※本稿は、保阪正康、戸髙一成、大木毅『虚構の昭和史』(角川新書)の一部を再編集したものです。
■戦後の小説に描かれた山本五十六
山本五十六 1884~1943年。元帥・海軍大将。海兵三二期。大正期にハーバード大学に留学し、在米日本大使館付武官に補せられる。航空本部長、海軍次官、連合艦隊司令長官など。太平洋戦争前半で連合艦隊を指揮するも、1943年4月、ソロモン上空で乗機を撃墜され戦死。国葬に付せられた。
【戸髙】阿川弘之さんは小説家ですが、『山本五十六』などの提督三部作や『軍艦長門の生涯』においては、自分の思いや書きたいこと以前に、旧海軍についての後世に残すべきエピソードを、それこそ断簡零墨(だんかんれいぼく)まで集めて、一繫(ひとつな)がりにして清書した感があります。飛躍した創作部分は少なく、小説というよりは証言集に近い。
【保阪】吉村昭(あきら)さんの『陸奥(むつ)爆沈』(新潮社、1970年)や『戦艦武蔵(むさし)』(新潮社、1966年)なども、創作部分を見分けるのが難しい。
【戸髙】吉村さんは阿川さんよりも一世代若いですね。
【大木】阿川さんの『山本五十六』は、最初に月刊誌『文芸朝日』(朝日新聞社)に連載されました。阿川さんのファンがなさったのでしょうか、その連載時の誌面を全部集めて製本したものが古書で出ましてね、思わず買ってしまいました。
それと、昭和40(1965)年に出た『山本五十六』の内容を比較してみると、採用されているエピソードがところどころ変わっています。『文芸朝日』掲載時に、取材も同時進行でやっていて、最後に本にするときに反映させたのでしょうね。
【保阪】取材すればするほど、「ああそうだったのか」という話がどんどん出てきますから。阿川さんが聞き回った頃は、現役の軍人がまだ皆元気でしたから、なおさら面白かったでしょう。「山本五十六」というテーマはそういう意味で、取材する阿川さんにとっては美味しい話でしたね。
阿川さんの前に『人間 山本五十六』(光和堂、1957年)という伝記を書いた反町栄一(そりまちえいいち)という人がいます。この人は山本五十六の地元の長岡の人です。
■山本が見たのは退廃期のアメリカ
【戸髙】大正時代の後半に海軍兵学校を出た大井篤さんぐらいの年代の人、それからもう少し古い人たちの中には、「山本五十六は、今ではアメリカ通で通っているけれど、実はアメリカのことをあまり知らん」と厳しい評価をする人が結構いました。
それはなぜかと言うと、山本がアメリカに行ったのは、1920年代から30年代頭の「ギャング・エイジ」の時だけです。だから、ギャング(マフィア)のアル・カポネのような輩(やから)が跋扈(ばっこ)し、クスリや酒に溺れる人が多い、禁酒法時代の公徳心が一番壊れていた時期のアメリカしか見ていないというわけです。「山本さんはこの時代のアメリカ人しか見ていないから、一撃を与えたらガタガタになると思ったのだろう」と言った人がいました。
私はそれを聞いた時に、外国通といわれる人は多くいるけれども、その人がどの時代のその国を見ているのかをチェックしないといけないな、と思ったものです。
■山本と考えが合わなかった人々
【大木】海軍の航空畑には山本五十六―大西瀧治郎(たきじろう)(*1)―源田実(げんだみのる)というライン、派閥というほど強烈ではないものの、ある系列がありました。戦時中は、それが航空の主流派となったようです。
柴田武雄(たけお)(海・大佐)は、そこから距離があったので冷飯組で、やたらに現場に行かされた人です。昭和16(1941)年に第三航空隊副長兼飛行長でフィリピン、昭和18(1943)年に第二〇四航空隊司令でラバウル、昭和20(1945)年には第三一二航空隊司令で横須賀と、いつも最前線に送られていました。こういう人たちは、山本五十六のことをよく思っていません。
柴田さんが書いているのですが、雷撃訓練をすれば、魚雷はよく命中する。
だから、海軍航空畑でもそういう人たちは「山本バンザイ」ではありません。それから、艦隊派といわれる人たちは、対米主戦派が多いので、戦後はあまり口にしなかったけれども、実は山本五十六のことが嫌いですね。
■実は海軍内でも嫌われていた?
