部下に嫌われないのはどんな上司か。同志社大学名誉教授の太田肇さんは「『忙しそうな上司』を演じて無駄に働くという戦略は最悪だ。
組織のスピードを削ぎ、不要な業務を再生産し、部下のやる気を削ぎ落とすことになるからだ」という――。
※本稿は、太田肇『なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がなされるのか 身近な疑問からみる日本型組織の「無駄の構造」』(日本経済新聞出版)の一部を再編集したものです。
■「大部屋・島型」のオフィスレイアウト
日本の共同体型組織を視覚的に象徴しているのが、壁も仕切りもない「大部屋・島型」のオフィスレイアウトである。
「島型」のデスクで、背後を上司が通り過ぎるたびに、無意識にブラウザを切り替えたり、キーボードを叩く音を大きくしたりしたことはないだろうか。このオフィスに漂う「見られている」という感覚こそが、私たちの創造性を奪い、一日中「勤勉な社員」を演じさせる舞台装置として機能しているのだ。
欧米をはじめ諸外国のオフィスでは、個人のデスクはパーティションで区切られ、プライバシーが一定程度確保されているのが普通だ。自分のスペースには家族の写真を飾り、好みの照明を置くなど、「組織の中にある個人の城」という様相を呈する。さらに、管理職には個室が与えられ、集中と権威が物理的に守られている。
対照的に日本では、同じ課やグループのメンバーが向かい合わせになり、視線を遮るもののない平場で顔を突き合わせて仕事をする。昨今はパソコン画面を見つめる時間が長くなったとはいえ、横や後ろからの視線は常に存在する。管理職もまた、部下たちを横から一望できる「島」の端に陣取る。
■同僚と上司の視線にさらされ続ける
このレイアウトは、情報の共有が早いうえ、上司が部下の仕事ぶりを常に観察でき、集団主義的な日本企業に最適だとかつては称賛されてきた。
しかし社員の心理という側面から見れば、これは一日中、同僚と上司の視線にさらされ続ける環境にほかならない。
一般社員にとって、この環境は逃げ場のないプレッシャーを生む。自分の仕事がどれほど効率的に片付いていても、周囲が眉間にしわを寄せてキーボードを叩いていれば、席を立つことは「裏の承認」を自ら放棄するに等しい勇気を要する。「トイレに行くにも気を使う」とか、「終業時刻が近づくと、『お先に失礼します』と口にするタイミングを計るだけで胃が痛くなる」といった若手の悲鳴は、けっして誇張ではない。
■個室を返上したがる上司たち
彼らにとって職場は、業務を遂行する場所である以上に、勤勉さと意欲をアピールし、裏の承認を維持するための場なのである。興味深いことに、最近では管理職に個室を用意する企業も増えたが、あえて個室を返上し、部下と同じ大部屋で仕事をしたがる上司が少なくない。これを「部下と同じ目線で働く民主的なリーダー」と好意的に解釈する向きもあるが、実際は自分の存在感や威厳を常に部下に見せつけ、承認を浴び続けたいという上司側のエゴであることも多い。
アメリカの企業で、上司が部下と同じフロアで仕事をしようとした際、「監視されたくないから個室へ戻れ」と部下に追い返されたというエピソードは、日本との決定的な違いを物語っている。
日本の上司は大部屋にいることで、部下の挙動を支配し、同時に自分の「偉さ」を無意識のうちに演出しているのだ。
■評価を厳格にするほどモチベーションが減退
「裏の承認」文化は、社員の評価にも影を落とす。
「評価をもっと公平に」「正しく評価してほしい」という声は、社員意識調査で常に上位にあがる。頑張っても評価されなければ報われないという不満は当然のものだ。
それを受け、多くの日本企業が人事評価の「厳格化」や「数値化」に取り組み、透明性を高めようと努力してきた。
しかし皮肉なことに、評価を厳格にしようとすればするほど、むしろ社員の満足度は下がり、モチベーションが減退するという現象も見られる。
原因は明確だ。日本企業では個人の分担が曖昧で、集団でのプロセスが重んじられる構造のままである。その中で無理やり「成果」だけを厳密に評価しようとしても、基準そのものが恣意的に運用され、不透明さが際立つだけなのだ。ちなみに成果主義が流行した2000年前後に行われた各種調査では、いずれも6割程度の人が不満や不公平感を訴えていた。かつてのサラリーマン川柳に「成果主義、最終評価は好き嫌い」という句があったが、まさにこの矛盾を突いている。
■優等生タイプの若手ほど能力を封印
評価を厳しくしようと躍起になるほど、評価者は数字に出ない態度や周囲への配慮、すなわち「裏の承認」の尺度を、強引に評価項目へとねじ込み始める。すると、社員は実質的な成果を出すことよりも、評価者に嫌われないための「模範的な社員像」を演じることに神経をすり減らすようになる。
とくに周囲の期待に応えようとする優等生タイプの若手ほど、この「評価の網」に絡め取られ、失敗を恐れて保守化し、自らの潜在能力を封印してしまう。分担が曖昧な職場での厳格な評価は、挑戦を促すどころか、組織を「減点されないことだけを願う内向き集団」へと変質させるリスクを孕んでいるのだ。
■真面目な中高年社員の「後ろめたさ」
それとは異なる形で「裏の承認」を求める意識が業務に悪影響を及ぼすこともある。
年功制が中高年を過度に優遇しているという批判の中で、「働かないオジサン」といういささか差別的な言葉が流行した。若いうちは貢献度以下の給料でがまんし、中高年になってからその差分を回収するという、「ラジアのモデル」(後払い賃金)(E.P.Lazear,“Why Is There Mandatory Retirement?,”Journal of Political Economy,87(1), 1979)は、たしかに中高年にとって経済的には有利な制度に見える。しかし、現場の中高年社員たちの内面は、必ずしも心穏やかではない。むしろ、彼らは深刻な「承認の危機」に直面している。
真面目な日本の中高年社員にとって、自分の貢献度が給料に見合っていないという事実は、耐え難い「後ろめたさ」となる。
周囲の若手から「あの人は高い給料をもらっているのに、何もしていない」と冷笑されることは、彼らにとって「裏の承認」を失うことを意味する。なかには、気持ちよく働かせてほしいからと、自ら待遇の切り下げを社長に直訴する人さえいるほどである。彼らにとっても、多すぎる金銭より「適切な承認」のほうが重要なのだ。
■「無駄に働く」という最悪のサバイバル戦略
そして、この「後ろめたさ」から逃れるために、彼らが繰り出すのが「無駄に働く」という最悪のサバイバル戦略である。
・自分の存在価値を証明するためだけに、不要な会議を毎週招集し、部下の時間を奪う。

