昭和から平成にかけて、上場企業の株主総会には「総会屋」がいた。総会の進行を妨害するなどして、企業から金品などを要求する反社会勢力だ。
なぜそんな組織が跋扈したのか。作家・向谷匡史さんの著書『寝業師の仕事術』(清談社Publico)より、「最後の総会屋」と呼ばれた小川薫のエピソードを紹介する――。(第3回)
■会社を回るだけでカネになった
転機は、小川が勤めるバーの客の一言だった。
「俺は会社回りするだけでカネになるんだぜ」
酔った中年客が自慢した。
「総会屋」――はじめて耳にする職業だった。そんなバカなことがあるわけがない、と聞き流していたら、のちの小川薫はいない。
「どうやればええんですか?」
カネに困っていた小川は話に飛びついた。
「簡単だ。会社の総務課を訪ねてだな、今後の経営姿勢について話を聞きたい――そう言えばいい。黙ってカネを出す。今日はA印刷に行ってもらってきた」
客は大手の印刷会社の名前を口にした。眉ツバの話だったが、生活は逼迫(ひっぱく)している。
ダメ元ではないか。考えるより早く行動に移すのは小川の特性のひとつだった。
数日後、A印刷に出かけた。緊張で心臓を高鳴らせながら受付に行き、
「今後の経営姿勢について話を聞きにきた」
と、バーの客に教わったとおりのセリフを口にした。
受付嬢は笑顔を見せると、総務課に行くよう告げる。総務課の若い社員が応対に当たった。挨拶もなく、小川の名前を聞くこともなく、社員は馴れた手つきで封筒を手渡すと、領収書にサインを求め、そそくさと自席にもどっていった。
■指1本は「1万円」の意味だった
小川は呆っ気に取られた。社を出て封筒を確かめると2,000円が入っていた。大卒の初任給が2万円前後の時代だ。
(こりゃ、ええ商売じゃのう)
小川は唸り、小躍りし、その場で総会屋になる決心をしたのだった。
バーの客である総会屋からノウハウを聞きかじり、独学で知識を身につけた小川は、攻めやすい企業として総会屋が口にした水産大手のT漁業へ乗り込んだ。

首尾よくいくかどうか自信はなかった。印刷会社に行ったときより緊張したが、受付嬢の笑顔の応対に意を強くした。総務課を訪ねると、
「これでいいですか」
応対した中年社員が指を1本立てて言った。
(なんじゃ、千円か)
A印刷の半額ではないか。
落胆したが、顔を出すだけでカネになるのだ。不満を言ったらバチが当たるだろう。小川が気を取り直す。
「封筒のなかに領収書が入っていますのでサインをお願いします」
と告げられ、中を確かめて驚いた。なんと1万円札が入っていたのである。こんな「おいしい仕事」が世のなかにあろうとは信じられない思いだった。
■恐れられるほどカネになった
バーの客だった総会屋のアドバイスで、「小川企業広告研究所」を設立する。この世界、ハッタリが大事なのだと総会屋は言った。
名刺をつくると、小川は多くの端株(1株とか2株)を取得して企業を回りはじめる。
企業にしてみれば端株といえども株主なのだ。邪険に扱おうものなら、
「おどれ、それが株主に対する態度か!」
噛みつかれて大変なことになる。ヘタすりゃ株主総会でひと暴れされるだろう。企業は株主総会を平穏に乗り切るため、平素から賛助金を渡してご機嫌を取っておくのだ。
ただし、賛助金は総会屋によって異なる。小遣い銭をせびるタカリに見られるか、「この人間はヤバイ」と一目置かれるかで金額はまったく変わってくる。
「おどれ! わしの質問に答えんかい!」
株主総会で会社側を攻め、迫力を見せれば「賛助金」はたちまち跳ね上がるのだ。チンピラが街中で善良な市民にインネンをつけるのと同じで、攻める理由はなんだっていい。
でかい声でまくし立て、答弁の揚げ足を取り、攻めて攻めて攻め抜く。言いかえれば、コワモテの総会屋としていかに売り出すか。ここが勝負となる。

