※本稿は、橘玲『プアジャパン インフレ世界を生き抜く資本戦略』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■世界は「平等化」の大きな流れのなかにある
前回記事(「世帯所得250万円未満」が51.3%を占める…みんな平等に貧しくなったニッポンの“言ってはいけない真実”)では日本における所得の格差について考えました。その結果見えてきたのは、「日本ではみんなが平等に貧しくなったことで、格差が拡大しなかった」という“不都合な真実”でした。
一方、日本における「資産の格差」はどうなっているのでしょうか。
所得のちがいはわずかでも、それを複利で運用していけば、20年、30年後には大きな差になるはずです。こうして資産格差がとめどもなく拡大していくと論じたのがフランスの経済学者トマ・ピケティで、「r>g(資本収益率が経済成長率を上回る)」という不等式によって、資本をもつ者の富が加速度的に増えていくことを示しました。
その後、スウェーデンの経済学者ダニエル・ヴァルデンストロムが、最新の調査文献にもとづいて欧米(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、スウェーデン)の富の分布を詳細に検証し、「すべての国で経済格差が大幅に縮小し、先進国はますます平等になっている」と主張しました(『資産格差の経済史 持ち家と年金が平等を生んだ』立木勝訳/みすず書房)。
■第二次世界大戦後、中間層の富が増えた
図表1は、1900年から2015年までの、欧米主要国の最富裕層10%の富のシェアの推移を示しています。
20世紀はじめは、どの国もトップ10%の富裕層が全私有財産の80~90%を保有するきわめて不平等な社会でした。
ところがここから富裕層の富のシェアは下がりはじめ、とりわけ第二次世界大戦後は、富裕層のシェアが80%超から50%弱まで下がったイギリスを筆頭に、「急激な平等化」が起きていることがわかります。
その理由は、富裕層から貧困層に富が移転したことではなく、主にマイホームによって中間層の富が増えたからです。
■アメリカだけが格差拡大
じつはピケティも、中間層の台頭が経済格差を縮小させ、社会を平等化させたことを認めています。だとしたらどこで意見が分かれるかというと、1980年を境に格差縮小の流れが変わり、とりわけアメリカでは明らかに格差拡大へと反転しているからです。
ところがこれについてもヴァルデンストロムは、地価の上昇で中間層の富が拡大したことで、近年でも欧米諸国全体で見れば資産格差は拡大していないと反論しています。
実際、ヨーロッパ諸国のトップ1%の富のシェアを1980年代はじめと2010年代末で比較すると、イギリスでは18%から16%へと富裕層のシェアは縮小しています。
それ以外の国でも、フランスは17%から18%へ、ドイツは26%から27%へと増えただけで、一般に思われているような「とめどない格差拡大」が起きているのはアメリカだけなのです。
ヴァルデンストロムは、「アメリカという特殊な事例に引きずられて、“平等化”という大きな流れを見失っている」と論じたのです。
■日本は4世帯に1世帯が「金融資産ゼロ」
では、日本の状況はどうなのでしょうか。残念ながら、日本ではヴァルデンストロムが行なったような富(資産)の詳細な分布調査はないようですが、総務省が行なっている「全国家計構造調査(2019)」でおおよその傾向がわかります。
それによると、一人あたりに換算した資産のジニ係数は金融資産残高で0.664、不動産資産額で0.643で、予想どおり所得の不平等よりも資産の不平等のほうがはるかに大きくなっています。
とはいえ、マイホーム(不動産資産)があれば「ゆたか」ともいえません。金融経済教育推進機構の「家計の金融行動に関する世論調査(2025)」では、持ち家世帯と非持ち家世帯に分けて、どの程度の金融資産を保有しているかを調査しています。
それによると、持ち家でありながらまったく金融資産をもっていない世帯が14.5%、およそ7世帯に1世帯あり、金融資産200万円未満の世帯まで含めれば、およそ4世帯に1世帯になります。
■「持てる者」と「持たざる者」の分断
