※本稿は、木崎伸也『サッカーと地政学』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■習近平が掲げた「3つのサッカーの夢」
数年前まで、中国にとってサッカーは国策のひとつだった。2011年、当時国家副主席だった習近平(現国家主席)は、インタビューで次のように語っている。「中国には3つのサッカーの夢がある。W杯に出場し、開催し、そして優勝することだ」
この発言は単なる個人の願望ではなく、長期的な国家方針として受け止められた。不動産企業、地方政府、国有企業が一斉にサッカー界へ参入した。
激変したのが中国スーパーリーグだ。元ブラジル代表のオスカルがチェルシーから上海上港へ、元アルゼンチン代表のカルロス・テベスがボカジュニアーズから上海申花へ、スロバキア代表のマレク・ハムシクがナポリから大連一方へ、コートジボワール代表のディディエ・ドログバがチェルシーから上海申花へ――。世界中のスター選手が次々と中国へ渡った。
スターの爆買いによって2015−2016シーズンの推定移籍金総額は4億5100万ドル(当時のレートで約540億円)に達し、世界ランキングの5位にランクインするまでになった。
しかし、中国サッカーは急失速してしまう。
これによって多くの不動産会社が窮地に陥り、クラブ経営どころではなくなってしまう。不動産不況は地方政府の税収にも直撃し、自治体によるクラブ支援も困難になった。
■2020年以降に約40クラブが消滅
コロナ禍でリーグが延期になったこともクラブ財政を直撃し、同年に天津天海が解散。2021年、家電販売の蘇寧グループが不動産など多角化経営に失敗し、同社が持っていた江蘇が消滅した。倒産は連鎖的に広がり、2022年に重慶、2023年に広州城、武漢長江、河北が姿を消していく。
そして、不動産大手・恒大集団の経営破綻により、広州は選手や職員の給料を払えなくなって中国リーグ2部へ降格。2025年にリーグ最多優勝回数を誇る名門は解散に追い込まれた。2020年以降、中国では約40のプロサッカークラブが消滅した。
汚職騒動も混乱を大きくしてしまう。2022年、習近平の方針で検察がプロサッカーにおける賄賂と八百長に関する調査を開始。2024年3月、中国サッカー協会元会長が収賄罪で無期懲役、同年8月に元副会長が収賄罪で禁錮11年を言い渡された。そして同年12月、元中国代表監督の李鉄に収賄罪で禁錮20年が言い渡された。元代表監督の逮捕は前代未聞である。
■「中国サッカーの崩壊」が日本にもたらすもの
一方、中国サッカーの崩壊は、日本サッカーに短期的な利益をもたらしている。一時期ヨーロッパのクラブはこぞって中国で親善試合を行っていたが、再び日本をメインターゲットにするようになったからだ。Jリーグもその変化を受け、7月下旬頃に国内リーグを休みにし、欧州ビッグクラブを迎えやすい日程を組むようになった。
2024年にはトッテナム、ニューカッスル、ブライトン、ドルトムント、シュツットガルト、レアル・ソシエダ、スタッド・ランスが、2025年にはバルセロナ、リバプール、レアル・ソシエダ、スタッド・ランスが来日した。
ただし、長期的にはライバルの躓きは日本にとってもマイナスだ。日本代表の強化にはアジア地区のレベルアップが不可欠だからだ。UEFAはネイションズリーグを立ち上げ、親善試合を減らして真剣勝負の場を増やしている。
■「サッカー界のマフィア」の正体
サッカーマネーに関して、ときに主役になるのが代理人だ。移籍交渉の裏側で暗躍し、巨額の手数料を手にする存在である。そのあまりの影響力から、「サッカー界のマフィア」と揶揄されることも少なくない。
さすがのFIFAも、代理人の横暴を看過できなくなり、2023年、代理人の免許制度を復活させた。FIFAのエージェント試験に合格した者だけが、公認代理人として活動できるという制度である。同時にFIFAは規則を改定し、双方代理を禁止する文言を盛り込んだ。
かつては1人の代理人が「売却側のクラブ」、「獲得側のクラブ」、「選手」、三者すべてから手数料を取ることが可能だった。だが、新ルールではそれが明確に禁止された。
事前に書面で合意した場合のみ、同じ人物が「獲得側のクラブ」と「選手」の代理人を務めることができるが、売る側と買う側の両方の代理人を務めることはできなくなった。
「売却側のクラブ」の代理人を務めるときは移籍金の10%まで、「選手」と「獲得側のクラブ」の代理人を務めるときは、移籍金ではなく選手の年俸を基準に算出され、高額年俸の場合はその3%まで手数料を得ることができる。
