※本稿は、保阪正康、戸髙一成、大木毅『虚構の昭和史』(角川新書)の一部を再編集したものです。
■石原莞爾の『世界最終戦論』
石原莞爾(いしわらかんじ) 1889~1949年。陸軍中将。陸士二一期。関東軍作戦課長、参謀本部作戦課長、参謀本部第一部長など。関東軍による満蒙領有計画を立案し、1931年に満洲事変を起こし満洲を占領。その後日中戦争の拡大に反対。太平洋戦争開戦後は、東條英機との折り合いが悪く冷遇される。
『世界最終戦論』 石原莞爾の代表的著書。1940年(昭和15年)9月10日、立命館出版部より出版。俗流文明論だが、精神文明の東洋の王道と、物質文明の西洋の覇道が対決し、決戦が行われるというもの。それぞれの代表が日本とアメリカ。
【戸髙】石原莞爾の、いわゆる『世界最終戦論』、90ページほどの薄い本です。これは昭和15(1940)年5月におこなった講演を元にしています。これを出したのが昭和15年9月です。版元は立命館出版部でした。
満洲事変の英雄として名が売れていましたから、よく売れたのでしょう。『世界最終戦論』は3回活字になっています。15年版、15年改訂版と出て17年版が最後です。
この本で面白いのは、それぞれ巻末に「戦争進化一覧表」と題するものが付いているのですが、これが三つとも微妙に違うことです。石原としては、既に始まっていた第二次大戦、あのヒトラーの戦争が第一次大戦の延長なのか、彼の言う最終戦争なのか迷っている、決めきれないでいる。その模様が、表の違いに出ている気がします。
■最終戦争は1984年に起きる?
【保阪】本を出したのは昭和15年が最初ですが、そのかなり前から『世界最終戦論』についての講演はよくやっていたようですね。一つエピソードを思い出しました。
講演の後に質疑応答があり、「あんたが言う世界最終戦はいつ起きるのか。その大体の日程はどうなのか」と聞いた聴衆がいる。それに石原は、「そうだな、50年先だ」と答えたといいます。昭和9年のエピソードですから、西暦で1934年。50年後と言えば1984(昭和59)年になる。ちなみにこれは、ジョージ・オーウェルが描いた第三次世界大戦後の世界と同じ年です。
それはともかく、昭和9年の段階で50年先など、何か根拠があって言っているわけではない。当てずっぽうでしょう。
【戸髙】『世界最終戦論』自体もいわゆる「概念」の産物ですからね。「妄想」とはあえて言いませんが。
■最後はアメリカ対中国の戦いに?
【保阪】しかしながら、石原の世界史の流れの読み方は、現在だと当たったことになりますよ。『世界最終戦論』の論旨からすると、最後は欧米のチャンピオンとアジアのチャンピオンが雌雄を決することになります。
【大木】彼は、ドイツに留学していた時代に、ヨーロッパの戦史も大いに吸収していますし、陸軍大学校でも優秀だったようですから、軍人の中でも東條英機(*1)のような「優秀な役人」とはひと味違ったのかもしれません。
■陸軍のトリックスターだったか
【保阪】私は石原莞爾についても、まとまった本を書こうと思っていたのですが、なかなか書けずにいます。というのは、「石原山」には登山口がいくつもあるんですよ。
たとえば、東條英機を書こうとする場合は、生を受けて軍人になるまでの出発点から、軍人として国の首相となり刑死する終点まで、右顧左眄(うこさべん)せずに一直線の道を辿ればいい。軍人であるだけの生涯です。この道を追いかけて、最後の数年分で政治について入れていくと書ける。
一方、石原はというと、辿らなければならない道が六つも七つもある人物です。軍人であり、東亜連盟の賛同者であり、「世界最終戦論」の鼓吹者でもある。画家の人脈ルートもあります。関係先に画家のグループがあり、皆で石原に私淑している。
【戸髙】なるほど、山に登るルートがいくつもあって、単純に一回登るだけでは一面的な景色しか見えないのですね。
それにしても、その画家のルートは面白いですね。画家が世に出るきっかけとして、有名な人の肖像画を描くのは西洋でもあることで、キャリア・信用が増すのでしょうね。
(*1)東條英機 1884~1948年。陸軍大将。陸士一七期。関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍大臣、内閣総理大臣など。陸相、首相として太平洋戦争の開戦と戦争指導における中心的存在となる。
