2026年10月1日から、企業のカスタマーハラスメント対策が義務化される。これは改正労働施策総合推進法によるもので、企業は方針を明確にし、相談窓口を置くなどの対応が必要になる。

つまり、これまで「お客様だから」と受け止められてきた言動も、これからはカスハラとして扱われる可能性があるということだ。しかし、そもそも何をもってカスハラとするのか。その線引きは簡単ではない。

犯罪心理学者で東洋大学社会学部教授、ココロバランス研究所理事の桐生正幸氏は、正当なクレームとカスハラとを分ける、一般的な基準は「ない」と答える。

10月からカスハラ対策が義務化。“クレーム”と“カスハラ”の...の画像はこちら >>

10月から各企業が「カスハラ」の線を引く

では、企業は何をもとに、カスハラの線を引くのか。厚生労働省の指針では、カスハラに当たるかどうかを判断する際の考え方が示されている。

ひとつめは、顧客や取引先など、事業に関係する者の言動であること。ふたつめは、社会通念上、許容される範囲を超えていること。最後が、労働者の就業環境が害されることだ。企業は、こうした要素を踏まえて、自社ではどこからをカスハラとするのかといった具体的なルールやガイドラインを定めていくことになる。

仮に、企業が対策を講じなかったとしても、罰金などの罰則があるわけではないが、厚生労働大臣から助言や指導、勧告を受けることがある。さらに勧告に従わなければ、企業名が公表されることもある。

働きやすさが問われる現代において、カスハラ対策は企業の評判にも関わってくる。
自社の体面を守るためにも、各企業は対応に神経を使うことになりそうだ。

「正当なクレーム」が「カスハラ」に変わる場所

「社会通念上、許容される範囲」を超えているかどうかは、何をもとに判断するのか。

「例えば、店側が『商品に不具合があった場合は1万円までは賠償します』と掲示しているのに、客側が『1万円じゃ少ない、100万円出せ』と要求するといったケースです。こうした要求は、社会通念上、許容される範囲を超えていると判断される可能性がありますよね」

要求内容が明らかに過剰であれば、線は引きやすい。難しいのは、繰り返される暴言や長時間の拘束など、言動の程度によって判断が変わるケースだ。

「中には暴言を吐く人もいます。もちろん、こうした言葉自体がカスハラに当たりますが、罵詈雑言が長時間続けば業務にも支障が出ますし、暴言を受け続けることで従業員が精神的に追い詰められることもあるでしょう」

実際、カスハラはすでに労災認定の対象となっている。2023年には、厚生労働省が精神障害の労災認定基準を改正し、「顧客や取引先、施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた」ことを、心理的負荷を評価する具体的な出来事として追加した。

カスハラという言葉の裏側には、予想以上に複雑な問題が潜んでいたようだ。しかし、だからといって、客側が要望や苦情を伝えることまでためらう必要はない。大切なのは、相手を一方的に責めるのではなく、自分の要求が妥当なものか、伝え方に問題がないかを考えることだという。

「要望や苦情には、企業が商品やサービスを改善するためのヒントが含まれていますから、我慢しなきゃと思う必要はありません。ただし、言い方と要求内容には気を付けましょう」

クレームをエスカレートさせる2つの要因

10月からカスハラ対策が義務化。“クレーム”と“カスハラ”の違いとは?「苦情を我慢する必要はないが…」専門家が語る注意点
※画像はイメージです。生成AIを使用しています
言い方と要求内容には気を付けようと思ってはいても、いったん怒りが生まれると、冷静に振る舞うのは簡単ではない。クレームがエスカレートする時には、どんな心理が働いているのだろうか。


「ひとつは、客側のセルフ・エスティーム(自尊感情・自尊心)の高さです。自分には価値があると思っているのに、相手がそれを否定するような態度や言葉を示すと,『なんだ、お前! 俺をバカにするのか!』となりやすいんです」

自分が軽く扱われたり、尊重されていないと感じたりすると、それを「自分をバカにしている」と受け取り、怒りにつながることがあるという。

高い役職に就き、部下を大声で叱責したり、威圧的な態度で物事を処理したりしてきた人も、退職すれば会社員時代のように周囲に指示を出したり、人を従わせたりする立場ではなくなる。

しかし、身についたコミュニケーションの仕方は、すぐには変わらない。

「年を取ったから偉いとは限りません。それに、店員だから自分より下、年下だから自分より立場が弱い、と考えてしまうのもよくありません。自分の尺度で相手との関係性を決めつけず、対等な相手として接することが必要です」

