中東の親日国として知られるサウジアラビアで、いま「日本離れ」が静かに進んでいる。拓殖大学海外事情研究所准教授の野村明史さんは「日本が強かった自動車やアニメの分野に中国企業が続々と進出し、フードデリバリーやアパレルでも存在感を強めている。
親日国だから、と油断できない事態になっている」という――。
■中東の親日国で起きている異変
サウジアラビアのムハンマド皇太子は、大の親日家として知られる。新婚旅行で日本を訪れたとも伝えられており、子供の時からアニメやゲームに親しんできたという。
ムハンマド氏は、2015年に副皇太子、2017年に皇太子へと昇格し、政治の実権を掌握。それ以前の2011年から、若者の教育、スキル向上、アニメ・ゲーム等分野の創造性を推進することを目的に「MiSK」財団を設立し、その子会社マンガプロダクションズを立ち上げている。
マンガプロダクションズでは、日本の東映アニメーションと協力して、古代アラビア半島の争いを舞台にした長編アニメ映画『ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語』が制作され、2021年日本各地で上映された。また、サウジの文化や伝統を伝える子供向けのアニメ『アサティール』も制作された。第1期は2020年に日本のケーブルテレビJ:COMで放送され、続編の『アサティール2』が2024年秋からテレビ東京系列で放送されている。
2016年には脱石油依存を掲げる国家改革構想「ビジョン2030」を始動。その一環として、首都リヤド郊外では遊びとエンターテインメントに特化した世界最大級の都市開発「キディヤ」プロジェクトを立ち上げた。同地には、東映アニメーションと協力した世界初の『ドラゴンボール』のテーマパークも建設される予定だ。
ムハンマド皇太子の存在も影響してすっかり親日イメージの強いサウジアラビアであるが、サウジ国内では日本にとって不都合とも言える変化が加速している。
中国資本の流入だ。
一帯一路構想で、中国資本が中東諸国へ広がっていることは周知の事実だが、ここ最近は、国民生活にも目に見える変化が生じ始めている。
■対日貿易額の3倍に達した中国マネー
2024年、サウジアラビアと中国の貿易額は約1020億ドル(約16兆5000億円。6月26日現在のレート、1ドル161.64円で換算、以下同)に達し、対日貿易額の約3倍となった。サウジの経済を支える原油の輸出も中国が最大の相手国だ。中国は、ビジョン2030の一大プロジェクトとなる「NEOM計画」での建設や再生可能エネルギー製造の大型案件を次々に受注している。
2024年8月、サウジアラビアの政府系ファンド「パブリック・インベストメント・ファンド(PIF)」は、中国の国有大手銀行6行と総額500億ドル(約8兆円)相当の資本契約を締結し、2024年11月に中国財政部がサウジアラビアの首都リヤドで20億ドル(3230億円)規模の米ドル建て国債を発行した。中国がリヤドで国債を発行することは、サウジ市場に国際的な発行案件を呼び込む実績になる。
ただ、こうした大型プロジェクトもさることながら、中国の影響は、サウジアラビア国民の日常生活により実感できるようになってきた。
2022年11月、コロナ禍も終息し、筆者は久々にサウジアラビアを訪問した。驚いたことに、サウジの車道にこれまであまり見かけなかったロゴの車が走っている。中国自動車企業「長城汽車」の車だ。
長城汽車は、2022年7月からオフロードSUV「坦克(Tank)300」のサウジアラビアでの販売開始を発表し、本格的にサウジ市場へと参入を始めた。
■「日本への信頼」も圧倒的価格差には勝てず
これまで、サウジアラビアでは日本車への信頼が厚く、中古車市場でも高値で取引されることから高い人気を保ってきた。耐久性や燃費性能、メンテナンスのしやすさが評価され、トヨタや日産などの日本ブランドは長年、サウジの生活に深く根付いてきた。
しかし、近年は、中国車が先進技術を備えながら日本車よりも手頃な価格で購入できる点が支持され、サウジアラビア人の心を早速掴み、サウジの自動車市場の勢力図に大きな変化をもたらしているようだ。
一方、衣食の分野でも中国の影響が顕著に表れ始めている。アパレル分野では、中国発のオンラインファストファッション販売サイト「SHEIN」が、中東への進出を加速させている。同サイトは低価格・大量品ぞろえとして日本でも人気を博している。そうした経営姿勢は、リーズナブルな価格でサウジアラビア国民にも受け入れられ、認知度も高まっている。2025年12月末にリヤドを訪れた時、車で市内を走っていると、建設中のSHEINの配送センターをあちこちで見かけることができた。
またSHEINは、単に商品を売るだけでなく、キャンペーン、インフルエンサーとのコラボ、動画企画、後払い決済の導入で急速に現地化を進め、中東向けのマーケティングを強みにしようとしている。
2024年11月2日、SHEINはリヤドで「真珠から輝く光へ、アラブの華麗なる旅」をテーマに、最新の秋冬コレクションのファッションショーを開催した。サウジの風景である砂漠と夕陽、海洋とトレンドを融合させたファッションを披露し、若者のファン獲得にも力を入れている。

