■41.8℃が暴いた「環境先進国」の急所
41.8℃。この数字は、環境先進国とみられてきたドイツの安全網の薄さを浮かび上がらせた。
6月29日にドイツ気象局(DWD)が公表した月間概況によれば、6月27日、ドイツ中部のザクセン=アンハルト州の観測所ドリューヴィッツでドイツ国内の観測史上最高値の41.8℃を観測した。翌28日にはブランデンブルク州コッシェンでも41.7℃を記録し、広い範囲で40℃以上の酷暑日となった。
熱波はドイツ社会の広範囲を揺さぶった。
被害は人命に表れた。ドイツの有力紙ヴェルトによれば、ロベルト・コッホ研究所(RKI)は4月6日~6月21日の熱関連死を810人と推計した。熱波が本格化する前の数字で、犠牲は85歳以上に集中した。救急も押し込まれた。ヴェルト紙は、ベルリン消防は28日に2055件、29日に2083件の出動を記録し、1500~1700件程度の通常日を上回ったと伝えた。
欧州の報道機関「ユーロニュース」によれば、ブランデンブルク州やザクセン=アンハルト州の高速道路で路面損傷による通行止めが続き、ライプチヒでは路面電車の線路上のアスファルトが溶けた。暑さは健康、医療、交通を同時に揺さぶった。
■電力価格は一時6.6倍に
ドイツ全体で電力が枯渇したわけではない。だが、冷房・扇風機の需要が急増した結果、局地的な配電網が悲鳴を上げた事実は重い。
しかも、熱波の負荷は停電だけでなく、価格にも表れる。ユーロニュースによれば、国際環境NGO「350.org」は、6月21~27日の1週間だけで、独仏の電力費の追加負担が前週比で計7億ユーロ超(約1300億円、1ユーロ約180円換算)にのぼったと分析している。このうちドイツ分は3.71億ユーロ(約670億円)だった。
この記事によれば、ドイツの卸電力価格は正午の1メガワット時86ユーロ(約1万5000円)から、午後8時に566ユーロ(約10万円)へ上がった。正午比で約6.6倍への急騰である。これは家庭料金ではなく市場価格だが、昼間に太陽光が供給を支えても、日が沈む時間帯に冷房需要が残れば価格は跳ねる。
これは単なる市場価格の話ではない。電気代が跳ね上がれば、家庭には冷房を控える圧力がかかり、病院や介護施設、工場は空調コストを抱え込む。冷房が生命維持インフラになった社会では、電力価格の高騰はそのまま健康、医療、産業への圧力になる。
今回の核心は、暑さそのものより、電力と冷房という生活の安全網が同時に薄くなった点にある。ドイツは2023年4月に最後の原発3基を停止し、ウクライナ危機後にはロシア産ガスというかつての安全弁も失った。加えて、家庭の冷房普及率は日本や米国より低い。
■冷房の有無が生死を分ける
なぜ、欧州を代表する先進工業国が、暑さという最も身近なリスクにここまで脆弱になったのか。答えの半分は気候変動にある。だが残る半分は、電力、冷房、燃料調達、医療、産業を一体の安全保障インフラとして扱い、危機時の選択肢を残してこなかったことにある。
猛暑は、健康、医療、産業を同時に揺らす負荷試験である。高齢者や持病のある人の命を脅かし、病院、介護施設、工場、物流倉庫、データセンターの空調負荷を押し上げる。
冷房を我慢する家庭が増えれば熱中症患者が増えて医療を圧迫し、電気代が跳ねれば家計と企業収益を同時に削る。
2023年7月に掲載された医学専門誌『ネイチャー・メディシン』の論文では、2022年夏の欧州35カ国の熱関連死を6万1672人と推計している。国別ではイタリア、スペインに次いでドイツが8173人で3番目に多かった。ここで指すのは狭い意味の「熱中症死」ではなく、暑熱が循環器疾患などを悪化させた分も含む熱関連死である。だからこそ、冷房は健康政策そのものになる。
さらに長期で見れば、被害の蓄積はもっと深刻だ。2024年10月に公表された医学専門誌『ネイチャー・コミュニケーションズ・メディシン』の論文は、2014年から2023年までの10年間にドイツ国内で約4万8000人が熱関連で死亡したと推計している。犠牲者の大半は高齢者であり、冷房の有無が生死を分ける構造は年々強まっている。
■「エアコン普及率は3%」という試算も
2023年3月公表の国際エネルギー機関(IEA)の分析は、エアコンを使える環境が2019~2021年に年間約19万人の熱関連死を防いだと推計している。冷房は電力を使い、排熱も増やす。だからこそ、高効率機器、断熱、遮熱、安定電源を組み合わせ、命を守る冷房を持続可能にする必要がある。
冷房がなければ、独居の高齢者、基礎疾患のある人、介護施設の入所者が先に追い詰められる。
ドイツの冷房普及率には定義の差がある。2022年7月20日に配信された米ワシントン・ポストの記事は、業界推計としてドイツの住宅用エアコン保有率を3%と紹介した。
一方、2024年6月に配信されたドイツのエネルギー専門メディア「クリーン・エナジー・ワイヤー」の記事では、ドイツでエアコンを使う世帯が2023年の13%から2024年に19%へ増えたとされる。保有、使用、設置のどれを数えるかで数字は変わる。それでも、欧州の住宅が米国や日本ほど冷房を前提にしてこなかった事実は明確である。
