「塾の先生が小学生の娘と付き合っている」。娘が中学受験のための塾に通うと、母親は勝手にそんな妄想を抱き、荒れ狂った。
その後、乳がんに罹患した母親はさらに頻繁に“発狂”騒ぎを起こすように。10代から母親をケアしている娘は現在30代。引きこもり状態となった60代の毒母を「捨てたい」と思いつつ10年の月日が流れた――。(前編/全2回)
「シングル介護」とは、配偶者や親の介護をたった1人で担っているケースを指す。
2023年度の厚生労働省によると、家族・親族による高齢者虐待の相談・通報件数は4万1814件(同比1428件増)あまりとなり、過去最多を更新。
2022年の国民生活基礎調査では、家族介護者は全国で約653.4万人(2021年時点)と推計され、主な介護者と要介護者との関係は、同居家族が45.9%、別居家族が11.8%(2022年時点)。同居家族の内訳は、配偶者が22.9%、子が20.7%、子の配偶者が7.5%となっている。
たった1人で介護を担う「シングル介護」は年々増加しており、介護時間の長期化や精神的・身体的負担の大きさが不安視されている。
その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■毒母を捨てられない
関東在住の足立しのぶさん(仮名・30代)は、現在60代半ばの母親と同居している。
思春期を過ぎたあたりからずっと「実家を出たい」とは思っているが、一人では何もできない母親を残して「(家を)出ることは難しいのではないか」という自問自答を10年ほど繰り返している。
足立さんが物心ついた頃から、母親は「毒母」だったという。
「暴力は絶対よくありません。それはわかっています。でも……。滋賀県で起きた医学部を9浪もさせられた娘が実母を殺害した事件がありましたが、それを題材にした本や漫画を何度も何度も読み返しては、『羨ましいなあ。こうすれば全部終わるし、塀の中ならなんにも考えなくて済む。いいな……いいなあ!』と思う自分がいて。母の後ろ姿や寝ている姿を見ると、『早く終わらせたい!全て捨ててもいいから楽になりたい!』という気持ちに襲われて嫌になります」
なぜ足立さんは毒母を介護し続けるのか。その理由を探っていくと、祖父母と母親の親子関係に大きな問題があり、その余波が足立さんに降りかかっていることがわかった――。
■5歳の頃、母親がおかしいと思った
足立さんの母親は、住宅系の自営業の祖父と専業主婦の祖母の間に生まれた一人娘だった。母親は高校を卒業して大手飲料メーカーに勤めたあと、団体職員に転職していた。

「祖父母も26とかで結婚していて、当時としては晩婚だったと思います。もともと母には結婚したい人がいましたが、祖父がものすごくプライドが高い人で、相手が長男だから、ひとり娘を嫁にやりたくなくて猛反対して別れさせました。そして知り合いに、『次男で婿養子になれる男はいないか?』みたいな感じで声をかけまくって、『独身で年の近い男性がいる、それも次男だ』と聞いて紹介されたのが公務員の父でした」
母親は31歳、父親は35歳で結婚し、翌年足立さんが生まれた。
父親は公務員のため、収入は安定している。無理やり結婚させられたとはいえ、娘に恵まれ、幸せな結婚生活を送っていたのかと思いきや、全くそうではなかった。
「結婚後、両親は祖父母が経営している祖父母宅近くのアパートで暮らし始めたのですが、私が小6の頃に母が精神的に不安定になったため、母は私を連れて祖父母宅に戻り、父は夜勤があったため、メインは祖父母の家ですが、アパートには寝に帰るという生活になりました」
足立さんが母親のおかしなところに気がついたのは、5歳くらいの頃だった。
「お母さんって普通は、大人の目線で物事を見てるっていうか、社会のルールみたいなものを子どもに教える側なはずなのですけれど、うちの母は子どもと同じ言動を率先してやっているな……って思っていました」
成長するにつれ、「うちの母はなんかちょっと違う」という思いがどんどん強くなっていった。
