人生の転機はいつ訪れるかわからない。2016年、ロックバンド「RADWIMPS」による映画『君の名は。
』の主題歌「前前前世」が世界的に大ヒットする。そんな中、持病により休養中のドラマー・山口智史さん(41)さんは強い孤独を感じていた。「自分が壊れてしまうかもしれない」。そう感じた山口さんが向かったのは意外な場所だった――。(第2回/全3回)
■無期限活動休止中に届いた「複雑な報せ」
2015年、RADWIMPSのドラマーとしての活動を無期限休止した山口智史さんは、たまたま小旅行で赴いた葉山で、太平洋越しの富士山の光景に一目惚れし、「葉山が俺を呼んでいる」と宣言。一家で東京から居を移すこととなった。
心身を患い活動休止に追い込まれた自分を癒やすためではあったが、移住は家庭の経済状態にも寄与するものだった。
それまで暮らしていた東京都内の住まいから葉山に移ることで、家賃を3分の1に抑えることができたのだ。本人は述懐する。
「いきなり無職になってしまって、次の職に就くメドも立っていなかったので、生活レベルを落とさなければいけないとは気づいていました」
新しい住まいを整え、子どもたちの学校の手続きに奔走したりと、やるべきことは目の前にたくさんあった。奔走することで気が紛れるのは、心身に傷を負った山口さんには幸いだった。
ただ山口さん自身は、停滞していた。
次に進むべき道を見出せぬまま、無為な日々を送るばかり。失われた精神の均衡をなんとか取り戻そうとする、ただそれだけの時間だった。
だが、そんな静寂をかき乱すような出来事が、容赦なく襲いかかってきた。愛するバンドRADWIMPSの、あまりにも巨大な成功の報せだった。
■どこにいても「前前前世」が聞こえる
山口さんがバンドから離れて1年後の2016年8月、映画『君の名は。』が公開された。のちに日本のみならず世界的な大ヒットとなる新海誠監督によるアニメ映画作品は、音楽のほぼすべてをRADWIMPSが担当していた。
映画は最終的な興行成績が250億円という大ヒットを記録。それに伴い主題歌《前前前世》も、ファンの枠を超えて広く注目を浴び、音楽チャート1位を獲得し、RADWIMPS史上最大のヒットナンバーとなる。
当時は日本のどこにいても、《前前前世》や挿入歌が聴こえてくるような状況だった。
「このプロジェクトは僕がバンドを離脱する前から進んでいて、実際にいくつかの曲で僕もドラムのフレーズづくりなどをしていました。でもその後に活動休止してしまったことで、自分としては映画音楽の仕事を、途中で投げ出すようなかたちとなってしまった。
申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
音楽がどう仕上がったのかは、ずっと気になっていた。山口さんは『君の名は。』の公開初日、映画館へ足を運んだ。スクリーンから響くかつての仲間の音は、言葉が出ないほど圧倒的に美しく、すばらしい出来栄えだった。
ドラマーが脱けてしまうという危機的な状況下で、これほどの音楽をつくり上げたメンバーや、自分の後を任せたドラマー、そして新海誠監督をはじめとする映画スタッフへの心からのリスペクトと感謝が湧いた。山口さん自身も誇らしい気分に浸った。
■素直に祝う気持ちにはなれない
しかし、人の心は割り切れないもの。映画が歴史的な大ヒットを記録し、日本のみならず海外へまで広がっていくにつれ、山口さんの心境は変容し歪んでいってしまった。
バンド結成時に掲げた「世界に風穴を開けよう!」という目標を実現していくメンバーの姿を、遠くからただ見守ることが、だんだんつらくなっていったのだ。仲間の成功を素直に祝う気持ちにはとうていなれない、身勝手な感情が心内でうごめくのに気づいて愕然とした。
「自分で言い出してバンドから降りたのに、皆の成功を喜べない自分に、呆れ絶望しました」
取り返しのつかない選択をしてしまったんじゃないかという、深い後悔の念が何をしていても拭えない。毎晩就寝しようとするたび、頭の中で『君の名は。
』の楽曲が鳴り響いて眠れなかった。
ミュージシャンズ・ジストニアによってドラムが叩けないという事実を受け止め、治そうとするだけでも手一杯なのに、さらに厳しく追い打ちをかけられている気分だった。
「どん底にいるような心理状態が1、2年は続きました。このままではいつか自分が壊れてしまう。考え方や生き方を、何とか根本から変えなければ……と、いつも思い詰めていました」
■自分がやってきた時間は無駄ではなかった
そんな状況から抜け出すきっかけは、意外なところからやってきた。
ジストニアの治療のため音楽関係の友人に誘われ、ロサンゼルスで毎年開かれる世界最大規模の楽器展示会「NAMM Show」に立ち寄ってみたときのこと。
会場を歩いていると、「Are you Satoshi?」と、見知らぬ若者に声をかけられた。北京から来たという男性で、RADWIMPSの大ファンだという。
「調子はどう? 僕の周りのファンは皆、サトシの健康を心配しているんだ」
そう聞いた瞬間、山口さんは肩の力が抜ける気がした。自分が命を削るようにしてバンドに打ち込んだ時間は、無駄でもなければ間違いでもなかった。海の向こうの見知らぬ人にまで自分の健康とカムバックを願ってもらえるのは、RADWIMPSのメンバーでいたおかげだ。
呪縛から解放された気分だった。
これを機に、一時期は聴くことすら恐怖になっていたRASWIMPSの音楽を、また純粋に好きだと思えるようになっていった。
移住先の葉山でも、心の居場所とでもいうべきものが見つかった。棚田である。
■棚田と自分は似ている
山あいの斜面に段々に広がり、たっぷり水を含んだ美しい棚田は、いまや神奈川県内で2カ所しか残っていない。そのうちのひとつが、移住先の近隣にあった。
あるとき、農作業中の年配者から声をかけられた。
「そこの若いの、ちょっと手伝っていけ」
言われるがままに、身体を動かしてみた。クワもスコップも持ったことはなかったが、見よう見まねで土に触れ、水と風と太陽を感じていると、それだけで心が晴れた。以来、志願してその棚田で農作業の手伝いに励むようになる。
棚田と関わるようになり、内実をすこしずつ知るようになると、棚田は存続自体が危機に瀕していることがわかった。「跡取りもいないし、自分の代で終わり」と、農家の人々は口をそろえる。
放っておけば早晩消えてしまう運命。
そんな窮状に陥っている棚田を、山口さんは自分自身と重ね合わせた。
「衰弱していまにも消えてしまいそうな存在の棚田は、まるで自分と同じじゃないかと感じられました。もしも棚田を復活させることができれば、自分の進むべき道も見出せるんじゃないかとも思いました」
それからは棚田での農作業ボランティアに、夫婦そろっていっそう力を入れ、保全と活用のアイデアを考え続けた。
■ビジネス経験ゼロでも事業を始めた
試行錯誤の末に山口夫妻が思いついたのは、米を用いたアイスクリームの製造だった。ミルクベースに米の粒を入れた米アイスはよく見かけるが、山口さんが目指したのは甘酒をベースにしたアイスクリーム。もともと棚田でとれる米の量はわずかで、山口さんが得られる分け前は年間30キロほどしかない。この少量の米を、いかに多くの人に届けられるか。想を練った結果、まずは甘酒をつくり増量し、それをアイスクリームに混ぜ込む手法に行き着いた。
2018年にはこれを「葉山アイス」と称して商品化。評判を呼び徐々に生産量は増加していき、2025年からは新宿に出店、「Ricecream」として売り出し人気を呼んでいる。
棚田でつくった米を原料としたアイスクリーム製造は、事業として継続性のあるものとなっていった。売り上げの一定割合は、棚田を存続させていくための資金にもなっている。