■「エアコンを使わない美徳」が命を削る
欧州の建築文化には理由がある。冬の寒さに備え、熱を内側に保つ住宅が多かった。
ロイターは、欧州の住宅が熱を外へ逃がすより保持する方向で造られてきたことを指摘し、欧州の家庭のエアコン保有率は約25%にとどまると伝えた。日本や米国との差は、安全保障上の差へ変わりつつある。
断熱、日射遮蔽、反射材、自然換気、都市緑化といった受動的冷却(パッシブ・クーリング)は重要だ。エネルギー消費を抑え、都市の熱を下げる効果もある。過去のドイツの気候であれば、冷房なしの生活にも一定の合理性があった。問題は、気候の前提が変わった時に、住宅文化と電力政策を更新できるかである。
40℃級の猛暑で、受動的冷却だけに頼れば、高齢者、低所得者、持病のある人が最初に危険にさらされる。冷房を使える人と使えない人の差が、命の格差になるからだ。環境への配慮は必要だが、「エアコンを使わないこと」を美徳にしすぎれば、脆弱な人ほど我慢を強いられる。
■「原発・ガス・冷房」という3つの安全網
経済安全保障の観点で見ると、ドイツはほぼ同時期に3つの安全網を薄くした。原発、安価で大量のロシア産ガス、そして家庭の冷房インフラである。それぞれ単独なら吸収できたかもしれない。だが猛暑、価格高騰、燃料調達の不確実性が重なると、平時に「無駄」に見えた余力が一転して足りなくなる。
経済安全保障には、戦車や半導体だけでなく、停電から守られる病院、温度管理された物流倉庫、操業を続ける工場、老親が眠れる室温の確保も含まれる。
ドイツがロシア産ガスを一方的に「断った」という説明だけでは、実態を捉えきれない。
2026年4月に更新された「クリーン・エナジー・ワイヤー」のファクトシートによれば、開戦直前にはドイツのガス輸入の55%がロシアからだったが、2022年夏にロシア側が段階的に供給を絞り、8月末にはパイプライン供給が止まった。欧州側の脱依存政策、液化天然ガス(LNG)への転換、ロシア側のエネルギー兵器化が重なった。
■手放した原発は簡単には戻せない
安全弁の喪失は、燃料調達を超えて波及した。かつてのドイツは、安いロシア産ガス、製造業の競争力、再エネ拡大を組み合わせるモデルを描いていた。ところが地政学リスクでガスが揺らいだ結果、電力価格、化学産業、家庭の暖房費、発電調整力が同時に不安定になった。燃料調達は、外交と産業の基盤である。
冗長性は平時にはコストに見えやすい。余った発電所、余裕のある送電網、予備の燃料、未使用の冷房設備は、通常時には非効率に映る。だが戦争、熱波、燃料価格高騰、干ばつが重なった瞬間、それはコストではなく命綱に変わる。
ドイツ連邦環境省の資料によれば、2023年4月15日、最後の原発3基、エムスラント、イザール2、ネッカーヴェストハイム2の商業運転認可が失効した。
脱原発は長年の国民的議論の末の選択であり、福島第一原発事故後の安全意識とも結びついている。その経緯を踏まえたうえで、その後に起きたことを政策設計の教訓として受け止める必要がある。
それでも、経済安全保障上の重みは明確だ。原発は天候に左右されにくく、燃料を長期備蓄しやすい大規模電源である。一度完全に手放せば、設備、人材、規制、部品供給、運転ノウハウ、地域合意を再構築するのはきわめて難しい。失われるのは発電量だけではない。危機時に国家が持てる選択肢の厚みである。
■「正解」ではなく「リスク」を考えるべき
電力システムでは、数%分の余力が極めて高い価値を持つ。平時には再エネと輸入電力で需給が合っても、熱波で需要が膨らみ、風が弱まり、ガス価格が上がる時には事情が変わる。原発は万能薬ではない。それでも、天候や短期燃料価格に左右されにくい電源を残すことは、国家の持久力を高める。
原発の議論では事故リスクが核心にある。避難計画、規制、地域合意、老朽化対策、使用済み燃料、廃炉の課題は重い。だが、リスクがあるから選択肢そのものを消すという判断もまた、別のリスクを生む。経済安全保障とは、単一の「正解」を選ぶことではなく、危機時に動かせる手段を厚くすることである。
受動的冷却とエアコンは対立させるのではなく、組み合わせて考えるべきだ。熱を建物に入れず、必要な場所では高効率冷房を使い、その電力を安定供給する。この組み合わせが安全保障である。
■日本のエアコン普及率は90%
日本にも猛暑被害はある。熱中症による搬送者数は毎年深刻で、節電要請と冷房使用の呼びかけがぶつかる難しさもある。それでも、日本には大きな強みがある。2026年4月28日に公表された内閣府「今週の指標」は、エアコン普及率がここ15年ほど90%程度で推移し、生活インフラとして定着していると説明している。
米国も冷房の普及率が高い。2022年5月に公表された米国エネルギー情報局(EIA)の資料では、2020年の米国世帯の88%がエアコンを使用していた。日本の高いエアコン普及率は、猛暑時代の社会的な保険である。問題は、その保険を動かす電力が危機時にも確保できるかどうかだ。