クレームがエスカレートするふたつめの要因は、苦情を受ける側にあるという。

「対応する企業や担当者の態度がいい加減だと、客側はだんだん腹が立ってくるものです。例えば、そのお店のルールや設置されているシステムがややこしくて分かりにくい場合、理解しようと説明を求めているのに、『こんなことも分からないんですか?』などと言われたら、誰でもカチンと来てしまいます」

店側の対応がまずければ、客の不満は大きくなり、やがてカスハラにエスカレートすることもある。

「つまりカスハラは、客と従業員の相互作用で生まれるのです。場合によっては、企業側も商品やサービスの仕組みを見直したり、対応する側のスキルを高めたりすることが必要だと思います」

誰もが気づかずにカスハラをしている

では、もともと社会的地位の高かった高齢男性以外は、カスハラをすることはないのだろうか。桐生氏は、そうではないという。

「カスハラは誰もが知らないうちにやっています。
例えるなら、あおり運転のようなものです。前を走っているのが女性が運転する軽自動車だったら煽るけど、屈強そうな男性が運転するベンツだったら煽らない、というように、不満やうっぷんを自分より弱い人にぶつけてしまう人は多いのです」

誰もが知らないうちにやってしまうということは、自分がカスハラをしている最中は、その自覚がないということだ。

「ほとんどの人は興奮すると冷静ではなくなるので、『店の態度がひどいから俺は大声を出しているんだ』と、自分に言い聞かせる節もあります。しかも、それが半分は当たっているから厄介です」

実際に、桐生氏もそんな場面を目にしたことがあるという。

「昔、ある百貨店の土産物屋で、ブラックカードを見せながら、『俺は、この百貨店全体のために言ってんだ!』と大声でクレームを言う人を見たことがあります。店員側に何か不手際があったのかもしれませんが、大義名分があれば、何をしてもいいというわけではありませんよね」

そして、これは他人事ではない。桐生氏自身も、自分がカスハラをしていた経験があるという。

「娘夫婦と孫と一緒に食事に行ったとき、料理がなかなか出てこなくて、アルバイトらしき店員に『忙しくても、孫の注文くらいなら、簡単だからすぐできるでしょ』と言ってしまったんです。すると、娘が呆れましてね。そのとき、私の研究結果にある『ある程度の社会的地位を持つ高齢男性はカスハラをしがち』というのを思い出しました。まさに自分がそうだったわけです」

帰り際、孫が店員に「お姉ちゃん、ありがとう」と声をかけたのをきっかけに、桐生氏も謝ったという。

「やってしまうのは仕方がない。
ただ、言い過ぎたと思ったら、すぐに謝る。そうやって、自分の言動を振り返ることも大事です。誰もが被害者にも加害者にもなり得ますから、双方の立ち位置になって考えてみるといいと思います」

カスハラ対策義務化の先に必要な法律は

桐生氏は、10月の義務化の先に必要な法律の形についてこう話す。

「以前から言い続けているのですが、カスハラ防止対策はストーカー規制法のような立て付けがいいと思っています。同じ人物が複数の店舗でカスハラを繰り返すなら、警察から注意をする。それでも繰り返す場合は罰則を設ける。そうした段階的な対応が必要だと思います」

10月から企業にカスハラ対策が義務づけられるが、それだけでカスハラがなくなるとは限らない。なかには、複数の店舗でカスハラを繰り返す人もいるだろう。そうした場合、企業ごとの対応だけでは限界があり、加害者側への規制についても議論が必要になる。日本では、社会問題となってから法律を整備するケースが多く、こうした後追いの対応を問題視する声もある。

「後追いではなく、事件になる前の段階で動けるようにしたいですね。ただ、法律が施行されると、しばらくは振り幅の大きい中でブレたりします。
そういう過渡期に入るので、様子を見ながら判断していくことになるでしょう」

カスハラをどこから規制するのか。その線引きは、法律ができればすべて明確になるわけではない。実際の事例を積み重ねながら、企業も客も、どこまでが許される行為なのかを探っていくことになる。

正解を持っている人は、まだ誰もいない。

<取材・文/安倍川モチ子>

【安倍川モチ子】
東京在住のフリーライター。 お笑い、歴史、グルメ、美容・健康など、専門を作らずに興味の惹かれるまま幅広いジャンルで活動中。X(旧Twitter):@mochico_abekawa
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