錦織圭という奇跡【第34回】
中尾公一の視点(4)
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◆中尾公一の視点(1)>>「体が後傾していた」ひざの痛みを解消して全米OP準優勝
◆中尾公一の視点(2)>>全米OP準優勝の舞台裏「余った栄養補給ゼリーを必ず持ち帰って」
◆中尾公一の視点(3)>>錦織圭を襲った手首のケガ「いつかこのような事態が......」
「30代でテニスをしている自分がイメージできない」
それは20代前半の頃の錦織圭が、たびたび口にしていた言葉である。「あまり体が強いほうではないので」とつぶやくように言うのも、幾度か聞いたことがある。
たしかに錦織のキャリアは、ケガとの戦いではあった。テニス選手の生命線とも言える右ひじには、2度メスを入れている。2022年には股関節の手術も経験した。
ただ2013年から2017年の夏までの4年半は、ケガによる長期離脱はない。そもそも、基本的には年間獲得ポイントの累積でランキングが決まるテニスにおいて、試合数をこなさず上位に行くことは不可能だ。
周囲がささやき、本人も認める「錦織圭は体が強いほうではない」は、真実だろうか──?
「テニスは個人競技なので、ケガで試合を休んだらニュースになる。そのため、ケガが多いような印象を抱かれた部分もあると思います」そう証言するのは、2013年から2018年まで錦織のパーソナルトレーナーを務め、ほぼすべての大会に同行していた中尾公一氏である。
「団体スポーツは代わりがいるので、調子が悪くなったら休めばいい。選手の数も多いので、小さなケガをしても目立たない。たとえばサッカーの試合で途中交代しても、よほどのスター選手でないかぎり理由を細かく詮索されないし、別にファンからも責められないですよね。試合そのものは成立しますから。
でもテニスの場合は、試合がなくなるので目立つし、チケットを買ったファンも怒る。
もちろん、個人競技はテニス以外にもある。中尾氏もトレーナーとして、フィギュアスケート選手や卓球選手を見たこともある。そのうえで中尾氏が感じてきたのが、「テニスはほかの個人戦に比べて、圧倒的に試合時間が長い」こと。
加えてプレースタイル的にも、錦織は一発の強打やサーブでポイントを取るタイプではない。知略に満ちた組み立てや、相手の予想を上回る創造性こそが錦織の魅力。観る者を魅了する稀代のショットメーカーは、その代償として、体の酷使を余儀なくされた側面もあるだろう。
【コースを隠すのがすごくうまい】
中尾氏は全盛期の錦織の体を、長所も弱点も含めて誰より子細に見てきた人物だ。その中尾氏の目に、錦織の強さの最大の理由はどこだと写っているだろう?
「やはり、打つコースが読めない。バックもフォアも、まったく予測できないんですよ」
中尾氏が即答する。
「どちらに打つのか、コースを隠すのがすごくうまいんですね。特にバックハンドなんて、どこに打つのかフォームを見ても、見分けがつかない。映像を重ねても、ほとんど変わらないんですよ。
圭の練習中によくボール拾いをしていたんですが、どっちに飛んでくるかわからないので危ないんです。
打つコースを隠せれば有利なのは、誰もが知るところだろう。ただ、言うは易く行うは難し。その高度なプレーを錦織が可能だったのは、なぜか?
「それはもう、ここの感覚ですよね」と、中尾氏は手首から先だけを小さく動かす。
「ラケットがボールに当たる瞬間に、ここの感覚だけで打ち分けている。時間にすれば、1000分の2秒ほどの出来事。外はフォームもすべて一緒なので、本当に最後の最後、インパクトの瞬間の数ミリの手首の角度や動きの違いだと思います」
繊細で精緻な、情報入力と出力の連動性。しかも錦織は、新たな技の習得にも貪欲だったという。
「たとえば圭はケガした時などに、いろんな選手の試合を見るんですよ。普通は、自分がケガして負けたり出なかった大会なんて、テレビでやっていてもあまり見たいとは思わないと思うんです。でも圭は見て、『誰々のこのプレー、いいな。やってみたいな』と言う。
代表的なのは、バックに振られた時に片手を伸ばして、スライスで深いところにボールを返す技。時間を稼いで体勢を立て直せるので、すごく効果的なんです。ある時からディフェンス時に、それをよく使うようになりました。
さらには片手バックで、パッシングショットを決めることもありましたよね。それも、同じ頃に時々使うようになったと思います。見てすぐに習得できるのも、やはりセンスなんですよね」
【テニスはごまかしの効かない世界】
類(たぐい)まれなる手の感覚に加え、少年のような好奇心と向上心。中尾氏は錦織とともにツアーを回った6年の間で、その才覚に驚かされてきたという。
それらを踏まえたうえで、あらためて問う。錦織圭は、本当に体が強いほうではなかったのか?
「トレーナーの目から見ると、『ビッグ4』(ロジャー・フェデラー/ラファエル・ナダル/ノバク・ジョコビッチ/アンディ・マリー)とかが異常なだけ。
体の頑丈さは、骨格やアライメントも含め、生まれ持ったものも多分にある。そこはある程度は仕方ないところもありますし、ビッグ4に割って入れなかったのは、トレーナーとして十分な仕事ができなかったという反省もあります」
テニスのツアーシステムは、試合数をこなさなければランキングも上がらない。トーナメント形式である以上、連戦に耐える体の強さがなければ、上位に進むことができないのも明白だ。ランキング算出のフォーミュラ(式)は明瞭なため、ごまかしの効かない世界でもある。
そのなかで錦織圭は、長年にわたり世界のトップ10に居続けた。2015年には、世界の4位まで至っている。
「それはつまり──」と、中尾氏は言葉を継いだ。
「錦織圭は、世界で4番目に体の強い選手だった、と言えるということです」
(つづく)
◆富田玄輝の視点(1)>>
【profile】
中尾公一(なかお・こういち)
湘南工科大学を卒業後、フリーのシステムエンジニアを経てスポーツの世界へ転身。鍼灸マッサージ師の資格を取得し、バスケットボールや卓球の実業団チームでトレーナーを歴任する。2005年からテニス男子ナショナルチームのトレーナーを務め、ロンドン五輪にも帯同。2013年より6年間にわたって錦織圭の専属トレーナーとして全米オープン準優勝やリオ五輪銅メダル獲得の快挙を陰で支え続けた。



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