実はこのルール改定には、きっかけになった事件があると言われている。その事件とは、ポール・ポグバのユベントスからマンチェスター・ユナイテッドへの移籍だ。
■移籍金の49%が手数料で取られる異常
2016年8月、フランス代表のポグバが移籍金1億50万ユーロ(約121億円)でマンチェスターUへ移籍した。その際、代理人のミノ・ライオラは両クラブから計4900万ユーロ(約56億円)を受け取ったと見られている。
手数料が移籍金の49%⁉ 常軌を逸したコミッション料である。家の売買を扱った不動産会社が、売却額の半分を手数料として取ったら、裁判沙汰になるに違いない。
なぜ、こんな手数料が可能だったのか。そのカラクリを暴いたのがハッカー集団「フットボールリークス」だ。彼らはクラブや代理人事務所が使うサーバーをハッキングし、大量の告発文書を入手。それらがドイツのシュピーゲル誌に提供されると、シュピーゲル誌の記者が他国のメディアに協力を求めてチームを編成し、国際的な共同取材によって実態が明らかになった。
彼らの報告によると、ライオラが手にした4900万ユーロ(約56億円)の内訳は次の通りだ。
①売り手・ユベントスからの報酬=2700万ユーロ(約31億円)
②買い手・マンチェスターUからの報酬=1940万ユーロ(約22億円)
③選手・ポグバからの代理人報酬=260万ユーロ(約3億円)
売り手と買い手、双方から手数料を受け取る――。ここに最大の問題がある。売り手は高く売りたい、買い手は安く買いたい。この二者の利益は根本的に相反する。通常、代理人はどちらか一方の立場に立つべきだと考えられている。
■高額移籍の裏に存在する「密約」
たとえばヴィッセル神戸が2009年に大久保嘉人をボルフスブルクから獲得しようとしたとき、ヴィッセルはクラブ代理人としてAを用意した。大久保が契約する代理人Bとも、ボルフスブルクが契約するドイツ人代理人Cとも別の人間だ。
イギリスの法律では、売主・買主双方の了解を取れば、両方から手数料を取ることは認められている。しかし、「フットボールリークス」によると、ライオラは両クラブに対して双方から報酬を得ることを伝えずに、両側の代理人を務めた(ライオラ本人は否定)。
さらに衝撃的なのは、ユベントスとの間で結ばれた密約だ。移籍金の最低額を9000万ユーロに設定し、ライオラへの最低報酬を1800万ユーロとする。
■今も狙われている「ルールの隙間」
一方、マンチェスターUには、ユベントスとの密約は言わず、「ポグバを手に入れるためには史上最高レベルの移籍金が必要だ」と説得した可能性が高い。マンチェスターUはライオラへ1940万ユーロ(約22億円)を2020年9月までに5回分割で払うことで同意した。さらにポグバ本人が支払うはずだった代理人報酬まで、マンチェスターUが肩代わりし、最終的な支払総額は約2200万ユーロ(約25億円)に達した。
FIFAは「フットボールリークス」の告発を受け、法廷に持ち込むことも検討したが、イタリア側で証拠を集められず、英国側では法的にグレーであることから、訴訟を断念した。冒頭に触れたように、FIFAがルールを改定したため、もはや同じことはできない。また、ライオラは2022年4月に病気で亡くなった。
だが、ルールの隙間を狙う代理人は、今も数多く存在する。サッカーが巨大なマネーを生む限り、移籍市場の裏側での攻防は終わらない。これからも「サッカー界のマフィア」たちは、良くも悪くも、サッカーマネーの地政学を語るうえで欠かせない存在であり続けるだろう。
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木崎 伸也(きざき・しんや)
スポーツライター
1975年生まれ、東京都出身。中央大学大学院理工学研究科物理学専攻修士課程修了。2002年日韓W杯後にスポーツ紙の通信員としてオランダへ移住。2003年から拠点をドイツに移し、日本代表FWの高原直泰の担当としてブンデスリーガを取材。2006年ドイツW杯では、現地在住のスポーツライターとして記事を配信した。2009年2月に帰国し、現在は『Number』『BRODY』『footballista』などに寄稿している。著書に『2010年南アフリカW杯が危ない!』(角川SSC新書)、『サッカーの見方は1日で変えられる』(東洋経済新報社)、『直撃 本田圭佑』(文藝春秋)、『サッカーと地政学』(ワニブックス)、『逆転監督 森保一』(文藝春秋)がある。
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(スポーツライター 木崎 伸也)

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