■海外メディアが相次いで報じている「日本の貧困」
「豊かな国」日本で、働いても生活できない人が増えている――。
シングルマザー、高齢者、非正規の若者、激安スーパー、ネカフェ難民。ここ数年、海外メディアが相次いで報じているのは、かつて世界有数の豊かさで知られた日本の、もう一つの姿だ。
ではなぜこうなったのか。
日本国内では、生活苦はしばしば「努力不足」「備え不足」「もっと働けばいい」という自己責任にされることがある。だが、後述するように、国際機関のリポートではその要因を、低賃金の非正規雇用、弱い再分配、女性を不利にする税・社会保障制度などとしている。明らかに政策の領域にある問題だ。
本稿では、海外メディアや研究者が見た日本の現状から、自己責任という不思議な価値観が、なぜここまで広がったのかを考えてみたい。
今年1月の英ファイナンシャルタイムス記事は、「激安店通いが日本人の日常になった。」という見出しで、激安スーパーの増加とそこに集まる消費者の声を取り上げている。激安Gekiyasu(激安)、節約一家Setsuyaku-Ikka(節約一家)という日本語をそのまま用い、貧困が一部の弱者の話ではなく、中流層にまで降りてきたことを伝えている。
翌2月の別の記事では、ジャーナリストのトム・フェイリングの著書を紹介しながら、日本の若者を“futureless”――「将来を描けない」世代と表現した。貧困とは今日食べられないことだけではない。結婚、子育て、住居、老後といった「未来を組み立てられない」ことまで含むようになっていると伝えている。
■なぜ日本はこれだけ貧しくなったのか
AP通信が扱ったのは、シングルマザーだ。
2024年1月25日配信記事では「豊かなはずの日本で、子供たちは貧しくなっている。」というタイトルで、シングルマザーたちが睡眠を削って長時間働き、それでも貧困状態にある現状を描く。
ホームレスを取り上げたのが、今年4月、米公共放送PBS系のテレビ、クロンカイトニュースだ。政府統計では日本のホームレスは減っているように見える。しかし実際の調査は、昼間に公園や道路、河川敷などで「目視できる人」しか数えないため、ネットカフェなどにいる「見えないホームレス」が抜け落ちると報じている。
こうした海外報道を追っていくと、一つの疑問が浮かぶ。かつて豊かだった日本で広がる生活苦は、いったい誰の責任なのか。
2024年IMFの報告では、1980年代以降拡大した日本の所得格差を取り上げている。
女性や高齢者が働くことで縮まるはずの格差が、就労先が低賃金のパートや非正規雇用に集中したことで、効果が相殺されたと分析している。
さらにIMFは、所得の再分配についても、「他国と比べて再分配効果が相対的に弱い」と指摘する。つまり、所得格差だけでなく、その格差を税や社会保障で是正する力も弱いということだ。
また非正規労働者に関しては、前出の記事でフェイリング氏が、現在の若者の貧困の要因を、少なくとも安定した収入を保証していた従来の「終身雇用」モデルの崩壊と、それに代わって「フリーランス」や「ギグワーカー」という形態が台頭したことにあると書いている。
■景気低迷でも人口減少でもない
これを数字で分析し、ダイレクトな言葉で表現したのが、2026年のOECDの調査だ。
同調査では日本企業が、非正規労働者を緩衝材として雇っていると指摘。正社員の雇用保障が強いため、企業は「雇いやすく解雇しやすい」非正規を、景気変動への調整弁として使ってきた、と説明している。
また、男女間の賃金格差がOECD諸国の中で最も大きい部類に属していると指摘。これも、非正規雇用における女性の割合が大きいことが一因と明示する。非正規労働での男女格差も、OECDで最も高い水準にあると説明している。
こうした現状から見ると、日本の貧困は単なる景気低迷や、人口減少などが理由の自然現象ではないことがわかってくる。OECDやIMFが政治責任と直接書いているわけではない。しかし誰を守り、誰に負担を負わせるかという制度・政策の結果でもあることが見えてくる。
■企業は生き残り、リスクは労働者へ
こうした日本の政策を批判する研究者は多い。
米デューク大学の文化人類学者アン・アリソン教授は、企業と政府が非正規雇用への移行を促進した結果、「市場のリスクそのものを、企業ではなく労働者へ負わせることになった。」と指摘する。
労働経済学が専門で大妻女子大教授の永瀬伸子教授は、2025年のロイターの取材に対し、1986年に導入された扶養配偶者制度が、賃金上昇圧力を抑えていると指摘。さらに、企業が女性パート労働者を今も、「安い労働力の供給源」とみなしていると語る。
ただ、政策は全面的に失敗したわけではない。
非正規雇用の拡大は、企業にコスト削減と雇用調整の柔軟性を与え、正社員保護は既存の正規労働者を守った。
しかし、扶養制度は、多くの女性を低賃金のパート労働にとどめることになった。社会保障制度も、既存の受益者を保護する一方で、新しい働き方への対応を遅らせた。
企業、正社員など、既存制度の受益者には機能した一方、そのコストを女性、非正規、若年層などに負わせたとも読める。
問題は「政策が失敗したか」だけでなく、「その代償を誰が払ったのか」だ。そして、さらに不可解なのは、その代償を負わされた側が、なぜ政治や制度ではなく、自分自身を責めるようになったのかということだ。
■政策の失敗が個人の責任にされる
タイム誌は、2005年7月時点で、当時すでに日本で広がり始めたkakusa shakai(格差社会)を取り上げている。
10年前、日本人の90%が自分を「中流階級」だと考えていた。しかし、昨年東京大学が実施したアジア全域を対象とした調査によると、現在、日本人の60%が自身の経済的地位を「中流階級以下」と評価している。
