連載第105回 
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 北中米大会でじつに14大会連続のW杯観戦になる後藤氏が、今回は開幕戦が行なわれたエスタディオ・アステカの歴史を振り返ります。

【二度のW杯決勝、三度の開幕戦】

 W杯が開幕。アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国でそれぞれ開幕セレモニーが行なわれたが、6月11日に他の2カ国に先駆けて大会全体の開幕戦が開催されたのは、メキシコ市のエスタディオ・アステカだった(W杯期間中は「エスタディオ・シウダード・デ・メヒコ」(メキシコ・シティー・スタジアム)と呼ばれている)。

ワールドカップの聖地エスタディオ・アステカ 名選手が躍動し、...の画像はこちら >>
 メキシコはこれまで1970年と1986年にW杯を開催しており、どちらの大会でも開幕戦と決勝戦はアステカで行なわれた。W杯決勝の会場として二度使われたことがあるのはブラジルのマラカナンとアステカだけ。そして、三度目の開幕戦が行なわれたのはアステカだけだ。

 アメリカでは、最近建設された近代的で豪華なアメリカンフットボール用スタジアムが使用されている。たとえば、日本がオランダと対戦したダラススタジアム(AT&Tスタジアム)はダラス・カウボーイズの本拠地で、屋根付きで空調が効き、気温がコントロールされている。

 そんな最新式スタジアムに比べれば、築60年のアステカは機能性では劣るかもしれない。

 だが、歴史の重みが違う。

 アステカは、世界のサッカー史のなかでも、特別なスタジアムなのである。

【名選手が活躍。好勝負が続出する】

 前述のようにアステカでは二度のW杯決勝が行なわれた。それだけでもすごいことなのだが、その二度の決勝戦で勝利して優勝トロフィーを掲げたのは、ペレとディエゴ・マラドーナ。

つまり、20世紀の世界のサッカー界で最高のふたりの選手だったのだ。

 W杯は1930年以来22回も開かれてきたのだが、「最も面白い大会」と言えば1970年と1986年大会が争う。どちらもメキシコで開催された大会だ。

 1970年大会ではブラジルがグループリーグから決勝戦まで(ひとつの引き分けもなく)全勝で優勝した(ブラジルは南米予選も全勝で突破)。

 1958年のスウェーデン大会に17歳でデビューしたペレも29歳となっており、まさに円熟のプレーを見せ、トスタン、ジャイルジーニョ、リベリーノ、カルロス・アルベルトなど脇役も充実していた。

 過去に五度の優勝を誇るブラジルだが、1970年大会のチームが最強だったのではないだろうか?

 さらに、ブラジルが決勝で下したイタリアにはジャンニ・リヴェラやサンドロ・マッツォーラ、ルイジ・リーヴァなど同国サッカー史上のレジェンドたちが名を連ね、そのイタリアが準決勝で対戦した西ドイツにはウーヴェ・ゼーラーやフランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラーがいた。両国の準決勝は1対1で延長に突入してから激しい点の取り合いとなり、4対3でイタリアが勝利したのだが、この試合も会場はアステカだった。

 1986年大会もそうだ。

 マラドーナは当時25歳。キャリアのなかで最高の状態で迎えた大会だった(1982年大会は若さを露呈して最後は退場。1990年大会は両脚を負傷したなかでの戦い。1994年大会は禁止薬物が検出されて途中離脱)。

そして、マラドーナはアステカでの準々決勝イングランド戦で「神の手」と「5人抜き」というサッカー史に残るふたつのゴールを決めてみせた。

 また、1986年大会でもフランスのミシェル・プラティニやブラジルのジーコ(膝の故障を抱えていたが)、スペインのエミリオ・ブトラゲーニョ、メキシコのウーゴ・サンチェスなど、実に多彩な脇役が活躍した。

 エスタディオ・アステカは標高2200メートル。W杯では欧州でのテレビ放映のため正午キックオフといった試合が多く、6~7月の開催とあって暑さにも悩まされた。そんな悪条件下でも、メキシコでは数多くの名勝負が繰り広げられたのだ。

 まさに、エスタディオ・アステカはサッカーの神の祝福を受けたスタジアムであるかのようだ。

【40年前のエスタディオ・アステカ】

 メキシコは、スペイン人来航以前からの古い宗教と、スペイン人が持ち込んだカトリックの教義などが混じり合った、独特の信仰やや精霊崇拝が息づいている国だ。

「チキッティブン、アラ、ビンボンバ! チキッティブン、アラ、ビンボンバ!
アラビオ、アラバオ、アラ、ビンボンバ!
メヒコ、メヒコ、ラララ!」

 試合中にメキシコ人の観衆が叫ぶチャントだが、意味もよくわからず、まるで神に捧げる祈りの言葉のようにも聞こえる。

 僕は実は1970年のメキシコW杯の時も「観戦に行きたいなぁ」と思っていた。

 だが、当時は普通の高校生がサッカーの大会を見に海外に行くなど、非常識極まりない話だったので断念。アステカで行なわれたメキシコ対ソビエト連邦の開幕戦の模様は、深夜にふとんに隠れてモスクワ放送の短波放送による実況で聞いていた。ロシア語はわからないので「FWの選手の名前が出てきたらそのチームの攻撃中、DFの選手名が出てきたら守備中なんだろう」と判断しながら聞いたのだ(試合はスコアレスドロー)。

 結果として、あんなに面白い大会となっただけに、僕はあの時メキシコに行けなかった(行かなかった)ことを今でも本気で後悔している。

 1986年にはメキシコに行って、エスタディオ・アステカも何度も訪れた。

 この時の開幕戦はイタリア対ブルガリアで(当時は前回優勝国が開幕戦に登場した)、ホテルからタクシーに乗ってアステカに向かった。だが、高速道路は渋滞でさっぱり動かなくなってしまった。

 一瞬「試合に間に合わないかも......」と不安になったのだが、ふと前方を見ると、ブルガリア選手団のバスがやはり渋滞にはまっているではないか! これなら、時間に間に合わなくても、試合が始まってしまうわけはないので、ひと安心したのを覚えている。

ワールドカップの聖地エスタディオ・アステカ 名選手が躍動し、好勝負が繰り返されるスタジアム
1986年メキシコ大会、エスタディオ・アステカで行なわれた決勝戦の入場券(画像は後藤氏提供)
 そこで、次の機会には公共交通機関を使ってスタジアムに向かうことにした。

 現在は、地下鉄2号線のタスケーニャ駅でライトレールに乗れば、アステカの前まで行くことができる。

 ところが、1986年大会当時はこのライトレールがまだ開通していなかった。もちろん大会のために建設していたのだが、工事が大幅に遅れていたのだ。

 そこで、タスケーニャからシャトルバスに乗るのだが、ライトレールの工事のために車線が規制されていて、普段よりも余計に渋滞が激しくなってしまっていた。

 するとある時、シャトルバスの運転手は大胆にも反対車線に乗り入れて、前から来る対向車をまるでマラドーナのドリブルのように華麗にかわしながら、渋滞を避けてスタジアムまで走りきったのだ。

 イライラしていたサポーターたちは大喜びし、一斉に運転手を讃えて叫びだした。

「チキッティブン、アラ、ビンボンバ! チキッティブン、アラ、ビンボンバ! チョフェル、チョフェル、ラララ!」

「チョフェル(Chofer)」は、スペイン語で「運転士」の意味だ。

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