。こちらの方が真相に近いであろう。政職が官兵衛を罠にはめたという『黒田家譜』の記述は、結果的に官兵衛が主君である政職を裏切る形になったことを正当化するための潤色と考えられる。
■竹中半兵衛との友情話は史実か
以下の有名な逸話も、『黒田家譜』が出所である。荒木村重が官兵衛を監禁していることを知らない信長は、官兵衛も村重の味方となって城中にたてこもったと誤解して激怒する。そして、官兵衛が織田家に人質として差し出していた嫡男松寿(しょうじゅ)(のちの長政(ながまさ))を殺すよう、竹中半兵衛に命じた。半兵衛は信長を諫(いさ)めるが、「信長公御憤深くして、諫を用ひ給はず」という状態だったので、やむなく半兵衛は、松寿を殺したと偽りの報告をし、密かに松寿を自身の本拠である美濃国不破郡岩手の菩提山城に匿った。
天正7年11月、有岡城はついに開城した。だが、救出された孝高は「力よは(弱)り、足すくみて歩行かな(叶)はず」という衰弱状態だったという(『黒田家譜』巻1)。
■小寺政職の家老から秀吉の与力へ
有岡城開城に前後して、織田方から毛利方に乗り換えていた小寺政職は危険を感じて御着城を出奔した。これによって播磨国衆としての小寺家は滅亡した。官兵衛の主君はいなくなったのである。
この時点まで、官兵衛はあくまで小寺政職の家老の一人にすぎず、羽柴秀吉のところに出向していたような形であった。だが、政職が出奔したことで官兵衛は独立を果たし、「黒田官兵衛」と名乗るようになった。主君の苗字である小寺から、元の苗字である黒田に戻ったのだ。
■姫路城を明け渡し、鳥取攻めに参加
天正8年4月に秀吉はついに播磨を平定する。官兵衛は居城の姫路城を秀吉に引き渡し、父職隆の拠る妻鹿(めが)城に移った。
秀吉は天正9年には但馬から因幡に入り、鳥取城を攻略する。官兵衛も秀吉勢の一員として鳥取城を囲んでいる。天正10年2月下旬には、秀吉は備前から備中への侵攻を計画するが、その先陣は官兵衛と蜂須賀小六(正勝)だった。
秀吉勢は4月から5月にかけて備中の諸城を次々と落とした。そして5月8日、秀吉は備中高松城を包囲した。同城は難攻不落の名城であり、力攻めでは大きな被害が出る。特に問題だったのは、城の周囲が低湿地であったため、秀吉軍がぬかるみに足を取られ動きがとれなくなったところを城中から鉄砲で狙い撃ちされてしまうことである。
■「水攻め」は官兵衛のアイデアか
そこで秀吉は水攻めを思いつく。
秀吉は官兵衛に対し速やかに堤防を築く策を求めた。官兵衛は川の流れを堰き止めるため舟を並べ、その中に大きな石を詰め、船底に穴を開けて沈めた。さらに官兵衛は近辺の家屋を解体し、竹木土石を沈んだ船に投げ入れて、瞬く間に足守川を堰き止めたので、秀吉は感心したという(『黒田家譜』巻2)。水攻めという奇策を実現するあたり、まさに「軍師」の面目躍如といったところであろう。
ただ、官兵衛に土木技術があったことを示す史料はない。牛田義文氏は『史伝蜂須賀小六正勝』において、姫路育ちの官兵衛よりも、木曽川と共に育った川並衆の蜂須賀正勝らの方が発案者としてふさわしいと主張している。
なお、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)である大村由己が著した『惟任退治記』は「秀吉工夫をなして、水責めの行(てだて)をなす」とのみ記しており、官兵衛の貢献には言及していない。
----------
呉座 勇一(ござ・ゆういち)
国際日本文化研究センター研究部准教授
1980年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)(東京大学)。著書『応仁の乱戦国時代を生んだ大乱』がベストセラーとなる。『戦争の日本中世史―「下剋上」は本当にあったのか―』で角川財団学芸賞を受賞。主な著書に『一揆の原理日本中世の一揆から現代のSNSまで』『頼朝と義時武家政権の誕生』『動乱の日本戦国史桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで』『日本史敗者の条件』などがある。
----------
(国際日本文化研究センター研究部准教授 呉座 勇一)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