(*2)東郷平八郎 1848~1934年。元帥・海軍大将。テムズ航海訓練学校卒。佐世保鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長など。海軍の指揮官として日清、日露戦争の勝利に貢献。しかし晩年には頑迷な姿勢を示し、海軍に少なからぬ悪影響をおよぼした。
(*3)乃木希典 1849~1912年。陸軍大将。歩兵第一旅団長(日清戦争)、台湾総督、第三軍司令官(日露戦争)。幕末から明治にかけて活躍した陸軍大将。日露戦争の旅順攻囲戦を指揮したことで知られる。
■「アメリカ嫌い」と日蓮宗の影響
【大木】それと、思想的にはおそらく日蓮宗の影響が大きいと思います。日蓮宗がユニークなのは、他の宗派に対して戦闘的なところです。そこが石原の「アメリカ嫌い」と共鳴したのではないでしょうか。
ドイツから帰ってきた時点で、もう後年のようなことを考えていたとは思えません。軍事や戦史について最新の知識を得たことと、戦略思想を構築することでは、ことのレベルが違いますから。
【戸髙】日蓮宗は、文字通り日蓮自身の闘争的な生き方を信仰しているような宗派なので、軍人には共感するところが大きいのでしょう。
【大木】石原の『世界最終戦論』は、果たして戦略論として認められるものかどうか。私が疑問に思うのはそこです。やはり飛躍のしすぎで、現実の戦略としては地に足が付いていない。
デルブリュック(*4)に依拠して、殲滅戦か消耗戦かというところまでは、何とか恰好(かっこう)が付いているのですが、そこから先の石原が独自で構築したであろうところは、納得のできる説明になっていないですね。石原の独善的な飛躍の産物だと思います。
同時期の欧米の戦略家たちは、もっと現実的です。たとえば、イタリアにドゥーエ(*5)という人がいて、戦略爆撃などを提唱していますが、彼は戦争が始まったら、相手国の工業地帯や首都、大都市を空襲して、相手の継戦意志をくじくべきだとしている。当時の航空機の性能に即した、実行可能な戦略ですね。
ところが、石原はやがて世界一周可能な飛行機が現れるとか、一瞬にして何万人を殺傷する爆弾が開発されるとか、その予見性はともかくとして、当時の技術水準に基づいた現実的な戦略を飛び越した方に行ってしまっています。やはり私は、『世界最終戦論』に示された思想は、戦略構想というよりも、宗教的なものに近いドグマだと考えます。
【保阪】その指摘は当たっているでしょうね。石原の中の「アメリカ嫌い」が、日蓮宗の「他宗への攻撃性」と共鳴したという話も、なるほどと思いました。
■著作もひとつの末法思想だったか
【戸髙】石原は「日蓮宗信者」というよりも「日蓮ファン」だと思うのです。
昔の軍人は、日蓮に惚れて日蓮宗に行く人が多い。その動機は、いわゆる仏教としての教理よりも日蓮という個人に対するシンパシー、生き方への憧れに近い気がしますね。
【大木】日蓮宗では釈尊の滅後1500年、もしくは2000年を経て末法の世となり、仏教が廃れて人も世も乱れる、大変なことになると。巨大な破壊である第一次世界大戦を経験した当時の人々にとっては、おおいに実感されることで、それがいよいよ来たという発想につながっていたのかもしれませんね。
(*4)ハンス・デルブリュック 1848~1929年。ドイツの歴史家・政治家。志願兵として普仏戦争に従軍。1885年、ベルリン大学教授(近代史)。1884年から1890年までドイツ帝国議会議員。第一次大戦終結後、ヴェルサイユ会議のドイツ代表団の一員。
(*5)ジュリオ・ドゥーエ 1869~1930年。イタリア陸軍少将。モデナ陸軍士官学校卒。独立空軍の創設・制空権の重視・戦略爆撃を体系的に主張した最初期の理論家。後の英米空軍に影響を与え、第二次世界大戦の戦略爆撃(ロンドン空襲、ドレスデン爆撃、東京大空襲など)の思想的基盤となった。
■満州事変を起こしたが、日中戦争には反対
【大木】石原莞爾は日米開戦時に独ソ和平工作をやれと言っていました。独ソ戦をやめさせれば、東部戦線につぎこまれているドイツの戦力が米英に向かうから、日本にとってはありがたいと考えていたようです。
【保阪】良い悪いは別として、石原莞爾には一貫したところがあります。彼がタクトを振った満洲事変から一貫したものがある。
