【前編の概要】関東在住の足立しのぶさん(仮名・30代)は、現在60代半ばの母親と同居している。ずっと「実家を出たい」とは思っているが、一人では何もできない“おかしな”母親と、母親のせいで胃を壊して宗教にのめり込んでしまった別居中の父親を残して「出ることは難しい」と自問自答を10年もの間繰り返している――。
■できない人は「ドクロ」…ブラック企業に就職
2017年3月。大学を卒業した足立しのぶさん(仮名・30代)は、生命保険会社で働き始めた。
「配属先は店舗営業でした。連日ノルマノルマで、パワハラもあって、ブラックで。みんなどんどん病んで辞めていく世界です。締め切りまであと何日かしかないのに、契約がとれてないとかで精神的に追い詰められすぎて、朝礼中に倒れる人もいました。昔ながらのやり方で、営業ノルマを達成できた人はお花がつけられて、できない人はドクロマークを貼られたりして、私も心療内科へ通うようになりました」
足立さんは「自律神経失調症」と診断。
「母がおかしいのは子どもの頃からですが、乳がん発覚後の“発狂”以来、いっそう激しくなった母の情緒の波を抑えるために、機嫌を取り続けなきゃならないことと、世の中がどんどんデジタル化して、母が取り残されて一人では何もできなくなっていくので、身の回りの世話をしなくてはならないこと、そして、母から門限を20時に決められていることで、一般企業に勤めることは諦めました」
■「独裁国家」終わりの始まり
2020年7月。同居している87歳の祖父が自宅の段差で転倒。
体を動かすと痛がるようになり、ほぼ寝たきりになってしまったが、本人が病院を拒むため、在宅で祖母が中心になって世話をすることになった。
「当時は介護の知識がなくてどうしたらいいかわからず、地域包括支援センターなどに繋げることができずに自宅で見ていたら、1カ月くらいで床ずれがひどくなって、すごく痛がるようになってしまいました」
8月。悪化した床ずれをひどく痛がるようになったため、祖母が救急車を手配。
「床ずれが悪化しすぎて、そこから菌が入り込み、壊死寸前になっていたそうです。その時に病院から包括支援センターを紹介してもらい、祖母がケアマネさんと『退院したら介護ベッドをレンタルしましょう』といった話し合いをしていました」
当時はコロナ禍だったため、8月上旬に入院した後、一度も祖父と面会ができないまま、10月に入った。
それからすぐのこと。「お祖父さんが、息をしていません」との連絡を受けた。
「入院して3カ月、順調に回復していたと聞いていましたが、朝、看護師さんが祖父の心電図から反応がないことにナースステーションで気づき、心電図が外れているのかと見に行ったら、息をしていなかったそうです」
死因は老衰とされた。87歳だった。
■今度は祖母と母親が倒れる
そして足立さんがカフェで働き始めていた2022年の2月。今度は祖母(86歳)が自宅のカーペットに足を取られ、転倒する。その後、数日は今まで通り家事をしたり、自分でトイレに行ったりできたものの、3日くらい経った頃に起き上がれなくなる。
一方、祖母が起き上がれなくなった日の数日前から、母親(60歳)が体調を崩し、布団で横になっていることが増える。
祖母と母親が2人してぐったりしていることに困り果てた足立さんは、包括支援センターに相談。すると職員が来て状況を把握し、救急車を手配。搬送先の病院で、母親はコロナが重症化していたということが判明。すぐに入院することになる。祖母は骨折ではなく打ち身だったため、痛み止めの薬や湿布などを処方され、帰宅した。
足立さんが地域包括支援センターに連絡すると、以前、祖父の退院後のことを相談していたケアマネがつくことになり、介護ベッドの手配や訪問看護師、訪問入浴などを手配した。
母親がコロナで入院していた約4カ月間、家の中は平穏そのものだった。
■母親の「独裁国家」再び
2022年6月。
「母はルーティンを守らないと不安になる人です。なので、決まった時間に祖母にご飯を食べさせたいのに、祖母は眠っていることが多くて、起こしてもウトウトしていて起きてくれないことが増えました。ルーティンを守れないと母は、『ねえ! 起きてよ! 食べる時間でしょ! ねえ!』と何度も祖母を揺さぶって起こそうとして語気を強くしたり、軽くですが腕を叩いたりしました」
それでも祖母は、「なんなのぉ、うるさいねえ」と言うくらいで、母親を叱ったり、咎めたりすることはしない。