■身体を張るほど総会屋の格は上がった
総会屋には2種類ある。「与党総会屋」と「野党総会屋」だ。「与党」は“傭兵”として会社側につき、「シャンシャン総会」になるよう会場で睨みをきかせる。相応の力量が求められるため、大物総会屋が仕切った。
一方、「野党」は会社に噛みつくことで存在感を示し、懐柔してくるのを待つ。過激であるほど存在感が高まるため、与野党の怒声が激しくぶつかるだけでなく、会場で乱闘騒ぎが起こることも当時はめずらしくなかった。
小川薫が自著『実録総会屋』(ぴいぷる社)で書いている。
《総会で殴られたことも、最初のころは数えきれないほどあった。嶋崎栄治氏のところには、松葉会の三河島の斎藤武夫総長らがガードしていたし、昭和維新連盟の西山幸輝(引用者注=広喜)先生のところの連中にも殴られた。しかし、こっちも負けているつもりはかけらもなかった。(中略)
また、住吉連合(引用者注=現・住吉会)の音羽一家の連中によくやられた。やられても、次の総会では平気で攻める。
そうすると、向こうも「あの威勢のいい、若いのにはしょうがない」となってしまう。総会での発言、ときには身体を張った喧嘩、その後の会社回り、それが総会屋としてのランクをひとつ、ひとつ上げていったのだ》
■出すぎた杭はもはや打たれない
小川は「野党」として暴れまくった。同著で、こう振り返っている。
《株主総会は私にとっては戦場だった。何年もしないうちに私は総会で発言をする常連になっていた。「広島弁を使う威勢のいい奴」として知られていった。そのころ、「ライフル銃小川」と書かれたこともあった。質問がまるで、機関銃のように次々に飛び出してくるから、そんな言われ方をしたのかもしれない》
出る杭は打たれる。「与党」の大物総会屋はメンツにかけて潰しにかかる。だが、出すぎた杭はもはや打つことはできない。若手総会屋として売り出し中の小川を頼り、広島から若い連中が続々と上京。「広島グループ」は業界で一大ブランドとなっていく。

