幕末・明治の“顔”を描いたのはイタリア人だった
<a href=https://www.excite.co.jp/News/bit/00031086053648.html>写真は新札タオル</a>
11月1日に20年ぶりの新札が発行された。が、半月たっても1枚も手にすることができていない。


日本のお札に肖像画が取り入れられたのは明治14(1881)年発行の「神功皇后(じんぐうこうごう)札」からだが、これを描いたのは実は日本人ではない。明治政府の招きで来日した、いわゆる「お雇い外国人」のイタリア人の銅版画家エドアルド・キヨッソーネ(1833―1898年)である。

彼は1875(明治8)年の来日以来、デザインから彫刻、印刷までを一手に引き受け、小判切手や一円券、地券状や証券類を次々に製作。神功皇后は伝説的な人物で、当時も肖像画などはなかったため想像で描かれたという。だが、キヨッソーネはイタリア人だったためかその風貌は外国女性風になってしまった。

写実的な画風のキヨッソーネにはモデルが必要だったらしく、神功皇后を描くにあたっては、紙幣寮の女子職員をモデルにしたといわれている。1890年に発行された十円札の「和気清麻呂」は明治の元勲・木戸孝允、翌年発行された百円札の「藤原鎌足」は大蔵大臣・松方正義がそれぞれモデルだったらしい。

そんなキヨッソーネ、実は宮廷画家としても日本で大活躍していて、明治天皇をはじめ大久保利通、木戸孝允、岩倉具視などの肖像を、コンテ絵や銅版画として残している。

明治の中ごろ「御真影」として全国の小学校に配られたのはキヨッソーネの描いた明治天皇の肖像画を写真師の丸木利陽が撮ったものの複製だった。また、写真が残っていない西郷隆盛のイメージを作り上げたのもキヨッソーネで、西郷隆盛の肖像画はその死から6年後の1883年に製作された。キヨッソーネは、顔の上半分は弟の西郷従道、下半分はいとこの大山巌をモデルにして描いたという。

私たちが教科書で目にする幕末・明治の“顔”は実はイタリア人キョッソーネによって描かれたものだったのである。
(こや)
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