「2020年に亡くなった祖父に関しては、当時はコロナ禍で面会できず、最期はどう思っていたかわからないですが、祖母に関しては亡くなるまで『娘が一番』でした。たとえば、私が母に注意をすると、祖母はうわごとのように『○○(母の名)をいじめんな! この野郎!』と言い、それを受けて母も『私をいじめるな!』と言って祖母に泣きつく感じでした。家では祖父母が王様と女王様。母はお姫様。私と父はよその国からきた人扱いでした」
祖父も祖母も、足立さんに対して感謝や謝罪の言葉は一言もなかったという。
■「ヘルパー事業所のAさんに殺されたようなもの」
2026年4月の朝、祖母は亡くなっていた。90歳だった。
祖母が亡くなった際も、母親とヘルパー事業所との間でひと悶着あった。
2025年12月に祖母は誤嚥性肺炎で入退院し、その後も誤嚥しやすい状態が続いていた。亡くなる2週間前にも誤嚥に近い症状があり、足立さんは訪問医師から、「1カ月以内には亡くなる可能性がある。いつ亡くなってもおかしくない」と言われていた。
足立さんは、その言葉を母親に伝えると面倒なことになると思い、隠していた。だが、それが裏目に出た。母親は祖母が亡くなる前の晩に来ていたヘルパーを逆恨みして、「母の最期の言葉は、Aさんに対する『バカヤロウ』でした。苦しかったんだと思います。母は○×ヘルパー事業所のAさんに殺されたようなものなのです!」とケアマネや、親戚に言いふらしたのだ。
「母は親戚中にメールを送っていました。『殺した』なんて事実は絶対にまったくなく、年末年始でも電話したら駆けつけてくれる事業所で、Aさんも本当にいい人だったので、こんな母で心苦しいです」
さらに、祖母の葬儀でも問題が起こった。香典をくれなかった親戚の名前を家の前で叫び、最後に「バチが当たりますように!」と言ったのだ。
「親戚は、家族葬だったので葬儀は遠慮して、後から線香をあげにきてくれるつもりだったそうです。でも母は、気に入らないことがあるとすぐに『バチが当たりますように!』って言うんです。私は趣味でダンスをしているんですが、それで膝を捻ったら、『バチが当たったんだ!』って……」
足立さんは親戚からも、ケアマネやヘルパーからも同情されていた。
■「ケアされている自覚」がない母親
2026年7月現在、足立さんの母親は、かれこれ7年ほどほとんど家から出ていない。
「コロナあたりの頃から外出しなくなりました。『コロナが怖い』という理由もありますが、この頃に近所のスーパーのレジが、店員さんが機械を通してくれた後、支払いは機械を使って自分でやる半セルフレジになってから出なくなったのだと思います。
昔からぽっちゃりではあったんですが、『不安』や『寂しい』という気持ちを、食で誤魔化している感じになり、運動不足との相乗効果で、現在90キロくらいになりました」
母親は、以前罹患した乳がんは寛解したが、糖尿病と高血圧を患い、2024年頃から体重増加と足腰の弱りのため、月1での自力での通院ができなくなり、内科と精神科を往診してくれる病院に変更。訪問看護師が週に1回様子を見に来てくれるが、あとは一日中家の中でテレビを見ていて、やることといえば簡単な料理くらいだという。
「私は週3くらいで仕事(カフェ)をしていて、午前9時か10時に家を出て、帰宅は19時半です。20時すぎると母が不機嫌になって連絡がたくさんきます。門限が20時のようなもので、友だちと遅くまで遊んだりできないんです。母が出かける前に買い物メモを渡してくるので、仕事後に一息ついたら買い物をして帰ります」
母親は付き合う友だちさえも口出しした。
「彼氏がいる子や結婚している子とは、『負けているから付き合うな』と言われました。でも、母に内緒で今も遊んでいます。母は私の持ち物を無断であさって見たりするので、見られて困るものは全部出かける時に持って出かけています」
筆者が足立さんを取材の日も、夜逃げでもするかのような大荷物で現れた。
「亡くなった祖母や母の身の回りの世話をしていて一番つらいのは、どれだけ頑張っても『ありがとう』と言われないことです。仕事も、母の精神の安定を図ることと、いつでも駆けつけることができるように、融通がきくアルバイトしかできない状況なのに、母は『自分がケアされる立場』という自覚がないため、私への感謝もありません」
母親は足立さんの生活を縛っている自覚もないため、「○○ちゃん(近所に住む同年代の子)は結婚したのに! アンタは結婚もしない!」と貶(おとし)めてきたり、「私がアンタくらいの年齢のときは9時から17時までお勤めしてたのに、アンタはバイトしかしてなくて、週何回かしか働かない。バイトじゃボーナスも出ない!」と馬鹿にする。