・決裁権を誇示するために、部下の仕事に細部まで口を出し、重箱の隅をつつく。

・複雑な社内ルールや承認フローを新たに作り出し、自分が「関与」しなければならない領域を肥大化させる。

「働かないオジサン」は、最悪「貢献度ゼロ」ですむが、「無駄に働くオジサン」は、組織のスピードを削ぎ、不要な業務を再生産し、部下のやる気を枯渇させるため、その貢献度は明らかにマイナスだ。
彼らが「裏の承認」を得るために必死に演じている「忙しそうな上司」という芝居が、日本企業の生産性を引き下げる原因になっていることを見落としてはいけない。
■「ハンコの押し直し」に固執する往年のエース
かつてバリバリと働いていたはずの先輩が、なぜ定年間近になって「ハンコの押し直し」や「どうでもいい形式」に固執し始めるのか。
あるいは会社のことはそっちのけで自分の仕事に邁進してきた人が、なぜ急に愛社精神をアピールし、できもしない改革案をぶち上げて後輩に「宿題」を残すのか。
それは、「自分はもうこの組織に必要ない」と突きつけられる恐怖と戦っているからではないだろうか。
ここまで見てきたように、日本特有の「裏の承認」が、私たちの労働時間、休暇の取り方、オフィスの形態、果ては部下のモチベーションや不祥事のメカニズムに至るまで、水面下で強い支配力を及ぼしている。
マネジメント層がこの「承認」という通貨を軽視し、金銭や罰則といった表面的なレバーだけに頼り続ける限り、日本企業の「働き方改革」が真の成果をもたらすことはないだろう。組織が有能な若手の角を折り、牙を抜く装置として機能してしまうのは、まさにこの「誤ったマネジメント」が、承認という人間の根源的な欲求を、歪んだ方向へと誘導してしまっているからにほかならない。

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太田 肇(おおた・はじめ)

同志社大学名誉教授

1954年、兵庫県生まれ。神戸大学大学院経営学研究科修了。京都大学博士(経済学)。必要以上に同調を迫る日本の組織に反対し、「個人を尊重する組織」を専門に研究している。
ライフワークは、「組織が苦手な人でも受け入れられ、自由に能力や個性を発揮できるような組織や社会をつくる」こと。著書に『「承認欲求」の呪縛』(新潮新書)をはじめ、『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書)『「超」働き方改革――四次元の「分ける」戦略』(ちくま新書)、『同調圧力の正体』(PHP新書)などがあり、海外でもさまざまな書籍が翻訳されている。近著に『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP新書)がある。

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(同志社大学名誉教授 太田 肇)
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