地球が丸いことは、疑いようのない常識に思える。ところが、YouGovが2018年にアメリカの成人8215人を対象に行った調査では、16%が「地球は球体である」という考えを信じると答えなかった。
なぜ、荒唐無稽に見える地球平面説が根強く支持されるのか。大阪大学大学院人間科学研究科の松村一志准教授は「平面論者は証拠を無視しているのではない。むしろ専門家の説明を疑い、自分の目で確かめた事実を重んじる姿勢が、疑似科学や陰謀論を呼び込んでいる」という――。
※本稿は、松村一志『科学否定論はなぜ人をひきつけるのか―地球平面説から反ワクチンまで』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。
■YouTubeで急増した“地球平面説”
情報学者ジョン・C・パオリロの調査によれば、地球平面説を擁護する動画がYouTubeに出始めたのは2011年頃からだが、それらが定着したのは、2014年から15年にかけてである。
この時期、地球平面説の動画をアップロードするYouTuberが急増した。そのうちの一部は、他の陰謀論との結びつきを深めていく。
今日の平面論者の間では、地球の写真や月面着陸の映像をNASAの工作に見出す陰謀論が一般的だが、それに加え、アメリカ同時多発テロ事件が実はアメリカ政府の自作自演だとする9.11真相究明運動や、政府が実はディープ・ステイト(闇の政府)によって操られているとするQアノン陰謀論を支持するラディカルな平面論者が出てきたのである。
こうしたことが起きるのは、陰謀論において、陰謀を企む集団同士が裏でつながっていると考えることも珍しくないからだ。ただし、平面説が他の陰謀論を取り入れる一方で、他の陰謀論はしばしば、平面説を荒唐無稽なものとして馬鹿にしてきた。一口に「陰謀論」と言っても、その判断は一枚岩ではない。
■アメリカ成人の16%が「地球は球体」に同意せず
2017年からは、地球平面説国際カンファレンスも開催される。
平面説の存在が多くの人の目に留まるようになったのは、この頃である。カンファレンスには、賛同者だけでなく、ジャーナリストや研究者も参加しており、その様子が報じられた。
例えば、ドキュメンタリー映画『ビハインド・ザ・カーブ』には、映画の主役とも言える平面論者マーク・サージェントが、2017年のカンファレンスで行ったスピーチの様子が収められている。
もう一つ注目を集めたのが、質問紙調査の結果だった。国際的なリサーチ会社YouGovが2018年にアメリカの成人8215名を対象に行った調査では、「地球は球体である」という考えを信じる人は84%に留まった。もちろん、平面論の信奉者はもっと少ないが、球体説を疑う人が予想以上に多いことが、驚きを持って報じられたのである。
ただし、平面説の広がりは、アメリカに留まらない。ブラジルの世論調査会社Datafolha Instituteが16歳以上のブラジル人2086名を対象に行った調査では、7%が「地球は平面である」と信じていた。さらに、英語圏で動画やポッドキャストが登場したことで、日本でも、英語を理解する人々を介して、地球平面説が紹介されるようになった。
■根拠は聖書、疑似科学、陰謀論
ここまで、地球平面説をめぐる活動の変遷をまとめてきた。しかし、そもそも平面説とはどのような考え方なのか。
地球平面説のモデルにも細かなバリエーションがあるが、その基本形は次のようなものだ。
フラットアース(平面地球)は静止した円盤で、その中心に位置するのが北極である。一方、円周上には南極大陸がぐるりと高い壁をなしており、その壁の外側は不明である。
また、平面全体がドーム状の天球で覆われており、太陽・月・星はその天球上を動いている。ただし、太陽の光は平面全体を照らすのではなく、あくまでも懐中電灯のように一部分だけを照らしている。これにより、日の出や日没が生じるという。
重要なのは、これが「論証」の形で示されることだ。その論証には、「聖書の証拠(scriptural evidence)」と呼ばれる聖書からの引用もあるが、それを除けば、地球が平面であることを示す「疑似科学」と、球体説を流布する主体を見出す「陰謀論」とからなる。そのため、聖書直解主義者以外にもアピールする議論になっている。
■なぜ疑似科学と陰謀論が結びつくのか
