篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(8)

河埜和正 後編

(中編:河埜和正の「つなぎ」で楽に打席に入れた 普段は大のビール好きで、オールスター前にアクシデントも?>>)

 篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」で、2番・ショートに選んだ河埜和正氏とのエピソード。その後編では、今も野球ファンのなかで語り継がれる甲子園での「世紀の落球」、そして、篠塚氏にとっての河埜氏の存在などについて聞いた。

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【甲子園の魔物が牙をむいた瞬間】

──河埜さんといえば、1985年4月16日に甲子園で行なわれた阪神戦での落球も印象深い出来事のひとつです(※)。このエラーを皮切りに阪神に同点とされ、その後に勝ち越しを許して逆転負けを喫しました。篠塚さんはセカンドからこのシーンを見ていたと思いますが、どうでしたか?

(※)巨人が2対0とリードして迎えた4回裏、阪神が1点を返し、続く2死一塁の場面で佐野仙好のフライを河埜氏が落球。一塁走者が本塁に生還し、追加点も許して敗戦した。翌日にはランディ・バース氏、掛布雅之氏、岡田彰布氏の"バックスクリーン3連発"で阪神が逆転勝ち。同年に阪神がリーグ優勝、球団史上初の日本一を達成したこともあり、この落球がシーズンの流れを決定づけたと語られることが多い。

篠塚 甲子園は浜風が強いですからね。「甲子園には魔物がいる」とよく言われますが、僕らから見てもそういう印象はありましたし、フライにしろ、ゴロにしろ、けっこう気を遣っていましたよ。捕り損ねてしまえば、球場の雰囲気もガラッと変わって一気に阪神に流れがいってしまいますからね。

──守備の名手・河埜さんでも捕球が難しいですか?

篠塚 甲子園のグラウンドでは何度も試合をしていたので、ある程度は慣れていたはずなんですけどね。それでもエラーが出るというのが、"魔物"ということなんじゃないですか。

 野球は「ミスしたほうが負ける」と言いますが、甲子園での試合は特にそういう印象がありました。あと、当時の巨人の選手たちは、阪神と戦う時に「甲子園で勝たなきゃいけない」という意識が浸透していて、それが動きの硬さにつながっていた側面もあるかもしれません。

──やはり甲子園の雰囲気は、ほかの球場とは違うものですか?

篠塚 浜風もそうですし、やはりあの応援ですよ。そういった要素が全部混ざって、異様な雰囲気になるんです。プレーする選手たちは、それに飲み込まれないようにしなければいけません。地に足をつけて、自分のプレーをしっかりするように心がけていました。

 ただ、グラウンドに関してはプレーしやすかったです。甲子園の土は阪神園芸さんが丹精を込めて整備しているいい土ですし、それほど固くないんです。ボールが跳ねたりして掘れてしまっているところに入らない限りは、イレギュラーする感覚はなかったですね。

──エラーをしてしまったあと、河埜さんはすぐに気持ちを切り替えていましたか?

篠塚 そうですね。エラーは誰でもすることですし、つきものなので。それがきっかけで阪神に点が入って大敗してしまった(最終的なスコアは2対10)ことを考えれば、さすがに当日は落ち込んだかもしれませんけどね。プロは毎日試合がありますし、すぐに切り替えて次へ向かわなければいけませんから。

 それと、ピッチャーと野手は"お互いさま"の関係です。

ピッチャーが打たれた時にバッターが点を取って助けてあげる時もあれば、その逆もありますし、守備に関しても同じことが言えますね。

【二遊間を組めたことは「大きな財産」】

──河埜さんは現役引退後、巨人で長らくコーチやスカウトを歴任されたあと、野球教室「ジャイアンツアカデミー」で校長を務められるなど、さまざまな貢献をされています。引退後に交流する機会はありますか?

篠塚 今はほとんどないですね。河埜さんがスカウトをされていた頃は、巨人のキャンプでお会いしてご挨拶することはありました。伊東キャンプをともにしたメンバーで集まる、長嶋茂雄さんを囲む食事会でもお会いしていましたね。河埜さんがゴルフをしていれば、もっとご一緒させていただく機会があったかもしれませんけどね。

──野球教室などで顔を合わせることは?

篠塚 野球教室に、内野手出身の元プロ野球選手がふたりで教えに行くことはあまりないんですよ。ピッチャーと内野手、ピッチャーと外野手などの組み合わせが多いので、同じ野球教室に参加したことはほとんどないんじゃないかと思います。

 お会いする機会は減ってしまいましたが、自分の野球人生にとっては、一軍に上がってがむしゃらにプレーしていた頃に、グラウンド内外でいろいろと面倒を見ていただいた方ですし、すごく感謝しています。あと、河埜さんはZETT(ゼット)のグラブを使っていたのですが、ゼットさんに行く時に自分を誘っていただいたこともありました。その都度、気にかけてくれていたような気がします。

 河埜さんは現役時代に巨人のV9も経験されていますし、経験が豊富。

優れた守備力はもちろん、温厚な人柄も含め、自分が一軍の試合に出始めた頃に河埜さんのような方と二遊間を組めたことは、すごく大きな財産になったと思います。

──まだ若手の頃は、心の拠り所のような存在だったんですか?

篠塚 そうですね。いつでも声をかけてくれましたし、本当にいい先輩ですよ。今、長嶋さんを冠した少年野球教室(千葉県佐倉市で毎年開催)や、食事会の幹事を自分が担当しているような感じなのですが、河埜さんにもお声がけさせていただこうと考えています。V9以降の初の日本一をご一緒に経験した二遊間コンビとして、また、偉大な長嶋さんの教え子として、お会いする機会が増えていくといいですね。

(了)

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年に、1軍打撃コーチ、1軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

浜田哲男●取材・文 text by Tetsuo Hamada

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