「ペンショナー(年金生活者)」と言えば、欧米では「悠々自適」の代名詞のように思われているが、日本は年金だけで豊かな老後生活が送れるのだろうか。
6月の年金支給から、支給額が1.9%引き上げられた。
「100年安心」。政府が2004年に年金制度を改正した際に導入したキャッチフレーズだ。だがこれは、「100歳まで安心して生活できる」という意味ではない。少子化が進んでも年金制度は破綻せず、100年間は持続するようになったという意味だった。
改革では「マクロ経済スライド」と呼ばれる仕組みを導入し、現役世代の減少や平均寿命の延びに応じて、年金の給付水準を自動的に調整するようになった。少子化の影響などが考慮されるので、物価が上昇しても年金額はそれ以下に抑えられるようになったのだ。今回、支給額の引き上げ率が物価上昇に追いつかなかったのはこの制度改革のためだ。
■制度は破綻しないが、生活は成り立たない
2025年に生まれた子供の数は67万人あまり。10年連続で過去最少を更新した。
だが、逆に言えば、物価が大幅に上昇したとしても、年金額はそれに見合った分は決して上昇しないということだ。つまり、年金制度は破綻しないが、老後の生活は年金だけでは賄えず破綻する可能性が出てくる。
では、日本の年金額は国際的に見て多いのか少ないのか。物価の違いや為替レートの問題もあって簡単には比較できないが、「所得代替率」という指数を使って見ることが多い。所得代替率は現役世代の賃金水準と比較した年金額の割合である。
■日本はG7先進主要国で最下位
2024年に行われた公的年金の「財政検証」では、モデル年金額は月22.6万円(夫婦2人の基礎年金13.4万円と1人分の厚生年金9.2万円)で、これに対して現役男子の平均手取り収入額は月37.0万円なので、所得代替率は61.2%ということになる。
現役時代の6割の年金が入ってくるならば、何とか生活できると思う人がいる一方、月額22.6万円では到底生活できないと思う人も多いに違いない。所得代替率だけで見ると、一見、ドイツやイギリス、米国などに比べて高いようだが、日本の場合、そもそも現役世代の給与が低く、生活に困窮する人が増えていることもあり、年金制度として胸を張れる状況にはない。
米国のコンサルティング会社マーサーとCFA協会が発表した「グローバル年金指数ランキング(2025年)」によると、52の国と地域の年金制度を上位からA、B+、B、C+、C、Dに分けた評価で、日本はCとなり39番目だった。オランダが総合得点トップだったほか、デンマークやシンガポールがA評価だった。
英国、カナダ、フランス、ドイツがB、米国がC+で、イタリアが37番目のCだったので、日本はG7先進主要国で最下位だった。持続性の評価が低かった。日本の年金制度は「100年安心」などと言っていられる状況ではないのだ。
■年金だけではやっていけない
国際比較で欧米の公的年金の所得代替率があまり高くないのは、私的年金が普及していることと無縁ではない。確定拠出型の私的年金の普及を政府が後押ししている英国やドイツは、私的年金からの年金受給が大きな割合を占めている。
日本は今後、少子化によって、所得代替率も大幅に低下していくことが確実視されている。所得代替率50%を維持するという方針だが、現役世代ですら厳しい所得の半分となると、生活をどんなに切り詰めても、年金だけではやっていけない事態が予想される。
■「毎月5万円赤字」の老後
2019年に金融庁がまとめた報告書で、「夫65歳、妻60歳の高齢夫婦が無職で30年間暮らす場合、年金収入だけでは約2000万円が不足する」という試算を公表して大炎上した。老後資金は2000万円必要という数字に、多くの国民が「そんなお金がどこにある」と感じたのだろう。
この試算の前提は年金と生活費の差額が毎月5万円発生するというものだったが、平均年金額から考えて、5万円の赤字になる人は相当な割合に違いない。
金融庁はその後、新NISAなど、税制面で優遇する資産形成の仕組みを拡大。多くの国民が株式などへの「投資」で長期的な資産形成を考えるようになりつつある。つまり、年金額では生活できないのはほぼ確実なので、自助努力で老後に向けた資産形成に力を入れましょうと政府も言い始めているわけだ。
■定年後もできる限り働くことが重要
ファイナンシャル・プランナーなど生活面でのアドバイスをする専門家たちも、まずは老後の生活にかかる固定費の削減など無駄の削減を訴える。だが、物価上昇がここまで来ると、ちょっとやそっとの節約ではお金が足りない。物価上昇率は統計数字では3%前後だが、体感的には食料品などの上昇はそんなものではない。つまり、1.9%の引き上げでは焼石に水なので、倹約では到底追いつかないわけだ。
NISAなどで手持ちの資産を運用して効率的に資産を増やしていきましょう、というのも専門家のアドバイスのひとつだ。だが、実際には年金生活に入ってから運用で短期的に利益を稼ぐのは難しい。美味しい話に騙されて虎の子を失うケースも少なくない。
そうなると、定年を過ぎても、身体が動く限り、できる限り働くことが重要になる。
ところが、ここにも壁がある。定年を過ぎて一生懸命働いて給与が増えると、年金が減る仕組みが存在しているのだ。
■年金はもともと「保険」だった
ドイツ宰相のビスマルクが年金制度を導入した際には、退職した鉱山労働者が塵肺などで働けなくなり、生活の糧を得られなくなる実態を救済することを目的とした。そのため、年金は働けなくなった場合の「保険」としての役割が、そもそもの目的だった。この制度が生まれた時の思想は今も世界の年金制度に色濃く残っている。
年金掛け金を支払う人は、あたかも自分の将来のために貯金しているように考えるが、実態は現在老後を迎えている人のために拠出金は使われている。いわゆる「付加方式」というものだ。自分が払った掛け金が貯蓄・運用されて、それが年金として戻ってくる、いわゆる「積立方式」ではない。
だから、所得代替率が50%といっても、高額所得者だった人が、その年収の50%を保証されているわけではないし、年金受給者になっても所得が多い人には年金は不支給になる。つまり、困っている人を助けるための「保険」の役割が色濃いのだ。
そんな事もあって、まだまだ働けるのに、年金がもらえなくなるからという理由で仕事をやめてしまう人も少なくない。人手不足の中でシニア層にも活躍してもらいたい政府は、今年からルールを変更した。
■モスクワの「コインを拾う老婆」
2026年4月から、働きながら年金を受け取る際の支給停止基準額を、賃金と年金の合計で、これまで月額51万円だったものを65万円に引き上げた。現役世代の平均よりも多い人には年金は出さないという発想を少しずつ変えようとしている。今回の改訂で、高い収入を得ていた高齢者でも、年金が減額されずに満額を受け取れるケースが増えると見込まれている。
2005年頃だったか。ロシアのモスクワを訪れた際、赤の広場の北側の「復活門」付近に人だかりができていた。観光客が後ろ向きにコインを投げていた。どうやら、そこにあるロシアの道路元標のプレートに見事乗っかると「再びモスクワに戻ってこられる」というジンクスがあるらしい。観光客が投げて外れると、老婆たちが一斉にそのコインを拾いに走り回っていた。案内してくれた友人が「物価上昇で、年金では生活できないので、こうやってコインを拾っているのだよ」と語っていた。
国家が破綻してもまがりなりにも年金は出ていたようだが、到底それでは生活はできない。
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磯山 友幸(いそやま・ともゆき)
経済ジャーナリスト
千葉商科大学教授。1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。
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(経済ジャーナリスト 磯山 友幸)

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