『満蒙問題私見』(1931年)という文書では、将来の日米決戦、すなわち欧米文化と皇統文明の最終決戦の時のために、満洲を兵站地域として確保しておくのだと書いています。
だから石原の頭の中では、満洲事変は彼の「世界最終戦」勝利のための一手段だったのです。あっちで右こっちで左と、グツグツ沸いている鍋を搔き回しに行くのではなく、行き着くところを見定めて着々と手を打とうとしていました。
【大木】ただ、皮肉なことに、満洲事変がうまくいったのを見て、石原の後輩たちはこの手口を使って功績を上げようとばかりに、どんどん大陸に突っ込んでいきます。ついには、盧溝橋(ろこうきょう)事件で日中戦争に突入してしまった。
石原の計画では、まだその段階ではない。戦機も軍備も整っていないから「いまは止めろ」と、日中戦争の拡大阻止に努めたけれども、もう止められなかったわけです。
■「張本人なのに、なぜ裁かない」
【保阪】日中戦争で石原が現場を抑えようとするのは、持久戦になるのが目に見えていたからです。満洲事変と日中戦争では、石原の頭の中では、事実としての戦争のレベル、起こすべき段階がまったく違う。
戦後、東京裁判の証人になって、「満洲事変を起こした張本人はオレなのに、なぜ裁こうとしないのかわからない」、「日米戦争のきっかけを作った最大の戦犯はペリー提督だ」など、切れ味鋭い証言を残して、日本の軍人の中でひときわ恰好よく書かれることが多かった。そのため、石原は「あんな時でもアメリカに言いたいことを言った男」「真に明晰な戦略家」として人気が高い。
しかし、軍人として実際どうなのかを冷静に考えてみると、自分勝手な歴史観、戦争観に突き動かされて暴走した中堅幹部でしかなく、組織的にはまったく評価できない人物という評もありますね。
また、敵味方双方の寝首を搔いた満洲事変という謀略はうまくやったものの、他の軍の任務では大きな成果があった人物でもない。東條英機に楯突いていたけれども追い落とせたわけでもなく、かえって自分の方が左遷されています。
現在の戦史では石原莞爾を名将とする声もあるようですが、彼の功罪はまだ充分に整理されていないようです。
----------
保阪 正康(ほさか・まさやす)
ノンフィクション作家
1939年北海道生まれ。同志社大学文学部卒業。編集者などを経てノンフィクション作家となる。近現代史の実証的研究をつづけ、これまで延べ4000人から証言を得ている。著書に『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』(角川文庫)、『令和を生きるための昭和史入門』(文春新書)、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『対立軸の昭和史 社会党はなぜ消滅したのか』(河出新書)などがある。
----------
----------
戸髙 一成(とだか・かずしげ)
日本海軍史研究者
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長。1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学美術学部卒業。財団法人史料調査会の司書として、特に海軍の将校・下士官兵の証言を数多く聞いてきた。92年に同会理事。99年より厚生省(現・厚生労働省)所管「昭和館」図書情報部長。2005年より現職。19年、『「証言録」海軍反省会』(PHP研究所)全11巻の業績により第67回菊池寛賞を受賞。著書に『日本海軍戦史』(角川新書)、『日本海軍 失敗の本質』(PHP新書)、編書に『特攻知られざる内幕』(PHP新書)など多数がある。
----------
----------
大木 毅(おおき・たけし)
現代史家
1961年、東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、著述業。『独ソ戦』(岩波新書)で新書大賞2020大賞を受賞。主な著書に『「砂漠の狐」ロンメル』(角川新書)、『ドイツ軍事史』(作品社)、訳書に『「砂漠の狐」回想録』『マンシュタイン元帥自伝』(以上、作品社)など多数。
----------
(ノンフィクション作家 保阪 正康、日本海軍史研究者 戸髙 一成、現代史家 大木 毅)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