「格差社会」に対する国民の意識の高まりは、日本のメディアが「誰が上昇し、誰が下降しているか」に執着していることにも表れている。雑誌であれ、テレビのトーク番組であれ、書店の棚であれ、国内の議論は「勝ち組」と「負け組」という概念に支配されている。
ファッション誌は、貧しい独身女性にならないよう、早く結婚すべきだという美容のアドバイスの記事で溢れている。ニュース誌は、読者の子供たちが「勝者」として成長できるよう、通わせるべき中学校の名前を列挙している。週刊誌は「勝者」たちが何を着て、どこで食事をしているかを紹介し、一方、文芸エッセイでは人生における「勝ち」と「負け」の意味について考察が繰り広げられている。
タイム誌では社会全体の「格差」の問題が、個人の人生の「勝ち負け」という言葉で語られているのが印象的だ。
非正規になったのは「その働き方を選んだ」、貯蓄がないのは「備えなかった」、老後が苦しいのは「若い時に努力しなかった」、生活が苦しいなら「もっと働けばいい」というように、政策や制度によって個人に移されたリスクまでが、今度は本人の選択や努力不足として語り直される。
シドニー大学のヤスコ・クレアモント教授の論文でも同様の「勝ち組/負け組」について言及している。
論文の中で教授は「困窮した日本の若者は、しばしば自分自身を責める」と指摘。しかし、全てが彼らの責任ではなく、政治的に設計された経済構造によって生み出されたと反証する。
日本ではバブル崩壊後、特に1990年代末から2000年代に市場原理を重視する改革が進み、雇用の柔軟化、規制緩和、非正規化が進んだ。教授の研究ではこの時期を、日本の新自由主義化の大きな転換期として扱っている。
■「自己責任」を広げた首相の名前
クレアモント教授は、政府の責任を個人や家族に移す動きが、1990年代以降の新自由主義化の中で強まったと指摘する。とくに小泉政権(2001-2006)は、労働者や安全保障までを、「自己責任」として個人に引き受けさせる考えを広げたと論じている。
そして自己責任は、結果的に「国家の説明責任から目をそらす強力な仕組み」として働いたという。
カナダのコンコルディア大学のマシュー・ペニー教授は、その「自己責任」がどんな論理なのかを、さらに直接的に説明している。
2024年の論文の中で、自己責任を「貧困の責任を貧しい人自身に負わせ、構造的要因を無視する新自由主義的言説」と定義した。さらに、貧しい人に「もっと働け」と求めながら、国家が担ってきたケアの責任まで、個人や家族へ移すものだと批判している。
俯瞰するに、1990年代から2000年代の日本で、アメリカ型の市場化と考え方が、日本にもともとあった「自助」の思想と結びついたと言っていいだろう。
こうした自己責任という意識は、日本だけのものではない。ただ日本ではそこに、「助けを求めるのは恥」「人に迷惑をかけてはいけない」という意識が重なる。
■問題を家族で解決する傾向
ワシントンポストは日本のシングルマザーの貧困を、「恥の文化」として取り上げた。助けを求めることに感じる「恥」が、必要な支援を受けにくくしているという。
もっと強い言葉を使ったのは、英ガーディアン紙だ。
日本の高齢者を扱った映画『PLAN 75』の早川千絵監督へのインタビューで、「日本の『自己責任』という考え方は、強迫観念のようになっている」という監督の言葉を引用している。
さらに監督は「政府に頼るのではなく、自分のことは自分で面倒を見なければならないという考えが広がり、それが高齢者や弱者への敵意につながっている」とし、「福祉を必要とする人に恥を感じさせているのは政府とメディアだ」と批判する。そのため、本来支援を必要とする人まで申請をためらうというのだ。
そこには、家族の存在も関係する。前出のアリソン教授は、日本では長らく家族が福祉を担ってきたと指摘する。問題を家族の中で解決するという傾向が強く、家族がいない人ほど生活が不安定になりやすいという。
つまり日本では、市場のリスクを個人に負わせる動きに、日本独自の恥と迷惑回避、さらに家族への依存という規範が重なっていると見ることができる。
■政治家にとってこれほど都合のいい言葉はない
ただし、貧困を自己責任化するのは日本だけではない。
2014年の英ガーディアン記事も、イギリスで政治家が貧困層を非難し、恥を感じさせることで行動を変えようとしていると批判している。
しかし記事は、貧困の多くは、本人にはコントロールできない経済的要因によって生まれており、「恥をかかせれば人は変わる」という考えにも、科学的な根拠はまったくないと指摘する。
政治と企業は、市場のリスクを労働者へ負わせた。
その結果生じた困窮は、社会の中でしばしば「本人の選択」や「努力不足」として語られた。
さらに、公的支援を受けることにまで恥が伴った。
困窮した本人が自分を責め続ける限り、その困窮を生んだ政策を誰が選び、誰が維持してきたのかは問われない。
だとすれば、「自己責任」ほど政治にとって都合のいい言葉はないのかもしれない。
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シェリー めぐみ(しぇりー・めぐみ)
ジャーナリスト、ミレニアル・Z世代評論家
NY在住33年。のべ2,000人以上のアメリカの若者を取材。彼らとの対話から得たフレッシュな情報と、長年のアメリカ生活で培った深いインサイトをもとに、変貌する米国社会を伝える。専門分野はダイバーシティ&人種問題、米国政治、若者文化。ラジオのレギュラー番組やテレビ出演、紙・ネット媒体への寄稿多数。アメリカのダイバーシティ事情を伝える講演を通じ、日本における課題についても発信している。
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(ジャーナリスト、ミレニアル・Z世代評論家 シェリー めぐみ)

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