■人気絶頂期に入ったロックバンドで起きた異変
中学時代に友人たちとバンドを組んでドラムを始め、大学生のときにロックバンドRADWIMPSに加入してプロデビュー。あっという間にスターダムへ上り詰め、若くして成功したミュージシャンのひとりと相成る……。
これが10代から20代にかけての、山口智史さんの軌跡だ。
人もうらやむ、華やかな経歴と言えそうだ。このまま音楽の世界で順調にキャリアを重ねていくのだろう、だれもがそう思っていた2015年、山口さんの前に暗雲が立ち込めた。
メンバーと議論の末、RADWIMPSの活動を無期限休止することとなってしまったのである。
わがままを言ってごねたわけでもなければ、音楽性の不一致で揉めたわけでもない。もっと、止むに止まれぬ理由だった。山口さんは当時、活動休止を申し出ざるを得ないほどの、身体の不調に襲われていた。
原因は、ミュージシャンズ・ジストニアだった。
■突然、右足が動かなくなった
2014年、RADWIMPSは全国ツアーに出ていた。8月13日、シンガポールでの公演中のこと。演奏のさなか、山口さんがバスドラムを鳴らすために右足を動かそうとしたところ、いきなり足全体が石のように固まり、動かなくなってしまった。
「まずいっ……」と思ったが、とっさにリカバリーして、演奏自体は続けた。足のこわばりは一瞬のことであり、演奏を乱してしまった時間もほんのわずかだった。会場を埋め尽くすファンには、おそらく気づかれずに済んだはず。
しかし、ともに演奏しているバンドメンバーや、ステージ周りにいるスタッフは、異変にすぐ気づいた。ロックバンドの演奏においてドラムは要である。ボーカルもほかの楽器も、ドラムに合わせて音やタイミングをとっていく。そのドラム音が突如として一部欠けてしまったのだから、影響は大きい。
ステージは何とか滞りなく続き、いつも通りに幕を閉じることができたものの、山口さんがプロのミュージシャンとして大きいミスをおかしたという事実は残った。
違和感は、じつは2009年ごろからあった。右足がいきなり思うままに動かせなくなる症状は、不規則に出ていたのだ。そのつど何とかごまかしながら演奏を続けてきた。当人には不安ばかりが募っていった。
■発症した6割が引退に追い込まれる“病”
症状が出ないよう演奏法を試行錯誤しても、大した効果は得られない。当時、噂程度に聞いていたミュージシャンズ・ジストニアという疾患ではないか。医療機関を訪れ、診断を受けたものの、症状を改善する方法は見つかっていないので、実際には手の打ちようもなかった。
数年間にわたって症状に悩み、もがき、治す方策を探し続けた末に、山口さんの心はついに折れてしまった。みずから申し出て、RADWIMPSとしての活動を無期限休養することとなった。
2015年9月23日、バンドの公式サイトに、お知らせが掲載された。
――ドラムの山口智史が、持病の悪化により活動を控え、休養に入ることになりました。自分の思うようにドラムを叩けなくなったことが原因です。
当時の心境を山口さんが明かす。
「ジストニアによって思ったような音楽表現ができないことが本当に辛く、精神疾患も併発してしまい、まともに日常生活を送ることすら難しくなっていました。不本意ながら、人生を賭けてやってきたバンドを去るしかありませんでした」
ミュージシャンズ・ジストニアは、プロ音楽家の約1%が発症するものとされる。発症部位は楽器によって違っており、ピアニストは右手、管楽器だと唇が動かせなくなったりすることが多い。発症メカニズムはいまだ解明されておらず、治療法も確立していない。発症した音楽家の6割は、そのまま引退するとも言われている。
■自分の人生が丸ごと奪われた
プロドラマーの発症も目立つと感じていた山口さんは、ジストニアについてすこしでも正体をつかみたいという一念で、2021年から慶應大・藤井進也准教授の研究室に所属し、みずからジストニアの研究を始めた。また、再び演奏活動に戻ることを目指して、足以外の動作でドラム演奏をするシステム開発にも乗り出している。
が、それは活動を休止し、しばらく経ってからの話である。人気絶頂のバンドを離脱するしかなかった当時は、「自分の人生が丸ごと奪われたような気持ちでした」と嘆くばかりで、どこにも光明を見出すことができなかった。