山口さん夫婦にはもともと経営や起業などビジネスの経験がない。それなのにアイスクリーム事業を軌道に乗せられたのは、山口さんがRADWIMPSのメンバーとしてエンターテインメント業界の最前線を生き抜いてきたことが大きい。
何かをつくり、人に届ける。事業の基本となるそうした営みは、人気バンドのドラマーだった山口さんが長年にわたり為してきたことだったのだ。
■前向きな姿勢で取り組めば道は開ける
「アイスクリーム事業も最初からうまくいっていたわけではありません。ボランティアとして棚田を手伝っていたとはいえ、地元の農家の方々からしたら僕らなんて『つい最近引っ越してきた若造ども』に過ぎない。棚田を守るための継続的なしくみをつくりたいとプレゼンしても、何を言っているんだ? とまったく相手にされませんでした」
すぐに理解は得られぬまでも、まずは楽しんで取り組んでいる姿を見せるしかない。そう考えた山口さんは、ほかの農家の了承をとりつけたうえで、試行錯誤しながら米のアイスクリームづくりに励んだ。
前向きな姿勢で取り組めば、おのずと道は拓けるはずという信念は、音楽をやっていたころに培われたものだ。
「僕がバンド活動を続けてきた動機は純粋なものです。ドラムを叩いてみると大きい音が出て『うわ、楽しい!』と思ったのが原点。続けていると上達してきて、だれかと音を共有したり舞台に立ったりと楽しみが広がっていった。棚田の米でアイスをつくるのも、まずは自分たちが楽しんで取り組み、次にはその楽しさをどう共有できるかと考えていきました」
■幸せかどうかは他人が決めるものではない
山口さんは、棚田で米をつくりアイスにしていく活動を、農業と音楽を掛け合わせて「農楽(のうがく)」と呼ぶことにした。ポジティブな考えは共感を呼び、周囲の理解と顧客獲得につながっていった。
食べてくれた人から「おいしい」と言ってもらえればうれしい。そんなシンプルな活動を重ねるうち、どん底を経験した山口さんの心身は緩やかに回復していった。
「幸せというのは自分の心が決めるもの、という当たり前のことに、ずいぶん遠回りしながら気づきました。これからも、いまここにある幸せを忘れないように生きていきたい」
そうふりかえる山口さんだが、心の奥底には消えないものが残っていた。音楽、そして愛するバンドへの思いだ。心身が癒えていくにつれて、再びの挑戦への意欲がじわじわと湧き上がってくるのを、本人ははっきりと自覚していたのだった。

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山内 宏泰(やまうち・ひろやす)

ライター

美術・文学・人物ドキュメンタリーなどの分野で執筆。著書に『文学とワイン』『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』『写真を読む夜』など。文学ファンコミュニティ「文学茶話」を主宰。

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山口 智史(やまぐち・さとし)

ドラマー(RADWIMPS)

1985年、神奈川県横浜市生まれ。中学2年生のときドラムを始める。2004年にRADWIMPSへ加入し、2005年にメジャーデビュー。2009年頃より右足にミュージシャンズ・ジストニアを発症し、2015年に演奏活動の無期限休養を発表。慶應義塾大学の藤井進也研究室とヤマハとの共同研究を通じ、声をトリガーにドラム音を鳴らす新技術「VXD」を開発。2024年には自身の声を用いた演奏で約9年ぶりにステージ復帰。2025年には初のソロツアーを開催。農家、葉山の植物性アイスクリームブランド「BEAT ICE」共同創業者としての顔も持つ。

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(ライター 山内 宏泰、ドラマー(RADWIMPS) 山口 智史)
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