不仲な家族とどう向き合うべきか。マンガ家の宮川サトシさん(48)には、30年以上絶縁状態だった「高齢の引きこもり」の実兄がいる。
最新作『名前のない病気』(小学館)では、その兄との関係を赤裸々に描いた。なぜ今になって不仲な肉親と対峙することを選んだのか。彼と向き合って起きた意外な変化とは。ライター市岡ひかりさんが聞いた――。(後編/全2回)
■ゴミ屋敷と化した実家に30年以上引きこもる兄
内閣府調査によると、日本国内で15~64歳の引きこもり状態にある人は146万人いると推測されている。その内、約6割が40歳以上の中高年とされ、「高齢の引きこもり」が増加している。マンガ家の宮川サトシさんの15歳年上の長兄もその一人だ。両親の他界以来、30年以上、岐阜県の実家で引きこもりを続けている。
宮川さんが2年ぶりに実家を訪れた際、家中にゴミ袋が散乱し、床はホコリで真っ白。カーテンはビリビリに引き裂かれていた。リビングは割引シールの貼られた中古本やCDで足の踏み場もない。
年齢は60歳近くになり、すでに耳が遠くなりかけている兄は、大音量でテレビを流しながら、背中を丸めて座っていた。
久々に会う弟の姿を認めると、同級生が載った新聞の切り抜きを見せ「お前ももっと頑張らんと」と嫌味を言う――。
「『兄の人生って何だったんだろう』『この人の人生にどういう結末が待っているんだろう』と、大きなお世話ながら不安に思っていました」(宮川さん、以下同)
宮川さんの記憶に残る長兄の姿は鮮烈だ。詳細は前編に詳しいが、長兄は気に入らないことがあるとすぐ大声を出し、癇癪を起こす。それは15歳下の弟である宮川さんにも変わらなかった。さらに定期的に「おめえら全員殺したるでなあっ」と家族に包丁を突き付ける……。
家族というよりむしろ「一緒に住んでいる変な人」。名前ではなく「長男さん」と呼び、長年疎ましく感じてきた。
■事故とかで死んでくれたら…
「自分が世に出るようなマンガを描けたところで『長男さんが問題を起こして、めちゃくちゃになるんだろうな』という感覚がずっとありました。
もちろん想像なんですが、マンガを描くのを諦めようかとしばしば思ってしまうほどのものです。最近まで『事故とかで死んでくれたら、全部リセットできるのに』みたいな思いすら抱いていました。何度もそんな想像をしていた自分が嫌でしたが、どうしようもなくて」(宮川さん、以下同)
転機となったのは、担当編集から「長兄をテーマにした作品」の執筆を勧められたことだった。冒頭の実家の描写は、そう決めた後に兄に取材をしようとした際の様子だ。
やはり兄は一筋縄ではいかない。さらに、宮川さんが知らなかった過去を目の当たりにする。
7つ上の次兄に執筆を相談すると、低い声で「やめとけ」と返ってきた。「俺にとってあの家は地獄そのもの」と言う。
そこで初めて次兄が「長男さん」から「布団蒸しの刑」として窒息寸前まで布団に閉じ込められたり、首を絞められるなどの虐待を受けていたことを知った。
取材を通じて見えてきた、自分の知らない家族の姿――。それでもマンガ家としての興奮を覚えた。だから執筆をすることに決めた。だがその決断は、少しずつ宮川さんの心を削っていく。
■死神が自分を見つめている
兄を描いた、自身にとって初のドキュメンタリーコミック『』は、2024年8月に「ビッグコミックスペリオール」で連載を開始。第一話から話題となった。
読者からの感想もほとんどが好意的だったが、時折心ない声も届いた。
「長男、怪物じゃないか」「病院ぶち込んどけよ」。普段なら気にならない感想が頭から離れない。夜は眠れなくなり、連日のようにうなされるようになった。
「原稿を書いた後、なかなか寝つけなくて。やっと眠れたかと思うと、死神みたいなやつがやってくるんです。そいつと目が合うと死ぬみたいな設定が頭の中にあるんですよ」
死神は「名探偵コナン」の犯人のような、目だけぎょろりとした黒い影だったり、自分自身だったりした。そんな死神が寝室に入ってくる。ふと目が合いそうになり「あ、ヤバい、死ぬ」……というところで、いつも目が覚めた。「こんなマンガ、誰が読むんだろう」という気持ちと「いや、面白いはずだ」という手応えが自分の中で行ったり来たりした。
■兄から初めて聞いた人間らしい叫び
連載開始から数年たった頃、妻のすすめで精神科を受診、うつ状態と診断された。マンガもしばらく休載となった。
それでも兄のことを描くことをやめようとは思わなかった。
それは「取材者」として兄と向き合い続ける中で、関係性に変化が生じてきたからだ。
「毎回、兄から嫌味を言われて、そのたびに腹が立つんですが、マンガに描かせてもらうし『いいコメントいただきました!』と思うようにしていました。それが続くと、ほんのちょっとずつですけど兄がかわいく思えてくる。取材目線で、自分の感情を抜いて関わったことで、普段なら絶対聞かないような質問もできたんです」
取材のため実家を訪れた時のことだ。「父さんと母さんが死んでずいぶん経つけど、一人で寂しくないの?」と質問した宮川さん。その場では答えなかった長兄だったが、数日後、電話で大声で「寂しいと思っとるよっ」と告げられた。兄から初めて聞いた、人間らしい言葉だった。
「兄との間の分厚い壁がガラガラと崩れる感じでした。今まで何だったのか、という感覚です。『兄ちゃんはこんな大きな家で、1人でこんな景色を見て過ごしていたんだな、自分ならムリだな』と気づきました。今までは『誰の家だと思ってんだよ、散らかしやがって。親がかわいそうだろう』と思っていたのですが。