■母が死んだらしたいことリスト
母親はスマホが使えず、通信手段は現在もガラケーのまま。家電を使うのも苦手で、セルフレジが使えないため外出しなくなり、カタログ通販で洋服を買い、情報を得るのはテレビとラジオのみだ。
「母は60代半ばですが、感覚的には80代か90代みたいです。祖母が亡くなって、買い物や外に出る練習を始めようかとも思うものの、世の中が変りすぎてしまっていて、難しい気がしています。母は一人では何もできないので、私は家を出て一人暮らしをすることもできません」
足立さんはこうした「デジタル化しすぎた社会」に、母親のような高齢者や障害者などの“デジタル弱者”が取り残されていると感じ、政治家に陳情するなどの活動を始めている。
そんな足立さんがある時、「私はヤングケアラーだ」と言うと、母親はこう言い放った。
「ヤングケアラーっていうのは、もっと立派な子のことだ!」
そんなエピソードの数々を語る途中、足立さんは静かにつぶやいた。
「母は私の心をぐちゃぐちゃにします。本当は結婚して家を出たいです。子どももほしい。でも母を残しては行けない、父は父で、母とふたりきりにしたら、母に罵倒されて胃に穴があいて、今度こそ死んじゃうかもしれない。もしも今、デジタル化がこんなに進んでいなかったら、私が家を出ていったとしても、ヘルパーさんとかを頼れば一人でも母は暮らせたかもしれません。私はずっと、どうしてこんな家に生まれてしまったんだろう? と考えたり、産まれた時代を憎んだり、世の中に苛立ったりして生きています」
足立さんは、「母親から離れたい」「殺したいほど憎んでいる」「このままではいけない」とわかっているにもかかわらず、「見捨てられない」と言って実際には行動に移さない。
筆者には、足立さんと両親は、共依存関係に陥っているように見えた。
「そうですね。親に洗脳されているのに近いと思います。今のつらさや苦しさを乗り越えるために、よくないことですが、母があの世にいった後の自分を想像しています。終電に乗ってみたいとか、髪を染めたいとか、『母が死んだらしたいことリスト』を作って生きる糧にしています」
■「母が暴れるのが怖いんだと思います」
心の底から母親と離れたいと願っている足立さん。思い切って、母親の介護を父親に任せて家を出るという方法もあるのではないか。でも、本人は「できない」と首を振る。
「母を介護することにやりがいも喜びもありません。『こっちから頼んでないけど? 恩着せがましいこと言わないで! アンタが何してくれてるっていうの? なんもしてないじゃない! アルバイトなのも、結婚できないのも、ぜんぶ自分のせいでしょ!』と罵倒されるだけ。もし、少しでも『ありがとう』とか『ごめんね』といわれたら、やりがいみたいなものがあったと思います。
私の場合は、母がキレないように機嫌を損ねないようにただただ毎日自分の人生をドブに捨てて、母という爆弾の解体・処理をしてるみたいなもの。『母のためにやっている』というのもあるけれど、母が暴れるのが怖いんだと思います。
いくら私が怒っても、人の感情がわからない母にはなんにも響かないんです。私の心をぐちゃぐちゃにしておいて、数分後にはケロッとしていたりするので、虚しく感じるだけです」
結局足立さんは、母親と距離を置くことが大事だとわかりつつも、「実現は難しい」と表情を曇らせるばかりだった。
「私の中で、祖父母や母から植え付けられた『罪悪感』を拭うというのはそれほど難しいのです。例えば、夜帰るのが20時を過ぎるだけで、『罪悪感』で過呼吸になりそうになるのですが、あまり『動こう! 離れよう』と焦ると、『それならば殺してしまったほうが早くない? 刑務所くらい入るよ!』という気持ちが冗談抜きで出てきてしまいます……。
母は来年65歳になるので、施設に入れることを考えています。母は人と関わるのが嫌いじゃないから、数日お試しで入居したら案外ハマるんじゃないかな、なんて思っています」
取材した筆者をはじめ、ケアマネ、ヘルパー、訪問医など多くの大人がこの家族(母親と足立さん)に関わり、違和感を覚えているはずなのに、誰も足立さんを救い出すことができない。その事実に無力感を抱かざるを得ない。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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