日本では、住宅街の4軒のうち1軒が、持ち家でありながら家計に経済的な余裕がないのです。
このひとたちは、ほとんど価値のない持ち家を手放すと家賃を払うことができないため、転居することもできず、いわばマイホームに「監禁」されています。
それに対して、非持ち家世帯のうち9.1%が「金融資産3000万円以上」と回答しています。
専門職など高収入の仕事をしながら都心のタワマンに部屋を借りている若者もいるでしょうが、その多くは、維持管理が面倒な持ち家を売却して高級有料老人ホームなどで暮らすことを選んだ裕福な高齢者でしょう。
日本の資産格差はアメリカほどではないでしょうが、それでも確実に「持てる者」と「持たざる者」の分断が起きています。そしてインフレは、収入のほとんどを生活費などに充て、資産形成をする余裕のない「持たざる者」の家計を直撃するのです。
■すべての経済政策が失敗した日本の未来
現在のようなインフレが続き、構造改革などの経済政策がすべて失敗したらなにが起きるのでしょうか。詳しくは拙著『プアジャパン』に当たっていただければと思いますが、結論だけ、現実の日本経済に即して予測してみましょう。
・既得権の壁にはばまれて、構造改革は中途半端に終わる。「労働市場の流動化」はかけ声だけで、正社員の既得権が守られ解雇規制は緩和できず、正規/非正規の「身分差別」はなにも変わらない。
・インフレに応じて名目賃金は上がるものの、賃上げが物価の上昇に追いつかず、実質賃金が下がって日本人はどんどん貧乏になる。
・財政健全化と「責任ある積極財政」が対立して、効果的な財政政策ができず、選挙の前のばらまきや場当たり的な減税(食料品消費税ゼロなど)ばかりが行なわれる。
・債務残高が高止まりし、「破綻もしないが将来不安だけは強い」状態が続く。国民は年金制度の持続性を疑い、NISA(少額投資非課税制度)で海外の株式市場に投資し、資産を防衛しようとする。
・増えつづける「貧困高齢者」に対処するため年金・医療の社会保障費が増大し、財政を逼迫させて、現役世代は十分な支援を受けられず少子化が加速する。
・病院の赤字が拡大して国民皆保険が維持できなくなる。適切な治療は自費診療の病院でしか受けられなくなる。
・認知症の高齢者が増えるが、介護施設が足りず、街に認知症者が溢れる。認知症の高齢者を標的にした詐欺が広がり、誰も信用できなくなる。
・分配の歪みが固定化し、個人間の経済格差が拡大する。同時に、(多くの分配を受ける)高齢者と(分配の原資を提供する)現役世代の世代間対立がはげしくなる。
・貧困層が増えすぎて生活保護では対処できなくなる。国民は自分の生活に精いっぱいで、ホームレスは“自己責任”と見なされるようになる。
・問題を解決できない政府が信頼されなくなる。
スタグフレーションは「停滞(stagnation)」と「インフレーション(inflation)」を組み合わせた造語で、景気が悪化して失業者が増え、それにもかかわらず物価だけが上がるという、経済学のなかで最悪の状態のひとつとされます。
人手不足の日本は(幸いなことに)、失業率だけはずっと低いままです。そうなると、「みんなが一生懸命働いても物価の上昇に賃上げが追いつかず、生活は苦しくなる一方」という社会が予想できます。『プアジャパン』ではこれを「日本型スタグフレーション」と定義しています。
日本は人類史上、未曾有の超高齢化という構造的な問題を抱え、どの政権も「成長戦略」を掲げながら、成長できなかったという重い現実があります。そう考えれば、これから日本がスタグフレーションに向かうという可能性はけっして低いものではありません。
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橘 玲(たちばな・あきら)
作家
1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラーに。
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(作家 橘 玲)

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