「小学生の時、母は見栄を張りたいのか幸せなふりをしたいのか、運動会や文化祭などの学校行事に一番乗りでやってきました。(悪目立ちするから)やめてといってもやめてくれなくて、『他の人には負けない』みたいな謎の意地で朝早くから並んでいて、友だちからも『また一番だったね!』と言われるんです。『子どもの活躍が見たくて』という純粋な気持ちというより、『うちは幸せ! 私は子ども思いなんです!』的なアピールっぽくて、それがしんどくて、『中学では親はほとんど来ないから』と伝えるようにしたら、『そうなの?』と言って、中学からは来なくなりました」
■「塾の先生が娘と付き合っている」という妄想
母親が最も精神的に不安定になったきっかけは、足立さんが中学受験をすることになったことだった。
「母は幼すぎるというか、親らしくないというか。幼い頃から『なんかおかしいな』と思うことはあったのですが、わがままでした。
でもそれを表す言葉がなくて、ずっとスルーしていました。それでも、だんだん成長するにつれて、やっぱり『この人はおかしい』と明確に思う場面が増えてきました。私に中学受験を勧めたのは母や祖父母なのに、母が『全部落ちたらどうしよう』みたいなプレッシャーに押しつぶされて、不安や恐怖のせいで“発狂”しちゃったんです」
突然、母親は支離滅裂な言動を繰り返すようになった。
「私が塾の先生と付き合っていると思い込んで、少しでも帰りが遅いと塾に電話をして暴言を吐くとか、被害妄想で誰に対しても攻撃的になってしまって。なので、他の子は受験本番へ向けてみんな追い込みで、夜遅くまで塾に残って勉強しているのに、私だけ早く帰らなきゃならなくて、結局第一志望は落ちて、滑り止めに通うことになりました」
この時、祖父は66歳、祖母は64歳。“発狂”してしまった母親を主に祖父が付き添って精神科を連れて行った。
「がんなどの内科系の病気だったら、血液検査とかCTとかMRIとかの検査でわかるんでしょうけど、精神疾患はあまりはっきりしたことがわかりません。プライドの高い祖父は、自分の娘に精神疾患があるなんて認めたくなかったのでしょう。診断を不服として、3つのクリニックに行ったんですが、全部診断名が違ったんです」
その3つの診断名は、「パニック障害」「躁鬱病」「統合失調症」。祖父母や両親は「どれを信じたらいいのかわからない状態」に陥ったが、どれもが受け入れがたい診断名だった。
■感情欠落の母親と婿養子の父親
母親の“発狂”は、その後もたびたび繰り返された。
「母は基本的に攻撃的なんです。
母に口答えというかアドバイスというか、母の意思に反する発言をするだけで『私のことをいじめた‼』と認識して怒り狂うんです」
そして怒り狂いながら、「昔の彼氏のほうが良かった! 長男だったからって無理やり別れさせられた! あんな人(父親)嫌だ!」と叫び出すこともしばしば。そんな時、足立さんはただ嵐が過ぎるのを待つ他なかった。
「母は突然昔の彼氏のことを語り出すので、いつも聞かされているうちに詳しくなりました。聞いているとメンタル的にしんどくなるのですが、母は他人の気持ちがわからない人で、自分の父親を貶(けな)される私の気持ちがわからないんだと思います」
そんなとき、その場に居合わせた父親は無言でいるか、ときどき「じゃあその人と結婚したらよかったんじゃない?」とこぼした。だが、祖父が必死に探し出し、ようやく婿養子に来た父親は、信じ難いことに祖父から虐げられていた。
「祖父は普通じゃありません。異様にプライドが高くて。貴族のような気持ちでいるんです。実際母の昔の彼氏に、『うちの娘が嫁にほしいなら、収入はわしの2倍以上で、新居を建ててもらわなきゃやれん』って言ったそうです。でもわが家は貴族でも武士でもなんでもないんですよ」
■給料全額を母親に握られていた父
婿養子に来た父親は、祖父母には召使のように邪険に扱われ、公務員として働いた給料はほぼ全額を妻に握られていた。新婚当初から母親は料理以外の家事を一切やらず、買い物は仕事の帰りに、掃除や洗濯は休日や帰宅後に父親がやっていた。足立さんが乳幼児だった頃、子育ては母親一人ではできず、母親は実家に入り浸り、祖母に手伝ってもらっていたようだ。