日本の公的機関は、すでに冷房を熱中症対策の中核に置いている。厚生労働省の普及啓発資料は、故障や停電でエアコンが使えない時は熱中症リスクが高くなると注意を促す。環境省の熱中症予防情報サイトも、屋内でエアコン等を適切に使用し、涼しい環境で過ごせているか確認するよう呼びかけている。
その意味で、原発という選択肢を完全には捨てなかった日本の判断には、経済安全保障上の重みがある。
■原発を捨てなかった「日本の強み」
東京電力の発表によれば、柏崎刈羽原発6号機は2026年4月16日午後4時、原子力規制委員会の、使用前事業者検査に係る使用前確認証などを受けて営業運転を再開した。資源エネルギー庁も2026年5月12日の解説で、同日を営業運転開始日としている。原発再稼働は、安全審査、地域の信頼、避難計画を前提に進めるべき重い政策である。
日本の課題も明確だ。老朽火力への依存、送電網の制約、地域間連系線の弱さ、原発再稼働をめぐる地域合意、住宅断熱の遅れは残る。エアコンの普及率が高いことは強みだが、電力供給が揺らげば、その強みは弱点に反転する。だからこそ、冷房使用を呼びかけられる電源構成と供給余力が必要である。
日本の教訓は、他国との優劣より、自国の弱点を先に手当てすることにある。高いエアコン普及率を持つ国ほど、夏の電力供給が揺らいだ時の社会的損害は大きくなる。猛暑の日に「節電」と「ためらわない冷房使用」を同時に求める社会では、電源の余力そのものが命を守る条件になる。
■「原発か再エネか」は答えにならない
ドイツの教訓は、環境政策に安全保障の発想を組み込む必要性にある。再エネ拡大も、省エネも、受動的冷却も必要である。問題は、脱炭素を進める過程で、危機時の電源、燃料、冷房、医療、産業を守る冗長性を削りすぎることだ。脱炭素と脱脆弱性は、同時に追求してこそ意味を持つ。
ドイツの経験は、遠い国の教訓では終わらない。電源の余力を削り、冷房を支える供給力を軽く見れば、日本でも似た構図は生まれる。
問われているのは、原発か再エネかという単純な二択ではない。猛暑の日に、病院、工場、家庭の冷房を止めないだけの余力を、日本が持ち続けられるかである。そのためには、安全性を大前提にした原発、再エネ、過渡期の火力、蓄電池、揚水発電、送電網、需要応答、省エネ型エアコン、住宅断熱、冷房支援を組み合わせる必要がある。医療・介護施設やデータセンターの電力リスク管理も同じ線上にある。
その際、冗長性は「古い設備の温存」を超える概念として捉える必要がある。デジタル制御による需要応答や分散型電源もまた、新しい冗長性である。原発再稼働もその一部であり、単独の切り札ではなく、危機時に使える手札を増やす政策として考える必要がある。
経済安全保障とは、平時の効率と危機時の代替手段を織り込んで国を設計する発想である。燃料供給が止まる、風が弱まる、熱波が来る、価格が跳ね上がる。そうした時にも、家庭のエアコン、病院の空調、工場の操業を支える代替手段を残す。
猛暑時代の国家の強さは、危機の前に国民を守る余力をどこまで残せるかで決まる。
----------
伊藤 隆太(いとう・りゅうた)
政治学者
DiploSight / NovaPillar Advisory LLC, Strategic Consultant.博士(法学)。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科後期博士課程修了。慶應義塾大学・広島大学助教、日本国際問題研究所研究員等を経て今に至る。Co-Chairs of the IPSA Research Committees (RC12)、APSA Committee of Best International Security Article等を歴任。単著論文はInternational Affairs誌に‘Hybrid Balancing as Classical Realist Statecraft’ (2022)、‘Hubris Balancing’ (2023)、International Relations誌に‘A Neoclassical Realist Model of Overconfidence and the Japan–Soviet Neutrality Pact in 1941’ (2023)、‘Outrage Balancing’ (2026)、単著研究書は『進化政治学と国際政治理論』(芙蓉書房出版、2020)、『進化政治学と戦争』(芙蓉書房出版、2021)、『進化政治学と平和』(芙蓉書房出版、2022)、編著研究書に『インド太平洋をめぐる国際関係』(芙蓉書房出版、2024)等がある。
----------
(政治学者 伊藤 隆太)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