取材を通して、リビングで座っている兄ちゃんの目線にバチっと合ったんです」
■怪物ではなく同志だった
兄は“怪物”ではなく、両親を失った悲しみを共有できる同志だった。そう思うと、兄の見え方が劇的に変わった。
一緒に食事をした帰り道、兄は割引になっていたキャラクター付きのTシャツを買おうとした。宮川さんが「そんなの趣味じゃないでしょ? なんで買うの?」と聞くと、「いや、こうやって安いのを探して買っているんだよ」と答えた。
以前なら「ダサい」「金の使い方を知らない」と思ったところだが、受け止め方が違った。
「あ、この人ちゃんとしてるなと思ったんですよね。『贅沢しないよう、生きようとしてるんだな』と。そういう細々とした暮らしが、丁寧に生きているように見えたんです」
妻からの一言にもハッとさせられた。60歳を迎えようとする兄は、一般企業にいれば定年を迎える年に近い。「お義兄さんは、逃げ切ったんだね」と妻が言う。それを聞き、兄を誇らしく思えた。
「途中で人生を投げ出したりせず、なんとか生きつないだんだな、と。
そこに、野性味を感じたんです。ライオンの群れの中で、ガゼルが天寿を全うしたみたいな。カッコいいというか、美しいというか……大げさじゃなく、そう思ったんです」
■自閉症はひとつのキャラクター
筆者が読者として『名前のない病気』を最初から読み返すと、異様に見えた長男さんの姿も違って見える。「この妙なTシャツも、値引きしていたのを探して買ったのかな」などと、どこかいとおしく見えてくる。
険悪だった長兄と次兄の関係も変わってきた。次兄の友人がマンガのファンで「『長男さん』に会いたい。聖地巡礼したい」と言い出したそうだ。次兄はその話を、うれしそうに宮川さんに話してくれたという。
その後、兄は「自閉スペクトラム症(ASD)」の診断を受けた。現在は訪問看護を受けながら生活している。発達障害の診断を受けたことで、本人も生きやすくなった印象があると宮川さんは言う。
「思い返してみると、兄はずっと『何でわしばっかり、こんな人生なんや』みたいに、大声で言っていたような気がするんですよね。自分を振り回してきたものの正体が、時代を経てわかって、今はいきいきしていますね。『わしは発達障害だから、部屋も片付けられなくてな。ガハハ』みたいな(笑)。この人は、自分のキャラを見つけたんだな、と思いました」
■兄がいない人生は考えられない
「今は兄とめちゃめちゃ仲がいい」という宮川さん。
「僕は、物事を客観的に見る癖があるんです。すると、いつも『ドラゴンボール』に出てくるシェンロンのような神様が出てくるんです。僕は母が亡くなったとき、身体がもげるほど悲しかったんですが、今その神様に『母を生き返らせてあげよう。その代わり、今のお前の生活はなくなるが良いか』と聞かれたら『あ、じゃあいいです』となるんです。
今が一番価値があると思っているので。それと同じで『兄がいない人生にしてやろう。ただし、今のお前はいないぞ』って言われたら『あ、兄ちゃん置いといてください』ってなると思うんですよね」
読者からの感想には「実はうちにも引きこもりの兄弟がいて……」と身の上話が書かれていることが多いという。それは『名前のない病気』で描かれているのが「特殊な家族」ではないことを表しているのではないか。すべて状況が同じではなくても、家族やきょうだいへのままならない感情に共感する人が多いのだろう。
「病院にぶち込んどけよ」。そう言って割り切れる人にとっては、家族に向き合おうと奔走する姿は滑稽に見えるかもしれない。でも、家族とはそんなものだろうか。
面倒だが、割り切れない。「好き」とは違っても、愛されたいし、愛したい。傷つけられても、見捨てられない。家族でいることを諦められず、もがいてしまう。宮川さんがマンガに描いたのは、そんな“普通”の家族の物語なのだ。

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宮川 サトシ(みやがわ・さとし)

漫画家

岐阜県出身。2013年『東京百鬼夜行』(新潮社)で漫画家デビュー。『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社)は大きな話題に。主な作品は『そのオムツ、俺が換えます』(講談社)、『宇宙戦艦ティラミス』(原作/新潮社)など。現在は週刊新潮にて『俺は健康にふりまわされている』、週刊モーニングにて『ワンオペJOKER(原作)』を連載中。好きなごはんは、味噌かつ定食。

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市岡 ひかり(いちおか ひかり)

フリーライター

時事通信社記者、宣伝会議「広報会議」編集部(編集兼ライター)、朝日新聞出版AERA編集部を経てフリーに。
AERA、CHANTOWEB、文春オンライン、東洋経済オンラインなどで執筆。2児の母。

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(漫画家 宮川 サトシ、フリーライター 市岡 ひかり)
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