■渋滞の街で広がる中国デリバリー
食の分野でも「中国化」は同様だ。灼熱の気候と慢性的な交通渋滞により、サウジアラビアではデリバリーフードサービスの市場が年々拡大している。これまではサウジアラビア発のHungerStationが大きなシェアを占めていたが、2024年9月に中国発のKEETA(美団)が進出し、わずか数カ月で急速にシェアを拡大した。
以前はHungerStationの黄色い配達ボックスを乗せたバイクをよく見かけたが、2025年12月末にサウジアラビアを訪れた際には、KEETAのロゴも目立つようになっていた。
サウジアラビアにいる私の友人たちもKEETAを愛用している。通常の食事からスイーツまで、デリバリーフードサービスはいまやサウジアラビアで欠かせないものとなっている。
サウジアラビアは自動車社会だ。とりわけリヤドは再開発が進み、退勤時間から夜にかけて道路はどこも激しい渋滞に陥る。わざわざ時間をかけてレストランへ足を運ぶより、デリバリーで手軽に注文する方が好まれているのだ。
友人たちによれば、以前は注文した食事がきちんと清潔に届くのか、そうした信頼性が重視されていたという。しかし、デリバリーフードサービスが定着した近年は、低価格と到着の速さが重視されるようになったという。KEETAは、こうした今のサウジアラビア人の要望にピッタリとあっているようだ。

■人材育成にまで及ぶ中国の布石
2025年12月のフィナンシャルタイムズによると、KEETAはデリバリーフードサービスの市場でサウジアラビア2位のJahezを追い抜き、首位のHungerStationにも迫る勢いだという。躍進を支えたのは、無料配送や割引クーポンといった破格のサービスだ。
今後は、こうしたキャンペーンを縮小してもユーザーをつなぎ留められるか、収益化の確実性が焦点となる。それでも現状、サウジアラビア国民の間で好評を博している。
中国経済の著しい成長に目をつけ、サウジアラビア政府は教育面でも中国との関係を深化させようとしている。サウジアラビアの2026年予算書では、2025年第2四半期時点で、公立学校で中国語を学習している生徒の総数は約5万6000人に達したと伝えている。
2019年、ムハンマド皇太子が中国を訪問した際、サウジアラビアで中国語教育をカリキュラム化することに合意した。同プログラムは一部の学校から試験的に始まり、2029年までに高校生に中国語教育を拡大していく予定だ。
サウジアラビアの教育機関関係者の話によると、アジア圏への留学では以前は日本を希望する者が多かったが、ここ最近は将来のビジネスチャンスを見越して、中国へ留学する者が増加傾向にあるという。
サウジアラビアは中国との単なる経済協力の枠組みを超え、国家の未来を担う人材育成にまで本格的に着手しているのだ。
■日本の牙城アニメにも忍び寄る中国
サウジアラビア国民の中で存在感を高めつつある中国。本来、日本の強みであったアニメコンテンツの分野においても例外ではなくなってきている。

マンガプロダクションズは、動画共有サービスなどを手掛ける中国のエンタメ企業bilibili社と契約し、2022年には前述の『ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語』が同プラットフォームで配信された。
現在約5万人以上のフォロワーを獲得し、公開から1カ月足らずで約200万回の再生数を記録した。中国語版にも吹き替えが行われ、世界的な有名アクション俳優ジャッキー・チェンが声優を務め、中国で大きな反響を呼んだ。
bilibili社は、1日あたり1億900万人以上のアクティブユーザーを誇り、サウジアラビアのコンテンツを広げる大きな市場として期待される。2025年9月には、マンガプロダクションズがbilibili社と戦略的パートナーシップを締結。『アサティール2』の中国配信、bilibili社が厳選した中国アニメ作品の中東配信、そして同社の短編アニメコレクション『CAPSULES』へのマンガプロダクションズの共同制作参画が発表され、サウジアラビアと中国のアニメ制作協力が本格的に開始された。
■ソフトパワーで問われる日本の岐路
サウジアラビアで起きているのは、単なる中国資本の流入ではない。かつてサウジアラビアの自動車市場はトヨタや日産が席巻し、お茶の間では日本のアニメが彩った。日本製品やコンテンツの良さが神話のように語られてきたサウジアラビアで、自動車、アニメコンテンツといった日本の強みが、次々と中国発のビジネスに置き換えられている。
それだけではない。デリバリーやアパレルといった、これまで日本が必ずしも強みを持たなかった生活分野でも、中国企業が低価格と利便性を武器に急速にシェアを広げ、日常の隅々にまで中国の存在感が浸透しつつある。
しかも、中国語教育という形で、次世代の人材育成にまで布石が打たれつつある。
一過性の商品流入ではない。サウジアラビア国民の対中認識をも変えていく構造的かつ長期的な浸透だ。
2026年5月の米中首脳会談を経て、米中の間には一定の融和ムードも漂い始めている。世界が米中の「G2」の構図に傾いていくならば、経済力、技術力、軍事力だけでなく、文化やエンターテインメントといったソフトパワーもイメージを作り上げていく重要な大国間競争の要因となる。
中東地域で中国の影響力が国民レベルで強まっている中、日本は自国の強みをどう活かしていけるのか。将来を賭けた岐路に立たされている。

----------

野村 明史(のむら・あきふみ)

拓殖大学海外事情研究所准教授

王立サウード国王大学教育学部イスラーム学科卒業(サウジアラビア王国)。拓殖大学大学院国際協力学研究科安全保障専攻博士後期課程修了。博士(安全保障)。拓殖大学海外事情研究所助手、助教を経て、2023年より現職。デジタルハリウッド大学客員准教授。中東情勢の現状分析とイスラーム政治思想の研究を主に行っている。外務省主催の会議などに参加してイスラーム過激派対策やイスラーム教育にも取り組んでいる。

----------

(拓殖大学海外事情研究所准教授 野村 明史)
編集部おすすめ