■細木数子ドラマに描かれなかった真相
Netflixのドラマ「地獄に墜ちるわよ」では後半部で細木数子と島倉千代子の関わりを描いているが、ほんとうに細木は島倉を飼い殺しにして、数億円というカネを騙し取ったのかと疑問を持つ視聴者が多いようだ。
同ドラマは私が2008年に出した『細木数子 魔女の履歴書』(講談社)に一部依拠し、そのことはドラマのタイトルに「参考文献」として掲げてあるのだが、細木の後継の占い師、細木かおり氏に対する遠慮もあるのか、細木の描き方は腰が退けているという声もある。
それで以下、真相はこうだということで、細木、島倉2人の関係を記してみよう。
まず第一に島倉千代子は非常に男に弱いというか、惚れやすい性格だった。島倉が巨額の借金を背負うことになった原因は、東京・五反田で「守屋眼科」を営んでいた眼科医・守屋義人に島倉が惚れ、いいなりになったことが背景にある。
■債権者がコマ劇場に殺到
1961年、ファンの投げたテープが両目に当たり、島倉は失明寸前のダメージを受けた。このとき島倉は守屋に治療の相談をし、守屋のおかげで島倉は視力を回復できた。
以来、島倉は守屋を信用し、男としても惚れ、守屋の手形の裏書きまでする仲になった。当時、島倉は阪神タイガースの選手・藤本勝巳と結婚していたが、守屋を好きになった島倉は3年後、藤本と離婚する。
他方、守屋は非常に山っ気が多い男で、眼科医の傍ら芸能プロダクション「スマ・エンタプライズ」を創立し、島倉をコロムビアレコードから移籍させていた。
ところがこの守屋は乱脈経営がたたって倒産し、島倉に行方を明かさず蒸発してしまう。
そのため債権者たちは島倉に守屋の肩代わりを要求して新宿・コマ劇場に押し寄せた。
島倉はコマ劇場の楽屋から出ることもできず、彼女が以前から親しかった、一種のフィクサーである安部正明に電話して、助けを求めたのだ。
「取立の人が一杯来ている。楽屋から出られない」
■「赤坂のフィクサー」の家にかくまわれる
安部正明はもともと男気がある親切な男だった。
「よし、待ってろ。助けに行ってやる」
と返事し、コマ劇場まで出かけて救出、赤坂の自分の住まいに島倉を連れ帰った。
島倉は債権者たちに追われる身になった。そのため安部家では島倉がいることを外部に知られないよう部屋では小声で話し、夜も電気をなるべくつけないようにして、島倉をかくまった。
だが、島倉のコマでの公演はまだ終わっていない。安部は公演がラク(千秋楽)を迎える日まで連日島倉を送り迎えするつもりだった。
そういう安部家に現れたのが細木数子である。彼女も以前から安部家に出入りしていたひとりだった。
安部は若いころ鳩山一郎の選挙を手伝っていた。戦後しばらくの間、日劇のプロデユースなどを手掛けていたが、同時期に「特殊芸能団」を組織し、非営利で刑務所への慰問活動に従っていた。
■安倍晋太郎、美空ひばりも繋がる「ミニフィクサー」
安部は「政界、芸能界、暴力団にパイプを持つミニフィクサー」とでも呼ぶべき人物で、各界の錚々たる人物も安部家に出入りしていた。政治家では福田赳夫、安倍晋太郎、春日一幸など。芸能界では美空ひばり、都はるみ、松尾和子、扇ひろ子など。やくざの世界では稲川聖城、稲川裕紘、石井進、浜本政吉、小林楠扶などだ。
こういう中に細木数子やその姉の弘恵、細木の内縁の夫、小金井一家総長の堀尾昌志も加わっていた。
島倉千代子は1955年「この世の花」でデビューしたが、作家の宇野千代から「応援してよ」と声を掛けられて以来、安部家に出入りしていた。
ちょうど島倉の騒ぎのころ、細木夫婦が安部家に遊びに来て、島倉の事情を知ることになった。細木はとっさに悪知恵が働いた。
「こっちは昼間何もすることがなく、遊んでるんだから、千代さんの送り迎えぐらいやるわ」と送迎役を買って出たのだ。
当時、細木夫婦はその日暮らしだった。
■「100万円貸してと頼みに来た」
安部正明の夫人、倭文子(しずこ)が当時を振り返る。
「千代子を世話する1年前ぐらい、細木が傷だらけの指輪をうちに持ってきて、どうしてもお金をつくらなければならない。これで100万円貸してと頼みに来た。うちの人はお金の貸し借りはしない。だけど細木と堀尾がよほど困っているようなので、知り合いの会社社長から100万円借りてやった。細木には『これは俺が貸すんじゃない。絶対返せよ』と念を押してました」
こういう苦境にいた細木にとって、島倉千代子はまたとない金づるに見えたろう。
細木は島倉をコマ劇場に送り迎えする中で彼女に取り入り、島倉の身柄を安部家から細木と堀尾が住むマンションに移し替えて、確実に管理しようとした。彼女は島倉という金づるを安部家から引き離して手元に置き、逐一コントロールしなければと考えたのだ。
そのため安部に対して、自ら「安部家を出たいので」と島倉に言わせた。
細木のたくらみはすぐ安部が察知したが、安部のほうはもとより島倉千代子で食おうなどとは考えていない。
■細木が島倉をかすめとった
細木はやましさを感じたのか、以後、安部家には足を踏み入れていない。ただ堀尾昌志が一度安部家に謝りに行ったという。
「この度は細木が先生に嫌な思いをさせ、まことに申し訳なく思ってます。だけどぼくは細木と人間性が違います。ぼくは安部家の雰囲気が好きで出入りさせてもらっただけで、欲も得もない。ぼくの気持ちだけは分かってください」
目を涙でうるうるさせて頭を下げたと安部倭文子は言う。