【戸髙】山本五十六を巡ってそのような対立構造はたしかに生まれていました。私が親しく接した中では、戦艦大和(やまと)第三代艦長の松田千秋(ちあき)(*2)さんが、山本にいい印象を持っていませんでした。
山本五十六は海軍次官から連合艦隊司令長官になっていますから、軍令部には基盤がない。戦前に海軍を開戦の方向に指導していたのは軍令部で、中でも軍令部作戦課の人たちが組織した第一委員会が勢力を持っていました。この人たちは皆、旧来からの艦隊派でしたから、山本五十六の考え方とは合わなかった。
【保阪】私も、軍令部畑の人が一様に山本批判をくり返すことに驚きました。
(*1)大西瀧治郎 1891~1945年。海軍中将。海兵四〇期。航空本部教育部長、第一航空艦隊司令長官、軍令部次長など。終戦時に自決。著書『航空機増産 血闘の前線に応へん』(朝日新聞社、1944年)など。
(*2)松田千秋 1896~1995年。海軍少将。海兵四四期。戦艦「大和」艦長、軍令部第一部参謀、第四航空戦隊司令官、横須賀航空隊司令など。
■とにかく軍令部に反発した山本
【戸髙】山本五十六は、兵学校の同期で親友の堀悌吉(ほりていきち)(*3)が艦隊派に煙たがられて予備役に編入された瞬間、単純に軍令部が嫌いに、即ち艦隊派が嫌いになりました。山本の言動を見ていると、それが如実に表れています。
その後の山本は軍令部や艦隊派がまともなことを言っても反対しています。問答無用で軍令部が嫌なのです。近衛文麿(このえふみまろ)ばりに「軍令部を対手とせず」と言うかのごとくです。たとえば、真珠湾攻撃も軍令部は反対でした。なぜなら日本の軍艦、ひいては海軍は、はるばるハワイまで出かけていって航空機で敵の基地を叩くという戦法を想定して作られてはいないからです。
当時の日本海軍が仮想敵国のアメリカと戦うに当たって想定していたのは、日本海海戦の時のように、近海で待ち受けて、はるばるやってきた敵艦隊と決戦するというものでした。それこそ明治以来延々と、何十年もそのための軍艦を造り、訓練をしてきたわけです。
ところが、真珠湾攻撃はそれまでの海軍のすべてをなげうって、付け焼き刃のような訓練をして行うしかない、誠に頼りない作戦でした。ですから、作戦に責任を持つ軍令部としては、当然了承できるわけがないのです。
■なぜ真珠湾攻撃を実行したのか
【保阪】これまで想定したことがない作戦に大艦隊を使うことは、ありえないでしょうね。たしかに当時の現実を考慮に入れて見ると、山本五十六側の方が無理筋です。
【戸髙】あの時の山本五十六には、軍令部の言うことは絶対に聞きたくないという報復的な感情が潜在的にあるのです。
真珠湾攻撃が必ずうまく行くとか、これからは航空主兵の時代だとか、そういった先見的な話ではなく、この一連の軍令部との攻防の中に横溢(おういつ)していたのは、山本の復讐心だったと思います。実際、真珠湾後のプランは連合艦隊にはないわけですから。先制攻撃の後のプランがないというのは、何を考えていたのだろうと思います。
【保阪】満洲事変の時の関東軍や、盧溝橋(ろこうきょう)事件の時の陸軍にも、その後を見通した戦略はありませんでしたが、それと似ていますね。従来の山本五十六のイメージがかなり変わってきます。
(*3)堀悌吉 1883~1959年。海軍中将。海兵三二期。戦艦「三笠」乗組(日露戦争)、戦艦「陸奥」艦長、第一戦隊司令官、鎮海要港部司令官代理など。予備役編入後、日本飛行機株式会社社長など実業家。山本五十六の唯一の親友。
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保阪 正康(ほさか・まさやす)
ノンフィクション作家
1939年北海道生まれ。同志社大学文学部卒業。編集者などを経てノンフィクション作家となる。近現代史の実証的研究をつづけ、これまで延べ4000人から証言を得ている。著書に『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』(角川文庫)、『令和を生きるための昭和史入門』(文春新書)、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『対立軸の昭和史 社会党はなぜ消滅したのか』(河出新書)などがある。
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戸髙 一成(とだか・かずしげ)
日本海軍史研究者
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長。1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学美術学部卒業。財団法人史料調査会の司書として、特に海軍の将校・下士官兵の証言を数多く聞いてきた。92年に同会理事。99年より厚生省(現・厚生労働省)所管「昭和館」図書情報部長。2005年より現職。19年、『「証言録」海軍反省会』(PHP研究所)全11巻の業績により第67回菊池寛賞を受賞。著書に『日本海軍戦史』(角川新書)、『日本海軍 失敗の本質』(PHP新書)、編書に『特攻知られざる内幕』(PHP新書)など多数がある。
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大木 毅(おおき・たけし)
現代史家
1961年、東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、著述業。『独ソ戦』(岩波新書)で新書大賞2020大賞を受賞。主な著書に『「砂漠の狐」ロンメル』(角川新書)、『ドイツ軍事史』(作品社)、訳書に『「砂漠の狐」回想録』『マンシュタイン元帥自伝』(以上、作品社)など多数。
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(ノンフィクション作家 保阪 正康、日本海軍史研究者 戸髙 一成、現代史家 大木 毅)

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