この連載では、Baby curiosity®(ベビーキュリオシティ)が生まれるまでの裏側を、何回かに分けてお伝えしてきました。
最終回となる今回は、代表の桐渕真人のインタビューです。
聞きたかったのは、桐渕が社内でもよく口にするこんな言葉について。
「ちょっと悪い言葉には聞こえるけど、好奇心は、僕たちにとっての"メシの種"」
その真意は一体なんなのだろう?桐渕にとっての好奇心って何?
最後のテーマは、「好奇心と、メシの種」です。
社員が楽しそうに仕事をしている。それを長く続けたい
何から話そうか、と少し迷って、桐渕は「経営の視点でいいですか」と切り出しました。自分は経営の勉強をしてきたわけではない、やりたいのはただ一つ、「生き残って、長く会社を続けること」だといいます。
その理由が、ちょっと意外でした。
「AIが当たり前になるこれからの時代、『イノベーション』は人間にしかできない役割の一つになると考えられます。
イノベーションは、人間の生まれ持った『好き』や『得意』、そしてある意味偏った知見から生まれるものです。
つまり、子どもの個性を伸ばし、他人にとっての価値となる、そのおおもとになる欲求こそが「好奇心」であり、今後は世界的に子どもの好奇心を伸ばすことの価値が高まっていくと確信しています。
そして、子どもたちの好奇心を引き出すようなおもちゃをつくるためのポイントは、まだ言葉を話すことができない子どもたちが、何に心を動かされるのかを見つけることです。
うちの社員は、すごく楽しそうにその仕事をしてくれている。その様子を見ていて、この会社は世界でもっとも子どもの好奇心を理解できる会社になれるんじゃないか、と思ったんです」
おもちゃのみならず、中間層が消え、「平均点」の商品は大企業が製造・販売してしまうような時代。
そのなかで上場こそしてはいるものの、いわゆる中小企業であるピープルでは、従業員が楽しそうに、いいものをつくり続けることができている。
桐渕はそこに価値を感じていて、それを長く続けることを、自分が経営者を続ける動機だといいます。
そして「メシの種」という核心について聞きました。子どもの好奇心という理想と、稼ぐという現実。この二つの関係を聞くと、桐渕の答えは拍子抜けするほど明快でした。
「ビジネスは、手段なんです。僕たちは子どもの好奇心を爆発させ続けていきたい。その手段がビジネスなんです」
きれいごとを続けるために、お金の話をちゃんとする。順番が、世間とは逆なんですね。子どもの好奇心は一生変わらない。
バラバラの「単品」を、ひとつのブランドに束ねる
では、今回発売された「Baby curiosity」はその「背骨」のどこに位置するのでしょうか。桐渕は、ある「もったいなさ」について説明します。
「子どもたちは、ピープルの商品で、とにかくよく遊んでくれます。僕たちは好奇心を観察を通じて研究し続けているから、びっくりするほど遊ぶものができる。ところが、その商品のうち一つがSNSで話題になっても、売れるのはその商品”だけ”。「なめられ太郎、いいね」が、「じゃあ次もピープルのおもちゃを買おう」につながらないんです」
満足度は高いのに、一品で完結してしまう。長い時間とコストをかけた良さが、そこで止まってしまうのは、経営的には非常にもったいない。だから、満足を次の出会いにつなげたいと考えました。今あるいい商品を、ひとつのブランドとして見えるようにする。それがBaby curiosityの出発点です。
「割とビジネスライクな話なんです」と桐渕は笑いますが、その先にあるのは、さっきの「手段としてのビジネス」でした。
面白いのは、そのために最初に手をつけたのが、「商品」ではなく「組織」だったということです。
これまでは一商品ごとに組織とその計画が作られ、どうしても「単品でどう採算を取るか」という思考になっていました。そこを「Baby curiosityシリーズで、いくら稼いでくる」というチームに組み替えたのです。すると、ようやくブランドとして回り始めました。