大学在学中にメンバーから誘われRADWIMPSに加入した山口さんは、このバンドでドラムを叩くことにすべてを捧げてきた。それが自分の使命だとも思い、満たされていた。
バンドの活動を休止したときは、30歳を迎えるタイミングだった。早くに結婚をしており、妻・冴希さんとのあいだに4歳・2歳・0歳の子どももいる。この状況で無職となってしまえば、悲観し絶望的な気持ちになるのはやむを得ないところである。
■妻からかけられた意外な言葉
ずっと音楽に打ち込んできた山口さんは、ミュージシャン以外の仕事をしたことがない。家族の生活を守らなければいけないという気持ちはもちろん強かったが、他の職に就いて働こうと気持ちを切り替えることは、しばらくのあいだできなかった。
それでも自暴自棄にならず、何とか踏み留まって自分の置かれた状況を見つめ直そうという姿勢をとることができたのは、妻・冴希さんの存在が大きかった。
絶望して無気力になっていた山口さんに、冴希さんは笑顔でこう声をかけた。
「私はこれからの智史くんの人生を、とても楽しみにしてる」
言われた直後はピンとこなかったが、
「自分の存在と可能性を信じてくれる人がいるのは、こんなに心強いことなのかと知りました。RADWIMPSじゃなくても、ドラマーじゃなくても、自分がきっとまた輝けると信じてくれる人がいたから、なんとか今日まで生きてこれたんだと思います」
病状や精神状態、取り巻く環境がすぐによくなるわけではなかったものの、家族の存在は救いとなった。おかげで山口さんは回復しよう、前を向こうという意思を保つことだけは、かろうじてできていた。
■葉山が俺を呼んでいる
家族のほかに、もうひとつ山口さんの力になってくれたものがある。
バンド活動を無期限休止してから2カ月経ったころ、山口さんは、気晴らしに近場へひとりで旅行することに決めた。旅雑誌でたまたま見かけた葉山の宿をとり、夜に投宿した。朝ゆっくりと起き出して、何気なく部屋のカーテンを開けると、海越しの富士山の威容が目に飛び込んできた。絶景だった。
特に下調べもしていなかったので、葉山から富士山が見えるとは思ってもいなかった。山口さんは壮大な光景に一目惚れしてしまう。
晴れやかな気分のまま町へ降りてぶらぶらしていると、神社の駐車場でファーマーズマーケットが開かれていた。ベンチに腰掛け、屋台で買ったモツ煮を食べながら富士山を眺めていると、ここしばらく感じたことのない心地よさと開放感を味わうことができた。
山口さんは、その場で妻の冴希さんに電話をして、こう伝えた。
「葉山が俺を呼んでいるんだ」
阿吽の呼吸というべきか、返事はシンプルなものだった。
「うん、いいんじゃない?」
このやりとりだけで、東京から一家で移住することが決まった。
葉山という新天地で、山口さんは心身の回復と再起を目指すこととなる――。
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山内 宏泰(やまうち・ひろやす)
ライター
美術・文学・人物ドキュメンタリーなどの分野で執筆。著書に『文学とワイン』『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』『写真を読む夜』など。文学ファンコミュニティ「文学茶話」を主宰。
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山口 智史(やまぐち・さとし)
ドラマー(RADWIMPS)
1985年、神奈川県横浜市生まれ。中学2年生のときドラムを始める。2004年にRADWIMPSへ加入し、2005年にメジャーデビュー。2009年頃より右足にミュージシャンズ・ジストニアを発症し、2015年に演奏活動の無期限休養を発表。慶應義塾大学の藤井進也研究室とヤマハとの共同研究を通じ、声をトリガーにドラム音を鳴らす新技術「VXD」を開発。2024年には自身の声を用いた演奏で約9年ぶりにステージ復帰。2025年には初のソロツアーを開催。農家、葉山の植物性アイスクリームブランド「BEAT ICE」共同創業者としての顔も持つ。
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(ライター 山内 宏泰、ドラマー(RADWIMPS) 山口 智史)

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