例えば、ロウボサムは『探究的天文学――地球は球体ではない!』(第二版、1873)の中で、平坦な運河で行った観察を紹介している。それによると、水面から8インチ(約20センチメートル)の高さに目線を置いたところ、6マイル(約10キロ)先に立てた5フィート(約1.5メートル)の旗が見えた。
地球が曲面だとすると、旗は地平線よりも下に沈み込んで見えなくなるはずだが、そうならなかったのは、球体説が間違っているからだという。
この理屈自体はわかりやすいが、光の屈折が考慮されていない点に問題がある。
蜃気楼を考えるとわかるように、光は大気の密度差によって屈折する。そのため、条件次第で、本来より遠くまで見えたり、より近くしか見えなかったりする。
そもそもこの観察が本当なのかどうかも疑わしいが、仮に本当だとしても、球体説がただちに棄却されるわけではない。こうした通常の解釈からすると、この観察を根拠に平面説を支持するのは疑似科学に当たる。
一方、球体説が広がったのは、地位の高い科学者たちが人々を欺いてきたからだとされる。こちらは、現実の背後に集団的な意図を見出す点で陰謀論に当たる。
■ハリウッド映画も“平面説”の根拠に…
その後の地球平面説は、疑似科学と陰謀論のレパートリーを増やしてきた。最も大きいのは、NASAをめぐる陰謀論だろう。20世紀後半に進んだ宇宙開発を通じて、丸い地球の写真や月面着陸の映像が流布されてきた。
そのため、この時期以降の地球平面説には、写真や映像をNASAによる捏造だとする説明が追加された。つまり、平面説は、月面着陸がスタジオで撮影されたものだとするアポロ計画陰謀論(ムーン・ホークス説)を組み込んだのである。
この陰謀論に信憑性を持たせたのが、ハリウッド映画だった。
アポロ計画の只中に公開された映画『2001年宇宙の旅』(1968)をはじめとするSF作品は、月面着陸の映像が特撮にすぎないとする根拠になった。また、『カプリコン1』(1977)は、月面着陸の映像が捏造されたという設定で、NASAによる隠蔽工作がスリリングに描かれるため、「真実」を語る映画だと捉えられてきた。
しかし、この点で言うと、地球平面論者でさえも実は安全でない。例えば、地球平面協会の活動には、平面説のイメージを落とすための「偽旗作戦」ではないかとの嫌疑がかけられてきた。
「偽旗作戦」とは、攻撃を受けたと見せかけることにより、相手を攻撃する口実を作ることを指す軍事用語である。この批判は、地球平面協会だけでなく、影響力のある平面論者に対しても、しばしば投げかけられる。
地球が平面だとすると、球体説を流布した犯人がいると考えざるをえない。こうして、地球のモデルをめぐるせめぎ合いが、悪意に満ちた社会というイメージへとつながっていく。疑似科学と陰謀論が結びつくのは、このためだ。
■論破マニュアル「200の証明」が登場
19世紀と21世紀の平面説を比べると、「論証」のレパートリーの変化をはっきりと見て取ることができる。1885年には、印刷業者カーペンターが『地球が球体でないことの100の証明』という冊子を刊行していた。その名の通り、球体説の「論駁(ろんばく)」を100パターン集めたものである。
今風に言えば、「論破」のマニュアルと言っても良い。
この冊子の出版から130年経った2015年には、YouTuberのエリック・デュベイが、「地球が回転するボールでないことの200の証明」という動画を出したが、そこでは200パターンがテンポ良く解説されていく。これを見て平面説に転向した人も多いという。
例えば、デュベイの動画では、次のような「証明」(=反証)がなされている。オリジナルの動画は残っていないが、一つ一つについて詳細な批判をつけた『FlatEarth.ws』というサイトでも、その内容を確認することができる。
(a)もし地球が回転しているのなら、ヘリコプターや気球は、空中で待機しているだけで、目的地に到達できるはずだ → 慣性の法則に反する
(b)もし重力が海や建物や人々や空気を引き付けるほど強い力なら、鳥や昆虫や飛行機はなぜ自由に飛ぶことができるのか → 揚力は重力より大きくなりうる
(c)船舶や飛行機が北極・南極を通って周航したことはない → 何度も行われている
(d)NASAによる地球の写真には加工の形跡が発見された → JPEG形式で保存した際に画像が劣化した等の可能性がある