まさしくこうした細木と島倉の出会いがその後の細木蓄財のかなめ石になった。細木がどう島倉と出会い、知り合ったのか、それが重要だが、細木のほうでは、コマ劇場の騒ぎの後、島倉が夜、泣きながら歩いていたのを、車に乗っていた細木が見咎めて車を降り、島倉に声を掛けたのが最初のきっかけだ、などというつくり話をしている。
彼女の言い分はコロコロと変わったが、なんてことはない、安部正明が両者をつなげた神であり、細木はその神から島倉を掠め取ったというのが真実である。
では、細木はおおよそいくら島倉から収奪したのか。
■島倉のギャラ約9億円を細木がネコババ
このころ島倉はヒット曲に恵まれなかったが、それでも公演をすれば日建て500万円は取れる歌手だった。
島倉千代子を古くから知る芸能プロの幹部が細木の実入りを概算する。
「3年間にはテレビ出演もあったでしょうが、テレビは衣装代などでよくてトントン、普通は持ち出しですから、勘定に入れなくていい。
稼ぎは地方巡業がメインですけど、月10~12日稼働できる程度でしょう。島倉は楽団込みのパッケージじゃなかったから、移動が楽で、もう少し稼げる日があったかもしれない。
仮に月13日とすれば、年間156日稼げた計算になる。
当時の1日(1回分)のギャラは300万~400万円程度です。中を取って当時のギャラを350万円とすれば、年間5億4600万円ですよ。
この間、細木は月に50万円しか島倉に渡していなかったから、まあ税金を払っていたにしろ、年に3億円は自分の懐に入れていたでしょう」
それが3年間だと9億円になる。
■タダ働きさせるためのウソ
他方、島倉が守屋の倒産で抱え込んだ借金はいかほどだったのか。
コロムビアレコードの関係者が言う。
「細木は島倉の借金は12億円なんて一時期吹聴してましたが、とんでもない話です。
細木自身は島倉の負債額について2億4000万円、4億3000万円、16億円、13億円、12億円と、その時々で言い値を変えている。
債権者に納得させたという返済額も1億5000万円、6億円、4億数千万円、4億3000万円、2億4000万円と、その時々で金額を変え、どれが真実の数字なのか判然としない。
前出コロムビアの関係者はせいぜい1億5000万円がいいところと推定できると断言する。
「債権者会議を仕切ったのは堀尾昌志で、そのとき倒産整理屋に仕立てたのは堀尾の後、新宿のシマを譲った小金井一家新宿東初代組長の矢島武信だった。返したのは債務額のよくて3割、1億5000万円ぐらいで全部話をつけたんじゃないか。倒産の場合、返済額は平均1割以下だから、堀尾による3割の戻しでも、債権者にとっては上出来です」
■細木が得た利益は9億5000万円以上
とすれば、島倉を抱え込んだ3年間で、細木はおおよそ7億5000万円をかすめ取った勘定になる。
「いや、それだけじゃない」と前出のコロムビア関係者が言葉を継ぐ。
「島倉は細木のところから逃げ出し、興行権の仕切りもコロムビアに任せた。この時、細木は『こっちは島倉に興行権も返すんだから』と、コロムビアから2億円を別にもぎ取っている」
つまり細木は島倉がらみで合計9億5000万円以上を稼いだことになる。
しかも細木は島倉千代子が持っていた赤坂7丁目の高級マンション、赤坂パークハウスの1室も横取りしている。バブル期には18億円もの値がついた5LDKの高額物件を競売でわずか1億5600万円で入手したのだ。
島倉千代子は細木数子のためにこれほどひどい目に遭っている。
なのに、細木と切れた後も、なぜ島倉は細木を非難しなかったのか。
この影には堀尾昌志という男の存在がある。
島倉は細木に同居を強いられる中で堀尾とでき、深夜、堀尾の寝ている部屋にそっと入り込んで堀尾の耳元で「おねえ(細木のこと)が全然お金をくれないの」などと訴えていたという。
■やくざと天国で結ばれた
細木も2人の仲に気づいていて気が揉めていたのか、当時、島倉と堀尾が間違いをしでかさないよう、島倉の手足を自分の手足に縛り付けて寝たなどというエピソードをことさらに吹聴していた。
だが、島倉と堀尾の一件は、振り返ってみれば、細木が島倉からカネを絞る補助の役割、すなわち、島倉の弱みを握ってつなぎ止めるうえでプラスの役割を果たしていたことは間違いない。細木にすれば堀尾を怒る理由は何一つないわけである。
島倉にしても、堀尾を好きになり、懇(ねんご)ろになったのだから、細木に対して一種の疚(やま)しさがある。「あのとき私から持ってったお金返してよ」などとは言いにくい。
細木と堀尾の仲はこのころ一時冷えたようだが、堀尾の晩年、堀尾は細木の京都の豪邸を訪ねて、そのまま細木の世話になり、病身を養っている。あげくに墓まで細木家の墓の隣に建ててもらっている。
細木の生涯とは、まさしく、天国でまで結ばれるほどの、やくざと二人三脚で駆け抜けた一生だったといえよう。
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溝口 敦(みぞぐち・あつし)
ノンフィクション作家
1942年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。『食肉の帝王』で2004年に講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『暴力団』『山口組三国志 織田絆誠という男』などがある。
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(ノンフィクション作家 溝口 敦)

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