「普通の会社が普通にやってることを、うちは全然やってなかったんだな、と気づきました」と桐渕は言います。ピープルらしさを生かすために、組織はむしろ普通の会社にした。この逆説が、いちばん効いたようです。
とにかく赤ちゃんが遊ぶ「じゃらりんバー」
おもちゃは、親から子どもへのプレゼントです。親は自分では遊ばない。だから親の満足は、子どもがめちゃめちゃ遊ぶこと。そして、遊びながら成長する瞬間が見られることの2つに集約されます。
好奇心を一つ満たすと、次の好奇心が立ち上がり、そのとき見たことのない動きや言葉が出てくる。
だから、子どもがどう喜ぶかがまっすぐ伝わる名前とパッケージにする——Baby curiosityの設計思想は、この一点に貫かれています。
ちなみに、桐渕自身にBaby curiosityいちばん好きな商品を聞くと、即答で「じゃらりんバー」。理由は身も蓋もなく、「遊ぶからですね(笑)」。周りで子どもが生まれた人には、全員これを配っているそうです。
桐渕がじゃらりんバーを推すのは、その「遊ぶ」が、なんと0ヶ月からはじまることがわかるから。この時期の赤ちゃんはほぼ寝ていることが多いのですが、じゃらりんバーを与えると、明らかに意図を持って、これを蹴ろうとするのです。
「これが、僕がずっと言ってる『好奇心の見える化』です」
“個性を大事に”と言われるほど、「じゃあ個性ってなんなんだろう?」とみんなが悩む時代です。
うちの子が何をしたいか分からない、もっといろいろなことを体験させなきゃ——そんな焦りに、桐渕は「いや、これだよ」と返します。0ヶ月からでも、好奇心は目に見える。それを伝えられるのが、私たちの作るおもちゃの価値だと考えています。
好奇心は、本当に「メシの種」になる
桐渕には二人の男の子がいて、二人とも発達障害を抱えています。
この経験が、桐渕の原動力の一つ。「枠にはまらなかった人にだって、めちゃくちゃ得意なことがある」。それってとてもすごいことで、そのことを本人たちにも伝えたい。
「得意」は、「好き」から始まります。桐渕はピアノを例にしました。運指の順番や楽譜の読み方から型にはめて教えようとすると、子どもはピアノを嫌いになってしまいがちです。けれど「好きに弾いていいよ」と放ってみると、じゃんじゃん弾く。それに飽きた頃に和音を、その先にメロディーを差し出すと、今度は子どものほうから「それ、どうやるの?」と覚えにくる。
叩き込まれるのではなく、「欲しい」が先に立つ。好きを続ければ得意になり、究極まで行けば「お金を払うから聴かせて」になる。
好き → 続ける → 得意 → 誰かがお金を払う価値。
これが、個性で生きるということ。
そして、ここで登場するのが「おもちゃ」なのです。
子どもは「やりたい」を胸いっぱいに溜めているのに、きっかけがないとその「やりたい」を表出することができません。
箱ティッシュを差し出せば、子どもはなかから必ずティッシュを引っこ抜こうとします。でも、箱ティッシュのない国の子はその遊びを知りません。
やりたい気持ちは全員にあるのに、きっかけがなければ遊びになりません。
じゃらりんバーがあるから、0ヶ月の子に「蹴る」という遊びが生まれる。
好奇心には、卒業もあります。一定期間「やりたい」が続き、やり尽くすと子どもはあっさり次へ行く。だからおもちゃの役目は、その時期の「やりたい」を飽きるほどやらせて、「バイバイ」されるまで。その卒業の先に、得意や才能が芽を出す。
理想と、メシの種。そのあいだを、おもちゃがつないでいる。
バラバラに聞こえていた話が、ここで一本の線になりました。好奇心は、たしかにメシの種になります。
けれどそれは、誰かを出し抜くものではなくて、目の前の子どもの「やりたい」を、そっと引っ張り出すための種といえそうです。
さて、Baby curiosityの物語は、ここでいったん締めくくり。
桐渕の「妄想」はまだ続いているようでしたが、その先はまた、どこかで。