■説得するために「証明」の数が重視されている
重要なのは、デュベイの動画が、カーペンターの冊子を踏襲しつつも、そのレパートリーを2倍に増やしていることだ。その直接的な理由は、旅客機の発明やNASAの設立といった新たな状況が生まれたことにあるが、もっと根本的なのは、「証明」の数へのこだわりだろう。
「証明」の数を増やそうとするからこそ、新しいレパートリーが次々に開発される。元を辿れば、ロウボサムの『探究的天文学――地球は球体ではない!』自体が、とめどなく膨らんでいく性質を持っていた。
通常、対立説を論駁するには、周到な「反証」が用意される。ところが、平面説においては、無数の「証明」(=反証)が提示される。球体説を棄却するという目的に照らせば、これにはあまり意味がないが、人々を説得するためには、「証明」の数が決定的に重要になる。
大抵の人は、全ての「証明」に対して瞬時に反論することができないからだ。
これを象徴するのは、平面論者ネイサン・トンプソンの活動だろう。トンプソンは、道行く人に声をかけ、平面説を説いてまわる様子をYouTubeで配信したことで有名になったが、この活動を「平面平手打ち(flat smacking)」と呼んだ。「証明」を突きつけることは、一種の「平手打ち」なのである。
■平面説は「カルト」なのか
ここまで来ると、地球平面説の性質も見えてくる。
地球平面説と聞くと、荒唐無稽な地球のモデルを信じる「カルト」のようなものに思えるかもしれない。だが、その内実はむしろ、球体説の「論駁」が中心である。その意味で、「反球体説」と呼ぶ方がわかりやすい。
もちろん、フラットアースのモデルも議論されるが、それはあくまでも球体説を棄却した後で、その代替案として導入されるものだ。球体説が棄却されているからこそ、平面モデルを「仮説」として提示することが意味を持つ。
逆に、平面論者からすると、球体説の支持者こそ、専門家の証言や教師の説明を鵜吞みにしているにすぎない。例えば、地球の自転や公転を体感することはない。だから、経験だけに基づけば、地球が静止した平面だと考えるのは自然な発想だと言える。
ところが、地球が球体であることを、証拠を示しながら説明できる人はほとんどいないし、球体説の正しさを観察や実験によって確かめようとする人もいない。それは悪しき「権威主義」ではないのか――平面論者はそう考えて、観察や実験、あるいはデータを「見る」という自分の経験(に基づく納得感)を重視するのだ。
■「エビデンス」を求める態度との共通点
こうした発想は新しいものではない。ガーウッドによれば、ロウボサムやカーペンター(コモンセンス)の平面説の背後には、フランシス・ベーコン(1561―1626)の経験主義や、スコットランド啓蒙の常識学派の発想があった。
地球の写真や月面着陸の映像を拒絶する態度もまた、自分の目で見たものだけを信じるという考えの裏返しである。陰謀論は証拠を無視すると思われやすいが、地球平面説では、この素朴な「実証主義」が陰謀論を呼び込んでいる。
そう考えると、地球平面論者の態度と「エビデンス」を重視する態度は、見かけほど遠くない。例えば、放射性物質の影響やワクチンの有効性といったリスクの問題をめぐり、一般の人々が「エビデンス」を求めたくなるのも、専門家の証言が手放しでは信じられないからだ。
専門家も間違えることはあるし、人によって意見が割れることもある。そういう場合、どの専門家を信じたら良いかがわからず、誰にでも疑いを向けることになる。だからこそ、「エビデンス」の有無で、その専門家が信頼できるかを見極めようとする。
■専門家を疑うこと自体は悪ではないが…
もちろん、地球平面論者とそうでない人々の間では、何を「証拠」と見なすかは大きく異なるが、観察や実験に基づく「証拠」を求める態度が、専門家への疑いと同時に見られる点は、どちらにも共通している。
現在では、インターネットの発達により、専門家の発言と異なるデータが発見されたり、専門家同士の主張の食い違いが目に入ることも珍しくない。その結果、専門家の証言をそのまま信じることが難しくなっている。
その意味で、専門家の証言を疑うこと自体は悪いことではない。専門家が間違ったことを述べることもあるし、議論をミスリードすることもあるかもしれない。問題は、専門家を全面的に疑うとき、疑惑を提供する情報源や、疑いを向ける自分自身の判断能力を過信してしまうことだ。
何かを疑うことは、別の何かを信じることでもある。そのため、専門家を疑いすぎると、粗雑な「論証」をあっさり受け入れかねない。ここに、「地球平面説」の危うさがある。

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松村 一志(まつむら・かずし)

大阪大学大学院人間科学研究科准教授

1988年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。成城大学文芸学部准教授を経て現職。専門は社会学・科学論。著書に『エビデンスの社会学――証言の消滅と真理の現在』(青土社)、『社会科学のメソドロジー2――測ることの社会科学』(共著、東京大学出版会)、『無知学への招待――〈知らないこと〉を問い直す』(共著、明石書店)など。

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(大阪大学大学院人間科学研究科准教授 松村 一志)
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