「私自身、祖父母には注意された記憶しかなく、かわいがってもらっていたのかわかりません。祖父も祖母も、よく考えたら母と同じく、喜怒哀楽の“怒”しかない感じで感情が欠落していて、わがままでした。お金の面では学費とか習い事の費用などを出してくれていましたが、それは私をかわいがるというよりは、“私立中学に通う孫”とか“○○ができる孫”とかいう世間体のためだったかもしれません。その証拠に母と私が喧嘩をすると、2人は必ず母の肩を持って、私だけが怒られました」
■乳がんステージ2が発覚
そうやって苦難の多い10代を過ごした足立さんは2015年3月に短大を卒業し、同じ年の4月には大学へ編入した。
相変わらず家事もせず、精神的に不安定だった母親は、父親と足立さんがサポートすることで生活して日々をなんとか乗り越えていたが、その年の1月、母親は自分の胸にしこりがあることに気づいた。だが、「怖いから病院はいきたくない」と言う。
しかし、祖母が母親を連れて病院へ行き、検査を受けると乳がんのステージ2。すぐに手術と抗がん剤治療の日程が組まれた。
それからだった。母親は足立さんが中学受験をした時よりも激しく“発狂”し、家族の誰もが手をつけられない状態になった。
「当時の母は目を常に見開いて、興奮して顔を紅潮させていて、『もうどうせ死ぬんだから!』と泣きわめきながら暴れたり、ガスコンロでプラスチック製品を燃やしてボヤ騒ぎを起こしたり。さすがに祖父母も『放火されるんじゃ?』『殺されるんじゃ?』と怖くなったみたいで、夜になると包丁を隠してから寝ていました」
■ずっと母親の機嫌をとり続けていた
極め付きは、突然、ピストル自殺を思いついた母親が、交番に飛び込んだことだ。

警察官が取り押さえ、手がつけられないほどに興奮状態になった母親は、総合病院の精神科の隔離病棟に措置入院させられることとなる。
「『精神疾患』に偏見がある祖父母でしたが、乳がんが発覚してからの母はずっともう手に負えない状態なので、もう致し方ない感じでした」
措置入院当初、拘束されていた1週間ほどは面会ができなかったが、薬で落ち着いてくると拘束されなくなり、一般病棟に移され、面会ができるようになった。
「病院の建物が、内科や外科はリニューアルされたきれいな病棟なのに、精神科の病棟は暗くて古い病棟で、そこに行くまでは長い渡り廊下を通らねばならず、なんだか『差別的』に感じました。縛られているというのも、母が自分を傷つけないためとはいえ、ショックでした。まだ大学に編入したばかりだったので、『私の人生はどうなってしまうんだろう』と思いました」
母親は措置入院を3カ月ほどしたあと、同じ病院で乳がんの手術を受けることに。がんを摘出した後は、抗がん剤治療に移った。
「母が入院中、家の中は平和でしたが、退院後、抗がん剤治療期間中は、とにかく母の機嫌をとるのが全てになりました。抗がん剤で髪が抜けてしまうことに母がショックを受けないように、家中の鏡を外したり、ウィッグや帽子を買ったり。ずっと機嫌をとり続けないと、いつまた“発狂”するかわからなかったからです」
乳がん検査後、母親に散々手を焼いた祖父母は、高齢になっていたこともあり、母親の世話を足立さんと父親に丸投げするように。病院の付き添いのため、父親は仕事を、足立さんは大学を休まなければならなかった。
7年前から母親は引きこもり状態かつ要介護状態。父親は母親のせいで胃を壊し、宗教にのめり込み、自宅を出てひとり暮らししている。
現在30代の足立さんは、これまで毒母を捨てて家を出る計画を何度も立てたが、実行できないまま10年の月日が流れた。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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