だが、過激さだけで売るのは兵隊のやることだ。裏で絵図を描き、兵隊を動かし、企業を翻弄する指揮官の立場になって多額の賛助金をせしめることができる。
小川は徹底して企業情報を集めた。ただし、不正や弱みをもとに脅すのは並の総会屋がやること。小川は違う。脅しで火をつけ、賛助金をせしめたあと水で火を消してやる。マッチ・ポンプだ。小川はこの手法で情報価値を2倍にも3倍にも生かし、「情報ブローカー」として暗躍する。
■両陣営を欺き「腐れ縁」を築く
たとえば1980年代。株主総会を前にして、大手ゼネコンで社長派と副社長派が激しく対立したときのことだ。
小川は社長の周辺を徹底的に調査し、社長のスキャンダル情報を入手すると、「社長のスキャンダルを握っている」と副社長派に持ちかけて情報代をせしめ、同時に社長派には、「副社長が社長のスキャンダル情報を握っている。わしが抑えてやる」と持ちかけ、謝礼をせしめる。
さらにマスコミ関係者には「スクープネタがある」と持ちかけ、取材に動かすことで騒ぎを大きくしておいて、最後はガセネタとして幕引きをはかるのだ。
このカラクリを知らない社長派、副社長派の双方が競うように小川にすり寄り、ここに“腐れ縁”が生じることになる。結果、小川は末永くこの企業と蜜月関係が続く。「寝業師」の面目躍如であった。
■かつての襲撃犯まで懐に入れた
小川の「寝業師」ぶりについて、『敬天新聞』社主の白倉康夫がこんなエピソードを語っている。
白倉が地方銀行のS銀行神田(かんだ)支店とトラブルになったときのことだ。神田支店に街宣をかけると、関西Y組系G組が小川薫を仲介に立てて和解を打診してきた。
「白倉ちゃん、久しぶり」
事務所で会った小川の満面の笑みに、白倉は当惑したという。白倉はかつて小川のライバルである高田光司の警備隊長をしており、三菱電機株主総会の会場で小川を襲撃。懲役1年(執行猶予3年)に処された因縁があるからだ。
小川はコワモテの一方、人なつこいところがあると聞いてはいたが、親しくもなく、まして襲撃した自分に対して“ちゃん付け”で呼ぶとは思いもしなかったと白倉は語る。
S銀行が街宣に音を上げ、謝罪することで白倉は矛先をおさめるが、後日、小川が登場したカラクリを知る。小川はS銀行を系列とするF銀行に「街宣を止めてやる」と持ちかけ、3千万円を受け取っていたのだった。
■年10数億円を集めた総会屋に逆風
1973年に「小川企業広告研究所」を「小川企業」と改組、多くの配下を率いた。
小川薫は持ち前の度胸と「寝業師」としての才覚で、日本中の総会を仕切るまでになっていた。企業からの賛助金は、一流企業を中心に約千社から年間10数億円を集めていたとされる。
1967年3月、中学校時代からの友人の依頼で、芸能事務所「T&C」のオーナーになる。同事務所はデビュー前の「ピンク・レディー」を抱えていた。売り出しのために小川が1億3000万円の運転資金を工面。『ペッパー警部』の大ヒットで「ピンク・レディー」は国民的アイドルになるが、総会屋との接点がマスコミに書き立てられ、約2年でオーナーから身を引くことになる。
だが、この一件を潮目とするかのように、総会屋は逆風にさらされていく。
小川一門の「広島グループ」だけで数千人を超える規模となったため、風当たりの強さが年々増し、社会に総会屋を締め出す機運が醸成されていったのだ。総会屋を締め出すため、1981年に商法が改正され、総会屋に対する利益供与が刑事罰の対象となった。
■倒産しても消えない小川の影響力
総会屋は株主総会から締め出された。賛助金が激減する。
1982年5月、「小川企業」が倒産。同月9日の毎日新聞、11日付の読売新聞がこれを大きく報じた。全国紙が総会屋の倒産を大見出しで報じたのはこれがはじめてだった。それほどに小川薫の存在は大きかったということになる。
ところが1990年代初頭、駆逐されたはずの総会屋と証券会社の癒着が発覚。大事件へと発展する。野村證券と大和証券などが関わった「総会屋利益供与事件」では、総会屋に対する巨額の利益供与が摘発された。
総会屋を駆逐したからといって、企業の不正がなくなったわけではない。不正があるところ、必ずそれに食らいつく者がいる。企業は依然として総会屋対策に頭を痛めていたのである。
だが、利益供与は水面下で処理しなければ刑事罰の対象になってしまう。そこで小川薫を頼ったとされる。「小川ルート」――すなわち企業は小川を通すことで複数の総会屋グループを一度に沈静化しようとしたのだ。倒産し、廃業したはずの小川薫は「寝業師」として暗躍していたということになる。
■表と裏の狭間で頂点を極めた
小川は当局に狙い撃ちにされた。2003年に恐喝未遂で逮捕、2006年に出所するもその2年後、不動産業者に対する恐喝で逮捕され、東京地裁で懲役10月の実刑判決。
齢70歳で身柄拘束されたのだった。多数いた愛人たちも、小川の落日とともに去っていったという。
郷里・広島を夜逃げで上京して45年。総会屋の代名詞にまでなった小川薫は2009年4月27日夜、肺炎のため収容先の東京拘置所内で死亡。71歳だった。
総会屋は「会社のダニ」と言われた。唾棄され、蛇蝎(だかつ)のごとく忌み嫌われた。だが嫌がられ、恐れられるほどカネになるという日本独特の「職業」でもある。欧米では株主が経営に積極的に関与する文化があるが、日本では総会が儀式化しており、「波風を立てずに終わらせたい」という企業心理が総会屋の活動余地を生んだと言えよう。
企業にとっては脅威でありながら、総会屋を利用することで問題を解決した一面があったことは指摘しておかなければならない。小川薫はその狭間で「寝業師」として暗躍し、頂点に上りつめたのだった。

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向谷 匡史(むかいだに・ただし)

作家/浄土真宗本願寺派僧侶/日本空手道「昇空館」館長

1950年、広島県呉市出身。拓殖大学卒業後、週刊誌記者などを経て作家に。浄土真宗本願寺派僧侶。保護司、日本空手道「昇空館」館長として、青少年の育成にあたる。著書に『』(左右社)、『』(青春出版社)、『』(河出書房新社)、『』(徳間書店)など多数。

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(作家/浄土真宗本願寺派僧侶/日本空手道「昇空館」館長 向谷 匡史)
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